2021年5月26日水曜日

今週の今昔館(268) 三嶋江 20210526

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(47)

 琵琶湖から大阪湾へと流れる淀川は、人の流れ、物の流れを担う交通の大動脈として機能してきただけでなく、人々の暮らしと大きく関わり、政治・経済・文化にも大きな影響を与えてきました。

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
 今回は「三嶋江」をご紹介します。三嶋江は淀川中流の要港として、対岸の枚方との渡しにより北摂と北河内をも結ぶ交通の結節点でした。

■三嶋江
 三嶋江の絵は、淀川右岸側、三島江の渡し場のようすを描いています。ここから河内国茨田郡出口へ渡ることから「出口のわたし」とも呼ばれていました。絵の左の舟には「わたし」のキャプション。渡し船が今まさに船着き場に接岸するところです。
 一方、その右手、上流側にはもう一つ川岸へ降りる道があり、船が船体を岸へ寄せています。こちらは大坂と京とを往来する三十石船で、旅人が乗り込もうとする姿が見えます。ここは川辺には茶店が並び、その賑わいは挿絵に描かれているとおりです。

淀川両岸一覧下船之巻「三嶋江」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 本文は次のように解説しています。

≪川辺に茶屋ありて酒飯を商ふ。また船客の勝手によりてこの所より上がるあり、あるいは乗るありて、多くこの岸に舟をつくる、上下ともに同じ。≫

 三島江から北に行けば高槻城下、北西に行けば茨木城下、さらにそれらをつなぐ西国街道が通っています。そのため、ここの岸で三十石船を乗り降りする旅人は多かったことでしょう。

 この辺りは船の往来が多く、夜船なら川筋に櫓拍子に船歌が混じり、川岸の蘆間に蛍が飛び交い、時鳥(ほととぎす)の一声に月が澄み渡り、川風は凛凛と吹くような名勝の地で、さぞかし眺めは風趣に富んだものであったろうと想像できます。
 挿絵中央右手の常夜灯には、妙見宮と刻まれています。妙見宮とは能勢の妙見山を指し、三島江は南の河内方面から船で淀川を渡って参詣に赴く信徒の上陸地でもあったのでしょう。

 絵の上部の賛は、蕉門の俳人である窪田猿雖の句と、源頼家の和歌の二作です。頼家は官位についていたため、作者名には藤原と表記されています。

川淀や 淡をやすむる 芦の角 猿雖

「詞花」
春霞かすめるかたや津の国のほのみしま江のわたりなるらん 藤原頼家

 淀川右岸のこの付近は、三島江や玉川など、歌枕の多い土地でもあります。そのため、本文にも次のように記されています。

≪実にや淀川の流れを帯びて浪花より京師に通ふ船、夜となく昼となく櫓拍子に歌諷(うた)ひて、さし下すあり登るあり。引船の綱長く、あるは綱短く鉄車(かなくるま)をかよふ音涼しく、引きつれる水主の足並柳にもつれ、芦間の螢飛びかふけしき、時鳥(ほととぎす)の一声に月清(す)みわたり、流水溶々として河風凛々たるに、船より船に酒うる声驚忽として人々眠りを覚ます頃、初雁のかりかりに千鳥なく霜寒き夜、みなこの三島江の風流にしていづれか和歌の種ならぬはなし。≫


 下巻の本文は、
■阿久刀(あくとの)神社
■芥川古城
■松永弾正久秀の故居
■鴨神祠(かものしんし)
■津江薬師

から始まります。淀川右岸を上流から下流へとたどるので、「○○の下にあり」という表記がよく出てきます。「○○の下流側にある」という意味になります。

■唐崎(からさき)
 芥川の下にあり。この地は近郷の諸荷物運送の場所にして、問屋・商家しばしばありて賑はしき一村なり。これより高槻へ十八丁。
■三島若宮祠
 唐崎村にあり。祭神八幡・春日。三島江の社の若宮なりといふ。
■三島江
 唐さき村の下にあり。番田村よりこの所まで、水上およそ二十丁といふ。川辺に茶屋ありて酒飯を商ふ。また船客の勝手によりてこの所より上がるあり、あるいは乗るありて、多くこの岸に舟をつくる、上下ともに同じ。この所より大坂まで陸路行程四里。
 この地は、いにしへより三島江あるいは三島江浦・玉江など和歌の名所にして代々の勅撰に多し。実にや淀川の流れを帯びて浪花より京師に通ふ船、夜となく昼となく櫓拍子に歌諷(うた)ひて、さし下すあり登るあり。引船の綱長く、あるは綱短く鉄車(かなくるま)をかよふ音涼しく、引きつれる水主の足並柳にもつれ、芦間の螢飛びかふけしき、時鳥(ほととぎす)の一声に月清(す)みわたり、流水溶々として河風凛々たるに、船より船に酒うる声驚忽として人々眠りを覚ます頃、初雁のかりかりに千鳥なく霜寒き夜、みなこの三島江の風流にしていづれか和歌の種ならぬはなし。
「万葉」
三島江の入江のこもをかりにこそ我をば君は思ひたりけり 読人しらず
「拾遺」
三しま江の玉江の薦(こも)をしめしよりおのがとぞ思ふいまだ刈らねど 柿本人丸

■三島江渡口
 島上郡三島江村より河州茨田郡出口村の岸へ淀川をわたす舟わたしなり、出口のわたしとも云ふ。渡の長さ二百十間と云ふ。
■三島鴨神社
 三島江村にあり。「延喜式」に出づ。唐崎・西面(さいめ)・柱本等の生土神(うぶすな)なり。当社は伊予の三しま・伊豆の三しま、これを三箇の三島といふなり。
 祭神事代主命(ことしろぬしのみこと)(末社五座、本社の左右に列す。当社はいにしへ堤の上にあり、その時の標石今社前にあり。文字摩滅して分明ならず。)
 「風土記」云く、「御島神社は大山積命(おほやまつみのみこと)なり。難波高津宮の御宇、この神百済国より渡来したまひ、津国御島に坐(いま)す」と云々。
 片葉芦(かたはのあし)当社の神籬(かみがき)に多し。一説に、川辺の芦は流れにつれて自然と片葉となり、またその性をうけて芽立より方葉を生ずるもの多し。この地もいにしへ川岸なれば、その性をつたへて今に生ずるなるべし。これ風土の奇なり。
■玉川
 三島江村の西の方、西面(さいめ)村の田畔(あぜ)の中にあり。名所六(むつ)の玉川のその一なり。土人云く、中秋の月、この流水にうつる時は、そのかげ二つに見ゆるとぞ。
 和歌には玉川の里を多く詠めり。卯花・時鳥・擣衣(とうい)・月・萩・氷柱・氷・霰(あられ)等よみ合はせなり。
「風雅」
時しらぬ里は玉川いつとてか夏の垣根をうづむ白雪 定家
「後拾」
見わたせば波の柵(しがらみ)かけてより卯の花咲ける玉川の里 相模
「千載」
松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川のさと 俊頼


 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の三島江付近を見てみましょう。手前が北で、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の上部・左端に「いかゝむら」の文字が見えます。伊加賀は枚方宿の南端に当たります。中央部奥に「光善寺」、右手に「出口」「一里塚」「松がはな」があります。淀川沿いの京街道には大名行列の姿が描かれています。絵の手前側が淀川の右岸で、左端から「芥川」「三しま」「柱本」のラベルが見えます。

「よと川の図」の三島江付近(大阪くらしの今昔館蔵)

 江戸時代末期の大坂の名所を3人の絵師が描いた「浪花百景」に、100枚の中で最北端、最東端に位置する地として、高槻市の淀川沿いにある「三嶋江」が描かれています。

■三嶋江(国員画)
 三嶋江は古来万葉集にも「淀の玉江」として歌枕に詠まれた著名な当地は、淀川中流の要港として、対岸の枚方との渡しにより北摂と北河内をも結ぶ交通の結節点でした。江戸時代にはここで酒や寒天などの高槻城下の特産品が積み出され、富田、芥川、茨木などと結んで物資を揚げ降ろしする過書船が多く出入りしました。
 また能勢妙見山や神峰山寺への参詣者も三十石船などを利用して乗り入れたので、岸には荷船問屋や酒飯を提供する茶屋などが軒を連ねて賑わいました。
 現在は陸上交通の発達と、護岸の整備によって昔日の面影を留めませんが、享和元年(1801)建立の石標と明和2年(1765)奉納の妙見灯籠は今も現地に残っています。

浪花百景「三嶋江(国員画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 三島江の鴨神社は、摂津名所図会にも描かれています。

摂津名所図会「玉川 三嶌鴨神社」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 玉川は数々の歌に詠まれ、流水に映る仲秋の月影がふたつに見えるとされました。畔に鎮座する三島鴨神社は、本文には、伊予、伊豆の三島神と並び称されています。


 地形図で三島江付近の様子をみてみましょう。明治41年陸地測量部地図を見ると、淀川の右岸(高槻市側)には、川沿いから内陸に向けて三島江、西面、目垣の集落が並び、「三箇牧村」の地名が見えます。対岸の左岸枚方市側には出口、中村、中振の集落があります。集落の周辺には水田が拡がっています。

明治42年陸地測量部地図
(今昔マップ3より)

 国土地理院地図に「明治時代の低湿地」という図があり、明治20年ころの河川や池、水田などの様子がわかります。このあたりは淀川の川筋はほとんど変わっていません。図の中央「+印」が三島江の位置です。現在では西側を新幹線が通過しているほかには、鉄道や幹線道路もなく、とても便利とは言えない立地ですが、江戸時代、鉄道のなかった時代には、淀川の水運と、摂津と北河内を結ぶ拠点として恵まれた立地にありました。

国土地理院地図(明治時代の低湿地)

 錦絵の解説にある、高槻、富田、茨木と三島江の位置関係を、今昔マップを利用して明治41年陸地測量部地図で見てみましょう。芥川は西国街道の高槻最寄りの宿場町です。当時の物流は水運だったことを考えると、三島江が集積地であったことが肯けます。

三島江の位置(明治41年・今昔マップより)

 次に、今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 1枚目は、大塚から柱本にかけての広域を表示しています。淀川右岸には堤防上が道路となっており、図の中央やや上寄りが三島江です。その左下、大きな文字で「三嶋」とあるのは郡の名前で、文字の下の集落は柱本です。

 右側の地理院地図では、赤い線の道路は国道、黄色は府道を示しています。左岸には淀川近くを1号線、内陸側に170号線が通っています。地図の左下淀川新橋は府道となっています。右岸は国道171号線が通っていますが、山裾を通るため地図には入っていません。

今昔マップより三島江付近広域(大塚~柱本)

 2枚目は、三島江付近を拡大して表示しています。
 淀川右岸の堤防上の道路からすぐ西側に三島江の集落があり、明治時代は堤防のすぐ東を淀川が流れていました。現在では川筋は中央部を流れ、東西両側に幅広い河川敷があり、公園となっています。

今昔マップより三島江付近

 今昔マップ3は、4つの時代を比較する4画面という使い方もできます。明治41年以降、現在までの三島江付近の変遷を見てみます。
 左上の明治41年、右上の昭和4年では、いくつかの集落以外はほとんどが水田でした。

明治41年から最近の地形図
(今昔マップ3より)

 左下の昭和42年を見ると、三島江の西を新幹線が通過しています。対岸の枚方市側と比べると市街地化が進んでいません。
 右下は最新の地理院地図ですが、三島江の南の柱本には住宅団地が建設されていますが、三島江では一部に工場の建設が見られるものの、水田も多く残っています。


 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「三嶋江」をご紹介しました。


〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
 前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
 こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo

 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
 【令和3年 4月25日(日)~5月31日(月)】


 新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月31日(月)までの間、臨時休館しています。



〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています

 会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
 4月25日(日)~5月31日(月)まで臨時休館

 大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
 日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
 重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
 春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。

【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
 こちらからどうぞ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk

 企画展「重岡良子 花鳥画展-刻を紡ぐ- 」の動画第2弾として、会場の風景と作品を作者の言葉の抜粋とともに紹介されています。
【作者の言葉から】重岡良子 花鳥画展 -刻を紡ぐ-
https://www.youtube.com/watch?v=rzOhEpV-mys

喜雨滴る
あお麦風々
桜東風
朝露涼夏
ランプシェード


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


2021年5月19日水曜日

今週の今昔館(267) 大塚 20210519

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(46)

 琵琶湖から大阪湾へと流れる淀川は、人の流れ、物の流れを担う交通の大動脈として機能してきただけでなく、人々の暮らしと深く関わり、政治・経済・文化にも大きな影響を与えてきました。

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
 今回は「大塚」をご紹介します。大塚は枚方の対岸に位置し、大塚の渡しで結ばれていました。大塚からは、三矢の渡しともいわれます。

■大塚
 この大塚の対岸は枚方で、あの有名な「くらわんか船」のテリトリーでした。

 大塚の地名について、本文は次のように解説しています。

≪村中に塚あり、大塚どのといふ。実は王塚なりとぞ。その姓名詳らかならず。≫

 村の中に塚があり、それが王の塚であるため、大塚となったといいます。ただし、いずれの王にかかわる墳墓であるかは不明であるとのことです。

 ここ大塚は、対岸の枚方へ渡るための船着き場でもありました。

≪島上郡大塚より河州茨田郡枚方駅三矢に淀川をわたす舟わたしなり。ゆゑに三矢のわたしともいふ。渡の長さ二百八十間といふ。この地の向かふは枚方の駅なれば、名物の貨食船(にうりふね)漕ぎよせて上下の船客に酒飯を商ふ。俗に喰(くら)はんか船といふ。≫

淀川両岸一覧下船之巻「大塚」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 渡しの長さは二百八十間(500m強)あったとありますから、この上流下流にあった渡しよりも長い距離を漕がなければなりません。それにもかかわらず、枚方のくらわんか船が右岸の大塚にまで来ていました。挿絵を見ると、中央を進む三十石船に、小判鮫のようにぬかりなく寄り添うくらわんか舟が描かれています。もう一艘、絵の左側に煙を立てて三十石船に近づこうとするくらわんか舟も描かれています。

 絵の中央には、堤を駆ける男が二人。大塚の渡しから対岸の枚方へ向かおうとしているようです。すでに岸から離れようとしている渡し舟の船頭は、「しゃあないなあ。」と岸に戻ろうとしています。

 絵の右上の解説は、次のとおりです。
 のぼり船の水主(かこ)等は大塚の下より上りて三町ばかり曳き上る。檜尾川より船にうつりて、またさし上るなり。

 絵の左側に堤防の上を前のめりになって綱を引く五人の姿が描かれていますが、綱の先には三十石船があることが、絵には入っていなくてもわかるということでしょう。

 賛は次の和歌です。

   伏見より淀の河瀬をすむ月に のりて下るが面白きかな 景樹

 先に「伏見船宿」のところで紹介した「三十石夜船の行」と題した漢詩のなかでも、大塚辺りにさしかかったところで、例によってくらわんか船の描写があります。

淀川両岸一覧下船之巻「三十石夜船の行」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

「三十石夜船の行」 王震起

船宿相ひ連なる京橋の傍
目印の行燈軒ごとに行(つら)なる
登るあり下るあり三十石

(中略)

(左ページの3行目より)
風与(ふと)見得たり隣に寝る孀(ごけ)
月影に賺窺(すかしみ)て胸ほとんど躁(さわ)ぐ
年頃盛りを過ぐれども器量好し
一向に留め難し息子の勢ひ
分別無く起って竊(ひそ)かに裳(もすそ)を搴(まく)れば
机上急に呼びて雷の落つるが如し
愕(びっくり)手を引きて首を挙げて望めば
起きよ、起きよ、寝惚けの輩(やつら)
餅を沽(か)へ、酒を飲め、牛蒡を喰へ
追々目を醒まして何ぞ負けて居ん
横平に買ひ取りて空腹(すきばら)を助け
傍若無人に悪口吐く
法外の雑言惶(おそる)るに足らず
惜しいかな、已に大事の処に到って
田舎の百姓無下に妨げしを
其の跡往き難く寝も就(な)らず
野暮な風を為して故郷を思ふ
喜びに堪へたり、霧暗(やみ)にして人の見る無きを
一夜の懇切互ひに忘れず
陸(おか)に上りて蜘蛛の子を散らすが如く
右往左往四方に去る
女中久しく小便を忍(こら)へるによって
八軒家の頭(ほとり)、雪隠長し

 狭い船内で乗客が寝込んでいる中に、隣に年増だけれどもなかなか器量の良い女の客が寝ているのを見つけ色欲が湧き、月影を頼りにその女性の着物の裾をめくろうとした矢先に、くらわんか船の大声で叩き起こされ、驚いて手を引っ込めた。酒飯を買い腹は癒したものの残念がる男の気持ちをユーモアたっぷりに歌っています。
 最後のくだりも、「八軒家の上陸後は、船中で小便をこらえていたので、トイレに長い行列ができている。」で締めています。


 本文の解説は次のとおりです。
■大塚
 深沢村の下にあり。村中に塚あり、大塚どのといふ。実は王塚なりとぞ。その姓名詳らかならず。
■大塚渡口
 島上郡大塚より河州茨田郡枚方駅三矢に淀川をわたす舟わたしなり。ゆゑに三矢のわたしともいふ。渡の長さ二百八十間といふ。
 この地の向かふは枚方の駅なれば、名物の貨食船(にうりふね)漕ぎよせて上下の船客に酒飯を商ふ。俗に喰(くら)はんか船といふ。

狂歌
 商ひにへつらひもなく言葉まで実(げ)にげんきんな喰(くら)はんか船

 乗合の夢のただ中獏さへも喰(くら)はんかとて呼びさますふね

■番田
 大塚村の下にあり。冠村より当村まで水上およそ十三丁余と云ふ。

このあと
■高槻城
■野見神社
■芥川

の解説があり、上巻が終わります。


 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の大塚付近を見てみましょう。手前が北で、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の上部・右寄りに「枚方駅」が描かれ、中央付近に「御本陣」左はしに「新まち村」の文字が見えます。ここが枚方宿の北の端に当たります。
 絵の手前側が淀川の右岸で、左端に「道斎」の文字が見えます。前回も説明しましたが、道斎は鵜殿の別名でしたので、ラベルの張り間違いで、位置的にはこのあたりが「大塚」になります。右下の文字も「三矢村」と読めますが、三矢村は対岸の枚方にありますから、これもラベルの張り間違いと考えられます。淀川には枚方側に三十石船が、左手前には渡し舟が、右手前には帆を下ろした帆船が集団で描かれています。

「よと川の図」の大塚付近(大阪くらしの今昔館蔵)

 大塚付近の様子を地形図で見てみましょう。今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 1枚目は、前嶋から大塚にかけての広域を表示しています。淀川右岸には堤防上が道路となっており、川沿いにまとまった集落が見えるところが大塚です。

 右側の地理院地図では、赤い線の道路は国道、黄色は府道を示しています。高槻市と枚方市を結ぶ枚方大橋は、国道170号線となっています。

今昔マップより前嶋付近広域(前嶋~大塚)

 2枚目は、大塚付近を拡大して表示しています。
 淀川右岸の堤防上の道路から西へ降りたところが大塚で、集落の南端から対岸の枚方との間に渡し船があります。当時は、枚方の宿場町のすぐそばを淀川が流れていたことがわかります。右側の地理院地図を見ると、淀川左岸には河川公園が整備され、川の流れは北に寄せられています。

今昔マップより大塚付近

 今から100年少し前の大正6年(1917年)、淀川大塚地区(現在の高槻市大塚町)の堤防が200メートルにわたって決壊し、右岸一帯に甚大な被害をもたらしました。この洪水を、「淀川大塚切れ」と呼びます。

 淀川では、明治18年(1885年)の大水害を受けて日本で最初の近代治水工事「淀川改良工事」が明治29年(1896年)~明治43年(1910年)まで実施されました。

 しかし、大正6年9月27日から10月1日午後10時にかけて烈風が続いて大雨が降り、淀川支川の芥川が決壊。 その後、淀川本川右岸大塚堤防(現在の高槻市大塚町)が約200メートルに渡って決壊しました。付近はたちまち泥海となり、淀川右岸の最下流部である西成郡(現在の大阪市西淀川区福町付近)まで到達しました。


200メートルにわたって決壊した堤防
(淀川河川事務所ホームページより)

 決壊箇所のうち、西成郡福、稗島の地区は、洪水の排出場所が無かったため、淀川改良工事によって完成したばかりの堤防をわざと切断して放流しました(これを「わざと切れ」という)。

わざと切れの図(淀川河川事務所ホームページより)

 「大塚切れ」の惨禍を今に伝えるとともに、自然災害に対する警鐘として昭和5年(1930)10月に大塚町3丁目の淀川堤防に「洪水記念碑」が、また、西淀川区福町の堤防をわざと切って淀川に流し出した地点には「大塚切れ洪水碑」が建立されています。

洪水記念碑(高槻市ホームページより)


 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「大塚」をご紹介しました。


〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
 前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
 こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo

 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
 【令和3年 4月25日(日)~5月31日(月)】


 新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月31日(月)までの間、臨時休館しています。



〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています

 会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
 4月25日(日)~5月31日(月)まで臨時休館

 大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
 日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
 重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
 春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。

【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
 こちらからどうぞ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk

 企画展「重岡良子 花鳥画展-刻を紡ぐ- 」の動画第2弾として、会場の風景と作品を作者の言葉の抜粋とともに紹介されています。
【作者の言葉から】重岡良子 花鳥画展 -刻を紡ぐ-
https://www.youtube.com/watch?v=rzOhEpV-mys

喜雨滴る
あお麦風々
桜東風
朝露涼夏
ランプシェード


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


2021年5月12日水曜日

今週の今昔館(266) 前嶋 20210512

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(45)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
 今回は「前嶋」をご紹介します。川沿いには茶店が軒を連ね、ここで三十石船に途中乗船、途中下船する客もあったそうです。

■前嶋
 江戸時代、前嶋の川沿いには茶店が軒を連ね、街道や川を往来する旅人の舌を楽しませていました。絵の中央に見える大燈籠は、生土神の春日社のもの。
 前嶋の船着きに、客を下ろす三十石船が描かれています。このあたりは水主たちが陸から船曳きをするため、燈籠の近くで一息ついている姿が見えます。
 手前に見える中洲は蘆原になっており、右手には蘆刈の舟も描かれています。

淀川両岸一覧下船之巻「前嶋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 前嶋について、本文は次のように記しています。

≪この所川辺に茶店ありて酒飯とも自由なり。勝手につきこのところより上がる客あり。また乗る客あり、上り下りともに同じ。上牧よりこの所の乗場まで、水上およそ三十六丁半余といふ。この所より大坂まで陸路行程六里なり。≫

 三十石船にはトイレの設備がないため、用が足せないご婦人にとっては悩みの種でした。このことを歌った狂歌が挿絵に載っています。

 船つけて 小便をした 女連れ さても楽に なった前しま  赤襟姫成

 挿絵にもあるように、茶店が建ち並ぶ前島では、ここにトイレ休憩に立ち寄る婦人客がありました。
 これはこうした乗客を揶揄した歌で、「前しま」は前嶋の地名と女性の大事なところを掛けています。
 こういったどうしようもない生理現象を面白がるのは不謹慎な気もしますが、道中のリアリティーが感じられる挿話ではあります。


 本文の解説は次のとおりです。
■道西(どうさい)
 鵜殿村の下にあり
■前島
 道西村の下にあり、この所川辺に茶店ありて酒飯とも自由なり。勝手につきこのところより上がる客あり。また乗る客あり、上り下りともに同じ。上牧よりこの所の乗場まで、水上およそ三十六丁半余といふ。この所より大坂まで陸路行程六里なり。
■檜尾川  前島村の下にあり。一名七瀬川と云ふ。水源大沢山より出でて成合(なりあひ)・安満(あま)・天川(あまのがは)等を経て冠(かぶり)村にいたって淀川に入る。前島より冠まで水上およそ二十一丁。
■冠(かぶり)  檜尾川の辺にあり。むかしこの所に柳の梢、冠の形に似たる名木あり、名づけて冠柳といふ。今枯れてなし。「宇津保物語」に見えたり。旧は冠柳村なるべし。
■深沢
 冠村の下にあり。


 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の前嶋付近を見てみましょう。左手が伏見、右手が大坂になります。絵の左上に橋本から樟葉が描かれ、中央に渚、右手に禁野、天の川などの文字が見えます。
 絵の手前側が淀川の右岸で、「中村」「うとの」「大つか」「前しま」「冠むら」「道斎」の文字が見えます。大塚は冠よりも下流の村、また、道斎は鵜殿の別名でしたので、ラベルの張り間違いかもしれません。淀川には左手に曳き船をしている三十石船、中央には帆走している帆船が描かれています。

「よと川の図」の前嶋付近(大阪くらしの今昔館蔵)

 前嶋付近の様子を地形図で見てみましょう。今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 1枚目は、鵜殿から大塚にかけての広域を表示しています。淀川右岸には山すそを西国街道が通っています。街道に沿う形で東海道本線が走っています。淀川との間には農地が拡がっています。左岸には京街道が通り、現在の地図では河川敷に牧野パークゴルフ場の文字が見えます。地図の中央付近の淀川と檜尾川の間に位置する淀川右岸の島が前嶋です。

 右側の地理院地図では、赤い線の道路は国道、黄色は府道を示しています。前島1丁目~5丁目の表示が見えます。

今昔マップより前嶋付近広域(鵜殿~大塚)

 2枚目は、前嶋付近を拡大して表示しています。
 檜尾川と淀川の間に東西に2つの川をつなぐ土手の上の道路があり、その右に「前島」の文字が見えます。土手の南北には池があり、その周りは水田です。淀川沿いに家屋が並んでいます。右側の地理院地図を見ると、土手の上の道は府道となっています。

今昔マップより前嶋付近

 国土地理院の治水地形分類図で前嶋付近の様子を確認してみます。淀川の河口から28.6Kから30.0K付近の右岸が前嶋になります。先ほどの東西道路沿いと、前島の南半分が盛土されていることがわかります。前島は土手に囲まれた輪中のような地形になっています。

治水地形分類図の前嶋付近

 自分で作る色別標高図で、前嶋付近を見てみましょう。4mから2mごとに細かく色分けしてみると、盛土をされた区域がよくわかります。土手によって水害から守られていることも確認できます。

自分で作る色別標高図の前嶋付近

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「前嶋」をご紹介しました。


〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
 前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
 こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo

 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
 【令和3年 4月25日(日)~5月31日(月)】


 新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月31日(月)までの間、臨時休館しています。



〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています

 会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
 4月25日(日)~5月31日(月)まで臨時休館

 大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
 日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
 重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
 春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。

【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
 こちらからどうぞ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk

 企画展「重岡良子 花鳥画展-刻を紡ぐ- 」の動画第2弾として、会場の風景と作品を作者の言葉の抜粋とともに紹介されています。
【作者の言葉から】重岡良子 花鳥画展 -刻を紡ぐ-
https://www.youtube.com/watch?v=rzOhEpV-mys

喜雨滴る
あお麦風々
桜東風
朝露涼夏
ランプシェード


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw





〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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初めての方はこちらからどうぞ。
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