船旅の案内書「淀川両岸一覧」は、大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、約160年前の江戸時代の大坂から京都までの淀川左岸(川の流れから見て左側です)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「樟葉渡口」をご紹介します。
■樟葉渡口
楠葉渡口の絵は、淀川左岸楠葉のあたりを描いています。絵の上部の解説は、次のとおりです。
此所より上り舟の水主等上りて、橋本を打こし、樋の上まで一里余り引のぼり、又舟にのりて淀の小橋の上まで三十丁余さしのぼる。又旱天つづきにして、水少なきときは西の岸をことわりて引く事もある也。
淀川を往来する三十石船は、京に上る際、水主たちが堤に上がって船曳きする箇所がいくつかあります。豊かな流れをさかのぼるのは、それだけ力を費やさねばならぬということなのです。ここ楠葉もそのポイントの一つです。
三十石船は枚方から対岸の大塚村の下まで渡し、ここから檜尾川まで6度目の曳き船となります。檜尾川を渡り、右岸を前島から鵜殿(うどの)まで7度目の曳き船をした三十石船は、対岸の楠葉へと渡ります。ここ楠葉から8度目の曳き船をして、橋本のはずれまで北東に進みます。その後、淀小橋まで櫓を漕ぎ伏見の港をめざします。絵の左に小さく描かれている三十石船は、岸を離れて漕ぎ進んでいます。水主たちはこれから陸に上がり曳き船をするのでしょうか。それとも、これは下り船でしょうか。
右上の賛は、蕉門の俳人、西田宇鹿の句。
淀の泡 くず葉に消て 鳴千鳥 宇鹿
淀川両岸一覧上船之巻「樟葉渡口」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
絵の右手前にみえるのは、渡し舟。楠葉と淀川右岸の高浜とをつなぎ、楠葉の渡し、高浜の渡しなどとよばれていました。舟には船頭が一人、広々とした川面を船頭が慣れた手付きで櫓を繰りながら漕ぎ行く挿絵の情景は、何とも穏やかでのんびりとしています。5人の船客は皆旅姿です。傘をさした女性とお供の丁稚、大きな荷を背負った男性、向かい合わせて腰掛ける男性が二人、煙管に火をつけているようすです。道中の四方山話に花を咲かせているのでしょうか。
楠葉渡しの歴史は古く、「古事記」や「日本書紀」の説話にその名を留めています。この説話には、崇神天皇の御代に、大毘古命(おおひこのみこと)が建波邇安王(たけはにやすおお)の謀反を知り久須婆之渡に追撃したところ、追い込まれた反乱軍は恐怖のあまり屎(くそ)をもらしてはかまを汚したので、この地を「クソバカマ」と呼び、それがなまって久須婆(くすば)と呼ぶようになりました。それがやがて、葛葉や樟葉の字に変わっていったということです。
尾籠なお話ではありますが、千三百年昔の地名を現代もそのまま使っているとは素敵な話でもあります。樟葉は男山と天王山に挟まれた位置にあり、昔は水運交通の要所でもありました。舟がなければ対岸へは逃げられない。名前の由来もうなずけます。
中世には樟葉の牧(くすはのまき)として、宮廷の馬寮の馬を飼育する牧場があり、また、この辺りは土器の産地としても有名でした。男山の土で土器が作られたようです。
本文は次のとおりです。樟葉の前後の全文を掲載しておきます。
■樋之上
船橋川の傍にあり。当村の東に舟橋村あり。二の宮と称する神祠ありて、近隣三ケ村の生土神とす。例祭九月九日。
■楠葉
樋之上の上にあり。枚方よりこの所まで陸路行程二里。「続日本紀」云く、「元明天皇四年正月始楠葉駅ヲ置ク」。しかれば、往古はこの所駅なりしなるべし。当村中より男山八幡宮へ参詣の道あり。またいにしへはこの辺りを楠葉野といひ、また楠葉宮といへる行宮ありしよし「日本紀」に見えたり。
「続古」
曇らじな ますみの鏡 かげそふる 楠葉の宮の 秋の夜の月
■楠葉渡口
同所にあり。摂州島上郡高浜に渡す。ゆゑに高浜のわたしとも云ふ。淀川の舟渡しなり。渡しの長さ百七十間といふ。
大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の樟葉付近を見てみましょう。
図の右端は天の川と禁野、そこから、陸路ではいそ嶋、渚、下島、上嶌を経て、樟葉にいたります。淀川を見ると、対岸の右岸に近いところに帆船や三十石船が描かれています。上り船は船頭らによって綱で引き上げられている曳船の様子が描かれています。
対岸には、「前しま」「大つか」「うとの」などの地名が記され、地図の左端に「高浜村」があります。樟葉と高浜を結ぶ渡しがあったところです。
樟葉付近の地域の変遷を地形図で見てみましょう。
1枚目は明治42年陸地測量部地図に「明治期の低湿地」を重ねたもので、水色は明治20年ごろの水面、黄色は水田、緑色は荒地を表しています。京街道周辺は「町樟葉」と「野田」「南」などの集落以外は、ほとんど水田であったことがわかります。
中世には樟葉の牧(くすはのまき)として、宮廷の馬寮の馬を飼育する牧場があり、また、この辺りは土器の産地としても有名でした。男山の土で土器が作られたようです。
本文は次のとおりです。樟葉の前後の全文を掲載しておきます。
■樋之上
船橋川の傍にあり。当村の東に舟橋村あり。二の宮と称する神祠ありて、近隣三ケ村の生土神とす。例祭九月九日。
■楠葉
樋之上の上にあり。枚方よりこの所まで陸路行程二里。「続日本紀」云く、「元明天皇四年正月始楠葉駅ヲ置ク」。しかれば、往古はこの所駅なりしなるべし。当村中より男山八幡宮へ参詣の道あり。またいにしへはこの辺りを楠葉野といひ、また楠葉宮といへる行宮ありしよし「日本紀」に見えたり。
「続古」
曇らじな ますみの鏡 かげそふる 楠葉の宮の 秋の夜の月
■楠葉渡口
同所にあり。摂州島上郡高浜に渡す。ゆゑに高浜のわたしとも云ふ。淀川の舟渡しなり。渡しの長さ百七十間といふ。
大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の樟葉付近を見てみましょう。
図の右端は天の川と禁野、そこから、陸路ではいそ嶋、渚、下島、上嶌を経て、樟葉にいたります。淀川を見ると、対岸の右岸に近いところに帆船や三十石船が描かれています。上り船は船頭らによって綱で引き上げられている曳船の様子が描かれています。
対岸には、「前しま」「大つか」「うとの」などの地名が記され、地図の左端に「高浜村」があります。樟葉と高浜を結ぶ渡しがあったところです。
「よと川の図」の樟葉渡口付近(大阪くらしの今昔館蔵) |
樟葉付近の地域の変遷を地形図で見てみましょう。
1枚目は明治42年陸地測量部地図に「明治期の低湿地」を重ねたもので、水色は明治20年ごろの水面、黄色は水田、緑色は荒地を表しています。京街道周辺は「町樟葉」と「野田」「南」などの集落以外は、ほとんど水田であったことがわかります。
「町樟葉」の北の端から川に出る道があり、対岸の「高濱」への渡しが描かれています。樟葉の渡しはここにありました。
明治41年陸地測量部地図+明治期の低湿地 |
2枚目は、明治42年陸地測量部地図に現在の「色別標高図」を重ねたものです。現在の堤防の位置がわかりやすくなりましたが、この辺りでは明治時代以降、淀川の川筋は大きく変わっていません。地図の右上の男山が淀川に迫り、その隙間を京街道と京阪電車が通っています。
明治41年陸地測量部地図+色別標高図 |
3枚目は、最新の地理院地図に「明治期の低湿地」を重ねたものです。かつて水田だったところが宅地造成されて住宅地になりました。また、男山の南側斜面が削られ樟葉ローズタウン、男山団地などのニュータウンになっています。
国土地理院地図+明治期の低湿地 |
4枚目は、最新の地理院地図に「色別標高図」を重ねたものです。青緑色の部分は水田が宅地化した地域、黄緑色の部分は山が削られてニュータウンとなった地域で、「樟葉丘」以外はほとんどが京都府域になっています。
堤防の内側に、広い河川敷が拡がっており、ゴルフ場として利用されています。
幹線道路については、赤が国道、黄色が府道です。淀川左岸の堤防上を府道が通っていますが、バイパスができるまでは、こちらが国道1号線でした。現在は府道13号線となっています。右岸の国道は171号線です。
国土地理院地図+色別標高図 |
最後は、地理院の空中写真です。写真で見ると道路の区画の区画の整ったニュータウンと、水田が宅地化した地域の違いがよく分かります。河川敷のゴルフ場の様子もよくわかります。
国土地理院空中写真 |
今回は、「淀川両岸一覧」の「樟葉渡口」をご紹介しました。
〇企画展「大阪くらしの今昔館所蔵品展『歳時記と祝い事』」は終了しました。ご来館ありがとうございました。
〇次回の企画展示は「景聴園×今昔館 描きひらく上方文化」です
令和2年11月4日(水)~11月23日(月・祝)
「景聴園(けいちょうえん)」は京都で日本画を学んだグループです。80〜90年代生まれの関西出身の作家5名と企画を担当する2名が所属し、2012年に結成されました。同世代でありながらも異なる制作スタイルを持つ作家たちを中心に、日本画を通して文化と歴史を再考することで絵画のあり方を見つめ、日夜議論を重ねながら制作と発表を続けてきました。第6回目を迎える今回の展示は、大阪での初開催となります。
大阪くらしの今昔館は、大阪における住まいの歴史を紹介する一環として、江戸時代を中心に近代までの美術・歴史資料を所蔵しています。それらは床の間や座敷で掛軸や屏風として、生活の中を彩るものとして、生活に取り入れられてきました。時代の流れとともに住まいは郊外にうつり、座敷を持たない家も増え、生活の中で日本画に親しむ機会も少なくなってしまいました。しかし現在も、連綿と続いてきた日本画の歴史を継承して学び、絵を描くことについて問いかけながら制作活動をつづける人たちがいます。
景聴園の作家たちは当館で展示をするにあたり、所蔵品の熟覧を重ねることで大阪の歴史と文化から着想を得て、それぞれのテーマを設けました。本展では、5者5様のアプローチによって描き出された景聴園の新作を中心に今昔館の所蔵品も交えながら、上方で発展してきた都市文化が持つ奥深い世界を展開します。
上坂秀明「ナゾトキヤマ」2017年 |
合田徹郎「霊猫/狼/インターフェース」2019年 |
服部しほり「仙」2019年 |
松平莉奈「菌菌先生」2016年 |
三橋卓「つなぎとめる方法」2019年 |
〇大阪くらしの今昔館は6月3日(水)から再開しています
再開にあたっては、十分な予防対策に努めてまいります。これに伴い、ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などの入館並びに観覧時にご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。
今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・町家ツアー(ボランティア等による展示解説)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ
・ギャラリートーク、講演会
〇「商家の賑わい」の展示
大阪くらしの今昔館は大規模な展示替えが行われ、9月12日(土)から「商家の賑わい」の展示になっています。
江戸時代の大坂の店先を再現し、当時の賑やかな商家の様子を楽しめます。
〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
こちらからご覧ください。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be
〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
⇒http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf
このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be
また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
こちらからどうぞ。
⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
0 件のコメント:
コメントを投稿