臨時休館のお知らせ 【令和2年2月29日(土)~3月17日(火)】
このたび、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、令和2年2月29日(土)~3月17日(火)までの間、休館することとしましたので、お知らせいたします。
当館の展示を楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
なお、3月18日以降の予定につきましては、今後、国や大阪市の動向、感染症の拡大状況を注視しつつ決定し、大阪くらしの今昔館のホームページにおいてお知らせします。
〇浪華の賑ひに見る江戸時代の大坂(37)
今回は「浪華の賑ひ」の「阿弥陀池」をご紹介します。
■阿弥陀池
この地は北堀江御池(みいけ)通りにして、蓮池山和光寺と号す。善光寺の如来出現の地なりとて、元禄十一年智善上人開基にて、善光寺同体の本尊を安置し、常灯を照らし、浪花の精舎となしぬ。宝塔には放光閣の額を掲ぐ。世人、寺号を唱へずして、ただ阿弥陀池と称するは、この聖跡を賞する謂ならんか。境内に堂舎多く、かつ市店ここかしこにありて、詣人平日(つね)に絶ゆることなく頗る繁昌なり。
浪華の賑ひ「阿弥陀池」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
浪花百景にも、「あみだ池」があります。
■あみだ池(芳瀧画)
阿弥陀池は元禄11年(1698)開創の尼寺和光寺の通称で、境内の池より善光寺本尊が出現したといういわれに因んで建立されました。仏教受容の争いの中、物部氏が堀江の池に仏像を投棄、のちに引き上げられた阿弥陀仏を長野・善光寺の本尊としたという伝承があります。その本尊を元禄7年(1694)四天王寺において出開帳した時に堂を構え、善光寺別院の阿弥陀池和光寺が誕生しました。
池中に建つ放光閣には常時灯が灯されています。灌仏会の植木市、盆の念仏会の灯籠と折々に信者が集まり、堀江の花街、相撲興行とともに周辺は西大阪一繁栄しました。上方落語「あみだ池」でも知られるように、寺名よりも通称の方が一般に知られ、境内では幕府の許可を得て芸能興行や見せ物、また植木市などが開かれて、大坂町人の娯楽の場となっていました。
現在和光寺は高層化された建物に囲まれてはいますが、池は今も昔と変わらぬたたずまいを見せています。
浪花百景「あみだ池」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
天保年間発行の浪華名所獨案内を見ると、長堀と堀江川の間の北堀江に「アミダ池」が描かれ、青物市場と合わせて赤い線で結ばれており観光ルートとなっています。
浪華名所獨案内(「津の清」蔵) |
文化3年(1806)発行の増修改正摂州大阪地図を見ると、白髪橋の南に和光寺阿弥陀池とあり、池も描かれています。図中の●は大坂三郷の北組、▲は南組、△は天満組を示しています。開発された時期が遅い堀江周辺では、三郷が入り乱れている様子が分かります。
増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより) |
天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、同様に和光寺アミダ池とあり、池も描かれています。
天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵) |
大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、長堀の北の通り(末吉橋通)とあみだ池筋に市電が通り、和光寺の傍には「阿弥陀池」停留所があります。市電の東西線の停留所は「白髪橋」など橋の名前、南北線の停留所は「新町四」「立花通」など町の名前が多い中で、「阿弥陀池」は寺の俗称が停留所名となっている珍しいケースと言えます。
大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵) |
昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、絵入りで「あみだ池」が描かれ、土佐稲荷、新町演舞場、堀江演舞場と並んで、観光名所の表示である丸囲みとなっています。
大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵) |
今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
左上の明治42年では、東西の長堀北通に市電が通っていますが、南北のあみだ池筋は拡幅前です。
右上の昭和7年では、あみだ池筋にも市電が通っており、阿弥陀池の前には停留所があります。
左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、あたり一帯が戦災を受けたことが分かります。この時点では長堀、市電東西線、南北線ともに残っています。図は省略していますが、昭和42年の地形図では、長堀と市電南北線は残っていますが、市電東西線は廃止されています。
右下の昭和52年を見ると、長堀は埋め立てられ、中央分離帯のある幅の広い長堀通となり、市電南北線も廃止され、新たに都市計画道路として、なにわ筋と新なにわ筋が通って幹線となり、かつての市電通りのあみだ池筋は目立たなくなっています。
明治42年~昭和52年の地形図(今昔マップ3より) |
あみだ池の現状を写真で見てみましょう。
阿弥陀池放光閣 |
阿弥陀池と灯籠 |
放光閣 |
歌碑 |
石碑と放光閣 |
堀江廓の親柱 |
今回は、「浪華の賑ひ」の「阿弥陀池」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。
大阪市パノラマ地図についてはこちらに解説があります。
≫ http://konkon2001.blogspot.jp/2017/10/blog-post_10.html
≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html
〇特別展「世界遺産をつくった大工棟梁―中井大和守の建築絵図細見」は、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、令和2年2月29日(土)~3月17日(火)までの間、臨時休館しています。
会期:令和2年2月22日(土)~4月5日(日)
中井大和守(初代・正清)は、江戸幕府の草創期に、二条城、江戸城、駿府城、名古屋城の天守や御殿をつくった大工棟梁で、元和5年(1619)に没しました。それから400年。中井正清とその子孫の建築作品の多くは火災などで失われましたが、現存するものは国宝や重要文化財に指定され、一部は世界遺産に登録されています。
重要文化財「大工棟梁中井家関係資料」(中井正知氏・中井正純氏蔵)の建築絵図は、中井家の建築作品の全容を伝えてくれる貴重な資料です。その内容は、城、武家屋敷、内裏(御所)、寺院、神社、茶室などの建物を網羅し、建物の平面図や立面図だけでなく、儀式図、庭園図、起こし絵図など多彩です。これらの絵図は、破損や老朽化が進んできたので、平成25年(2013)から文化庁の指導監督の下で国庫補助事業として保存修理を行ってきました。この事業は住友財団の助成対象にも選定されました。
特別展「世界遺産をつくった大工棟梁―中井大和守の建築絵図細見」は、この修理でよみがえった建築絵図を公開し、同時に中井家資料の修理技法を紹介します。
チラシの拡大版は、こちらからどうぞ。 ⇒http://konjyakukan.com/kikakuimage/kara1241510494.pdf
「中井大和守正清肖像」 |
「洛東清水寺惣絵図」(部分) |
「豊臣時代大坂城本丸指図」 |
【イベント、ワークショップ、および町家ツアー中止のお知らせ】
3月20日(金)までのイベント、ワークショップ、および、町家ツアーは、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、中止することになりました。
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
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