琵琶湖から大阪湾へと流れる淀川は、人の流れ、物の流れを担う交通の大動脈として機能してきただけでなく、人々の暮らしと大きく関わり、政治・経済・文化にも大きな影響を与えてきました。
「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
今回は「三嶋江」をご紹介します。三嶋江は淀川中流の要港として、対岸の枚方との渡しにより北摂と北河内をも結ぶ交通の結節点でした。
■三嶋江
三嶋江の絵は、淀川右岸側、三島江の渡し場のようすを描いています。ここから河内国茨田郡出口へ渡ることから「出口のわたし」とも呼ばれていました。絵の左の舟には「わたし」のキャプション。渡し船が今まさに船着き場に接岸するところです。
一方、その右手、上流側にはもう一つ川岸へ降りる道があり、船が船体を岸へ寄せています。こちらは大坂と京とを往来する三十石船で、旅人が乗り込もうとする姿が見えます。ここは川辺には茶店が並び、その賑わいは挿絵に描かれているとおりです。
本文は次のように解説しています。
≪川辺に茶屋ありて酒飯を商ふ。また船客の勝手によりてこの所より上がるあり、あるいは乗るありて、多くこの岸に舟をつくる、上下ともに同じ。≫
三島江から北に行けば高槻城下、北西に行けば茨木城下、さらにそれらをつなぐ西国街道が通っています。そのため、ここの岸で三十石船を乗り降りする旅人は多かったことでしょう。
この辺りは船の往来が多く、夜船なら川筋に櫓拍子に船歌が混じり、川岸の蘆間に蛍が飛び交い、時鳥(ほととぎす)の一声に月が澄み渡り、川風は凛凛と吹くような名勝の地で、さぞかし眺めは風趣に富んだものであったろうと想像できます。
挿絵中央右手の常夜灯には、妙見宮と刻まれています。妙見宮とは能勢の妙見山を指し、三島江は南の河内方面から船で淀川を渡って参詣に赴く信徒の上陸地でもあったのでしょう。
絵の上部の賛は、蕉門の俳人である窪田猿雖の句と、源頼家の和歌の二作です。頼家は官位についていたため、作者名には藤原と表記されています。
川淀や 淡をやすむる 芦の角 猿雖
■三嶋江
三嶋江の絵は、淀川右岸側、三島江の渡し場のようすを描いています。ここから河内国茨田郡出口へ渡ることから「出口のわたし」とも呼ばれていました。絵の左の舟には「わたし」のキャプション。渡し船が今まさに船着き場に接岸するところです。
一方、その右手、上流側にはもう一つ川岸へ降りる道があり、船が船体を岸へ寄せています。こちらは大坂と京とを往来する三十石船で、旅人が乗り込もうとする姿が見えます。ここは川辺には茶店が並び、その賑わいは挿絵に描かれているとおりです。
淀川両岸一覧下船之巻「三嶋江」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
本文は次のように解説しています。
≪川辺に茶屋ありて酒飯を商ふ。また船客の勝手によりてこの所より上がるあり、あるいは乗るありて、多くこの岸に舟をつくる、上下ともに同じ。≫
三島江から北に行けば高槻城下、北西に行けば茨木城下、さらにそれらをつなぐ西国街道が通っています。そのため、ここの岸で三十石船を乗り降りする旅人は多かったことでしょう。
この辺りは船の往来が多く、夜船なら川筋に櫓拍子に船歌が混じり、川岸の蘆間に蛍が飛び交い、時鳥(ほととぎす)の一声に月が澄み渡り、川風は凛凛と吹くような名勝の地で、さぞかし眺めは風趣に富んだものであったろうと想像できます。
挿絵中央右手の常夜灯には、妙見宮と刻まれています。妙見宮とは能勢の妙見山を指し、三島江は南の河内方面から船で淀川を渡って参詣に赴く信徒の上陸地でもあったのでしょう。
絵の上部の賛は、蕉門の俳人である窪田猿雖の句と、源頼家の和歌の二作です。頼家は官位についていたため、作者名には藤原と表記されています。
川淀や 淡をやすむる 芦の角 猿雖
「詞花」
春霞かすめるかたや津の国のほのみしま江のわたりなるらん 藤原頼家
淀川右岸のこの付近は、三島江や玉川など、歌枕の多い土地でもあります。そのため、本文にも次のように記されています。
≪実にや淀川の流れを帯びて浪花より京師に通ふ船、夜となく昼となく櫓拍子に歌諷(うた)ひて、さし下すあり登るあり。引船の綱長く、あるは綱短く鉄車(かなくるま)をかよふ音涼しく、引きつれる水主の足並柳にもつれ、芦間の螢飛びかふけしき、時鳥(ほととぎす)の一声に月清(す)みわたり、流水溶々として河風凛々たるに、船より船に酒うる声驚忽として人々眠りを覚ます頃、初雁のかりかりに千鳥なく霜寒き夜、みなこの三島江の風流にしていづれか和歌の種ならぬはなし。≫
下巻の本文は、
■阿久刀(あくとの)神社
■芥川古城
■松永弾正久秀の故居
■鴨神祠(かものしんし)
■津江薬師
から始まります。淀川右岸を上流から下流へとたどるので、「○○の下にあり」という表記がよく出てきます。「○○の下流側にある」という意味になります。
■唐崎(からさき)
芥川の下にあり。この地は近郷の諸荷物運送の場所にして、問屋・商家しばしばありて賑はしき一村なり。これより高槻へ十八丁。
■三島若宮祠
唐崎村にあり。祭神八幡・春日。三島江の社の若宮なりといふ。
■三島江
唐さき村の下にあり。番田村よりこの所まで、水上およそ二十丁といふ。川辺に茶屋ありて酒飯を商ふ。また船客の勝手によりてこの所より上がるあり、あるいは乗るありて、多くこの岸に舟をつくる、上下ともに同じ。この所より大坂まで陸路行程四里。
この地は、いにしへより三島江あるいは三島江浦・玉江など和歌の名所にして代々の勅撰に多し。実にや淀川の流れを帯びて浪花より京師に通ふ船、夜となく昼となく櫓拍子に歌諷(うた)ひて、さし下すあり登るあり。引船の綱長く、あるは綱短く鉄車(かなくるま)をかよふ音涼しく、引きつれる水主の足並柳にもつれ、芦間の螢飛びかふけしき、時鳥(ほととぎす)の一声に月清(す)みわたり、流水溶々として河風凛々たるに、船より船に酒うる声驚忽として人々眠りを覚ます頃、初雁のかりかりに千鳥なく霜寒き夜、みなこの三島江の風流にしていづれか和歌の種ならぬはなし。
「万葉」
三島江の入江のこもをかりにこそ我をば君は思ひたりけり 読人しらず
「拾遺」
三しま江の玉江の薦(こも)をしめしよりおのがとぞ思ふいまだ刈らねど 柿本人丸
■三島江渡口
島上郡三島江村より河州茨田郡出口村の岸へ淀川をわたす舟わたしなり、出口のわたしとも云ふ。渡の長さ二百十間と云ふ。
■三島鴨神社
三島江村にあり。「延喜式」に出づ。唐崎・西面(さいめ)・柱本等の生土神(うぶすな)なり。当社は伊予の三しま・伊豆の三しま、これを三箇の三島といふなり。
祭神事代主命(ことしろぬしのみこと)(末社五座、本社の左右に列す。当社はいにしへ堤の上にあり、その時の標石今社前にあり。文字摩滅して分明ならず。)
「風土記」云く、「御島神社は大山積命(おほやまつみのみこと)なり。難波高津宮の御宇、この神百済国より渡来したまひ、津国御島に坐(いま)す」と云々。
片葉芦(かたはのあし)当社の神籬(かみがき)に多し。一説に、川辺の芦は流れにつれて自然と片葉となり、またその性をうけて芽立より方葉を生ずるもの多し。この地もいにしへ川岸なれば、その性をつたへて今に生ずるなるべし。これ風土の奇なり。
■玉川
三島江村の西の方、西面(さいめ)村の田畔(あぜ)の中にあり。名所六(むつ)の玉川のその一なり。土人云く、中秋の月、この流水にうつる時は、そのかげ二つに見ゆるとぞ。
和歌には玉川の里を多く詠めり。卯花・時鳥・擣衣(とうい)・月・萩・氷柱・氷・霰(あられ)等よみ合はせなり。
「風雅」
時しらぬ里は玉川いつとてか夏の垣根をうづむ白雪 定家
「後拾」
見わたせば波の柵(しがらみ)かけてより卯の花咲ける玉川の里 相模
「千載」
松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川のさと 俊頼
次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の三島江付近を見てみましょう。手前が北で、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の上部・左端に「いかゝむら」の文字が見えます。伊加賀は枚方宿の南端に当たります。中央部奥に「光善寺」、右手に「出口」「一里塚」「松がはな」があります。淀川沿いの京街道には大名行列の姿が描かれています。絵の手前側が淀川の右岸で、左端から「芥川」「三しま」「柱本」のラベルが見えます。
「よと川の図」の三島江付近(大阪くらしの今昔館蔵) |
江戸時代末期の大坂の名所を3人の絵師が描いた「浪花百景」に、100枚の中で最北端、最東端に位置する地として、高槻市の淀川沿いにある「三嶋江」が描かれています。
■三嶋江(国員画)
三嶋江は古来万葉集にも「淀の玉江」として歌枕に詠まれた著名な当地は、淀川中流の要港として、対岸の枚方との渡しにより北摂と北河内をも結ぶ交通の結節点でした。江戸時代にはここで酒や寒天などの高槻城下の特産品が積み出され、富田、芥川、茨木などと結んで物資を揚げ降ろしする過書船が多く出入りしました。
また能勢妙見山や神峰山寺への参詣者も三十石船などを利用して乗り入れたので、岸には荷船問屋や酒飯を提供する茶屋などが軒を連ねて賑わいました。
現在は陸上交通の発達と、護岸の整備によって昔日の面影を留めませんが、享和元年(1801)建立の石標と明和2年(1765)奉納の妙見灯籠は今も現地に残っています。
浪花百景「三嶋江(国員画)」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
三島江の鴨神社は、摂津名所図会にも描かれています。
摂津名所図会「玉川 三嶌鴨神社」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
玉川は数々の歌に詠まれ、流水に映る仲秋の月影がふたつに見えるとされました。畔に鎮座する三島鴨神社は、本文には、伊予、伊豆の三島神と並び称されています。
地形図で三島江付近の様子をみてみましょう。明治41年陸地測量部地図を見ると、淀川の右岸(高槻市側)には、川沿いから内陸に向けて三島江、西面、目垣の集落が並び、「三箇牧村」の地名が見えます。対岸の左岸枚方市側には出口、中村、中振の集落があります。集落の周辺には水田が拡がっています。
明治42年陸地測量部地図 (今昔マップ3より) |
国土地理院地図に「明治時代の低湿地」という図があり、明治20年ころの河川や池、水田などの様子がわかります。このあたりは淀川の川筋はほとんど変わっていません。図の中央「+印」が三島江の位置です。現在では西側を新幹線が通過しているほかには、鉄道や幹線道路もなく、とても便利とは言えない立地ですが、江戸時代、鉄道のなかった時代には、淀川の水運と、摂津と北河内を結ぶ拠点として恵まれた立地にありました。
国土地理院地図(明治時代の低湿地) |
錦絵の解説にある、高槻、富田、茨木と三島江の位置関係を、今昔マップを利用して明治41年陸地測量部地図で見てみましょう。芥川は西国街道の高槻最寄りの宿場町です。当時の物流は水運だったことを考えると、三島江が集積地であったことが肯けます。
三島江の位置(明治41年・今昔マップより) |
次に、今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
1枚目は、大塚から柱本にかけての広域を表示しています。淀川右岸には堤防上が道路となっており、図の中央やや上寄りが三島江です。その左下、大きな文字で「三嶋」とあるのは郡の名前で、文字の下の集落は柱本です。
右側の地理院地図では、赤い線の道路は国道、黄色は府道を示しています。左岸には淀川近くを1号線、内陸側に170号線が通っています。地図の左下淀川新橋は府道となっています。右岸は国道171号線が通っていますが、山裾を通るため地図には入っていません。
今昔マップより三島江付近広域(大塚~柱本) |
2枚目は、三島江付近を拡大して表示しています。
淀川右岸の堤防上の道路からすぐ西側に三島江の集落があり、明治時代は堤防のすぐ東を淀川が流れていました。現在では川筋は中央部を流れ、東西両側に幅広い河川敷があり、公園となっています。
今昔マップより三島江付近 |
今昔マップ3は、4つの時代を比較する4画面という使い方もできます。明治41年以降、現在までの三島江付近の変遷を見てみます。
左上の明治41年、右上の昭和4年では、いくつかの集落以外はほとんどが水田でした。
明治41年から最近の地形図 (今昔マップ3より) |
左下の昭和42年を見ると、三島江の西を新幹線が通過しています。対岸の枚方市側と比べると市街地化が進んでいません。
右下は最新の地理院地図ですが、三島江の南の柱本には住宅団地が建設されていますが、三島江では一部に工場の建設が見られるものの、水田も多く残っています。
今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「三嶋江」をご紹介しました。
〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
こちらからどうぞ。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo
ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。
〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
【令和3年 4月25日(日)~5月31日(月)】
新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月31日(月)までの間、臨時休館しています。
〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています
会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
4月25日(日)~5月31日(月)まで臨時休館
大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。
【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
こちらからどうぞ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk
企画展「重岡良子 花鳥画展-刻を紡ぐ- 」の動画第2弾として、会場の風景と作品を作者の言葉の抜粋とともに紹介されています。
【作者の言葉から】重岡良子 花鳥画展 -刻を紡ぐ-
https://www.youtube.com/watch?v=rzOhEpV-mys
〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw
〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
こちらからどうぞ。
⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf
〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
⇒http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf
このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be
また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
こちらからご覧ください。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
企画展「重岡良子 花鳥画展-刻を紡ぐ- 」の動画第2弾として、会場の風景と作品を作者の言葉の抜粋とともに紹介されています。
【作者の言葉から】重岡良子 花鳥画展 -刻を紡ぐ-
https://www.youtube.com/watch?v=rzOhEpV-mys
喜雨滴る |
あお麦風々 |
桜東風 |
朝露涼夏 |
ランプシェード |
〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw
〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
こちらからどうぞ。
⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf
〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
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このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be
また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
こちらからご覧ください。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
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「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
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初めての方はこちらからどうぞ。
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