2021年1月27日水曜日

今週の今昔館(251) 下り船之巻 20210127

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(30)

 琵琶湖から大阪湾へと流れる淀川は、人の流れ、物の流れを担う交通の大動脈として機能してきただけでなく、人々の暮らしと大きく関わり、政治・経済・文化にも大きな影響を与えてきました。

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。前回まで、淀川両岸一覧(上り船之巻)に沿って、大坂から京都までの淀川左岸(川の流れから見て左側)沿いの風景を訪ねてきました。今回からは下り船之巻に沿って、京都三条から鴨川を下り、伏見を経由して大坂八軒家をめざします。船から見て右手、淀川右岸の風景を訪ねます。

 今回は、下り船の巻の始まりということで、「扉」と「序文」「凡例」などをご紹介します。

 「淀川両岸一覧」は文久元年(1861)に出版された四巻四冊からなる名所案内記です。その内容は、本文と三色刷り淡彩の挿画によって構成され、淀川流域の両岸に点在する主要な名所や街道などを紹介しています。

 書名には「淀川」と冠していますが、本書では鴨川流域の名所もとりあげています。そもそも淀川は琵琶湖から大阪湾へと注ぐ流れが本流であり、上流を瀬田川、中流を宇治川と呼んでいます。そこへ桂川と木津川とが合流して淀川となります。
 本書には「宇治川両岸一覧」という姉妹編があり、三川の合流地点から上流の宇治川を扱っています。そこで、本書では合流地点までの鴨川両岸を加えて「淀川両岸」を取り上げているわけです。

淀川両岸一覧下船之巻「扉」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 下り船の扉には、書名や作者名とともに、京坂の名物が描かれています。右上から順に、「ねぶか」「小町べに」「なはて元ゆい」「ふしみ人形」「きをん香せん」「東寺長いも」「竹の子」「松たけ」「川ばたふしのこ」。前回ご紹介しました上り船の最後には「大原女」を描く挿絵もあり、京の「見どころ」を読者に伝えていたのです。旅人を意識した編集方針が見られます。

 下り船の巻の扉の次のページには、次の漢詩があります。

日は洛城に上り瑞紅を発す/聖朝の徳沢、仰ぎて年(みの)り豊かなり/千門万戸の民、相(あひ)忘る/礼楽長(とこしなへ)に存す、三代の風 樗斎

 巻末の刊記をみると、本文を暁鐘成(晴翁とも)が、挿画を松山半山が、それぞれ担当したことがわかります。両名ともに浪速とあり、大坂の人です。「宇治川両岸一覧」の記載があるのは、姉妹編の広告です。また、三都の書林が版元として名を連ねています。江戸は日本橋二丁目の山城屋佐兵衛、京都は麩屋町姉小路の俵屋清兵衛、大坂は心斎橋北久太郎町の河内屋喜兵衛となっています。

淀川両岸一覧下船之巻「刊記」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 序文には次のように記されています。
 余浪花に遊ぶごとに必ず船を買ひて澱川を下る。坐して江山の勝を欖(み)、いまだ沿江の諸区を探るに暇あらず。頃日、鶏鳴舎主人、この著を示され、たまたま、また浪華に遊ぶに携えて行く。舟中被閲の間、百里の長堤、邨落(そんらく)、祠観、名区、旧墟、目迎へてこれを送る。一々詳悉なり。長流のまさに尽きんとするを惜しむ。家に帰りて後、謝してこれを還す。今より後、澱水を下るの人々、必ず一本を携へば、けだし主人の賜(たまもの)多とするなり。よって慫慂してこれを刻す。もし、それ賈人・估客ならば、必ず夜航を便とし、迢々(ちょうちょう)たる江水、しばしば、嗟来(さらい)の食を売る声に夢を驚かす。もとより論ずるなかれ。
 安政丙辰三月 飄々老人題す
   需(もと)めに応じて南陽書す

淀川両岸一覧上船之巻「扉と序文」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)
淀川両岸一覧上船之巻「序文」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 本書の序文を記した「飄々老人」は平塚飄斎といい、京都町奉行の与力だった人物です。山稜研究家で各地にあった天皇陵の踏査をおこなったことでも知られています。飄斎と鐘成・半山のコンビとは、本書以外にも、元治元年(1864)刊行の「再撰花洛名勝図会」をめぐって顔をあわせています。

 本書の凡例には、次のように記されています。

 凡例
一 この書は、浪花より京師へ船にて登る淀川条の両岸の地名を初め、その傍なる寺社および名所古跡を著し、かつその風景絶勝なる所々の図を出だして、船客の慰となす者なり。
一 両岸を一図にうつさん事難(かた)きにあらずといへども、その委しきにいたらず。また、左に奇観ありて右に鄙(ひな)の賤(いや)しき地あり、右に美観ありて左に川添の堤のみなるもありて、その図風流ならざるがゆゑに、いづれも、船中より見わたせし右を図してその順に一覧せしむ。されば前の二巻は上船の右をうつし、のちの二巻は下船の右を画く。ゆゑに上船の巻は下船の左なり、下船の巻は上船の左と心得べし。文もまたこれに准ず。
一 船客これを閲(けみ)したまへば船長に問はずして両岸をくはしく知るべし。

 「船客」が船頭に問うことなく、両岸の詳しい情報を本文と挿絵で知ることができるという趣向になっています。

淀川両岸一覧上船之巻「凡例」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代、京と大坂をつなぐ交通路としては、陸路の京街道(京都側からは大坂街道とも言う)と水路の淀川がありました。陸路の京街道は東海道五十七次とも呼ばれ、伏見・淀・枚方・守口の宿場がありました。水路は、大坂の八軒家と京の伏見との間を三十石船(過書船)が行き交い、伏見で上陸した旅人は陸路で洛中を目指しました。
 本書では東海道五十三次の起点である三条大橋が京都側の起終点となっており、上り船では伏見街道を七条まで、下り船では三条から五条までを鴨川沿いに、そこからは竹田街道を伏見まで、と異なるルートを紹介しています。
 京街道と伏見街道、東海道(五十三次と五十七次)の関係を地形図で確認してみます。

今昔マップより明治42年陸地測量部地図+色別標高図

 江戸日本橋から数えて53番目の宿場町である大津まで来た旅人は、逢坂山を越えて、髭の茶屋追分に至ります。追分とは分岐点の意味です。ここで、東海道は山科を経て京三条大橋に向かう五十三次と、伏見へ向かう五十七次に分かれます。伏見への道は、醍醐を経由するルートと、藤森を経由するルートがありました。「淀川両岸一覧」では「藤杜岐道」の挿絵を添えて藤森ルートを紹介しています。どちらのルートも京を経由せずに54番目の宿・伏見に至ります。ここから、55番淀、56番枚方、57番守口を経由して、大坂高麗橋に至ります。
 伏見と京の間には藤森を経由する伏見街道と、竹田を経由するルートなどがありました。伏見から淀を経由して山崎に至り、西国街道につながるルートもありました。
 大坂から京へ向かう場合には、淀から桂川に沿って北へ向かい羅城門へ至り、千本通につながるルートもありました。


 『淀川両岸一覧』下り船之巻・上の本文は「京師」から始まります。

■京師
 「詩経」云く、「劉篇捗 南岡及観于京 京師之野」云々。是を鄭箋(ていさん)に都邑を営立すべきところをいふ。朱註に、京は高き丘なり、師は衆(もろもろ)なり、高き山に衆(おほ)く居するなり

 祭邑(さいゆう)が「独断」云く、「天子都する所を京師となづく。京は水にたとへて地下の多きもの水に過ぎたるはなし。地上の衆きもの人に過ぎたるはなし。京は大なり、師は衆(もろもろ)なり、大衆の居する所を以て天子の都になづく、「爾雅」には、天下高きに居して遠きを視るの意(こころばせ)なり、師は衆(もろもろ)にして人民衆くここに聚(あつ)まるの謂れなり」云々。そもそも平安城の都は、人皇五十代桓武天皇興基ありしより、今の御代に至って一千有載遷都なきは中華(もろこし)にもいまだかつてその例なし。まことに天津日嗣の位したまひてより、御裳濯川(みもすそがわ)の流れたえせず、住の江、高砂の松の葉の散りうせずして、億兆の歳を彌(わた)らんとぞ知られける。また都とは華(みやびやか)の訓にして花洛とも称せり。

「月清」
昔より 都しめたる この里は ただ吾が国の 最中(もなか)なりけり 後京極

 「京は大なり、師は衆(もろもろ)なり、大衆の居するところを以て天子の都になづく。」「京(けい)」は、スーパーコンピューターの名前にもなっているように、非常に大きな数字を意味します。確かに「きょう」と読まずに「けい」と読みますね。京師も「けいし」ですね。


 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「扉」と「序文」をご紹介しました。次回から、三条大橋からの下り船の旅が始まります。
 挿絵の解説に際しては、「続おおさか漫歩」および「京都 鴨川探訪-絵図でよみとく文化と景観-」、「大阪 淀川探訪-絵図でよみとく文化と景観」を参考にさせていただきます。



〇企画展「くらしと漆工」開催中です

 令和2年12月19日(土)〜令和3年2月14日(日)

 古来より漆は日本人のくらしや文化と密接に結び付いてきました。実用性と美観に優れる漆は、日用品としての食器類をはじめ、ハレの日の装身具や調度、建築装飾に至るまで幅広く用いられており、今日に至るまで日本の伝統文化を支え続けています。
 2001年の開館以来、大阪くらしの今昔館には「住まいの歴史と文化」に関する資料の一分野として、形も用途も様々な漆工品が集められました。
 本展では、それらのコレクションの中から魅力あふれる作品を選りすぐり、漆商いの中心地であった大坂所縁の作品とともに展観します。今昔館では初となる漆工をテーマにした展示を通し、長い歴史と共に育まれてきたその魅力に迫ります。

草花蒔絵引盃
草花蒔絵熨斗形香合
鉄線蒔絵双六盤


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
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