2020年12月22日火曜日

今週の今昔館(246) 宝塔寺 20201222

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(26)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、大坂から京都までの淀川左岸(川の流れから見て左側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「宝塔寺」をご紹介します。藤森神社から街道筋に戻り、さらに北へ足を進め、伏見稲荷に至る少し手前の稲荷山の山麓に宝塔寺があります。

■宝塔寺
 
 宝塔寺の堂宇は、稲荷山の峯づたいに東に細長く伸び、その中央に本堂があります。その様子は「都名所図会」の挿絵に描かれています。「淀川両岸一覧」に描かれているのは寺の入口で、「南無妙法蓮華経」と刻んだ石塔に見られるように日蓮宗の寺院です。元来この寺は真言宗でしたが、鎌倉末期に住職が日像上人に帰依してから改宗したと伝えられています。
 この寺の手前に建つ瑞光寺も同じく日蓮宗の寺院で、元政上人の創建によります。境内にある竹を三本植えただけの上人の簡素な墓には、古来縁切り信仰があり、女性が駒下駄を履き、上人の墓のまわりを掃き清め、墓標の竹の葉を一枚取って相手の男の襟に縫い込んでおけば、縁が切れるといわれていました。

淀川両岸一覧上船之巻「寳塔寺」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

都名所図会「寳塔寺」
(国際日本文化研究センターデータベース)


 深草山宝塔寺は日蓮宗妙顕寺派の寺院です。本文の解説には次のようにあります。

 ≪当寺は旧極楽寺にして真言、律を兼ねたり。延慶年中より法華道場と改む。≫

 そもそもこの地は、昌泰二年(899)に建立された極楽寺のあったところ。「源氏物語」の「藤裏葉」のなかで、内大臣の母の法要が行われる寺院として登場します。藤原氏の菩提寺として栄えましたが、その後、時代の移り変わりとともに荒廃します。鎌倉時代の後期、日像上人によって再興され、真言宗から日蓮宗に改められました。

 「淀川両岸一覧」の絵は伏見街道から宝塔寺を眺めた風景を描いています。街道沿いには「寶塔寺」の石碑が建ち、旅人にその存在を知らせています。また、右側にある松の大木の向こうに「南無妙法蓮華経」と刻まれた石碑も見えます。
 その石碑を街道から指さす男女の旅人。振袖の娘さん、かつてこの場所で結婚の許しを得た夕霧と雲居雁のことを思い出しているのかもしれません。「ここにお参りをすれば、幼い頃の恋は成就するんやろうか。」現在、宝塔寺門前に極楽寺町という地名だけが残り、往時をしのばせています。
 また、宝塔寺の北側に、百丈山石峰寺という黄檗宗の寺院があります。当寺は正徳三年(1713)、黄檗山萬福寺の六世千呆(せんがい)和尚により、禅道場として創建されました。本文の解説は次のとおりです。

 ≪当寺の後の山に石像の五百羅漢を造立し、霊鷲山を爰(ここ)にうつす。其形勢(ありさま)中央釈迦牟尼仏、周りに十六羅漢五百の大弟子囲繞し釈尊説法の体相を作る(羅漢の像おのおの三尺ばかり、いづれも自然石をいささか工をくはへ形とす。僧若冲の指麾(しき)と聞こゆ。)≫

 これをみると、石峰寺のみどころが「僧若冲」すなわち伊藤若冲が下絵を描いて彫らせたという五百羅漢であったことがわかります。ところが「都名所図会」には羅漢についての簡単な解説が挿絵に付されているものの、若冲の名はあげていません。若冲が羅漢を制作したのは安永から天明の頃で、同書が出版されたのは安永九年(1780)です。最新の情報として触れるにとどめ、制作者の名を記さなかったのでしょう。
 正徳六年(1716)に青物屋の長男として生まれた若冲は、絵を描くこと以外に興味を示さず、不惑になると弟に家督を譲ります。晩年の若冲は世俗を遠ざけ、出家した妹ともに石峰寺の門前に閑居したといいます。清貧に生き、ただ画筆だけを専らとした若冲は、石峰寺境内の墓地に眠っています。


 本文の解説は次のとおりです。
■瑞光寺
 深草にあり。明歴元年元政上人の草創、法花道場なり。
 本尊釈迦仏(長(みたけ)二尺、胎内に五臓六腑あり。当寺境内の字を薬師堂畑といふ。いにしへ極楽寺の薬師堂の遺跡なり。)
 元政墓(仏殿の西にあり。塚の上に竹をうゆる。元政法師常にたづさへたまふ竹の杖を立てしかば、枝葉しげりしとなり。)
 わが涙 竹にはかけじ 秋の霜  灯外
 鳥の跡 みするや竹に 蝸牛   乙由
■昭宣公墳(しょうせんこうのつか)
 瑞光寺の門前にあり。大塚にして周廻(めぐり)十間余あり。上に小祠あり、三十番神を祭る。
■霞谷(かすみがだに)
 北は宝塔寺の地より真宗院におよび、南は谷口までの惣名なり。
 「玉吟」
 おもひやる 苔の下こそ 悲しけれ 霞の谷の 春の夕暮れ 家隆
 「夫木」
 草深き 霞の谷に はぐくもる 鶯のみや むかしこふらし 鎌倉右大臣
■極楽寺の旧跡
 瑞光寺・宝塔寺の境地なり。保胤が極楽寺の賦に、東山の勝地となることを賞せり。
■宝塔寺
 瑞光寺の北にあり。深草山と号す。
 本尊釈迦仏、多宝塔・高祖日蓮上人の像を安ず。
 廟塔(日像上人書すところの石塔婆あり。この下、日蓮。日朗の遺骨を収む。)
 釈迦千体堂・七面明神社(いづれも本堂の後の山にあり。七面明神の鳥居の額は元政の筆なり。例祭九月十九日。当寺は旧極楽寺にして真言、律を兼ねたり。延慶年中より法華道場と改む。)
■石峰禅寺
 宝塔寺の北に隣る。百丈山と号す。
 本尊釈迦仏(済世法王の額は千呆和尚の筆。左右に聯あり、共に同筆なり。)
 薬師堂(本堂の傍にあり。本尊薬師仏、長四寸、恵心僧都の作なり。)
 表門(額は即非の筆にして高着眼と書す。)
 当寺は黄檗の六世千呆和尚の開基にして、黄檗退院ののちこの地に住職す。近年安永の半より天明の初めに至って、当寺の後の山に石像の五百羅漢を造立し、霊鷲山を爰(ここ)にうつす。其形勢(ありさま)中央釈迦牟尼仏、周りに十六羅漢五百の大弟子囲繞し釈尊説法の体相を作る(羅漢の像おのおの三尺ばかり、いづれも自然石をいささか工をくはへ形とす。僧若冲の指麾(しき)と聞こゆ。)もっとも雨露の覆いなくして山中に充満し、自ら苔むしてその雅なること言語に絶せり。実に無双の奇観といふべし。



 付近の様子を地形図で見てみましょう。
 まず、明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)を見てみます。最も古い測量図で江戸時代の様子を思い浮かべることができると思います。地図の左寄りを南北に伏見街道が通り、左上の稲荷停車場から右下に東海道本線が通っています。鉄道は明治13年の開通です。地図の中央付近、「深草村」の文字の左上の寺院の記号が宝塔寺です。


明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵


 2枚目は、今昔マップを利用して宝塔寺付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの。右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 明治22年の地図と見比べると、明治27年に完成した琵琶湖疎水が伏見街道に沿って西側を流れ、伏見の濠川までつながっています。左側の明治42年の地形図には「東海道本線」と表示のある鉄道は、同じところを走っていますが、現在はJR奈良線となっています。東山トンネルが完成したため東海道本線は大正10年に廃止となりましたが、稲荷駅には旧東海道本線の時代のレンガ積みのランプ小屋が残っています。京阪電車龍谷大前深草駅から琵琶湖疎水を渡り、伏見街道を跨ぎ、JR線の踏切を越えて山麓に入ったところに宝塔寺があります。深草駅から北の伏見街道は黄色の表示となっており、京都府道になっていることがわかります。


今昔マップより宝塔寺付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高20mから5m刻みで色を変えています。
 京阪電車龍谷大前深草駅付近の標高は約30m、宝塔寺の標高は約45m、両者の距離は約500mです。3%程度の勾配の坂を上ったところになります。JR奈良線は35~40mのところを走っています。


地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧」の「寳塔寺」をご紹介しました。


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇企画展「くらしと漆工」が始まりました

 令和2年12月19日(土)〜令和3年2月14日(日)

 古来より漆は日本人のくらしや文化と密接に結び付いてきました。実用性と美観に優れる漆は、日用品としての食器類をはじめ、ハレの日の装身具や調度、建築装飾に至るまで幅広く用いられており、今日に至るまで日本の伝統文化を支え続けています。
 2001年の開館以来、大阪くらしの今昔館には「住まいの歴史と文化」に関する資料の一分野として、形も用途も様々な漆工品が集められました。
 本展では、それらのコレクションの中から魅力あふれる作品を選りすぐり、漆商いの中心地であった大坂所縁の作品とともに展観します。今昔館では初となる漆工をテーマにした展示を通し、長い歴史と共に育まれてきたその魅力に迫ります。

草花蒔絵引盃
草花蒔絵熨斗形香合
鉄線蒔絵双六盤


〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を 1 日 2 回実施します。
 お気軽にご参加ください。

【実施】スタッフによるまちの解説(町家ツアー)スケジュール
① 11 時 30 分~(約 30 分)
② 14 時 30 分~(約 30 分)


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be


 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4



〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
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