2019年4月2日火曜日

今週の今昔館(157) 柴島晒堤 20190402

〇大阪くらしの今昔館は、4月8日から12日まで展示替えのため休館となります。ご注意ください。


〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(62)

 今回は、「柴島晒堤」をご紹介します。柴島と書いて「くにじま」と読みます。大阪の難読地名のひとつです。

■柴島晒堤(国員画)
 柴島(くにじま)は、淀川と中津川との分岐点の北岸に位置します。麻や木綿の布を白くした晒は、灰什を加え、天日にさらすことを何度も繰り返すという手間のかかる作業が必要とされます。柴島は豊富で澄んだ水と良好な日照、加えて美しい芝生の土手が広がる晒造りに最適な土地柄で、奈良晒に劣らぬ品質を誇った柴島晒の一大名産地として知られました。淀川堤一帯に木綿を並べ敷いて乾し晒す様は、まるで雪が降り積もったかのごとく絶景で、目にもまぶしく、舟行の人々にもその風情を愛でられ、晒堤の異名をとりました。
 大阪市内の人口増加にともない、大阪城内の貯水池では能力不足となったため、明治41年(1908)から大正3年(1914)にかけて6年余りの歳月を費やして建設された柴島浄水場は当時東洋一の規模を誇り、淀川の豊かな水は浄水場を通して市民に給水されています。

浪花百景「柴島晒堤(国員画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 今回はまず、地形図で柴島周辺の様子を確認してみましょう。明治18年の陸地測量部地図を見ると、淀川右岸には濱村、薬師堂村、柴島村があり、高槻街道が通っています。街道の東側の河川敷が晒堤として利用されていました。
 村の西側を走る線路は、当時は国営鉄道でしたがその後移設され、現在は阪急京都線になっています。村のまわりは、ほとんどが田畑でした。

明治18年陸地測量部地図
(国際日本文化研究センター蔵)

 明治42年陸地測量部地図を見ると、竣工間近の新淀川の姿が描かれ、淀川の川筋が大きく変わりました。

明治42年陸地測量部地図
(今昔マップ3より)

 現在の地形図に、明治20年代の川筋を重ねた地図です。濃い水色が旧淀川、薄い水色が新淀川です。うすい黄色は当時の水田を、濃い緑色は荒地を示しています。川筋が大きく変わり、柴島の南側の河川敷が大きく削られたことがわかります。

国土地理院地図(明治時代の低湿地)

 今昔マップ3を利用して、明治41年以降の柴島周辺の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、薬師堂村は新しい淀川の川床になり、亀岡街道(高槻街道)は新しい川沿いに付け替えられ、長柄橋で左岸と結ばれています。
 右上の昭和4年では、柴島の西側に大阪市浄水所が建設され、その間を新京阪電車(現在の阪急千里線)が通っています。くにじま駅ができ、柴島町、濱町の文字が見えます。

明治41年から最近の地形図
(今昔マップ3より)

 左下の昭和22年を見ると、浄水場の北側は戦災によって被害を受けています。
 右下は最近の国土地理院地図ですが、新淀川に淀川大堰ができています。淀川河川敷はゴルフ場として利用されています。

 柴島は地図の範囲に入っていませんが、いつもご紹介している地図の北の端を掲載しておきます。

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」、天保8年(1837)発行の「天保新改攝州大坂全圖」では、淀川と中津川の分岐点よりも北に位置する柴島村は地図の範囲に入っていません。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)
天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 文化3年発行の増修改正摂州大阪地図を見てみましょう。淀川が中津川と大川に分かれる分岐点の東側(左岸)に毛馬村がありますが、対岸の右岸は、濱村、薬師堂村の記載はありますが、柴島村はありません。

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図は、当時の大阪市域が地図の範囲となっており、大川は都島橋から南が描かれています。淀川と中津川の分岐点よりも北に位置する柴島は地図の範囲に入っていません。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、淀川改良工事によって新淀川が完成し、毛馬閘門が建設されて川の流れが大きく変わっています。この大工事によって薬師堂村と濱村の一部は新淀川の河川敷となりました。図中に「薬師堂町」の文字が見えます。濱町の「町」も河川敷にあります。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)


 現在の柴島付近の状況を写真で見てみましょう。柴島というと一番よく知られているのは浄水場でしょうか。1枚目から3枚目は浄水場の南端に位置する水道記念館です。

水道記念館
水道記念館
水道記念館

 柴島の南には長柄橋、淀川大堰があります。

長柄橋、左が本線、右はバイパス
阪急千里線と長柄橋
淀川大堰、左奥に毛馬閘門

 柴島晒堤があった淀川河川敷は現在はゴルフ場になっています。

淀川河川敷のゴルフ場
淀川河川敷のゴルフ場

 柴島歩道橋を渡って柴島のまちに出ると、柴島神社があり境内に柴島晒ゆかりの地の石碑と案内板があります。

柴島歩道橋
柴島神社
柴島晒ゆかりの地の石碑と案内板
柴島晒ゆかりの地の案内板

 阪急電車の柴島駅北側には淀川キリスト教病院があり、駅周辺では、現在連続立体化工事が進められています。

阪急千里線では連続立体化の工事中

 今回は、「浪花百景」の「柴島晒堤(国員画)」をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、大大阪時代に入る頃の大阪の姿をご覧ください。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「モダン都市大阪の記憶」開催中です
 2019年3月2日(土)~4月7日(日)
 残りごくわずか、今週いっぱいとなりました。


 今も昔も、大阪は魅惑的なビジュアルに満ちています。美しくパッケージされた商品、目を引く広告パンフレット、凝ったディスプレイ、豪華な百貨店建築、橋や道路、地下鉄などの都市基盤も含め、それらは形態、形象、記号の宝庫であり、往時のグラフィックからは華やかな時代の息吹が感じられます。
 本展では、橋爪節也氏のコレクションから、明治~昭和期の絵画・チラシ・ポスター・雑誌などを紹介し、当時の写真とともに近代大阪を振り返ります。百貨店、劇場、花街、交通など、さまざまな見所を持つモダン大阪を、グラフィックをたよりにそぞろ歩いてみませんか。


《口紅》北野恒富 (大正6~7年)
「だいまる」 (昭和2年3月号)
「TOURIST MAP OF OSAKA」(昭和11年)
「⼤阪遊覧乗合⾃動⾞」(昭和初期)

〇今週のイベント・ワークショップ

4月3日(水)~6日(土)、8日(月)、10日(水)~13日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

4月7日(日)、14日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00



4月7日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00



4月13日(土)
町家衆イベント ワークショップ『つまみ細工を作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

4月14日(日)
町家衆イベント おじゃみ(有料)

古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00-16:00



そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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