今回は「浪華の賑ひ」の「鮹松(たこのまつ)」をご紹介します。堂島川沿いの久留米藩・広島藩蔵屋敷前にありました。
■鮹松
久留米御蔵屋敷の浜にあり。頗る大樹の老松にして四面(めぐり)に枝葉をたるることあたかも鮹(たこ)の形に似たりとて、世俗かくは号(なづ)くるなり。されば、蒼々として、君子の操をあらはし、川水にうつる景色いふべくもあらず。月の夕・雪の朝にはひとしほの瞻望(ながめ)なれば、雅俗きそひてこれを賞す。
この川岸の西の方に玉江橋といへる橋あり。この橋上より天王寺の大塔はるかに見えるなり。俗に浪花の奇観とせり。
浪華の賑ひ「鮹松」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
「浪花百景」にも、「蛸の松夜の景」があります。
■蛸の松夜の景(国員画)
米市場に近い堂島川両岸には、各藩の蔵屋敷が建ち並びます。その前には各藩自慢の松が植えられ、なかでも、田蓑橋の架かる中之島、久留米藩の門前には、川に突き出すような枝振りが蛸の泳ぐ姿に比された黒松があり、「蛸の松」として評判でした。別の説として、特に、広島藩邸前の蛸の松、久留米藩邸前の鶴の松が有名であった。という説もあります。
「蛸の松」は、もとは東隣の広島藩主・福島正則が植えたといわれ、続く浅野氏も扶持米10石を与えて維持したというほどの名松で、特に月の夕べ、雪の朝の眺めは激賞され、あらゆる人が水辺の絶景の第一として賞賛しました。
明治以降は大阪市が肥料を与えて保護しましたが、明治後年に枯死しました。近年場所を変えて新たに松が植えられて、往時を顕彰しています。
浪花百景「蛸の松夜の景」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
また、浪花百景には「玉江橋景」もあります。蛸の松の西側に架かっていた橋です。
■玉江橋景(国員画)
堂島川と堂島新地の整備開発に伴い17世紀末に架けられた玉江橋。北に肥後・中津藩、南に久留米藩と蔵屋敷が建ち往来が盛んで、南詰めにある薬師堂の縁日の日は人出も多くありました。橋の南側は、諸藩自慢の名松の枝が川面をおおう秀麗な地でした。
橋を北から渡ると、反りを持った橋の中央から四天王寺の五重塔が遠望できることが評判で、その風景が好んで画題に取り上げられました。画中の治安維持のため巡回する隊列に幕末に向かう時代の機運が感じ取られます。
現在は高い建物が多く、とても四天王寺までは見通すことはできません。
浪花百景「玉江橋」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、地図の中央部、堂島と中之島の間に架かる「玉江バシ」と「タミノバシ」の中間あたり、中之島の北岸の赤丸印の箇所が、もともとの「蛸の松」のあったところです。現在は「タミノバシ」の北詰めに植え替えられ、記念碑があります。この地図は、東が上に書かれています。北を上にしましたので文字は右を向いています。
浪華名所獨案内(「津の清」蔵) |
次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、堂島川に「玉江橋」と「田蓑橋」が架かり、中之島には2つの橋の間に久留米藩と廣島藩の蔵屋敷があります。2つの蔵屋敷の境目辺りが蛸の松のあったところです。現在は田蓑橋の北詰西側に植え直され、傍に蛸の松の記念碑があります。
天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵) |
大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、堂島に「玉江橋」と「田蓑橋」が架かり、その中間の「大倉商業学校」の前辺りが蛸の松のあったところです。「田蓑橋」の北詰、梯子の建っている所に松が植え直され、記念碑があります。
大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵) |
昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、堂島には「中央電信局」と「大学病院」が大きく描かれています。「大学病院」の南側、田蓑橋の北詰に松が植え替えられ、記念碑があります。「中央電信局」は、絵がはみ出ていますが、実際は田蓑橋の東側、商工会議所と並んで建っていました。
大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵) |
今昔マップ3を利用して、周辺地域の変遷を見てみます。
左上の明治42年では、堂島川から北側一帯が白くなっており、北の大火によって焼失した地域であったことが分かります。中之島には東西に市電が走っています。
右上の昭和7年を見ると、地域一帯は復興が進み市街地が広がっています。堂島の北側にあった蜆川(曽根崎川)は埋め立てられ、川の跡地は堂島の敷地に取り込まれています。
明治42年から平成8年の地形図 (今昔マップ3より) |
左下の昭和42年を見ると、堂島の大学病院、中之島の阪大医学部・理学部の西側に広い幹線道路(なにわ筋)ができています。中之島の市電は廃止されています。
右下の平成8年では、大学病院と阪大は吹田へ移転した後で、名称が消えています。現在、大学病院の跡地は朝日放送などがある「ほたるまち」になり、阪大理学部の跡には大阪市立科学館と国立国際美術館があります。阪大医学部の跡には阪大中之島センターが建っています。このビルに隣接して大阪市の新美術館が建設予定です。
鮹松付近の現状を写真で見てみましょう。
現在の蛸の松 (位置が変わっています) |
現在の蛸の松 田蓑橋北詰にあります |
現在の蛸の松 後方の阪大中之島センター辺りが元の場所 |
蛸の松の碑 |
田蓑橋からの風景 |
大阪府師範学校跡の碑 阪大中之島センターの北側の堤防上にあります |
師範学校跡の碑の側面 この地に「蛸の松」とて名松あり この松を友として生徒勉学に励みたり |
大阪大倉商業学校跡の碑 師範学校跡の碑の隣にあります |
師範学校跡の碑から、現在の蛸の松のある田蓑橋北詰を望む |
現在の玉江橋 |
玉江橋の顕彰板 |
今回は、「浪華の賑ひ」の「鮹松」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。
大阪市パノラマ地図についてはこちらに解説があります。
≫ http://konkon2001.blogspot.jp/2017/10/blog-post_10.html
≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html
〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。
当面の間、臨時休館を延長します
新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、当面の間、臨時休館を継続いたします。
当館の展示を楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
なお、今後の予定につきましては、国や大阪市の動向、感染症の拡大状況を注視しつつ決定し、ホームページにおいてお知らせします。
〇大阪くらしの今昔館—「近代の大阪」展示室「住まいの大阪六景」の見どころ
今昔館の休館が長引いていますので、館の見どころを動画でご紹介します。今回は「住まいの大阪六景」(川口居留地・北船場・大大阪新開地・空堀通・城北バス住宅・古市中団地)の見どころです。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
このほかに今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画が4編あります。順次ご紹介していきます。
⇒http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
0 件のコメント:
コメントを投稿