2020年7月15日水曜日

今週の今昔館(224) 片町・京街道・川崎渡口 20200715

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(4)

 「淀川両岸一覧」は、大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介した船旅の案内書で、文久元年(1861)に刊行されました。暁晴翁の著述、松川半山の画図によるものです。

 淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、約160年前の江戸時代の大坂から京都までの淀川南岸(左岸)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「片町・京街道・川崎渡口」をご紹介します。

 以下は、「淀川両岸一覧」の本文です。

■備前島橋
 京橋の北にあり、鯰江川に跨る。南詰は片町、北詰は備前島橋といふ。この橋辺に過書の船番所あり。八軒家よりこれまで水上およそ三町ばかり。

■川崎渡口
 右同所にあり。この河岸より天満の川崎にわたる舟わたしなり。渡およそ八十四間余と云ふ。これより以下渡しと号するは、いづれも舟渡しにして、淀川を横にわたるなり。


 松の下から、陸路京橋を渡ると片町、片町からさらに北へ鯰江川に架かる備前島橋を渡ると淀川筋に出ます。挿絵を見ると、松の下から手前淀川筋まで、片町を挟んで2本の橋が架かっているのがおわかりいただけると思います。右手の長い橋が京橋、左手の橋が備前島橋です。現在の地形は異なっており、鯰江川は埋め立てられて無くなり、京橋が渡されていた旧大和川は寝屋川に変わっています。

 片町は京街道の大坂側の起点で、京都から陸路を下ってきた場合は大坂の玄関口にあたります。片町は2つの川に挟まれた陸地の幅が狭く、道の片側にしか家が建っていないことから「片町」と呼ばれています。ここから北へ備前島橋を渡り、淀川筋の川崎渡口から船に乗れば、対岸の天満川崎へも通じています。

 この両岸は景勝地と見えて、川面には三十石船、渡舟に混じって遊覧の屋形船が描かれています。気候も緩む晩春には、屋形船に乗り銚子片手に桜宮辺りまで花見遊山に興じたのでしょうか。

 「片町・京街道・川崎渡口」には、「其二」と書かれていますが、前回紹介した「松之下・京橋・備前島橋」と並べるとつながる図柄になっています。

淀川両岸一覧上船之巻「片町・京街道・川崎渡口」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)
「片町・京街道・川崎渡口」(左)と「松之下・京橋・備前島橋」(右)
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「淀川両岸一覧」の「片町・京街道・川崎渡口」の挿絵には、右中央には「片町 京かい道」の文字、絵の左下には「淀川筋」の文字があり、ここが陸と川との結節点になっていたことを表しています。左上部には以下の解説があります。

 船客の中にはそれぞれの勝手に随ひ、三嶋江あがり又は枚方前嶋あるは橋本、淀あがりなど、中途より上陸すること多し。是は八軒家にて乗船の砌(みぎり)、船頭に告て誂へ置べし。̪尓(しか)せざれば其期にのぞみ、此事を告るといへども船頭承引ずして難儀に及ぶあり。必ず乗場にて忘れなば此辺にても約すことにこそ。

 旅人の皆さん、途中下船の場合には、くれぐれもご注意を。


〇浪花百景には「川崎ノ渡シ月見景」がありますので、見てみましょう。

■川崎ノ渡シ月見景(芳雪画)
 こんにち造幣局のある一帯は、川崎村と呼ばれ、大坂三郷の一つ天満郷の東に隣接していました。大坂城に近い川崎村は、幕府の材木蔵や米蔵、城代屋敷、蔵屋敷が建ち並ぶ地域でした。

 この川崎村と大川対岸の備前島とを結ぶ渡しが川崎渡で、鯰江川に架かる備前島橋(御成橋)、寝屋川に架かる京橋を経て、その向こうに大坂城の雄姿を望むことができました。季節ごとの舟遊びの内でも、とくに大坂城を背景に京街道沿いの松林越しに臨む川崎の名月は、絶好の月見の拠点として有名でした。

 渡しは昭和20年6月の空襲で施設が破壊されて以降廃止され、かわって昭和53年に歩行者・自転車専用の川崎橋が架けられました。現在はその下をアクアライナーがくぐってゆきます。

 浪花百景の構図は、淀川両岸一覧を縦長に圧縮して夜景にし、満月を描いた図になっています。三十石船は省かれ、月見の屋形船が大きく画かれています。隣には渡し舟も描かれています。

浪花百景「川崎ノ渡シ月見景(芳雪画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、「野田村」と「御宮」の間に「ワタシ」の文字があります。ここが川崎の渡しがあったところです。この地図は、東が上に書かれており、北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、備前島が天満橋の下まで伸びてきており、橋の右手(東側)に「川崎渡」の文字が見えます。「備前島橋」「京橋」を渡ると、「御城」の「京橋口」に至ります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3には掲載されていない明治18年の陸地測量部地図です。日文研さんからお借りしました。
 天満橋の右手(東側)に「川嵜橋」が描かれています。明治10年に建設された私設の木造橋でした。造幣局から、川嵜橋、備前島橋、京橋と3つの橋を渡ると、大阪城京橋口に至ります。川嵜橋は、明治18年の淀川大洪水によって流失し、その後は再建されませんでした。当時の大阪城とその周辺は陸軍の軍用地として利用されていました。図中の「M」は陸軍を示す記号です。


明治18年陸地測量部地図(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、「天満橋」の「北詰」から東へ進むと桜並木の描かれている造幣局があります。その手前に「川崎ノ渡シ」の文字と舟の絵、航路の点線があります。渡った対岸を進むと「びぜんじまばし」さらに「きやうばし(京橋)」へと続きます。その先には大阪城があります。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、「天満橋北詰」停留所の右側に「造幣局」が大きく描かれています。造幣局の手前から「川崎渡」で対岸の備前島に渡り、「備前島橋」「京橋」を渡ると、大阪城京橋口に至ります。寝屋川が付け替えられて川崎渡しのすぐ西側で大川に合流しています。京阪電車の天満橋駅の北側に「備前島」の地名が残っています。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、「天満橋」の東側、「京橋」の北側に、文字はありませんが、渡し船の記号と航路の点線が見えます。明治43年に開通した京阪電車が記されています。
 右上の昭和4年では、「川崎渡」の文字が記されています。京阪電車と並んで市電が走っています。

明治41年から昭和42年の地形図と現在の空中写真
(今昔マップ3より)

 左下の昭和42年を見ると、川崎の渡しは廃止され、表示がなくなっています。京阪電車が天満橋の手前で地下に入っていく様子が描かれています。
 右下は最近の空中写真です。川崎の渡しがあったところに川崎橋が架けられています。大川沿いに桜之宮公園が整備され、緑が写っています。京橋の上空に歩行者専用橋の「大坂橋」があり、造幣局と大阪城を結ぶ歩行者ルートになっています。

 川崎の渡し跡の現状を写真で見てみましょう。最初の写真は天満橋から東方面を見たところです。
 左手が大川・川崎橋、右手は寝屋川で、京阪電車が走っています。正面はOBPのビル群、右奥には生駒山が見えます。


天満橋より川崎橋を見る
川崎橋、背景はOBP、
左手前に「川崎橋命名の由来」の碑
「川崎橋命名の由来」の碑
川崎橋と大阪城、屋形船、京阪電車
川崎橋、右奥に大阪城

 川崎橋は桜之宮公園の南の入り口に当たります。造幣局の櫻の通り抜けの季節には、造幣局と大阪城を結ぶルートとして大勢の人々でたいへん賑わいます。

桜之宮公園の案内図(右が北)

 今回は、「淀川両岸一覧」の「片町・京街道・川崎渡口」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、片町・川崎付近の様子を確かめてください。


〇特別展「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」は終了しました。ご来場ありがとうございました。

〇次回の企画展は「大阪くらしの今昔館所蔵品展『歳時記と祝い事』」

 令和2年7月23日(木・祝)~9月6日(日)

 大阪くらしの今昔館ではこれまで、住宅や建築に関する歴史資料、祭礼や年中行事に関する絵画資料など、大阪の伝統的な建築文化および歴史文化を伝える資料の収集に努めてきました。本展ではこれまでに収集した館蔵品の中から「歳時記」と「祝い事」に関連する絵画資料、染織資料、工芸品、節句飾りなどを展示します。

 季節にあわせて飾られた掛軸や屏風、節句飾りや年中行事に用いられた漆器、贈答用の袱紗、通過儀礼の際に身に纏った宮参りや婚礼の衣装など「ハレの日」を彩った100点余りを選びました。 五節句や年中行事、人の一生の節目にあたる儀礼など、大阪の人々が大切に守ってきた生活文化に触れていただきます。

花嫁衣裳 扇面四季花鳥模様振袖
花嫁衣裳 揚羽蝶円紋金襴菱木打掛
雛飾り台所道具
住吉をどり 菅楯彦
浪花行事十二月 七夕月
二代長谷川貞信


〇江戸時代の疫病退散-天神祭の宵宮飾り

 大阪くらしの今昔館の近世常設展示室(江戸時代のフロア)では200年前の天神祭の宵宮飾りと疫病退散にまつわる展示を行っています。

御迎人形「酒田公時(金太郎)」(大阪天満宮蔵)
疫病神(疱瘡神)は赤色を 嫌うと信じられていました
流行り病に打ち勝つ! 鍾馗さんや神農さんの掛軸を飾る
呉服屋での展示の様子
コレラ退治の虎
張子の虎が、店の表で 皆さんをお出迎え


〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。

 令和2年6月3日(水)から開館しています


 再開にあたっては、十分な予防対策に努めてまいります。これに伴い、ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などの入館並びに観覧時にご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。今回は全4編を通しで見る「全編」をご紹介します。約14分の動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=lOgkk5mfaT0


 全4編の目次はこちらからどうぞ。こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be


 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4


〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
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2020年7月8日水曜日

今週の今昔館(223) 松之下・京橋・備前島 20200708

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(3)

 「淀川両岸一覧」は、大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介した船旅の案内書で、文久元年(1861)に刊行されました。暁晴翁の著述、松川半山の画図によるものです。

 淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、約160年前の江戸時代の大坂から京都までの淀川南岸(左岸)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「松之下・京橋・備前島」をご紹介します。
  以下は、「淀川両岸一覧」の本文です。

■松之下
 天満橋南詰の東にあり。一町余りの間土堤に並木の松あり、ゆゑに名とす。この所に昼は古物の小道具店・茶店・餅菓子・酒・煮売等の掛茶屋多し。
 この地は原(もと)京橋一丁目と号して人家建ちつづきたりしを、享保八年所替ありて道頓堀吉左衛門町の裏手へ移されしより、今のごとく明地(あきち)となれり。吉左衛門町の後手(うらて)を本京橋町(もときょうばしちょう)と号するはこの謂なり。

■京橋
 松の下の東にあり。北詰を相生(あひおひ)西之町と云ひ俗に片町といふ。京街道の喉口なり。
 故大和川・猫間川会流して、橋下を歴て大河に入る。欄檻葱宝珠(らんかんぎぼうしゅ)の銘に云く、「元和九年造立」云々。南方には金城巍々赫々(ぎぎかくかく)として松風万歳を唱ふ。
 北詰には朝ごとに川魚の市ありてことさら賑はし。この市場に清泉ありて、常に湧出し四面に溢る。衆人しばしば愛翫す。ここより東に至り野田橋を越え野田町を歴て野江村に出づる。すなはち京師往還の本街道なり。

■備前島橋
 京橋の北にあり、鯰江川に跨る。南詰は片町、北詰は備前島橋といふ。この橋辺に過書の船番所あり。八軒家よりこれまで水上およそ三町ばかり。


 八軒家から300mほど東側、旧大和川沿いの南手に、城郭の裾を覆い隠すように100m余りも続く松並木があり、松の下と呼ばれていました。
 大坂城下のこの辺りには、昼間には古道具屋や茶店、餅菓子屋などが店を出していると記されていますが、挿絵の松林の手前に小さく見える小屋の列がそれのようです。天気のよい日などは、松林が日除けになり、木々の間を縫ってそよぐ松風に誘われてここに集うお城見物の旅客の多かったことでしょう。

 さて、三十石船は大坂城を右手に見ながら、川筋を隔てて備前島沿いを遡っています。八軒家を出てしばらく経つので、もう船上では乗客が苫の隙間から身を乗り出し、中には苫の外へ出て日傘を差して横になり、物見遊山を決め込む人の姿も見受けられます。南側の京橋の朱塗りの欄干が、松緑に映えてきれいに見えます。

淀川両岸一覧上船之巻「松之下・京橋・備前島」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「淀川両岸一覧」の「松之下・京橋・備前島」の挿絵には、以下の漢詩があります。

■松之下・京橋・豊前嶋(備前島の誤りか)
 木下の人、天下の君と為り/威名遠く外夷に向って聞こゆ/層城万仭、霄漢(しょうかん・大空の意味)を凌ぎ/遙かに朝鮮八点の雲を指す 篠崎槩

 木下の人は、木下藤吉郎、豊臣秀吉のことですね。松之下の松からは、松平・徳川が連想されます。


〇「浪華の賑ひ」にも「京橋」があります。

■京橋
 この橋の北詰において朝毎に川魚の市あり。鯉・鮒・鰻・鯰・泥鯲(どじょう)・鼈(すっぽん)をはじめ、河湖のあらゆる魚を持ちより交易(うりかふ)ありさまいとにぎはし。
 なかんづく鼈を以て市の終となす。遅く来りて市におくるる者を団魚(すっぽん)の間にも合わぬといひしより、世の常言(ことわざ)に事に遅れて間に合はざるにたとへて言ひならはせりとぞ。

 金城の春に輝け市の魚 八千房其山

浪華の賑ひ「京橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「浪華の賑ひ」の本文には「京橋」として以下のように記載されています。
 天満ばしの南詰を東に至る川端を松の下といふ。すなはち御城辺なり。これより北、川岸片原町に架せり。
 故大和川・猫間川会流して橋下より大川に入り、南は金城にして登城の御橋なり。
 欄檻葱宝珠の銘に云く、元和九年造立と鐫(せん)す。北詰より東は片原町・相生町とて京師往還の街道なり。



〇浪花百景にも「京橋」がありますので、見てみましょう。

■京橋(芳雪画)
 大坂城の北側、寝屋川に架けられた橋、京街道がこの橋を起点としています。東海道五十七次の終点でもあり、大坂の玄関口として賑わいました。高欄擬宝珠の立派な公儀橋。京橋の北詰には川魚市場がありました。
 大坂城の北の玄関口、京橋は京街道・大和街道の重要幹線の起点。京橋の名前の由来となった京街道は、秀吉の頃に淀川左岸に文禄堤が構築されたことによって成立した京都と大坂を結ぶ幹線で、京橋は京街道とともに架橋された「天下橋」です。
 夏の陣で焼失しましたが、徳川幕府は重要視して元和9年(1623)に再建、家光の頃に制定された公儀橋十二橋のうち、幕末には京橋だけに欄干に擬宝珠が付けられていました。
 今とは違い、最長時には100メートルを超える長さを誇っていました。以前は橋の南詰に青物市が立っていましたが天満に移動、新たに鯉・鮒・鮎・鰻などの川魚市場が橋の北詰に開かれました。
 現在、京橋の上には自転車・歩行者専用の大坂橋が架かっています。

浪花百景「京橋(芳雪画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、天満橋の東側に「京バシ」があります。橋の南詰には、東御奉行所、御代官ヤシキがあり、大坂城の京バシ口につながっています。この地図は、東が上に書かれています。北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、天満橋の東側に「京橋」が描かれ、北には「備前島橋」があります。京橋を渡り東へ進むと、「片町ト云」の文字があり、その先に「野田バシ」があります。京街道はこの橋を渡り、北東へ進みます。
 京橋の南詰には石垣の絵が描かれ、城の京橋口との間が広場になっています。広場の西側に「東町奉行所」、その西に「御代官所」があります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、「きやうばし(京橋)」の南詰には「職業紹介所」があり、その南に「偕行社」が描かれています。片町には市電が野田橋の手前まで伸びています。備前島橋には京阪電車が走っています。
 京橋口を入ると「兵器支廠」があり、大阪城内は陸軍が使用していました。東町奉行所のあったところは「衛戍病院」になっています。


大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、土佐堀通に市電が走り、天満橋、偕行社前、京橋、相生町、片町に停留所があります。京橋の南詰には「京橋前ノ町」の文字があり、天満職業紹介所があります。偕行社の南西には、国防婦人会軍人会館の文字も見えます。昭和6年に完成した大阪城天守閣が大きく描かれています。衛戍病院は陸軍病院の表示に変わっています。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、京橋の南詰は広場となっており、その西側に学校と病院が描かれています。病院には「M」の表示もあり、陸軍病院であることが分かります。京阪電車は幅の狭い備前島を通り、駅の手前で寝屋川を跨いでいます。城の中には兵器支廠の文字が見えます。
 右上の昭和4年を見ると、学校と病院の間を抜けた市電が寝屋川を跨ぎ、片町へと延びています。並行して京阪電車が通っています。寝屋川が付け替えられて、備前島が陸続きになりました。
 左下の昭和22年を見ると、天満橋から東へ土佐堀通りが拡幅され、片町へと続いています。白くなっている所は戦災によって焼失した地域です。
 右下の昭和42年では、天満橋の東側で京阪電車が地下に入っており、市電が天満橋までつながっています。病院の北側に「大阪歯大」の文字が見えます。

明治41年から昭和42年の地形図
(今昔マップ3より)

 現在の京橋は北詰で土佐堀通りと交差していますが、交差点の名前は「京橋北詰」ではなく「寝屋川橋東詰」となっています。
 土佐堀通りは、大川と合流する直前の寝屋川を跨ぎますが、そこに架かる「寝屋川橋」の「東詰め」の交差点という表示がされています。
 これは、一般に京橋と呼ばれているJRや京阪電車の京橋駅周辺から、西へ約1キロ離れていることもあって、混乱を避けるために「京橋」の表示を避けているようにも思えますが、「本家」の「京橋」が軽く扱われていることは残念なことです。


 京橋北詰には、「京橋川魚市場跡」の石碑が立っています。京橋の上空には、自転車・歩行者専用橋の大坂橋が架かり、大阪城と桜之宮公園を結んでいます。

現在の京橋
京橋北詰ですが交差点の名前は寝屋川橋東詰
京橋川魚市場跡の碑
京橋の上には歩行者専用橋が架かっています
「大坂橋」は大坂城と桜之宮公園を結びます

 今回は、「淀川両岸一覧」の「松之下・京橋・備前島」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、京橋付近の様子を確かめてください。


〇特別展「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」残りわずかとなりました

 令和2年6月3日(水)~7月12日(日)

 建築の魅力は空間デザインにあります。建築家は、スケッチやCG、あるいは模型などを制作して、建築のプレゼンをします。江戸時代の大工棟梁は、和紙で作った起こし絵図を組み立てて、建築空間の魅力を伝えました。建築起こし絵図は、平面図の上に立面図や内部の展開図を描いた和紙を張り合わせたもので、ふだんは折り畳んでおき、見るときには壁面を起こして模型のように組み立てました。いわば、和紙の建築模型です。重要文化財「大工頭中井家関係資料」には建築起こし絵図があります。その大半は茶室や数寄屋建築ですが、社寺建築や京都御所の儀式(即位図)についての起こし絵図も少数ながら含まれています。

 本展では、和紙で作った建築起こし絵図を一堂に展観し、平面図や立面図では分からない建築空間の魅力を楽しんでいただきます。併せて、茶室「蓑庵」(大徳寺玉林院・重要文化財)の原寸模型を展示し、実物大の建築空間も体験していただきます。

入館料:特別展のみ300円、常設展+特別展 一般800円(団体700円)、高・大生500円(団体400円)、団体は20名以上
※中学生以下、障がい者手帳等をお持ちの方(介護者1名含む)、大阪市内在住の65歳以上の方は無料(要証明書提示)

【主な展示物】
茶室起こし絵図(中井家約20点+田中家20点)
客殿・書院起こし絵図(約6点)
大徳寺大仙院庭園渡廊起こし絵図
吉田神社大元宮起こし絵図
透廊起こし絵図
中門起こし絵図
即位図起こし絵図
茶室蓑庵実物大模型(公益財団法人 竹中大工道具館蔵)
※なお、重要文化財「大工頭中井家関係資料」は中井正知氏・中井正純氏所蔵



〇江戸時代の疫病退散-天神祭の宵宮飾り

 大阪くらしの今昔館の近世常設展示室(江戸時代のフロア)では200年前の天神祭の宵宮飾りと疫病退散にまつわる展示を行っています。

御迎人形「酒田公時(金太郎)」(大阪天満宮蔵)
疫病神(疱瘡神)は赤色を 嫌うと信じられていました
流行り病に打ち勝つ! 鍾馗さんや神農さんの掛軸を飾る
呉服屋での展示の様子
コレラ退治の虎
張子の虎が、店の表で 皆さんをお出迎え


〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。

 令和2年6月3日(水)から開館しています


 大阪市と協議を重ねた結果、6月3日(水)より再開の運びとなりました。ご来館を心待ちにしておられた皆さまには、長期の休館により多大なご迷惑をおかけしましたことを深くおわび申し上げます。

 再開にあたっては、十分な予防対策に努めてまいります。これに伴い、ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などの入館並びに観覧時にご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。今回は全4編を通しで見る「全編」をご紹介します。約14分の動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=lOgkk5mfaT0


 全4編の目次はこちらからどうぞ。こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be


 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4


〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
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 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
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 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
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 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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