2021年7月28日水曜日

今週の今昔館(277) 川崎濱 20210728

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(56)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
 今回は「川崎濱」をご紹介します。ここは大坂城からも近く、幕府の蔵や諸藩の蔵屋敷が建ち並ぶエリアでした。


■川崎濱
 川崎は、大川から旧大和川や鯰江川が分岐している地点にあり、備前島の対岸にあたります。この地は、淀川の頭に位置することからこの名が生じたと言われています。

 絵は、淀川西岸(右岸)川崎浜の風景を描いたもので、川面には三十石船や屋形船が浮かんでいるのが見えます。

 川崎について、本文は次のように記しています。

≪御蔵、御材木蔵、御屋敷方、川岸に建て連なる。此の所に萩ばしといふ小橋あり。この上手より上り船の綱を引きはじむるなり。又川すじ洪水の時は、下り船々皆此の所より客を上ぐるなり。北長柄三ツ頭よりこの所まで水上凡そ二十五丁といふ。≫

 ここの浜は大坂城から近いこともあり、幕府の蔵や諸藩の蔵屋敷が建ち並ぶエリアでした。また、「川崎浜」の絵の左端にみえるように、京へと向かう三十石船は、萩橋の上手より水主が陸へ上がり、綱で船を曳きました。ちなみに、「其二」の右端にみえるのが萩橋です。

 また、ここは淀川を往来する船を取り締まる「監船所」つまり「淀川船方の番所」があったと本文に記されています。

淀川両岸一覧下船之巻「川崎濱」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「川崎浜」の絵をよくみると、川岸を多くの人が傘をさしながら歩いているのがわかります。右端に見える花は桜木。江戸時代、ここ川崎には「川崎御宮」と呼ばれた東照宮がありました。本文の解説は次のとおりです。

≪天満ばし筋の東傍にあり。元和年間、松平下総侯創建し給ひ、三江和尚寺務し九昌院建国寺と号す。禅宗洛陽建仁寺に属す。御例祭四月十七日。此の日、雑人の参詣を許し給ふ。是によって浪花市中は言も更なり。近郷の貴賤群集し、川岸に出て遊宴し、渡し船に乗じて東堤より西に渡りて参詣するありて、両岸の賑わひ言語に絶せり。さる程に堤には懸け茶屋つらなり、貨食店(にうりみせ)、菓子売をはじめ、童の手遊び物、花かんざし鬻(ひさ)ぐ男等所せきまで打ち群れて、恰も鼎のにゆるが如し。首夏(しゅか)第一の大紋日(おほもんび)なり。≫

 この地にあった川崎御宮は、江戸初期に松平下総守忠明が草始した神社で、4月17日の例祭には貴賤万民の参詣が許され、浪花市中はもとより、近郷近在から多くの参詣者が群参しました。

 例祭が行われていた四月十七日は徳川家康の命日にあたり、通常は開放されていない境内に、庶民が立ち入ることが許されました。そのため、「貴賤群集」したのです。もちろん、旧暦における桜の見ごろは弥生ですから、この例祭の賑わいを絵で見ることはできません。つまり、絵の桜が満開であることから、桜宮に向かう人々がここを通過している様子を描いているのだと推察されます。

 「川崎浜」の賛は王仁の和歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり 今を春べと咲くやこの花」をもじった狂歌です。

 難波人ゆくやこの浜花ざかり 今を春べと行くやこの浜  中条花情

 本文の解説は次のとおりです。
■川崎
 御蔵・御材木蔵・御屋敷方、川岸に建て列なる。此の所に萩ばしといふ小橋あり。この上手より上り船の綱を引きはじむるなり。又川すじ洪水の時は、下り船々皆此の所より客を上ぐるなり。北長柄三ツ頭よりこの所まで水上凡そ二十五丁といふ。
■川崎御宮
 天満ばし筋の東傍にあり。元和年間、松平下総侯創建し給ひ、三江和尚寺務し九昌院建国寺と号す。禅宗洛陽建仁寺に属す。御例祭四月十七日。此の日、雑人の参詣を許し給ふ。是によって浪花市中は言も更なり。近郷の貴賤群集し、川岸に出て遊宴し、渡し船に乗じて東堤より西に渡りて参詣するありて、両岸の賑わひ言語に絶せり。さる程に堤には懸け茶屋つらなり、貨食店(にうりみせ)、菓子売をはじめ、童の手遊び物、花かんざし鬻(ひさ)ぐ男等所せきまで打ち群れて、恰も鼎のにゆるが如し。首夏(しゅか)第一の大紋日(おほもんび)なり。
■川崎渡口
 天満川崎町の浜より備前島に淀川をわたす舟わたしなり。京橋より御城、松の下等見えわたりて風景よし。渡の長さ八十四間といふ。
■監船所
 川崎にあり。淀川船方の番所なり。

■其二、御材木蔵、萩橋
 川崎付近の川岸には、材木蔵や御役人の屋敷が連なり、淀川から引いた水路に、萩橋という小橋が架かります。ここが上り船の最初の曳き船の開始地点となります。また、洪水の時は、下り船はここですべての乗客を上陸させました。

淀川両岸一覧下船之巻「其二」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「其二 御材木蔵 萩橋」の絵、左中央には、裃で供を連れた武士の姿。彼らの奥手には材木を納める蔵が描かれています。この付近にあった材木蔵は、幕府や諸藩が管理していました。そのため「御材木蔵」と表記されているのです。また、この界隈には大坂町奉行の役人宅がありました。先ほどの裃姿は、京橋口にあった東町奉行の与力だったのです。

 川崎浜と御材木蔵・萩橋の2枚の絵は、並べるとワイドな画面となります。

淀川両岸一覧下船之巻「川崎濱+其二」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「其二」の賛は中島棕隱の漢詩と、浜辺蜑(あま)の和歌。

十里の流れ澌(つ)きて野航を送る/暁風は夢の後に春霜を払ふ/江南の韻蹟に梅花あり/客に向ふて依々として古香を吹く 島棕隠

弁当のにぎり飯までおしつぶしすしのごとくに詰めた乗合 浜辺蜑(あま)


 本文の解説は次のとおりです。材木蔵・萩橋についての解説はなく、川崎渡口・監船所の次は天満橋です。天満橋の橋下は流れが早いため、下り船は船尾からゆっくりと下っていく艫下げを行います。淀の小橋と同じ方法ですが、ゴール間際で気を緩めて失敗のないようにというお話になっています。船客に対しても、船が着くことを悦んで、心がはやって過ちをしないようにと戒めています。
■天満橋
 北詰は天満二丁目、南詰は京橋二丁目といふ。川上第一の大橋なり。長さ百十五間五尺といふ。淀川筋また鯰江川・古大和川・平野川・猫間川等会流す。
 この橋下は淀川の流れ西に曲折(まがり)て水勢つよきがゆゑに、上り船は水主等力を尽くして掉さし、下り船は押し流されじと舟を回して大切に下る。これを艫下(ともさげ)といふ。淀の小橋もまた同じ、これなんあやまちて船、橋杭にもたるる時は大事に及ぶがゆゑなり。
 「徒然草」に曰く「高名の木上りと言ひし男人を掟きて高き木に上せて、梢を伐らせしに、甚危(いとあやふ)く見えしほどは言ふこともなく、下る時に軒だけばかりなりて、過まちすな心しておりよと言葉を掛けはべりしを、斯(か)ばかりなりては飛び下りるとも下りなん。如何にかくは言ふぞと申し侍りしかば、その事に候、目くるめき枝危きほどは、己がおそれ侍れば申さず、過ちは安き所になりて必ず仕(す)る事に候といふ。あやしき下﨟なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠もかたき所を蹴出だしてのち安く思へば、必ず落つると侍るやらん」。
 「易繋辞(えきのけいじ)」に曰く、君子は安けれども危きを忘れず。存すれども、亡びんことを忘れず。治むれども、乱れんことを忘れず。これをもって身安うして、国家保んずべしと。実(げ)にや高木に上る者のいましめ、これにかなへり。下り船の水主楫取(かぢとり)もまたこれに同じ。淀川の長流を下り、既に八軒家の見ゆるに、心ゆるみて怠る則(ときん)ば必ず過ちあるべし。ゆゑに、この所に至って大切になす事所理(ことわり)なり。船客も船の着きしを悦び、心はやりて過ちすべからず。


 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の川崎濱付近を見てみましょう。絵の左手が上流、右手が下流になります。絵の手前側が淀川の右岸で、左寄りに「かハさき」のラベルが見えます。付近には、綱で曳き上げられる三十石船が二艘描かれています。ここが上り船の最初の曳き舟の箇所に当たります。
 対岸の淀川左岸には、上流側に「桜の宮」、下流側に「あミ島」の文字が見えます。桜の花が描かれ、付近の川には屋形船が見えます。右端に京橋が描かれ、「京海道」の文字が見えます。この絵では、備前島と備前島橋は省略され、京街道はここから先は川沿いを離れますので、雲に隠されたような表現となっています。


「よと川の図」の川崎濱付近(大阪くらしの今昔館蔵)


 浪花百景には、「川崎御宮」があります。

■川崎御宮(国員画)
 大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした徳川家康は、翌元和2年(1616)4月17日にこの世を去りました。遺体は即日久能山に葬られ、翌年4月17日に日光に移されました。この日光改葬と同じ日に、夏の陣後の大坂復興に当たっていた家康の外孫松平忠明が、家康ゆかりの織田有楽斎別邸跡地に社殿を建て、分祀したのが川崎東照宮です。
 当地は名水が湧く所で、築山・林泉を整え、観音堂・薬師堂を配した美しい景勝地と伝え、毎年4月と9月の17日には権現祭りが執行され、「浪花随一の紋日」とうたわれる程大層な賑わいを見せたといわれます。明治6年(1873)廃社となりましたが、忠明献納の石灯籠は天満宮境内に移されました。

浪花百景「川崎御宮(国員画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、「天満宮」の東「川崎御蔵」と並んで「御宮」の文字があります。ここが川崎東照宮のあったところです。朱色の線の観光ルートにもなっており、天満宮と並んで観光名所であったことがわかります。この地図は、東が上に書かれており、北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、もう少し詳細な様子が分かります。大川に面して「御蔵」と「御材木蔵」があり、その東に「町与力」があり、その東に「御宮」があります。天満橋は現在よりも一筋東に架かっており、天満橋北詰から北へ進んだところに川崎東照宮があったことがわかります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、「造幣局」の西側、「川崎」の「崎」の文字の左に学校の印があります。ここが現在の滝川小学校にあたります。学校の北から東にかけて緑の樹木が描かれていますが、かつての川崎東照宮の名残を示しているようです。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、「造幣局」と「空心町」の文字に隠れて「文」の印が見えます。ここが現在の滝川小学校で、このあたりに川崎東照宮がありました。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 
 地形図でも確認してみましょう。まずは、明治18年の陸地測量部地図です。大川沿いの造幣局の建物の西側に樹木が植わっているような表示がありますが、このあたりが川崎東照宮のあったところです。明治維新になり徳川幕府関連の施設は廃止され名前の表示はありません。

明治18年陸地測量部地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップを利用して明治41年陸地測量部地図(左)、最新の地理院地図に色別標高図を重ねたもの(右)を見比べてみます。
 左側の明治41年では、造幣局と泉布観の間には道路がなく一体の敷地となっていますが、右側では赤色で示された国道1号線が両者を分断し、新桜宮橋が架かっています。
 左側の地図では天満橋の右上に、文字はありませんが川崎の渡しの記号があり、右側の地図ではその位置に川崎橋が架かっています。右側の地図では、黄色の道路は府道を示しています。

今昔マップより川崎濱付近


 今昔マップ3の4画面を利用して、その後の周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、「造幣局」の西側に「文」の記号が見えます。この一角が川崎東照宮があった場所です。
 右上の昭和4年では、同様に「文」の記号が見えます。区角割が多少変わっていますが、この辺りの土地が造幣局の関連施設として利用されていたことが伺えます。造幣局と泉布観の間に道路ができていますが、桜宮橋はまだ架かっていません。

明治41年から昭和42年の地形図と現在の空中写真
(今昔マップ3より)

 左下の昭和42年を見ると、造幣局のすぐ西には官舎と思われる建物が並び、その西側が学校の敷地となっています。現在の滝川小学校です。
 右下は最近の空中写真です。造幣局の西側に学校のグラウンドと校舎、体育館が見えます。


 川崎濱付近の現状を写真で見てみましょう。
 江戸幕府の米蔵や材木蔵があった付近には現在、桜の通り抜けでも有名な造幣局が建っています。大阪のまちは町人が住む「町地」が大半で武家地は僅かでした。そのため、まとまった大きな敷地は少なく、幕府の直轄地と蔵屋敷くらいしかありませんでした。明治以降の公共施設や大規模な建築は、多くがそのどちらかに建っています。

 1枚目の写真は川崎橋から北側を望んだ風景です。左側が大川右岸の川崎で左奥に造幣局があります。川崎橋は桜之宮公園の南の入り口に当たり、造幣局の櫻の通り抜けの季節には、造幣局と大阪城を結ぶルートとして大勢の人々でたいへん賑わいます。2枚目は河川敷の桜。3枚目は川崎橋西詰の風景で後方に川崎橋が見えています。

川崎橋から北側を見る
大川河川敷の桜
川崎橋西詰

 次の写真は造幣局の西に位置する滝川小学校を北西側から見たものです。こちらから見ると、特に変わったものは見えませんので、普通の小学校の正門に見えます。
 2枚目は、反対側、南西からみたものです。正門の手前に石碑と顕彰版があります。ここが川崎東照宮があった場所です。


滝川小学校
滝川小学校、正門右に川崎東照宮跡の碑
滝川小学校正門
川崎東照宮跡の碑
川崎東照宮跡の碑
川崎東照宮跡の顕彰版
滝川小学校正面入り口



 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「川崎濱」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、川崎濱付近の様子をお確かめください。


〇企画展「掌(てのひら)の建築展 ― 橋爪紳也+遠藤秀平 建築ミニチュアコレクション ―」開催中です。
 令和3年7月10日(土)~8月29日(日)

 誰しもがどこかで手に取り、1つや2つは部屋に飾っている建築ミニチュア。私たちが住まう都市を形作る建築への愛着の結晶が建築ミニチュアではないでしょうか。「掌(てのひら)の建築展」では、世界中の建築ミニチュアを一堂に会して展示し、建築ミニチュアを通して都市や建築・住まいが持つ魅力に触れていただきます。
 建築ミニチュアを展示する企画は、2015年に開催された「ENDO SHUHEIワールド・ミニチュア・ワールド」展を始めとし、「みんなの建築ミニチュア展」としてこれまでに東京、大阪、京都、滋賀、岡山など日本各地で開催されてきました。
 今回の展覧会では、世界中の建築ミニチュアを展示し、観覧される皆様に世界旅行の気分を楽しんでいただける内容となっています。
また、写真家川村憲太氏と橋爪紳也氏のコラボレーションによる写真展「ミニチュア・ワンダーランド」を併催し、掌サイズの建築ミニチュアと巨大な都市空間や自然の景色とを組合せた作品をお楽しみいただきます。
※本展は生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2021の連携プログラムです。

開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日 :火曜日(ただし祝日を除く)
会 場 :大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館) 企画展示室
      〒530-0041 大阪市北区天神橋6丁目4-20 住まい情報センタービル8階
入館料 :企画展のみ300円
     常設展+企画展 一般800円(団体700円)
           高・大生500円(団体400円)(要学生証原本提示)
*団体は20名以上。
*周遊パス・年間パスポートでも入場可。
*中学生以下、障がい者手帳等持参者(介護者1名含む)、大阪市内在住の65歳以上の方は無料(要証明書原本提示)。
交 通 :地下鉄堺筋線・谷町線、阪急電鉄「天神橋筋六丁目」駅3番出口から直結
     JR大阪環状線「天満」駅から北へ650m
主 催 :大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)
協 賛 :鹿島建設株式会社、淀鋼商事株式会社
協 力 :鹿島出版会、一般社団法人日本建築設計学会、神戸大学光嶋研究室、
     生きた建築ミュージアム大阪フェスティバル実行委員会、海洋堂、
     大阪府立大学観光産業戦略研究所、
     株式会社橋爪総合研究所、遠藤秀平建築研究所
監 修 :橋爪紳也 遠藤秀平


フィレンツェ大聖堂
サンマルコ広場
タワーシリーズ1
タワーシリーズ2
ミラノのドゥオーモ
(写真 川村憲太)


〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
 前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
 こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo

 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館は、6月21日から再開しています。

【イベント、ワークショップ、およびボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)中止のお知らせ】
イベント・ワークショップ等は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の為、当面の間 開催を中止いたします。

開催を楽しみにしてくださった皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解をいただきますようお願いいたします。

※スタッフによる展示解説(町家ツアー)は1日3回実施しています。お気軽にご参加ください。

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。

スタッフによるまちの解説(町家ツアー)スケジュール
①11:00~(約30分)
②13:00~(約30分)
③14:00~(約30分)



〇大阪くらしの今昔館を紹介する動画作成プロジェクトが「2021年度都市住宅学会賞・業績賞」を受賞しました

 受賞対象は「歴史博物館から発信する大阪の町家と住文化の魅力-子ども・若者・外国人に町家と住文化を理解してもらうための動画制作プロジェクト-」です。
 この動画制作プロジェクトは、2018年度に申請者らからなる博物館住まい学習研究会が「建築技術教育普及センター」の助成を受け、大阪くらしの今昔館の9階常設展示「商家の賑わい」で撮影・編集し、2019年3月に完成しました。ドイツ人留学生のザビ-ネさんがナビゲートし、今昔館ボランティア「町家衆」の皆さんが江戸時代の住民に扮して出演しています。その後、2019年7月からYouTubeで配信しました。

 授賞理由・受賞者・動画の詳細は、以下のとおりです。

・審査委員会の講評(授賞理由)
 本事業は、「大阪くらしの今昔館」の江戸時代の町並み展示を活用して、大阪の町家の建築と生活文化を伝える教育動画を制作し、YouTubeで配信するものである。変化した現在の町家でなく、江戸時代当時の建築と生活が学べる点で他の動画にはない独創性を備えている。また、制作された動画は教育効果の高い内容に加えて、外国人留学生がナビゲートする演出など様々な工夫がされており高く評価できる。本動画は、海外旅行者や社会科見学等の団体見学者に対する事前学習の活用が意図されているが、今後のITCを活用した授業の優れた教材の提供、コロナ禍における博物館の情報発信の面でも先駆的な試みであり、日本の伝統的な生活文化を世界に発信するツールとして今後の展開が期待できる。以上より、本事業は、当学会の業績賞に相応しいと認められる。

・受賞者
 大阪くらしの今昔館 前館長 谷直樹氏
 大阪教育大学教授  碓田智子氏
 大阪くらしの今昔館 特別研究員 岩間香氏
 大阪市住宅供給公社 渡邊望氏

 大阪くらしの今昔館を紹介する学習ビデオは、「なにわの町並み」、「町家の商い」、「町家のくらしとおもてなし」、「裏長屋のくらし」の4編(それぞれ日本語字幕版と英語字幕版)で構成されています。

 日本語字幕版と英語字幕版の動画はこちらをご覧ください↓↓↓
大阪くらしの今昔館 「商家の賑わい」学習ビデオ【日本語・English】



〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


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