新年は3日(金)から開館します。
1月3日(金)~6日(月)・8日(水)は、今昔館で初詣。
「福笑い」「双六」など大人も子供も楽しめる
懐かしいお正月遊びがいっぱいです
【1月3日(金)】
*あてもの(お子様対象)
*おみくじ
*絵馬(100円)
*干支の折り紙(先着16名、参加費100円)
【1月4日(土)~5日(日)】
*書初め(参加費100円)
〇浪華の賑ひに見る江戸時代の大坂(28)
今回は「浪華の賑ひ」の「四天王寺」をご紹介します。
■四天王寺
石の鳥居は西門の外にあり。もとは衡門(かぶきもん)にして、木にて造られしが、年久しく朽ち傾きけるを、伏見の院の御宇永仁二年に忍性(にんしょう)上人石を以て造り、改めらるるとなり。額の文に曰く「釈迦如来転法輪所当極楽土東門中心」。右は皇太子の真蹟といひ、あるいは小野道風の筆とも云ふ。または弘法大師の筆などいへり。これはいづれも誤にして、この額は三井長吏(みゐのちょうり)慶暹(けいじん)が弟子慶耀(けいよう)、勅を奉(うけたまは)りて書すところなり。委しくは、近日予が著す『摂津名所図会大成』に出だせばここに略す。
浪華の賑ひ「四天王寺」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
浪華の賑ひの本文には、「荒陵山四天王寺」として、以下の記載があります。
当山は聖徳皇太子の御創建なることは世の知る所なれば、委しく記するには逮(およ)ばず。金堂・講堂・六時堂・五重大塔をはじめ諸堂境内に巍々たり。年中、法延間断なく四時ともに詣人繁し。なかんづく、二月涅槃聖霊会を大会と称す。また、春秋両度の彼岸会、七月千日詣等は、殊更に群参して雲霞のごとし。
浪花百景には、西門を中心に背景に五重塔などを描く「四天王寺」と、五重塔を中心に金堂などの伽藍を描く「四天王寺伽藍」の2枚があります。
■四天王寺(芳雪画)
聖徳太子ゆかりの四天王寺は仏教受容の象徴として、古来、平安貴族から庶民に至るまで、太子信仰や法華信仰、浄土信仰をあわせ崇敬を集めた最古の官寺です。
西門の石造大鳥居(重要文化財)は永仁2年(1294)時の別当忍性の建立で、わが国最古とされます。扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」とあります。
当時は西門前まで大阪湾が入り込み、四天王寺西門はその西方の海の彼方にあると信じられた極楽浄土の東門であると信仰され、ここから海に沈む夕陽に向かって念仏を唱え、彼方の西方極楽浄土を観ずる「日想観」の修行が広く行われました。
浪花百景「四天王寺」(大阪市立図書館蔵) |
■四天王寺伽藍(国員画)
四天王寺は、蘇我氏対物部氏の崇仏戦争を蘇我方の勝利に導いた四天王像を安置すべく聖徳太子が推古元年(593)に創建したと伝えられます。寺院建築の最も早い時期に属する四天王寺は、南大門・中門・五重塔・金堂・講堂が一直線上に並び、中門と行動を結ぶ回廊が周囲を囲む伽藍配置は四天王寺様式と称されます。
度々災禍を被るたびに同じ場所に再建され、創建当時の様式を今に伝えています。文化9年(1812)再興の堂塔は昭和9年の室戸台風で倒壊・大破し、その後修理・再建されましたが、昭和20年米軍の空襲により焼失しました。現在の伽藍は昭和38年に復興されたものです。
五重塔の上階からは境内、市中が一望できます。太子信仰は庶民に至るまで広がり、聖霊院の巡拝、法会、舞楽が行われ、今日も太子の霊験を求める人々で寺運盛んです。
浪花百景「四天王寺伽藍」(大阪市立図書館蔵) |
天保年間発行の「浪華名所獨案内」の四天王寺付近を見てみましょう。四天王寺の周辺には、庚申堂、茶臼山、一心寺、安井天神、キヨミズ、アイゼン、ウカムセ、壽法寺などの名所が描かれています。一心寺の西には、合ホウガ辻、エンマドウも描かれています。「日本橋通長町ト云」は現在の堺筋、その南に「スミヨシカイドウ」と書かれている道は紀州街道です。この地図は東が上に描かれています。北を上にしましたので、文字は横を向いています。
浪華名所獨案内の四天王寺付近(「津の清」蔵) |
「天保新改攝州大阪全圖」の四天王寺付近です。四天王寺の回廊伽藍の東に太子堂があります。四天王寺の北西は寺町で、びっしりとお寺が並んでいます。毘沙門池、茶臼山、一心寺、合邦辻も描かれています。
天保新改攝州大阪全圖の四天王寺付近(日文研蔵) |
大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」の四天王寺付近です。大きく描かれている五重塔は、文化9年(1812)再興の塔で、この後、昭和9年の室戸台風で倒壊・大破することとなります。上町筋を南下してきた市電は、四天王寺を迂回して「天王寺西門」「茶臼山」停留所を経て、天王寺に通じています。
大阪市パノラマ地図の四天王寺付近 (大阪くらしの今昔館蔵) |
次に、今昔マップ3を利用して、明治42年から最近までの地形図で、四天王寺周辺の変遷を見てみましょう。
左上は明治41年、四天王寺の東側には農地など空地が目立ちます。南西の茶臼山周辺には第五回内国博覧会の跡地が軍用地となっています。右上は昭和7年、環状線内側は市街地化が進み、市電が通っています。軍用地には、新世界と天王寺公園が整備されています。左下は昭和22年、白い部分は戦災によって焼失した地域で、四天王寺の伽藍も焼失しました。右下は平成7年で、四天王寺の伽藍が復興され、谷町筋が開通して地下鉄が通っています。
明治41年、昭和7年、昭和22年、平成7年地形図の 四天王寺付近(今昔マップ3より) |
明治以後の四天王寺は、まず、明治維新の神仏分離令により、それまで四天王寺に所属していた神社が離され、厳しい状況に置かれましたが、人々からは依然として庶民信仰の寺・お太子さまの寺として深い信仰を受け、諸行事は従来どおり行われました。
昭和9年(1934年)9月21日、近畿一円を襲った室戸台風によって五重塔が倒壊、金堂は傾斜破損、仁王門(中門)も壊滅するなど、境内全域が相当な被害を被りました。昭和15年(1940年)、努力のすえに五重塔が再建されましたが、それも束の間、昭和20年(1945年)の大阪大空襲により、六時堂や五智光院、本坊方丈など伽藍の北の一部の建物を残し、境内のほぼ全域が灰燼に帰してしまいました。
しかしこの時も、各方面の人々の協力を得て復興への努力がなされ、昭和38年(1963年)には伽藍が、昭和54年(1979)には聖霊院奥殿・絵堂・経堂が再建、その他の建物も次々に再興され現在ではほぼ旧観に復しています。さらに、戦後間もなく太子創建の寺であることから天台宗から独立し、和宗を創立。四天王寺はその総本山として、仏法興隆と太子精神の高揚を本願とする寺として再生いたしました。
聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。四箇院とは、敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)、悲田院(ひでんいん)の4つのことで、敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は薬局・病院にあたり、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設にあたります。
たび重なる戦火や災害に見舞われ、多くが焼失しましたが、現在の建物は創建当時(飛鳥時代)の様式を忠実に再現しており、古代の建築様式が今に残るのは貴重といえます。
総面積3万3千坪(約11万平方メートル)。甲子園球場の三倍の広さを有する境内には四天王寺式伽藍のほか、聖徳太子の御霊を崇る聖霊院(太子殿)があり、創建当時の品々など500点あまりの国宝・重要文化財を所蔵する宝物館もあります。日本庭園の「極楽浄土の庭」にたたずむと、都会にありながら喧騒とは無縁の世界が広がります。新西国三十三観音霊場第一番など多くの札所にもなっています。
お太子さまをしのんで毎年4月22日に催される聖霊会舞楽大法要では、重要無形民俗文化財の天王寺舞楽が披露されます。毎月21日の大師会と22日の太子会は四天王寺の縁日で、露店も多く並び庶民の太子信仰の寺としての姿勢を貫いています。(以上、四天王寺ホームページ より)
四天王寺の現在の様子を写真で見てみましょう。
空中写真(国土地理院) |
西門前 |
西門 |
極楽門下より伽藍を見る |
五重塔と金堂 |
手前から、金堂、五重塔、あべのハルカス |
中門と五重塔 |
今回は、「浪華の賑ひ」の「四天王寺」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。
〇企画展「ちょっといい 昔の暮らし」開催中です
2019年12月16日(月)~2020年2月14日(金)
みどころ
・大坂の屋敷の台所を模して特注で制作された特大のミニチュア台所
・当時の家庭雑誌「暮しの手帖」を生活道具とともに紹介
・ダイヤル式電話機など、触って昔の道具を体験できるコーナー
調理と食事、衣類の手入れ、住まいを整えるなど、家事は今も昔も家庭内で日々行われています。生活に使われる道具は、高度経済成長期に電化製品が普及し、より便利に効率的な生活となるように改良されていきました。現代においてはあえて自動化せずに、鍋でご飯を炊くなど手間ひまをかけて生活を楽しむ「ていねいな暮らし」という言葉も生まれ、それぞれの家庭の暮らし方は多様になりました。
昔の暮らしは、どのようなものだったのでしょうか。電気・ガス・水道の整備や生活道具の変化だけでなく、家族の形態や家庭の機能も大きく変化しています。例えば、職住が一致していた時代には、従業員も住み込みで家族とともに暮らすため、大きな台所にたくさんの食器が必要でした。また、来客に備えて住まいには座敷や客間を設けており、膳や座布団なども多数そろえておくことが当たり前でした。しかし、そういったふだんの暮らしというのは記録に残りにくいものです。その一端を、大阪くらしの今昔館が所蔵する生活道具を展示することを通して紹介します。商業都市として栄えた大阪で育まれた豊かな生活文化までをのぞいてみませんか。
旧八代敏所蔵雛飾り台所ミニチュア(部分) |
吸物椀 |
暮しの手帖 |
電話(さわってみよう) |
〇今週のイベント・ワークショップ
今昔館は毎週火曜日が休館日です。12月29日(日)~1月2日(木)は休館で、新年は3日(金)から開館します。
カレンダーは、こちらです。
≫ http://konjyakukan.com/kaikanjikan.php?nextm=202001
12月25日(水)~28日(土)、1月3日(金)、4日(土)、8日(水)~11日(土)
町家ツアー
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
1月5日(日)、12日(日)、13日(月・祝)
町家衆イベント 町家ツアー
江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00
12月25日(水)
イベント 町家寄席-落語
江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸、他
14時~15時
12月28日(土)
町家衆イベント ワークショップ『正月祝箸袋』
①13時30分~ ②14時30分~
各回先着10名、参加費200円
*当日12時より8階インフォメーションで参加券を販売します
1月5日(日)
町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00
1月11日(土)
町家衆イベント ワークショップ「水引飾りを作ろう」
①13時30分 ②14時30分
各回先着10名、参加費200円
*当日12時より8階インフォメーションで参加券を販売します
1月12日(日)
町家衆イベント おじゃみ(有料)
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00-16:00
1月13日(月・祝)
イベント 今昔庵茶会―お煎茶―
江戸時代の町家の座敷で、おいしい玉露と風雅な時間をお楽しみください
当日先着50名、茶菓代300円
※当日12時より8階インフォメーションでお茶券を販売します
協力:玉川遠州流玉川会大阪支部
13時~15時30分
町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30-15:00
そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
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