2020年3月31日火曜日

今週の今昔館(209) 安治川口・安治川橋 20200331

〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。

 臨時休館延長のお知らせ 3/18(水)~当面の間


 このたび、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、令和2年2月29日(土)~3月17日(火)までの間、臨時休館としていましたが、3月18日(水)以降も当面の間、臨時休館を継続いたします。
 当館の展示を楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
 なお、今後の予定につきましては、国や大阪市の動向、感染症の拡大状況を注視しつつ決定し、ホームページにおいてお知らせします。



〇大阪くらしの今昔館「なにわの町並み編」
 今昔館の休館が長引いていますので、館の見どころを動画でご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=eLFLvGgxj3o


 今昔館の動画は4編あります。順次ご紹介していきます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



〇浪華の賑ひに見る江戸時代の大坂(40)

 今回は「浪華の賑ひ」の「安治川口・安治川橋」をご紹介します。安治川橋は、現在の中央卸売市場と川口の間に架かっていた橋で、現在はありません。

■安治川口・安治川橋
 諸国の廻船ここに集ひて碇をおろし、行李船(うはに)・橋船(てんま)を以て五穀雑貨を商家に運送す。千石・二千石の大舟水上に町小路を作りたるがごとし。潮の満干によりて出帆あり、着船ありて、新堀の旅舎(はたごや)に絃歌の声囂(かまびす)しく、その賑はひいふばかりなし。

浪華の賑ひ「安治川口 安治川橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 浪花の賑ひの本文には、安治川について、次のような記載があります。

■安治川
 大川筋の末なり
 大川筋・土佐堀・蜆川等の下流なり。貞享年中、川村瑞見安治といふ人、水道の地理に鍛錬し、この川筋を新鑿(しんさく)す。これによって、安治を音に呼びて安治川(あじがは)と号す。洪水の時、逆流止み、戎島・九条・市岡新田・泉尾新田等の田園大いにひらけて、民庶安堵の思ひをなせり。
 旧は木津川口一方なりしが、この時より両所となりて廻船の便宜を増すものなり。されば朝夕商舶の出入繁く、初春の乗りぞめより暮の泊船(とまりふね)に至るまで皆この所の賑はひなり。


 「浪花百景」には、「安治川ばし」があります。

■安治川ばし(国員画)
 江戸時代初期までの淀川河口部には九条島が流れを遮る位置にあり、洪水がたびたび起こり、また土砂堆積により舟運にも不便をきたすことが多くありました。このため貞享元年(1684)幕府の命により、河村瑞賢が水路を開削し、安治川と名付けられました。

 淀川治水のために堂島川と土佐堀川の合流地点から開削し、大阪湾までつないだ安治川。これにより、諸国の米・物産を積載した千石・二千石の大型廻船が直接市中に入船できるようになり、諸国と大坂を結ぶ川の大動脈として江戸時代大坂の経済発展を支えました。「天下の貨七分は浪華にあり 浪華の貨七分は船中にあり」(広瀬旭荘)といわれるほどに船は諸国取引の重要な輸送機関であり、安治川は大坂経済に大きな恩恵をもたらしました。

 その後、周辺に富島や古川の新地開発が進められ、元禄11年(1698)に橋が完成しました。安治川橋はこの新地の開発に伴い初めて架設されました。浪花百景に描かれている安治川橋は、この時の橋です。明治初年に刊行された「浪花百景の内」にもこの安治川橋が描かれています。

 現在の大阪市中央卸売市場の南側に架かっていた安治川橋の下手の岸には千石を超す諸国の船が横付けされ、ここで荷は小舟に積み替えられて市中に運ばれました。船の通過を容易にするため安治川橋は桁下高く造られました。水害のたびに流され、架け替えられていました。


浪花百景「安治川ばし」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

浪花百景の内「安治川橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代末期、幕府は開国に備え、この地を外国人居留地として、準備を進め、明治新政府によって明治元年(1868)大阪開港とともに外国人に競売されました。居留地には、洋館や舗装道路が造られ大阪の文明開化の拠点となりました。

 明治6年(1873)居留地の交通の便を図るため、新しく安治川橋が架けられました。
 この橋の中央二径間は西欧から輸入された鉄橋で、高いマストの船が航行する時には、橋桁が旋回する可動橋でした。当時の人々はこの旋回する様を見て「磁石橋」と呼び大阪名物の一つとなりました。


 明治18年(1885)大阪を襲った大洪水は多くの大川の橋を流し流木となって安治川橋に押し寄せました。安治川橋はこの流木や洪水に抵抗し、よく耐えましたが、市内に洪水の恐れが生じたため、やむなく工兵隊により爆破撤去されました。その後再建されることもなく、現在では姿を消しています。


安治川橋の碑
浪花安治川 新橋の景(部分)
中央部の橋桁が旋回する可動橋

磁石橋とも呼ばれた「安治川橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)
明治18年淀川大洪水の安治川橋(写真左の橋)
安治川橋は上流から流れてきた橋や流木に耐えたが、
市内に洪水の恐れがあるため工兵隊により爆破された。
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」の安治川付近を見ると、「野田村」の南に「北安治川」、「新堀」の地名があり、「新堀」と「南安治川」の間に「安治川バシ」が架かっています。橋の下流には、船のマストも描かれています。この地図は、東が上になっています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見てみましょう。大佛島と安治川上一丁目の間に安治川橋が架かっています。安治川が開削される前の川筋が、古川、掘割としてS字型に残っています。安治川をはさんで南北に九条島田地があり、かつて九条島として地続きだったことが分かります。現在の西区九条と此花区西九条にあたります。安治川沿いは〇印の天満組となっています。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、安治川には橋はなく、かわぐち渡しほか、いくつもの渡船が川の両岸を結んでいます。大きな船が川口付近まで上ってきていた様子も描かれています。市電と水運が当時の主要交通手段であったことがよくわかります。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、中央卸売市場と大阪市場冷蔵会社が開業している様子が目に付きます。多くの渡船が描かれていますが、中央卸売市場と川口の間の渡船は「無銭渡」と書かれています。西九条の南の源兵衛渡の傍に「川底地下線」の文字があります。川底トンネルの「安治川隧道」が完成するのは昭和19年ですが、このころすでに計画があり、工事が始まっていたのでしょうか?それとも、トンネルではなく川底に通信や配電のための電線が通っていたのでしょうか?いずれにしても、当時の技術と予算では大型船舶の通行の多い安治川には橋を架けることは難しかったことがわかります。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、中之島から大阪港につながる市電が通っています。大佛島には商船会社の文字があり、川には港を示す錨のマークがあります。
 右上の昭和7年では、野田から西九条にかけてと、本田から安治川にかけても市電が通り、野田には中央市場があります。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、本田から西九条にかけて大きな被害があったことがわかります。
 右下の昭和42年を見ると、市電は土佐堀通から港通りにつながる路線と、野田から西九条にかけての路線を除いて他は廃止され、港通とクロスする形で新たに中央大通が完成し東西方向の新たな幹線となっています。地下鉄4号線(中央線)はかつての幹線の港通ではなく新しくできた中央大通を走り、木津川から西では地上に出て、高架線を走っています。安治川開削前のかつての川筋は、埋め立てられていますが、その姿が道路の形状に残っています。

明治42年~昭和42年の地形図(今昔マップ3より)


 安治川橋のあった辺りの現状を写真で見てみましょう。

本町通の突き当り(川口交差点)
本町通の突き当りの先の道をさらに進むと
安治川橋の顕彰碑があります
安治川橋はここに架かっていました
対岸は大阪市中央卸売市場
後ろを振り返ると
安治川下流より

 今回は、「浪華の賑ひ」の「安治川口・安治川橋」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらに解説があります。
http://konkon2001.blogspot.jp/2017/10/blog-post_10.html
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html


特別展「世界遺産をつくった大工棟梁―中井大和守の建築絵図細見」は、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、当面の間、臨時休館しています。

 中井大和守(初代・正清)は、江戸幕府の草創期に、二条城、江戸城、駿府城、名古屋城の天守や御殿をつくった大工棟梁で、元和5年(1619)に没しました。それから400年。中井正清とその子孫の建築作品の多くは火災などで失われましたが、現存するものは国宝や重要文化財に指定され、一部は世界遺産に登録されています。

 重要文化財「大工棟梁中井家関係資料」(中井正知氏・中井正純氏蔵)の建築絵図は、中井家の建築作品の全容を伝えてくれる貴重な資料です。その内容は、城、武家屋敷、内裏(御所)、寺院、神社、茶室などの建物を網羅し、建物の平面図や立面図だけでなく、儀式図、庭園図、起こし絵図など多彩です。これらの絵図は、破損や老朽化が進んできたので、平成25年(2013)から文化庁の指導監督の下で国庫補助事業として保存修理を行ってきました。この事業は住友財団の助成対象にも選定されました。

 特別展「世界遺産をつくった大工棟梁―中井大和守の建築絵図細見」は、この修理でよみがえった建築絵図を公開し、同時に中井家資料の修理技法を紹介します。

 チラシの拡大版は、こちらからどうぞ。 ⇒http://konjyakukan.com/kikakuimage/kara1241510494.pdf



「中井大和守正清肖像」
「洛東清水寺惣絵図」(部分)
「豊臣時代大坂城本丸指図」




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
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