2020年5月5日火曜日

今週の今昔館(214) 菜花盛 20200505

〇浪華の賑ひに見る江戸時代の大坂(45)

 今回は「浪華の賑ひ」の「菜花盛」をご紹介します。

■菜花盛
 菜種を作ることは、浪花の北の村里に多く、およそ長柄(ながら)・十三(じゅうそ)の辺りより浦江・大仁(だいにん)・福島・曽根崎・北野および三番村(さんばむら)等一円なり。
 三番の新家には紙屋といへる貨食家(りょうりや)ありて、この楼上より眺望すれば、花の頃はあたかも黄金を布くがごとく、中津川をゆきかふ白帆の光景など賞するに余りあり。もっともかかる景地なれば、時をきらはず、平生(つね)に遊覧の雅俗うち群れて繁昌せり。

浪華の賑ひ「菜花盛」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 「浪花百景」には、「十三中道」があります。当時は菜の花畑が広がっていました。

■十三中道(芳雪画)
 江戸時代後期、中津川にあった十三渡しは複数の街道が交錯する交通の要でした。大坂を起点とする中国街道は西に進み、さらに西国街道に合流します。能勢街道(山田街道・池田街道とも云う)は渡しの北岸で分岐して北へ延びていました。渡し場や分岐点付近は往来の人々で賑わい、宿屋や焼き餅屋などの茶店も開かれました。
 周辺は早くに農地開発された地域で、街道筋は旅愁を誘うのどかな田園風景が広がっていました。手軽な野遊びの場として行楽に訪れる人も多くありました。
 明治43年(1910)竣工の淀川改良工事により中津川は新淀川となって付近は川床となり、渡し場辺りには現在十三大橋が架かっています。ただし、街道の分岐点の三叉路は現在も十三駅の西側に姿を変えて残っています。

浪花百景「十三中道」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、地図の北の端は「北野」までで、中津川とその北側の地域は描かれていません。この地図は、東が上に書かれています。北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見てみましょう。地図の北の端は、「野里村」「野里新家」「塚本村」までで、そこから東は描かれていません。
 「野里村」と「塚本村」の間に描かれている川は、中津川です。新淀川が開削されるまでは、塚本と浦江・海老江は陸続きであったことが分かります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、地図の左上の端は、北野・中津までです。地図の左上の隅に描かれている川は明治42年に開削された新淀川で、その対岸が十三付近になります。十三は当時の大阪市域には含まれず、パノラマ地図のエリアの外になります。
 地図の左下から「北野」を経て右下に抜ける鉄道は阪急電鉄の前身の箕面有馬電気軌道で、右手が梅田方面。また、左下から右上に抜ける鉄道は阪神北大阪線で、右手が天神橋筋六丁目方面です。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、新淀川が大きく描かれ、十三橋が架かっています。道路と並行して阪急電鉄が走り、新淀川北岸に「十三駅」があります。駅の西側の三叉路が旧街道の分岐点であった「十三中道」にあたります。 

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、開削されたばかりの「新淀川」と開削によって切り取られた「中津川」の一部がはっきりと描かれています。新淀川の開削以前は十三と塚本の間は中津川によって分断されていました。十三橋の北側で街道が左右に分かれています。左は中国街道で西国街道につながります。右は能勢街道につながります。周辺はほとんどが農地であったことが分かります。十三橋と並行して鉄道が走っています。阪急宝塚線の前身である箕面有馬電気軌道で、明治43年(1910)に開業しています。
 右上の昭和7年を見ると、駅の周辺は市街地化が進みますが、その周りには農地も散在しています。市街地に飲み込まれながらも、旧街道を読み取ることができます。豊中方面への道路は拡幅されましたが、神戸方面へは旧街道の線形が残っています。
 阪急電車は当時は阪神急行電鉄で、十三で宝塚線と神戸線に分岐していました。現在の京都線は新京阪電車として京阪電鉄が運営していました。昭和18年に統合され、京阪神急行電鉄となります。
 左下の昭和30年を見ると、白い部分は戦災によって焼失した地域です。神戸方面への道路も直線化され拡幅されています。十三駅前が現在と同様の交差点になっています。
 右下の昭和42年では、戦災からの復興が進み全域が市街地化しています。十三駅と新淀川の間に川と並行して幹線道路ができています。十三大橋と並んで新十三大橋(十三バイパス)ができています。

明治42年から昭和42年の地形図
(今昔マップ3より)
現在の十三大橋
橋の左奥にグランフロント、右奥に梅田スカイビル
左に並行する鉄橋は阪急電車、右は水道橋
十三大橋の碑
現在の十三駅西口前の交差点
突き当り左手は中国街道、右手は能勢街道へ
突き当りから南を振り返る
正面に小さくグランフロント
酒饅頭で有名な老舗「喜八洲(きやす)」
能勢街道の碑と案内板
案内板の地図

 JR大阪駅の周辺も駅ができるまでは菜の花畑が広がっていました。与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の句でも有名です。茶屋町には菜の花に因んだ句碑や石碑が残っています。
茶屋町の能勢街道沿いにある「菜の花や~」の顕彰碑
梅田芸術劇場前の蕪村句碑


 今回は、「浪華の賑ひ」の「菜花盛」をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。

 今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。



〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。

 当面の間、臨時休館を延長します


 新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、当面の間、臨時休館を継続いたします。
 当館の展示を楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
 なお、今後の予定につきましては、国や大阪市の動向、感染症の拡大状況を注視しつつ決定し、ホームページにおいてお知らせします。



〇大阪くらしの今昔館「裏長屋のくらし編」
 今昔館の休館が長引いていますので、館の見どころを動画でご紹介します。今回は「裏長屋のくらし編」です。
https://www.youtube.com/watch?v=I3xqDTOl1to


 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
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