「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
今回は「鵜殿」をご紹介します。この辺りには蘆原が広がり、ここで採れる蘆(あし)は、篳篥(ひちりき)の義觜(こしき)に適しており、朝廷に献上されるほど有名でした。
■鵜殿
上牧村からしばらく漕ぎ進むと、右手に蘆原が見えてきます。ここが鵜殿で、紀貫之の「土佐日記」にも登場し、古来より淀川のランドマークとして知られていました。
名産の蘆は毎年朝廷に献上されるほどで、ずいぶん堅くて太いものでした。一般の川の蘆は水上交通の障害となるので定期的に刈り取りを命じられましたが、鵜殿の蘆だけはこれが免ぜられたことが記録にあります。
挿絵右側の小舟は蘆刈り用のもので、蘆原を分け入るために細身になっています。これらが独特の音を立てて擦れ合い、連なって蘆原へ入っていく姿が描かれています。その横を進み行く堂々たる帆船は過書船で、上流へ向かっていますが曳き船はせずに、帆走しています。
鵜殿という地名の由来は、古代の敗軍の将兵の首が淀川に鵜のように浮いたという記紀の説話に基づくものです。
絵の上部の賛は、鬼拉亭力丸の狂歌と与謝蕪村の発句で、次のとおりです。
すれあへば おのづと律の 音をいだす これや鵜どのの 芦分小舟 力丸
鶯の 啼くやうどのの 河柳 蕪村
力丸の狂歌にもあるように、鵜殿といえば、やはり蘆、この蘆について本文は次のように記しています。
≪鵜殿村の堤に生ひ出づる蘆なり。篳篥(ひちりき)の義觜(こしき)に可なりとて、いにしへより世に名高く、貢にたてまつるなり。≫
鵜殿は、近くに朝廷直轄の御牧があり、また、中世には水無瀬離宮もあった土地です。ゆえに、ここの蘆は篳篥の素材に適していると有名でした。狂歌に「律」とあるのは篳篥の音を指しているのです。
本文の解説は次のとおりです。
■鵜殿
上牧村の下にあり。川辺に葭島あり、鵜どの島といふ。「土佐日記」に云ふ、「今宵うどのといふところに泊まる」云々。
■名産蘆
右鵜殿村の堤に生ひ出づる蘆なり。篳篥(ひちりき)の義觜(こしき)に可なりとて、いにしへより世に名高く、貢にたてまつるなり。
篳篥の小舌かれぬと啼く千鳥
芦わかき鵜殿に啼くやほととぎす
次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の鵜殿付近を見てみましょう。この絵は北から見た風景を描いていますので、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の左上に橋本の町が描かれ、中央が樟葉、右手に渚があります。橋本と樟葉の間に「河内山城堺 こか祢はし」とあり、小金橋が河内と山城の国境であったことを記しています。
■鵜殿
上牧村からしばらく漕ぎ進むと、右手に蘆原が見えてきます。ここが鵜殿で、紀貫之の「土佐日記」にも登場し、古来より淀川のランドマークとして知られていました。
名産の蘆は毎年朝廷に献上されるほどで、ずいぶん堅くて太いものでした。一般の川の蘆は水上交通の障害となるので定期的に刈り取りを命じられましたが、鵜殿の蘆だけはこれが免ぜられたことが記録にあります。
挿絵右側の小舟は蘆刈り用のもので、蘆原を分け入るために細身になっています。これらが独特の音を立てて擦れ合い、連なって蘆原へ入っていく姿が描かれています。その横を進み行く堂々たる帆船は過書船で、上流へ向かっていますが曳き船はせずに、帆走しています。
鵜殿という地名の由来は、古代の敗軍の将兵の首が淀川に鵜のように浮いたという記紀の説話に基づくものです。
淀川両岸一覧下船之巻「鵜殿」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
絵の上部の賛は、鬼拉亭力丸の狂歌と与謝蕪村の発句で、次のとおりです。
すれあへば おのづと律の 音をいだす これや鵜どのの 芦分小舟 力丸
鶯の 啼くやうどのの 河柳 蕪村
力丸の狂歌にもあるように、鵜殿といえば、やはり蘆、この蘆について本文は次のように記しています。
≪鵜殿村の堤に生ひ出づる蘆なり。篳篥(ひちりき)の義觜(こしき)に可なりとて、いにしへより世に名高く、貢にたてまつるなり。≫
鵜殿は、近くに朝廷直轄の御牧があり、また、中世には水無瀬離宮もあった土地です。ゆえに、ここの蘆は篳篥の素材に適していると有名でした。狂歌に「律」とあるのは篳篥の音を指しているのです。
本文の解説は次のとおりです。
■鵜殿
上牧村の下にあり。川辺に葭島あり、鵜どの島といふ。「土佐日記」に云ふ、「今宵うどのといふところに泊まる」云々。
■名産蘆
右鵜殿村の堤に生ひ出づる蘆なり。篳篥(ひちりき)の義觜(こしき)に可なりとて、いにしへより世に名高く、貢にたてまつるなり。
篳篥の小舌かれぬと啼く千鳥
芦わかき鵜殿に啼くやほととぎす
次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の鵜殿付近を見てみましょう。この絵は北から見た風景を描いていますので、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の左上に橋本の町が描かれ、中央が樟葉、右手に渚があります。橋本と樟葉の間に「河内山城堺 こか祢はし」とあり、小金橋が河内と山城の国境であったことを記しています。
絵の手前側が淀川の右岸で、「みなせ川」「広瀬」「高浜村」「上牧」「中村」「うとの」「大つか」「前しま」「冠むら」の文字が見えます。淀川には曳き船をしている三十石船と、右手には帆走している帆船が描かれています。
鵜殿付近の様子を地形図で見てみましょう。今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
1枚目は、前回の上牧から前嶋にかけての広域を表示しています。淀川右岸には山すそを西国街道が通っています。街道に沿う形で東海道本線が走っています。淀川との間には農地が拡がっています。左岸には京街道が通り、現在の地図では河川敷に牧野パークゴルフ場の文字が見えます。地図の中央付近の淀川右岸(川の流れから見て右側)には湿地帯が広がり、「道斎(鵜殿)」の文字が見えます。
右側の地理院地図では、赤い線の道路は国道、黄色は府道を示しています。
2枚目は、鵜殿付近を拡大して表示しています。
川沿いに湿地が広がり「道斎(鵜殿)」の文字が見え、五領村に属していたことがわかります。五領地区コミュニティサイトによると、「五領」の地名は「御領」とも書かれるそうです。現在は「道鵜町1丁目~6丁目」となっています。川沿いの農地が宅地化しています。
「五領村」の「領」と「村」の間にある池の形が川の跡のような形をしていて気になるので、国土地理院の治水地形分類図で確認してみます。淀川の河口から30.6K付近の右岸が鵜殿にあたります。確かにこの池はかつての河道であったことがわかります。淀川の流れが蛇行していて、北から流れてきた川が井尻付近で合流しています。この地図を見ていると、内ヶ池のさらに上流がどうなっているのか気になりますので、広域の地図で確認してみることにします。
広域の地図で上流の方を見てみましょう。地図の上端中央部に茶色の線(土手)で挟まれた川が水無瀬の方に流れて、淀川に合流しています。内ヶ池から上流に遡ると、かつてはこの川につながっていたことがわかります。
五領地区コミュニティーサイトによると、次のような記載があります。
≪「ひの川」は元は成合からまっすぐに南下していました。平安時代に水無瀬川の河口の方に向けて、山沿いを流れる(不自然な)位置に(洪水被害防止と灌漑目的で)河口が付け替えられているのです。≫
また、「内ヶ池」についても次のような記載があります。
≪ヨシ原の部分は「外島(ソトジマ)」とよぶ。「上牧(カンマキ)」に隣接の大きな細長い池は、内ヶ池(ウチガイケ)というから、上牧村のある場所自体が実は内島(ウチジマ)なのである。それで、前(目の前の、下流の)の島にある村を「前島(マエジマ)」という。≫
確かに、上牧は2つの川に挟まれた島になっていたことが確認できます。地名の由来は、調べてみるといろいろと面白いことが発見できます。
付け替えられる以前の川の流れを推定するため、治水地形分類図に自分で作る色別標高図を重ねてみました。
扇状地の中央付近を流れて、治水地形分類図の旧河道につながる流れを推定してみました。上牧(=上の御牧)の洪水被害を防ぎ、灌漑用水を確保するために、河道が付け替えられたため、不自然な形で水無瀬の方に流れていることがわかります。付け替えられて以降時代が経つことに加え、東海道線の土手が築かれたこともあって、正確な河道を調査することは困難と思われますが、あくまで個人的な推定としてご覧ください。
今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「鵜殿」をご紹介しました。
〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
こちらからどうぞ。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo
ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。
〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
【令和3年 4月25日(日)~5月11日(火)】
新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月11日(火)までの間、臨時休館しています。
〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています
会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
4月25日(日)~5月11日(火)まで臨時休館
大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。
【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
こちらからどうぞ
「よと川の図」の鵜殿付近(大阪くらしの今昔館蔵) |
鵜殿付近の様子を地形図で見てみましょう。今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
1枚目は、前回の上牧から前嶋にかけての広域を表示しています。淀川右岸には山すそを西国街道が通っています。街道に沿う形で東海道本線が走っています。淀川との間には農地が拡がっています。左岸には京街道が通り、現在の地図では河川敷に牧野パークゴルフ場の文字が見えます。地図の中央付近の淀川右岸(川の流れから見て右側)には湿地帯が広がり、「道斎(鵜殿)」の文字が見えます。
右側の地理院地図では、赤い線の道路は国道、黄色は府道を示しています。
今昔マップより鵜殿付近広域(上牧~前嶋) |
2枚目は、鵜殿付近を拡大して表示しています。
川沿いに湿地が広がり「道斎(鵜殿)」の文字が見え、五領村に属していたことがわかります。五領地区コミュニティサイトによると、「五領」の地名は「御領」とも書かれるそうです。現在は「道鵜町1丁目~6丁目」となっています。川沿いの農地が宅地化しています。
今昔マップより鵜殿付近 |
「五領村」の「領」と「村」の間にある池の形が川の跡のような形をしていて気になるので、国土地理院の治水地形分類図で確認してみます。淀川の河口から30.6K付近の右岸が鵜殿にあたります。確かにこの池はかつての河道であったことがわかります。淀川の流れが蛇行していて、北から流れてきた川が井尻付近で合流しています。この地図を見ていると、内ヶ池のさらに上流がどうなっているのか気になりますので、広域の地図で確認してみることにします。
治水地形分類図の鵜殿付近 |
広域の地図で上流の方を見てみましょう。地図の上端中央部に茶色の線(土手)で挟まれた川が水無瀬の方に流れて、淀川に合流しています。内ヶ池から上流に遡ると、かつてはこの川につながっていたことがわかります。
五領地区コミュニティーサイトによると、次のような記載があります。
≪「ひの川」は元は成合からまっすぐに南下していました。平安時代に水無瀬川の河口の方に向けて、山沿いを流れる(不自然な)位置に(洪水被害防止と灌漑目的で)河口が付け替えられているのです。≫
また、「内ヶ池」についても次のような記載があります。
≪ヨシ原の部分は「外島(ソトジマ)」とよぶ。「上牧(カンマキ)」に隣接の大きな細長い池は、内ヶ池(ウチガイケ)というから、上牧村のある場所自体が実は内島(ウチジマ)なのである。それで、前(目の前の、下流の)の島にある村を「前島(マエジマ)」という。≫
確かに、上牧は2つの川に挟まれた島になっていたことが確認できます。地名の由来は、調べてみるといろいろと面白いことが発見できます。
治水地形分類図の鵜殿の上流付近広域(水無瀬川~鵜殿) |
付け替えられる以前の川の流れを推定するため、治水地形分類図に自分で作る色別標高図を重ねてみました。
扇状地の中央付近を流れて、治水地形分類図の旧河道につながる流れを推定してみました。上牧(=上の御牧)の洪水被害を防ぎ、灌漑用水を確保するために、河道が付け替えられたため、不自然な形で水無瀬の方に流れていることがわかります。付け替えられて以降時代が経つことに加え、東海道線の土手が築かれたこともあって、正確な河道を調査することは困難と思われますが、あくまで個人的な推定としてご覧ください。
付け替え前の河道の推定 島本町付近の治水地形分類図+自分で作る色別標高図 |
今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「鵜殿」をご紹介しました。
〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
こちらからどうぞ。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo
ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。
〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
【令和3年 4月25日(日)~5月11日(火)】
新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月11日(火)までの間、臨時休館しています。
〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています
会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
4月25日(日)~5月11日(火)まで臨時休館
大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。
【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
こちらからどうぞ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk
〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw
〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
⇒http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf
このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be
また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
こちらからご覧ください。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be
〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
こちらからどうぞ。
⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
喜雨滴る |
あお麦風々 |
桜東風 |
朝露涼夏 |
ランプシェード |
〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw
〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
⇒http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf
このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be
また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
こちらからご覧ください。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be
〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
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こちらからどうぞ。
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大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
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「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
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初めての方はこちらからどうぞ。
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