琵琶湖から大阪湾へと流れる淀川は、人の流れ、物の流れを担う交通の大動脈として機能してきただけでなく、人々の暮らしと深く関わり、政治・経済・文化にも大きな影響を与えてきました。
「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
今回は「大塚」をご紹介します。大塚は枚方の対岸に位置し、大塚の渡しで結ばれていました。大塚からは、三矢の渡しともいわれます。
■大塚
この大塚の対岸は枚方で、あの有名な「くらわんか船」のテリトリーでした。
大塚の地名について、本文は次のように解説しています。
≪村中に塚あり、大塚どのといふ。実は王塚なりとぞ。その姓名詳らかならず。≫
村の中に塚があり、それが王の塚であるため、大塚となったといいます。ただし、いずれの王にかかわる墳墓であるかは不明であるとのことです。
ここ大塚は、対岸の枚方へ渡るための船着き場でもありました。
≪島上郡大塚より河州茨田郡枚方駅三矢に淀川をわたす舟わたしなり。ゆゑに三矢のわたしともいふ。渡の長さ二百八十間といふ。この地の向かふは枚方の駅なれば、名物の貨食船(にうりふね)漕ぎよせて上下の船客に酒飯を商ふ。俗に喰(くら)はんか船といふ。≫
渡しの長さは二百八十間(500m強)あったとありますから、この上流下流にあった渡しよりも長い距離を漕がなければなりません。それにもかかわらず、枚方のくらわんか船が右岸の大塚にまで来ていました。挿絵を見ると、中央を進む三十石船に、小判鮫のようにぬかりなく寄り添うくらわんか舟が描かれています。もう一艘、絵の左側に煙を立てて三十石船に近づこうとするくらわんか舟も描かれています。
絵の中央には、堤を駆ける男が二人。大塚の渡しから対岸の枚方へ向かおうとしているようです。すでに岸から離れようとしている渡し舟の船頭は、「しゃあないなあ。」と岸に戻ろうとしています。
絵の右上の解説は、次のとおりです。
のぼり船の水主(かこ)等は大塚の下より上りて三町ばかり曳き上る。檜尾川より船にうつりて、またさし上るなり。
絵の左側に堤防の上を前のめりになって綱を引く五人の姿が描かれていますが、綱の先には三十石船があることが、絵には入っていなくてもわかるということでしょう。
賛は次の和歌です。
伏見より淀の河瀬をすむ月に のりて下るが面白きかな 景樹
先に「伏見船宿」のところで紹介した「三十石夜船の行」と題した漢詩のなかでも、大塚辺りにさしかかったところで、例によってくらわんか船の描写があります。
「三十石夜船の行」 王震起
船宿相ひ連なる京橋の傍
目印の行燈軒ごとに行(つら)なる
登るあり下るあり三十石
(中略)
(左ページの3行目より)
風与(ふと)見得たり隣に寝る孀(ごけ)
月影に賺窺(すかしみ)て胸ほとんど躁(さわ)ぐ
年頃盛りを過ぐれども器量好し
一向に留め難し息子の勢ひ
分別無く起って竊(ひそ)かに裳(もすそ)を搴(まく)れば
机上急に呼びて雷の落つるが如し
愕(びっくり)手を引きて首を挙げて望めば
起きよ、起きよ、寝惚けの輩(やつら)
餅を沽(か)へ、酒を飲め、牛蒡を喰へ
追々目を醒まして何ぞ負けて居ん
横平に買ひ取りて空腹(すきばら)を助け
傍若無人に悪口吐く
法外の雑言惶(おそる)るに足らず
惜しいかな、已に大事の処に到って
田舎の百姓無下に妨げしを
其の跡往き難く寝も就(な)らず
野暮な風を為して故郷を思ふ
喜びに堪へたり、霧暗(やみ)にして人の見る無きを
一夜の懇切互ひに忘れず
陸(おか)に上りて蜘蛛の子を散らすが如く
右往左往四方に去る
女中久しく小便を忍(こら)へるによって
八軒家の頭(ほとり)、雪隠長し
狭い船内で乗客が寝込んでいる中に、隣に年増だけれどもなかなか器量の良い女の客が寝ているのを見つけ色欲が湧き、月影を頼りにその女性の着物の裾をめくろうとした矢先に、くらわんか船の大声で叩き起こされ、驚いて手を引っ込めた。酒飯を買い腹は癒したものの残念がる男の気持ちをユーモアたっぷりに歌っています。
最後のくだりも、「八軒家の上陸後は、船中で小便をこらえていたので、トイレに長い行列ができている。」で締めています。
本文の解説は次のとおりです。
■大塚
深沢村の下にあり。村中に塚あり、大塚どのといふ。実は王塚なりとぞ。その姓名詳らかならず。
■大塚渡口
島上郡大塚より河州茨田郡枚方駅三矢に淀川をわたす舟わたしなり。ゆゑに三矢のわたしともいふ。渡の長さ二百八十間といふ。
この地の向かふは枚方の駅なれば、名物の貨食船(にうりふね)漕ぎよせて上下の船客に酒飯を商ふ。俗に喰(くら)はんか船といふ。
狂歌
商ひにへつらひもなく言葉まで実(げ)にげんきんな喰(くら)はんか船
同
乗合の夢のただ中獏さへも喰(くら)はんかとて呼びさますふね
■番田
大塚村の下にあり。冠村より当村まで水上およそ十三丁余と云ふ。
このあと
■高槻城
■野見神社
■芥川
の解説があり、上巻が終わります。
次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の大塚付近を見てみましょう。手前が北で、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の上部・右寄りに「枚方駅」が描かれ、中央付近に「御本陣」左はしに「新まち村」の文字が見えます。ここが枚方宿の北の端に当たります。
絵の手前側が淀川の右岸で、左端に「道斎」の文字が見えます。前回も説明しましたが、道斎は鵜殿の別名でしたので、ラベルの張り間違いで、位置的にはこのあたりが「大塚」になります。右下の文字も「三矢村」と読めますが、三矢村は対岸の枚方にありますから、これもラベルの張り間違いと考えられます。淀川には枚方側に三十石船が、左手前には渡し舟が、右手前には帆を下ろした帆船が集団で描かれています。
大塚付近の様子を地形図で見てみましょう。今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
1枚目は、前嶋から大塚にかけての広域を表示しています。淀川右岸には堤防上が道路となっており、川沿いにまとまった集落が見えるところが大塚です。
右側の地理院地図では、赤い線の道路は国道、黄色は府道を示しています。高槻市と枚方市を結ぶ枚方大橋は、国道170号線となっています。
2枚目は、大塚付近を拡大して表示しています。
淀川右岸の堤防上の道路から西へ降りたところが大塚で、集落の南端から対岸の枚方との間に渡し船があります。当時は、枚方の宿場町のすぐそばを淀川が流れていたことがわかります。右側の地理院地図を見ると、淀川左岸には河川公園が整備され、川の流れは北に寄せられています。
今から100年少し前の大正6年(1917年)、淀川大塚地区(現在の高槻市大塚町)の堤防が200メートルにわたって決壊し、右岸一帯に甚大な被害をもたらしました。この洪水を、「淀川大塚切れ」と呼びます。
淀川では、明治18年(1885年)の大水害を受けて日本で最初の近代治水工事「淀川改良工事」が明治29年(1896年)~明治43年(1910年)まで実施されました。
しかし、大正6年9月27日から10月1日午後10時にかけて烈風が続いて大雨が降り、淀川支川の芥川が決壊。 その後、淀川本川右岸大塚堤防(現在の高槻市大塚町)が約200メートルに渡って決壊しました。付近はたちまち泥海となり、淀川右岸の最下流部である西成郡(現在の大阪市西淀川区福町付近)まで到達しました。
決壊箇所のうち、西成郡福、稗島の地区は、洪水の排出場所が無かったため、淀川改良工事によって完成したばかりの堤防をわざと切断して放流しました(これを「わざと切れ」という)。
「大塚切れ」の惨禍を今に伝えるとともに、自然災害に対する警鐘として昭和5年(1930)10月に大塚町3丁目の淀川堤防に「洪水記念碑」が、また、西淀川区福町の堤防をわざと切って淀川に流し出した地点には「大塚切れ洪水碑」が建立されています。
今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「大塚」をご紹介しました。
〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
こちらからどうぞ。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo
ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。
〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
【令和3年 4月25日(日)~5月31日(月)】
新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月31日(月)までの間、臨時休館しています。
〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています
会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
4月25日(日)~5月31日(月)まで臨時休館
大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。
【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
こちらからどうぞ
■大塚
この大塚の対岸は枚方で、あの有名な「くらわんか船」のテリトリーでした。
大塚の地名について、本文は次のように解説しています。
≪村中に塚あり、大塚どのといふ。実は王塚なりとぞ。その姓名詳らかならず。≫
村の中に塚があり、それが王の塚であるため、大塚となったといいます。ただし、いずれの王にかかわる墳墓であるかは不明であるとのことです。
ここ大塚は、対岸の枚方へ渡るための船着き場でもありました。
≪島上郡大塚より河州茨田郡枚方駅三矢に淀川をわたす舟わたしなり。ゆゑに三矢のわたしともいふ。渡の長さ二百八十間といふ。この地の向かふは枚方の駅なれば、名物の貨食船(にうりふね)漕ぎよせて上下の船客に酒飯を商ふ。俗に喰(くら)はんか船といふ。≫
淀川両岸一覧下船之巻「大塚」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
渡しの長さは二百八十間(500m強)あったとありますから、この上流下流にあった渡しよりも長い距離を漕がなければなりません。それにもかかわらず、枚方のくらわんか船が右岸の大塚にまで来ていました。挿絵を見ると、中央を進む三十石船に、小判鮫のようにぬかりなく寄り添うくらわんか舟が描かれています。もう一艘、絵の左側に煙を立てて三十石船に近づこうとするくらわんか舟も描かれています。
絵の中央には、堤を駆ける男が二人。大塚の渡しから対岸の枚方へ向かおうとしているようです。すでに岸から離れようとしている渡し舟の船頭は、「しゃあないなあ。」と岸に戻ろうとしています。
絵の右上の解説は、次のとおりです。
のぼり船の水主(かこ)等は大塚の下より上りて三町ばかり曳き上る。檜尾川より船にうつりて、またさし上るなり。
絵の左側に堤防の上を前のめりになって綱を引く五人の姿が描かれていますが、綱の先には三十石船があることが、絵には入っていなくてもわかるということでしょう。
賛は次の和歌です。
伏見より淀の河瀬をすむ月に のりて下るが面白きかな 景樹
先に「伏見船宿」のところで紹介した「三十石夜船の行」と題した漢詩のなかでも、大塚辺りにさしかかったところで、例によってくらわんか船の描写があります。
淀川両岸一覧下船之巻「三十石夜船の行」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
「三十石夜船の行」 王震起
船宿相ひ連なる京橋の傍
目印の行燈軒ごとに行(つら)なる
登るあり下るあり三十石
(中略)
(左ページの3行目より)
風与(ふと)見得たり隣に寝る孀(ごけ)
月影に賺窺(すかしみ)て胸ほとんど躁(さわ)ぐ
年頃盛りを過ぐれども器量好し
一向に留め難し息子の勢ひ
分別無く起って竊(ひそ)かに裳(もすそ)を搴(まく)れば
机上急に呼びて雷の落つるが如し
愕(びっくり)手を引きて首を挙げて望めば
起きよ、起きよ、寝惚けの輩(やつら)
餅を沽(か)へ、酒を飲め、牛蒡を喰へ
追々目を醒まして何ぞ負けて居ん
横平に買ひ取りて空腹(すきばら)を助け
傍若無人に悪口吐く
法外の雑言惶(おそる)るに足らず
惜しいかな、已に大事の処に到って
田舎の百姓無下に妨げしを
其の跡往き難く寝も就(な)らず
野暮な風を為して故郷を思ふ
喜びに堪へたり、霧暗(やみ)にして人の見る無きを
一夜の懇切互ひに忘れず
陸(おか)に上りて蜘蛛の子を散らすが如く
右往左往四方に去る
女中久しく小便を忍(こら)へるによって
八軒家の頭(ほとり)、雪隠長し
狭い船内で乗客が寝込んでいる中に、隣に年増だけれどもなかなか器量の良い女の客が寝ているのを見つけ色欲が湧き、月影を頼りにその女性の着物の裾をめくろうとした矢先に、くらわんか船の大声で叩き起こされ、驚いて手を引っ込めた。酒飯を買い腹は癒したものの残念がる男の気持ちをユーモアたっぷりに歌っています。
最後のくだりも、「八軒家の上陸後は、船中で小便をこらえていたので、トイレに長い行列ができている。」で締めています。
本文の解説は次のとおりです。
■大塚
深沢村の下にあり。村中に塚あり、大塚どのといふ。実は王塚なりとぞ。その姓名詳らかならず。
■大塚渡口
島上郡大塚より河州茨田郡枚方駅三矢に淀川をわたす舟わたしなり。ゆゑに三矢のわたしともいふ。渡の長さ二百八十間といふ。
この地の向かふは枚方の駅なれば、名物の貨食船(にうりふね)漕ぎよせて上下の船客に酒飯を商ふ。俗に喰(くら)はんか船といふ。
狂歌
商ひにへつらひもなく言葉まで実(げ)にげんきんな喰(くら)はんか船
同
乗合の夢のただ中獏さへも喰(くら)はんかとて呼びさますふね
■番田
大塚村の下にあり。冠村より当村まで水上およそ十三丁余と云ふ。
このあと
■高槻城
■野見神社
■芥川
の解説があり、上巻が終わります。
次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の大塚付近を見てみましょう。手前が北で、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の上部・右寄りに「枚方駅」が描かれ、中央付近に「御本陣」左はしに「新まち村」の文字が見えます。ここが枚方宿の北の端に当たります。
絵の手前側が淀川の右岸で、左端に「道斎」の文字が見えます。前回も説明しましたが、道斎は鵜殿の別名でしたので、ラベルの張り間違いで、位置的にはこのあたりが「大塚」になります。右下の文字も「三矢村」と読めますが、三矢村は対岸の枚方にありますから、これもラベルの張り間違いと考えられます。淀川には枚方側に三十石船が、左手前には渡し舟が、右手前には帆を下ろした帆船が集団で描かれています。
「よと川の図」の大塚付近(大阪くらしの今昔館蔵) |
大塚付近の様子を地形図で見てみましょう。今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
1枚目は、前嶋から大塚にかけての広域を表示しています。淀川右岸には堤防上が道路となっており、川沿いにまとまった集落が見えるところが大塚です。
右側の地理院地図では、赤い線の道路は国道、黄色は府道を示しています。高槻市と枚方市を結ぶ枚方大橋は、国道170号線となっています。
今昔マップより前嶋付近広域(前嶋~大塚) |
2枚目は、大塚付近を拡大して表示しています。
淀川右岸の堤防上の道路から西へ降りたところが大塚で、集落の南端から対岸の枚方との間に渡し船があります。当時は、枚方の宿場町のすぐそばを淀川が流れていたことがわかります。右側の地理院地図を見ると、淀川左岸には河川公園が整備され、川の流れは北に寄せられています。
今昔マップより大塚付近 |
今から100年少し前の大正6年(1917年)、淀川大塚地区(現在の高槻市大塚町)の堤防が200メートルにわたって決壊し、右岸一帯に甚大な被害をもたらしました。この洪水を、「淀川大塚切れ」と呼びます。
淀川では、明治18年(1885年)の大水害を受けて日本で最初の近代治水工事「淀川改良工事」が明治29年(1896年)~明治43年(1910年)まで実施されました。
しかし、大正6年9月27日から10月1日午後10時にかけて烈風が続いて大雨が降り、淀川支川の芥川が決壊。 その後、淀川本川右岸大塚堤防(現在の高槻市大塚町)が約200メートルに渡って決壊しました。付近はたちまち泥海となり、淀川右岸の最下流部である西成郡(現在の大阪市西淀川区福町付近)まで到達しました。
200メートルにわたって決壊した堤防 (淀川河川事務所ホームページより) |
決壊箇所のうち、西成郡福、稗島の地区は、洪水の排出場所が無かったため、淀川改良工事によって完成したばかりの堤防をわざと切断して放流しました(これを「わざと切れ」という)。
わざと切れの図(淀川河川事務所ホームページより) |
「大塚切れ」の惨禍を今に伝えるとともに、自然災害に対する警鐘として昭和5年(1930)10月に大塚町3丁目の淀川堤防に「洪水記念碑」が、また、西淀川区福町の堤防をわざと切って淀川に流し出した地点には「大塚切れ洪水碑」が建立されています。
洪水記念碑(高槻市ホームページより) |
今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「大塚」をご紹介しました。
〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
こちらからどうぞ。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo
ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。
〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
【令和3年 4月25日(日)~5月31日(月)】
新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月31日(月)までの間、臨時休館しています。
〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています
会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
4月25日(日)~5月31日(月)まで臨時休館
大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。
【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
こちらからどうぞ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk
企画展「重岡良子 花鳥画展-刻を紡ぐ- 」の動画第2弾として、会場の風景と作品を作者の言葉の抜粋とともに紹介されています。
【作者の言葉から】重岡良子 花鳥画展 -刻を紡ぐ-
https://www.youtube.com/watch?v=rzOhEpV-mys
〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw
〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
こちらからどうぞ。
⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf
〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
⇒http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf
このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be
また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
こちらからご覧ください。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
企画展「重岡良子 花鳥画展-刻を紡ぐ- 」の動画第2弾として、会場の風景と作品を作者の言葉の抜粋とともに紹介されています。
【作者の言葉から】重岡良子 花鳥画展 -刻を紡ぐ-
https://www.youtube.com/watch?v=rzOhEpV-mys
喜雨滴る |
あお麦風々 |
桜東風 |
朝露涼夏 |
ランプシェード |
〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw
〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
こちらからどうぞ。
⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf
〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
⇒http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf
このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be
また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
こちらからご覧ください。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
0 件のコメント:
コメントを投稿