2019年3月26日火曜日

今週の今昔館(156) 毛馬 20190326

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(61)

 今回は、「毛馬」をご紹介します。

■毛馬(芳雪画)
  淀川は市中に向かって南下すると、人々は親しみを込めて大川と呼びました。
 淀川が中津川を分岐して大きく湾曲するところの左岸に位置する毛馬は、対岸の長柄と毛馬の渡しで結ばれていました。
 錦絵には、淀川を遡る三十石船が描かれていますが、「淀川両岸一覧」によると、上り船の場合、天満川崎で水主(かこ)数人が上陸し、そこから右岸の木村堤を長柄三頭まで人力で曳き上げ、ここで対岸の毛馬に渡って赤川まで曳き、さらに右岸に渡って柴島(くにじま)から江口まで曳き上げたといわれます。三十石船は京へ上るときには1日をかけるという長閑な旅でした。その旅客を目当てに酒や餅を売る煮売り船がたくさん出ていました。
 また当地は俳画と俳諧に足跡を残した与謝蕪村の生誕地といわれます。毛馬の堤を詠った「春風馬提曲」には蕪村の望郷の念が偲ばれます。

浪花百景「毛馬(芳雪画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」、天保8年(1837)発行の「天保新改攝州大坂全圖」では、淀川と中津川の分岐点の左岸に位置する毛馬村は地図の範囲に入っていません。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)
天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 文化3年発行の増修改正摂州大阪地図を見てみましょう。淀川が中津川と大川に分かれる分岐点の東側(左岸)に毛馬村があります。分岐点から北へ砂洲が伸びており、「三つ頭」の文字が見えます。

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)


 大正13年発行の大阪市パノラマ地図は、当時の大阪市域が地図の範囲となっており、大川は都島橋から南が描かれています。淀川と中津川の分岐点の左岸に位置する毛馬村は地図の範囲に入っていません。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、淀川改良工事によって新淀川が完成し、毛馬閘門が建設されて川の流れが大きく変わっています。この大工事によって毛馬村は新淀川の川底となりました。
 洗堰によって市内中心部への水害を防ぐとともに、閘門によって船が新淀川から大川、中津運河の間を行き来することができました。新淀川には長柄橋と新京阪電車(現在の阪急千里線)の橋梁が架けられています。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 地形図で確認してみましょう。明治18年の陸地測量部地図を見ると、毛馬村と柴島村の間に中洲があり、その下流部で淀川から中津川が分岐しています。村のまわりは、ほとんどが田畑です。

明治18年陸地測量部地図
(国際日本文化研究センター蔵)

 明治42年陸地測量部地図を見ると、竣工間近の新淀川の姿が描かれ、毛馬の閘門や洗堰が確認できます。毛馬村の大半は新淀川の堤防の内側になり、河川敷や川底となりました。村は堤防の南側に移転することとなりました。

明治42年陸地測量部地図
(今昔マップ3より)

 現在の地形図に、明治20年代の川筋を重ねた地図です。濃い水色が旧淀川、薄い水色が新淀川です。うすい黄色は当時の水田を示しています。川筋が大きく変わったことがわかります。新淀川の堤防の内側の白い部分(毛馬町(四)の北側)が旧毛馬村に当たります。

国土地理院地図(明治時代の低湿地)

 今昔マップ3を利用して、その後の毛馬閘門付近の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、新しい淀川の南側に移転後の毛馬村が見えます。そのまわりはほとんどが田畑でした。新淀川に長柄橋が架かっています。
 右上の昭和4年では、毛馬町の東に天満織物工場ができ、新設された道路沿いに家屋が並び、市街地化が始まっています。淀川に毛馬橋が架けられ、友渕町にも鐘紡工場や家屋が見えます。城東貨物線が通り、赤川鉄橋が架けられています。長柄橋と並行して新京阪(現在の阪急千里線)が通っています。

明治41年から最近の地形図
(今昔マップ3より)

 左下の昭和22年を見ると、毛馬町と友渕町の間に城北運河が建設されています。
 右下は最近の国土地理院地図ですが、新淀川に淀川大堰ができ、毛馬の閘門が改修されています。毛馬橋が拡幅され城北公園通が通っています。城北運河の上空を阪神高速道路森小路線が通っています。

 現在の毛馬閘門付近の状況を写真で見てみましょう。1枚目は現在の新淀川の堤防、ここから下流は禁漁区となっています。右後方に毛馬閘門が見えます。2枚目は堤防上にある与謝蕪村の句碑「春風や 堤長うして 家遠し」です。蕪村生誕地の石碑もあります。3枚目は、現在の毛馬閘門です。

現在の新淀川堤防、右後方に毛馬閘門
与謝蕪村の句碑
現在の毛馬閘門

 現在の毛馬閘門の西側(下流部・大川右岸)に、明治42年の淀川大改修の際に建設されたかつての毛馬閘門が土木遺産として保存され、重要文化財に指定されています。

かつての毛馬閘門
かつての毛馬閘門
かつての毛馬閘門

 毛馬閘門の下流部(大川左岸)に蕪村公園があり、公園内の遊歩道に沿って蕪村の句碑が配置されています。

蕪村公園
蕪村公園の句碑
蕪村公園の句碑

 城北運河に架かる歩行者自転車専用橋には、蕪村に因んで「はるかぜ橋」の名前が付けられています。

はるかぜ橋、左後方に毛馬閘門
はるかぜばし


 今回は、「浪花百景」の「毛馬(芳雪画)」をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、大大阪時代に入る頃の大阪の姿をご覧ください。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「モダン都市大阪の記憶」開催中です
 2019年3月2日(土)~4月7日(日)
 残りわずかとなりました。


 今も昔も、大阪は魅惑的なビジュアルに満ちています。美しくパッケージされた商品、目を引く広告パンフレット、凝ったディスプレイ、豪華な百貨店建築、橋や道路、地下鉄などの都市基盤も含め、それらは形態、形象、記号の宝庫であり、往時のグラフィックからは華やかな時代の息吹が感じられます。
 本展では、橋爪節也氏のコレクションから、明治~昭和期の絵画・チラシ・ポスター・雑誌などを紹介し、当時の写真とともに近代大阪を振り返ります。百貨店、劇場、花街、交通など、さまざまな見所を持つモダン大阪を、グラフィックをたよりにそぞろ歩いてみませんか。


《口紅》北野恒富 (大正6~7年)
「だいまる」 (昭和2年3月号)
「TOURIST MAP OF OSAKA」(昭和11年)
「⼤阪遊覧乗合⾃動⾞」(昭和初期)

〇今週のイベント・ワークショップ

3月27日(水)~30日(土)、4月1日(月)、3日(水)~6日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

3月31日(日)、4月7日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00



3月31日(日)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!
大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演:笑福亭伯枝、桂出丸
14時~15時

4月7日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00




そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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