2020年7月15日水曜日

今週の今昔館(224) 片町・京街道・川崎渡口 20200715

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(4)

 「淀川両岸一覧」は、大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介した船旅の案内書で、文久元年(1861)に刊行されました。暁晴翁の著述、松川半山の画図によるものです。

 淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、約160年前の江戸時代の大坂から京都までの淀川南岸(左岸)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「片町・京街道・川崎渡口」をご紹介します。

 以下は、「淀川両岸一覧」の本文です。

■備前島橋
 京橋の北にあり、鯰江川に跨る。南詰は片町、北詰は備前島橋といふ。この橋辺に過書の船番所あり。八軒家よりこれまで水上およそ三町ばかり。

■川崎渡口
 右同所にあり。この河岸より天満の川崎にわたる舟わたしなり。渡およそ八十四間余と云ふ。これより以下渡しと号するは、いづれも舟渡しにして、淀川を横にわたるなり。


 松の下から、陸路京橋を渡ると片町、片町からさらに北へ鯰江川に架かる備前島橋を渡ると淀川筋に出ます。挿絵を見ると、松の下から手前淀川筋まで、片町を挟んで2本の橋が架かっているのがおわかりいただけると思います。右手の長い橋が京橋、左手の橋が備前島橋です。現在の地形は異なっており、鯰江川は埋め立てられて無くなり、京橋が渡されていた旧大和川は寝屋川に変わっています。

 片町は京街道の大坂側の起点で、京都から陸路を下ってきた場合は大坂の玄関口にあたります。片町は2つの川に挟まれた陸地の幅が狭く、道の片側にしか家が建っていないことから「片町」と呼ばれています。ここから北へ備前島橋を渡り、淀川筋の川崎渡口から船に乗れば、対岸の天満川崎へも通じています。

 この両岸は景勝地と見えて、川面には三十石船、渡舟に混じって遊覧の屋形船が描かれています。気候も緩む晩春には、屋形船に乗り銚子片手に桜宮辺りまで花見遊山に興じたのでしょうか。

 「片町・京街道・川崎渡口」には、「其二」と書かれていますが、前回紹介した「松之下・京橋・備前島橋」と並べるとつながる図柄になっています。

淀川両岸一覧上船之巻「片町・京街道・川崎渡口」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)
「片町・京街道・川崎渡口」(左)と「松之下・京橋・備前島橋」(右)
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「淀川両岸一覧」の「片町・京街道・川崎渡口」の挿絵には、右中央には「片町 京かい道」の文字、絵の左下には「淀川筋」の文字があり、ここが陸と川との結節点になっていたことを表しています。左上部には以下の解説があります。

 船客の中にはそれぞれの勝手に随ひ、三嶋江あがり又は枚方前嶋あるは橋本、淀あがりなど、中途より上陸すること多し。是は八軒家にて乗船の砌(みぎり)、船頭に告て誂へ置べし。̪尓(しか)せざれば其期にのぞみ、此事を告るといへども船頭承引ずして難儀に及ぶあり。必ず乗場にて忘れなば此辺にても約すことにこそ。

 旅人の皆さん、途中下船の場合には、くれぐれもご注意を。


〇浪花百景には「川崎ノ渡シ月見景」がありますので、見てみましょう。

■川崎ノ渡シ月見景(芳雪画)
 こんにち造幣局のある一帯は、川崎村と呼ばれ、大坂三郷の一つ天満郷の東に隣接していました。大坂城に近い川崎村は、幕府の材木蔵や米蔵、城代屋敷、蔵屋敷が建ち並ぶ地域でした。

 この川崎村と大川対岸の備前島とを結ぶ渡しが川崎渡で、鯰江川に架かる備前島橋(御成橋)、寝屋川に架かる京橋を経て、その向こうに大坂城の雄姿を望むことができました。季節ごとの舟遊びの内でも、とくに大坂城を背景に京街道沿いの松林越しに臨む川崎の名月は、絶好の月見の拠点として有名でした。

 渡しは昭和20年6月の空襲で施設が破壊されて以降廃止され、かわって昭和53年に歩行者・自転車専用の川崎橋が架けられました。現在はその下をアクアライナーがくぐってゆきます。

 浪花百景の構図は、淀川両岸一覧を縦長に圧縮して夜景にし、満月を描いた図になっています。三十石船は省かれ、月見の屋形船が大きく画かれています。隣には渡し舟も描かれています。

浪花百景「川崎ノ渡シ月見景(芳雪画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、「野田村」と「御宮」の間に「ワタシ」の文字があります。ここが川崎の渡しがあったところです。この地図は、東が上に書かれており、北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、備前島が天満橋の下まで伸びてきており、橋の右手(東側)に「川崎渡」の文字が見えます。「備前島橋」「京橋」を渡ると、「御城」の「京橋口」に至ります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3には掲載されていない明治18年の陸地測量部地図です。日文研さんからお借りしました。
 天満橋の右手(東側)に「川嵜橋」が描かれています。明治10年に建設された私設の木造橋でした。造幣局から、川嵜橋、備前島橋、京橋と3つの橋を渡ると、大阪城京橋口に至ります。川嵜橋は、明治18年の淀川大洪水によって流失し、その後は再建されませんでした。当時の大阪城とその周辺は陸軍の軍用地として利用されていました。図中の「M」は陸軍を示す記号です。


明治18年陸地測量部地図(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、「天満橋」の「北詰」から東へ進むと桜並木の描かれている造幣局があります。その手前に「川崎ノ渡シ」の文字と舟の絵、航路の点線があります。渡った対岸を進むと「びぜんじまばし」さらに「きやうばし(京橋)」へと続きます。その先には大阪城があります。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、「天満橋北詰」停留所の右側に「造幣局」が大きく描かれています。造幣局の手前から「川崎渡」で対岸の備前島に渡り、「備前島橋」「京橋」を渡ると、大阪城京橋口に至ります。寝屋川が付け替えられて川崎渡しのすぐ西側で大川に合流しています。京阪電車の天満橋駅の北側に「備前島」の地名が残っています。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、「天満橋」の東側、「京橋」の北側に、文字はありませんが、渡し船の記号と航路の点線が見えます。明治43年に開通した京阪電車が記されています。
 右上の昭和4年では、「川崎渡」の文字が記されています。京阪電車と並んで市電が走っています。

明治41年から昭和42年の地形図と現在の空中写真
(今昔マップ3より)

 左下の昭和42年を見ると、川崎の渡しは廃止され、表示がなくなっています。京阪電車が天満橋の手前で地下に入っていく様子が描かれています。
 右下は最近の空中写真です。川崎の渡しがあったところに川崎橋が架けられています。大川沿いに桜之宮公園が整備され、緑が写っています。京橋の上空に歩行者専用橋の「大坂橋」があり、造幣局と大阪城を結ぶ歩行者ルートになっています。

 川崎の渡し跡の現状を写真で見てみましょう。最初の写真は天満橋から東方面を見たところです。
 左手が大川・川崎橋、右手は寝屋川で、京阪電車が走っています。正面はOBPのビル群、右奥には生駒山が見えます。


天満橋より川崎橋を見る
川崎橋、背景はOBP、
左手前に「川崎橋命名の由来」の碑
「川崎橋命名の由来」の碑
川崎橋と大阪城、屋形船、京阪電車
川崎橋、右奥に大阪城

 川崎橋は桜之宮公園の南の入り口に当たります。造幣局の櫻の通り抜けの季節には、造幣局と大阪城を結ぶルートとして大勢の人々でたいへん賑わいます。

桜之宮公園の案内図(右が北)

 今回は、「淀川両岸一覧」の「片町・京街道・川崎渡口」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、片町・川崎付近の様子を確かめてください。


〇特別展「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」は終了しました。ご来場ありがとうございました。

〇次回の企画展は「大阪くらしの今昔館所蔵品展『歳時記と祝い事』」

 令和2年7月23日(木・祝)~9月6日(日)

 大阪くらしの今昔館ではこれまで、住宅や建築に関する歴史資料、祭礼や年中行事に関する絵画資料など、大阪の伝統的な建築文化および歴史文化を伝える資料の収集に努めてきました。本展ではこれまでに収集した館蔵品の中から「歳時記」と「祝い事」に関連する絵画資料、染織資料、工芸品、節句飾りなどを展示します。

 季節にあわせて飾られた掛軸や屏風、節句飾りや年中行事に用いられた漆器、贈答用の袱紗、通過儀礼の際に身に纏った宮参りや婚礼の衣装など「ハレの日」を彩った100点余りを選びました。 五節句や年中行事、人の一生の節目にあたる儀礼など、大阪の人々が大切に守ってきた生活文化に触れていただきます。

花嫁衣裳 扇面四季花鳥模様振袖
花嫁衣裳 揚羽蝶円紋金襴菱木打掛
雛飾り台所道具
住吉をどり 菅楯彦
浪花行事十二月 七夕月
二代長谷川貞信


〇江戸時代の疫病退散-天神祭の宵宮飾り

 大阪くらしの今昔館の近世常設展示室(江戸時代のフロア)では200年前の天神祭の宵宮飾りと疫病退散にまつわる展示を行っています。

御迎人形「酒田公時(金太郎)」(大阪天満宮蔵)
疫病神(疱瘡神)は赤色を 嫌うと信じられていました
流行り病に打ち勝つ! 鍾馗さんや神農さんの掛軸を飾る
呉服屋での展示の様子
コレラ退治の虎
張子の虎が、店の表で 皆さんをお出迎え


〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。

 令和2年6月3日(水)から開館しています


 再開にあたっては、十分な予防対策に努めてまいります。これに伴い、ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などの入館並びに観覧時にご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。今回は全4編を通しで見る「全編」をご紹介します。約14分の動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=lOgkk5mfaT0


 全4編の目次はこちらからどうぞ。こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be


 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4


〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


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