2021年3月17日水曜日

今週の今昔館(258) 高瀬川 20210317

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(37)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「高瀬川」をご紹介します。森鴎外の小説「高瀬舟」で有名なあの高瀬川です。


■高瀬川
 高瀬川は江戸初期海外貿易で財を成した角倉了以によって、方広寺大仏再建の資材輸送のために開削された運河で、京の町を南北に流れていました。明治に及ぶ約300年間、京二条の鴨川沿いから伏見三栖東部の宇治川との合流点までの間を高瀬舟が往来し、京都・伏見間の水運に用いられました。
 物資輸送を主たる目的とした高瀬舟は、米、醤油、塩、材木等を積んで上り、下りには主に肥料用の屎尿を京都近郊の村へ運んでいました。時には、この金肥を淀川を通じて摂津、河内まで運んだと言われています。

淀川両岸一覧下船之巻「高瀬川」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 本文には次のように記されています。

 ≪高瀬の川条(かわすじ)は、中頃、内裏御修理の材石を運ばしめんとて角倉了以の作るよし、嵐山の碑に見えたり。高瀬舟は毎朝伏見より荷物を積みて京師に曳き上り、夕にまた荷を積みて下る。≫

 この記述の一文目は後に紹介する「都名所図会」の説明文をそのまま引用しています。二文目が「淀川両岸一覧」独自の情報ということになります。前者が歴史的経緯を伝えるのに対して、後者は河川と人とのかかわりを中心に編集された本書の特徴がよく表われた内容となっています。
 絵は高瀬舟が物資を運ぶ様子を描いており、舟には俵が積まれ、船頭たちが船を引いている様子から、この絵は伏見から京へ向かう上り舟で、絵の右が京(北)で左が伏見(南)です。
 流れに逆らう上りは曳き船で、挿絵に描かれているように、船頭が両岸から引き綱を胸に回して、「ホーイ、ホーイ」という掛け声とともに引き上がりました。下り船の中には乗合のものもあり、毎夕四条小橋の辺りから出航していました。この船は、伏見稲荷参詣などのために老人の旅客が好んで利用したようです。町場はまだしも、竹田街道に沿う辺りでは草むらの中を漕ぎ進むようなありさまで、秋口には虫の声も聞こえる情緒たっぷりの船旅でした。

 高瀬川の流れについては、本文に次のように説明があります。

 ≪加茂川の西にあり。東竹田の北にて加茂川に合し、又分かれて伏見に出る。加茂川は竹田の銭取りはしの橋下を流れて、小枝の橋を経て淀川に入る。(中略)東竹田の街道は此の高瀬川に沿ひ、或いは離れて下るなり。≫

 高瀬川は鴨川の西をほぼ並行しながら流れています。五条橋付近では橋が両川をまたぐほどに接近し、「銭取りはし」すなわち勧進橋の北あたりで鴨川に合流します。その後、左岸に分かれ、伏見の町を流れ宇治川に合流します。
 一方の鴨川は勧進橋から鳥羽の小枝橋を通過し、桂川、淀川へと注ぎます。解説にある「東竹田の街道」とは竹田街道のことで、二つの川と同じような経路で京と伏見の町とをつないでいました。健脚を誇る旅人は陸路、「老人足弱の徒」は水路と、使い分けていました。

 絵の右側上部の漢詩は次のとおり。

 嘲ることを休めよ、老蹇平夷に就くを/安坐して嫌はず篙子(こうし)の遅きを/官閘(かんこう)便有りて水路を分く/糞船何すれぞ必ず宮旗を挿すや/すでに籬島を過ぎ市声遠く/漸(やうやう)竹田に及び林影垂る/蕭(さび)しき寺に今宵宿を投ぜんと欲すれば/桃山あたかもこれ花を発くの時 島棕隠

 賛の発句は、次の三句。

 一すぢや 淵瀬もなしに 春の水 飄々
 こがらしや 胸をつき出す 高瀬舟 一匊
 虫の音の 中を上るや 高瀬ふね 舎蕃

 絵の右側、旅人たちが高瀬川に架かる小橋を渡ろうとしています。その背後には鬱蒼とした竹林。三句目のイメージと重なります。

 本文は次のとおりです。
■高瀬川
 加茂川の西にあり。東竹田の北にて加茂川に合し、又分かれて伏見に出る。加茂川は竹田の銭取りはしの橋下を流れて、小枝の橋を経て淀川に入る。
 高瀬の川条(かわすじ)は、中頃、内裏御修理の材石を運ばしめんとて角倉了以の作るよし、嵐山の碑に見えたり。高瀬舟は毎朝伏見より荷物を積みて京師に曳き上り、夕にまた荷を積みて下る。
 四条小橋より毎夕伏見へ便舟のり合あり。老人足弱の徒(ともがら)これに乗りて労せずして伏見にいたる。東竹田の街道は此の高瀬川に添ひ、或いは離れて下るなり。


 「都名所図会」には、高瀬川沿いの三条北にあった「生洲(いけす)」が描かれています。また、「拾遺都名所図会」にも「高瀬川」があり、こちらでは、左側が上流になっています。

都名所図会「生洲」
(国際日本文化研究センターデータベース)
拾遺都名所図会「高瀬川」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 高瀬川付近の様子を地形図で見てみましょう。
 1枚目3枚目は明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)です。1枚目の中央を南北に流れる川は鴨川で、その西側を高瀬川が流れます。東九条村の北では屈曲しながら南へ流れています。1枚目の中央下部で鴨川に合流し、2枚目を見ると鴨川の東側を並行して流れていきます。2枚目の中央付近からは、竹田街道に沿って流れています。3枚目を見ると、高瀬川は伏見の町の西側を流れ、宇治川に合流します。


明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵
明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵
明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 次に、今昔マップを利用して高瀬川の流れを見てみます。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 地図の中央を南北に流れる川は鴨川です。青色の横線は旧河道を示しています。かつての鴨川が暴れ川でしたが、その流路の一部を利用して高瀬川が築かれていることがわかります。右側の最新の地理院地図では、赤色の道路は国道、黄色は府道を表しています。1枚目では国道24号は旧街道の東側にバイパスとして新設され、旧竹田街道は府道となっています。2枚目では竹田街道が拡幅されて国道になり、3枚目では、国道24号は伏見の町の東側を通っています。旧街道は府道となって伏見の街なかを通過しています。
 伏見の町や伏見街道は柿色で示されている地盤の良い「段丘面」の上に形成されていることがわかります。

今昔マップより五条から九条村付近
今昔マップより九条村から竹田村付近
今昔マップより竹田村から伏見付近

 最後に地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものを見てみます。15mから5m刻みで色を変えています。今回の高瀬川は南北に範囲が広いため、3枚に分けて表示しました。京都盆地の地形は北が標高が高く、南に向かって低くなっています。3枚を並べて見ると、標高の変化がよくわかります。3枚目の伏見付近では、黄色・黄緑・薄い水色が少なくなり、東山が迫ってきている様子がわかります。

地理院地図+自分で作る色別標高図
地理院地図+自分で作る色別標高図
地理院地図+自分で作る色別標高図

 三条橋から伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見ています。1枚にまとめると次のようになります。盆地の中がひな壇状になっていて、北と南で標高が変わる様子がよくわかります。伏見城は東山の南の先端部に築かれ、戦略上の要所であったことも読み取れます。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「高瀬川」をご紹介しました。



〇企画展「博覧会の世紀1851-1970」開催中です

 2021年2月20日(土)~2021年4月4日(日)

 博覧会の歴史は1851年のロンドン万博に遡り、その後、欧米各国で開催されるようになります。世界中の国々で、今日に至るまで実に数千回にも及ぶ博覧会が開催され、日本においても明治以降、多種多様な博覧会が開催されてきました。
 時代とともに博覧会の内容や展示手法は進化し、開催目的や性格も大きく変わっていきました。博覧会はその時代における社会的な要求や世相を映す鏡であったといえます。
 本展では19世紀から20世紀の博覧会を俯瞰し、時代とともに変わってきた人々の価値観や他者へのまなざしを読み解くとともに、大阪を会場とした博覧会に焦点を当て、大阪の人々の生活スタイルや娯楽、都市文化を紹介します。

『元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図』
株式会社乃村工藝社蔵
第5回内国勧業博覧会『明治三六年之大阪』
大阪毎日新聞社発行
株式会社乃村工藝社蔵
『大礼奉祝交通電気博覧会鳥瞰図』
株式会社乃村工藝社蔵
'70大阪万博ペナント4種類
株式会社乃村工藝社蔵


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
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 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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2021年3月10日水曜日

今週の今昔館(257) 柳茶屋、車道 20210310

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(36)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「柳茶屋、車道」をご紹介します。


■柳茶屋、車道
 稲荷御旅所から東寺道を東へ進み東洞院通へ出ると、南へ下る竹田街道筋に柳の並木があって、その前にきれいな茶店が軒を連ねていました。これが柳茶屋です。盛夏には風にそよぎ擦れ合う柳の枝のさわやなか葉音と、流水をたたえた街道沿いの車道の波しぶきが、茶店で足を休める旅人の心に涼風を運んだことでしょう。

 挿絵のとおり、貨物を積んだ牛車の往来が多い竹田街道には車道が整備されており、さらに、凹状の輪石(車石)を敷設したところもあったようで、後世に街道沿いから輪石が発見されています。ここを利用する旅人と牛車の量がそれだけ多かったということなのでしょう。

淀川両岸一覧下船之巻「柳茶屋、車道」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 竹田街道は洛中では東洞院通の道筋に当たります。江戸時代、東洞院通九条村には柳茶屋という店があったことが、本文の解説によってわかります。「車道の傍に柳の並木ありて、美しき茶店」が軒を連ね、そのうちの一軒が柳茶屋だったのです。
 絵の左にみえる店の、軒に吊るされた提灯には「柳茶屋」の文字が見えます。店先に設けた床几に腰掛け、煙管をふかす人たち。奥にはふたりの旅人が一献さす姿も見えます。

 絵の上部、賛の発句は次のとおりです。

 掃きおろす 牛の背中の 落葉かな 如行
 行く水と 清さくらぶる 柳かな 文賀
 沓(くつ)作る 車の上や 風薫る 衆雲
 おそろしの 九条あたりや 初茄子 桃只

 最後の句の「おそろし」という言葉を通して、当時すでに柳と幽霊との取り合わせが広く共有されていたことが知られます。店の屋号から連想されるイメージとはうらはらに、挿絵はうららかな春の状景を描いています。

 竹田街道の西には鳥羽の作り道が通っていました。「拾遺都名所図会」にはこの両道の往来を描いた挿絵が収録されています。

都名所図会「竹田街道」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 竹田街道の絵の解説には次のようにあります。

 ≪竹田街道を通う車、牛は日毎に伏見より都へ貨物を積み登る也。炎暑には夜を日にかへて牽(ひ)き通ふは牛の疲れざる要意にして、牛を飼ふのならひなりとぞ。≫

 描かれた柳の様子から炎暑ではないとみられますが、「要意」を心得、牛の背に日よけが付けられています。ここでも、牛車と旅人は別の道を通っています。

 これに対して鳥羽作り道の絵は、魚荷を運ぶ人足の一群とすれ違う旅人の様子を描いています。「都の市へ日毎に魚荷の鳥羽畷を走る」姿があったと絵の上部に記されているように、ここは本来運送用に使用される街道で、旅人はそのことを知らずに作り道を逆行してしまったのです。もしこれが竹田街道であったら、お互いの通行の邪魔にはならなかったのです。

都名所図会「鳥羽作り道」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 二条の米蔵への年貢米の運搬を中心とした京の車稼ぎには、京組、京組外等の車組が組織されました。車賃は、京組外の問屋では4石につき7升で、活動範囲は、京組が許された伏見・大津での営業が、京組外には禁じられていました。伏見・竹田街道を往来する京組に対し、京組外は必然的に鳥羽街道を中心とする活動を強いられたと思われます。


 「淀川両岸一覧」の本文には次のとおりの解説があります。

■柳茶屋
 東洞院通九条村にあり。車道の傍に柳の並木ありて、美しき茶店多し。
■藤茶屋
 東竹田村にあり。茶店に藤の棚あり。ゆゑに名とす。
 右は、東洞院通の街道を伏見黒門口に至る道条(みちすじ)なり。

 五条橋から伏見への道筋からすると、前回の竹田分道から北へ逆戻りしています。本文の解説を見ると、前回の安楽寿院の解説に「右は油小路より下る道条にして、すなはち安楽寿院の東門前より東洞院の街道に出でて伏見黒門に至る。」とありました。前回までは五条通をBで南下して油小路通に沿って稲荷御旅所、安楽寿院を巡り、今回はAで南下して東洞院通・竹田街道を進み柳茶屋を巡るという順路となっていることがわかります。


今昔マップより明治42年陸地測量部地図
油小路通(稲荷御旅所、安楽寿院)と東洞院通・竹田街道(柳茶屋)の位置関係

 付近の様子を地形図で見てみましょう。
 1枚目は明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)です。図の右寄りの南北の道が竹田街道(東洞院通)で、東九条村を抜けています。左の線は奈良鐡道です。柳茶屋は街道に沿って東九条村にありました。
明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 2枚目は、今昔マップを利用して東九条村付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 地図の右端を南北に流れる川は鴨川です。治水地形分類図の黄色は微高地ですが、赤い点々が入っているので扇状地を表しています。右下の青色の横線は旧河道を、左下の薄い水色は氾濫平野を示しています。かつての鴨川が暴れ川であったなかで、東九条村は微高地に形成されています。最新の地理院地図では、赤色の道路は国道24号、黄色は府道です。国道は旧街道の東側にバイパスとして新設され、旧竹田街道は府道となっています。


今昔マップより東九条付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。15mから5m刻みで色を変えています。北東が標高が高く、南西に向かって低くなっています。東九条村は周囲よりも少し標高の高いところに形成されています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 三条橋から伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見ています。今回は北東へ逆戻りしましたので、前回よりも黄緑色や薄い水色が増えています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「柳茶屋、車道」をご紹介しました。



〇企画展「博覧会の世紀1851-1970」開催中です

 2021年2月20日(土)~2021年4月4日(日)

 博覧会の歴史は1851年のロンドン万博に遡り、その後、欧米各国で開催されるようになります。世界中の国々で、今日に至るまで実に数千回にも及ぶ博覧会が開催され、日本においても明治以降、多種多様な博覧会が開催されてきました。
 時代とともに博覧会の内容や展示手法は進化し、開催目的や性格も大きく変わっていきました。博覧会はその時代における社会的な要求や世相を映す鏡であったといえます。
 本展では19世紀から20世紀の博覧会を俯瞰し、時代とともに変わってきた人々の価値観や他者へのまなざしを読み解くとともに、大阪を会場とした博覧会に焦点を当て、大阪の人々の生活スタイルや娯楽、都市文化を紹介します。

『元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図』
株式会社乃村工藝社蔵
第5回内国勧業博覧会『明治三六年之大阪』
大阪毎日新聞社発行
株式会社乃村工藝社蔵
『大礼奉祝交通電気博覧会鳥瞰図』
株式会社乃村工藝社蔵
'70大阪万博ペナント4種類
株式会社乃村工藝社蔵


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
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2021年3月3日水曜日

今週の今昔館(256) 竹田分道、安楽寿院 20210303 

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(35)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「竹田分道、安楽寿院」をご紹介します。


■竹田分道、安楽寿院
 稲荷御旅所から街道沿いにさらに南へ下ると安楽寿院があり、挿絵の奥の方に見える塔がこの寺院の南に建つ近衛天皇陵の二重の多宝塔です。その奥に愛宕山が見えますので、この絵は南東から北西を望む景色が描かれています。

 安楽寿院は竹田村にある真言宗の寺院で、保延3年(1137)鳥羽上皇が鳥羽離宮の東殿の御堂を仏刹にされたもので、上皇の御陵とその中宮美福門院の御陵、そしてその皇子である近衛天皇の御陵を境内に建ててあります。

淀川両岸一覧下船之巻「竹田分道、安楽寿院」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 洛中から南へ行くこと一里足らず、鳥羽の地には平安時代後期壮大な離宮が造営され、上皇たちによる院政の舞台となりました。まず、長保3年(1001)、白河上皇によって南殿が創建されます。そして、久寿元年(1154)、鳥羽上皇による田中殿の創建まで、徐々に離宮はその範囲を広げていきました。保延3年(1137)、そのうちのひとつ、東殿に鳥羽上皇が御堂を建立されました。これが安楽寿院のはじめです。

 絵の手前を左右に走るのは竹田街道と車道です。竹田街道は、伏見で陸揚げされた畿内年貢米の二条蔵への輸送経路にあたり、都へと向かう牛車は米俵を積んでいます。牛車は街道沿いの一段低い車道を進み、車夫が街道から手綱を引いています。重量のある牛車は街道を破損させるので、別に車道を設けたわけです。
 その後方から二人の人足が天秤棒で荷を担ってやってきます。絵の中央の道標には「右東六条」「左西六条」の文字。人足たちはこの道標から左へ行き、鳥羽の作り道を北上します。一方の牛車はこのまま竹田街道を上がっていくのです。
 現在この付近には「城南宮道」の道標が建ち、かつての分道の名残を伝えています。

 ところで、安楽寿院は新義真言宗智山派の寺院で、「都名所図会」の解説には次のように記されています。

 ≪竹田里不動院の北なり。鳥羽上皇脱離の後、城南の離宮にましく、北殿をひらきて、當院をいとなみ、保延三年十月十九日覚行法親王を導師として慶し給ふ。≫

 安楽寿院は東殿に建っていますから、北殿、東殿ともに鳥羽上皇が造らせた施設であると解説しており、この周辺には上皇ゆかりの施設が点在しています。

 隣接する鳥羽天皇陵の法華堂の右脇に残っている「碁盤の梅」。本文の解説には次のようにあります。

 ≪鳥羽上皇、城南の宮中において囲碁を禁じ給ひ、碁盤を集めてこの樹の下に埋めさせ給ふ。このゆゑに名とせり。当院は今にいたって囲碁を禁ず≫

 当時の離宮で囲碁に夢中になるあまり執務や修行をおろそかにする者が増えたために、上皇は碁盤を集めて埋めてしまい、そこに植えられたのが「碁盤の梅」というわけです。当時の人々にとって魅力ある遊興であったことが知られます。絵の安楽寿院は、往時とは異なり、鳥羽の田園風景の中に建つひっそりとした名刹として描かれています。

都名所図会「安楽寿院」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 「淀川両岸一覧」の本文には次のとおりの解説があります。

■竹田
 同南にあり。伏見往来の順路なり。この所に辻あり。真幡寸(またぎ)の辻といふ。安楽寿院の艮の外を亀若の辻といふ。
 「続千載」
 契りおかん我が万代(よろづよ)の友なれや竹田の原の鶴の毛衣 法皇御製

■安楽寿院
 竹田村にあり。真言宗。
 本御塔(北の方の本堂をいふ。むかしは五重の塔なり。このゆゑに名とす)本尊卍字阿弥陀仏(尊像の胸面に卍字あり。この堂の下には法皇宸筆の法花経を収む)薬師堂(本尊は行基作)五輪塔(上皇如法経をここに収めらる)三体の土仏(本尊の東にあり。釈迦・弥陀・薬師の三像なり。弘法大師の作)碁盤梅(鳥羽上皇、城南の宮中において囲碁を禁じたまひ、碁盤を集めてこの樹の下に埋めさせたまふ。このゆゑに名とせり。当院は今にいたって囲碁を禁ず)冠石(かぶりいし)(本御塔・新御塔の間にあり。冠の形に似たるゆゑに名とす)新御塔(南の方の本堂をいふ。はじめは五重の塔なり)本尊地蔵菩薩(定朝の作。美福門院御念持仏・鳥羽院宸影・美福門院影・八条女院の影等脇壇に安置す)二重塔(阿弥陀仏を安置す。春日の作。この塔は豊臣秀頼公の御建立ありしなり。鎮守祠塔の傍にあり)
 右は油小路より下る道条にして、すなはち安楽寿院の東門前より東洞院の街道に出でて伏見黒門に至る。


 付近の様子を地形図で見てみましょう。
 1枚目と2枚目は明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)です。1枚目は竹田村の北側で、南北の道は地図の右から順に、伏見街道(本街道)、竹田街道、奈良鐡道、鳥羽街道です。奈良鐡道は現在の近鉄京都線です。竹田街道は他の2つの街道と比べる沿道の家屋がほとんどなかったことが見てとれます。
 2枚目は竹田村とその南側です。挿絵に描かれている竹田分道はこの地図の竹田村の右下、竹田街道と奈良鐡道の交差地点の北側の分岐点(赤丸の印)付近と思われます。北へ直進すると竹田街道、左折すると竹田村に入り、安楽寿院に向かいます。左折して西へ進むと、鳥羽街道へつながります。
明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵
明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 3枚目は、今昔マップを利用して竹田村付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 地図の左上の川は鴨川、水色の横線は旧河道です。左右を見比べると、名神高速道路や近鉄の車庫は旧河道を利用していることがわかります。西竹田村には白河天皇、鳥羽天皇、近衛天皇の陵が見えます。治水地形分類図の黄色は微高地・自然堤防、薄い水色は氾濫平野です。かつての鴨川が暴れ川であったことが伺えます。最新の地理院地図では、赤色の道路は国道24号、黄色は府道です。


今昔マップより竹田村付近

 4枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。15mから5m刻みで色を変えています。北東が標高が高く、南西に向かって低くなっています。安楽寿院付近は15mよりも少し高い標高となっています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 三条橋から伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見ています。伏見が近づいてきて、水色からブルーの部分が多くなってきました。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「竹田分道、安楽寿院」をご紹介しました。



〇企画展「博覧会の世紀1851-1970」が始まっています

 2021年2月20日(土)~2021年4月4日(日)

 博覧会の歴史は1851年のロンドン万博に遡り、その後、欧米各国で開催されるようになります。世界中の国々で、今日に至るまで実に数千回にも及ぶ博覧会が開催され、日本においても明治以降、多種多様な博覧会が開催されてきました。
 時代とともに博覧会の内容や展示手法は進化し、開催目的や性格も大きく変わっていきました。博覧会はその時代における社会的な要求や世相を映す鏡であったといえます。
 本展では19世紀から20世紀の博覧会を俯瞰し、時代とともに変わってきた人々の価値観や他者へのまなざしを読み解くとともに、大阪を会場とした博覧会に焦点を当て、大阪の人々の生活スタイルや娯楽、都市文化を紹介します。

『元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図』
株式会社乃村工藝社蔵
第5回内国勧業博覧会『明治三六年之大阪』
大阪毎日新聞社発行
株式会社乃村工藝社蔵
『大礼奉祝交通電気博覧会鳥瞰図』
株式会社乃村工藝社蔵
'70大阪万博ペナント4種類
株式会社乃村工藝社蔵


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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