2018年5月29日火曜日

今週の今昔館(113) 戎嶋天満宮御旅所 20180529

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(22)

 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の22回目は、戎嶋天満宮御旅所をご紹介します。かつて、天満宮の御旅所は川口にありました。

■戎嶋天満宮御旅所(国員画)
 天神祭宵宮に行われる鉾流神事は、水辺を禊の場として行う厄除け神事で、天神祭の中でも重要な祭事です。もとは神鉾が流れ着いた場所に祭場を設け、御神霊を移し御旅所としました。翌日氏子たちが船を仕立てて奉還を行うのが船渡御です。
 木津川を挟んだ江之子島の対岸、現在の本田小学校付近をかつて戎島といい、岸に面して大坂天満宮の御旅所がありました。江戸時代、旧暦6月25日に行われていた天神祭の船渡御神事では、祭礼では太鼓船(どんどこ船)を先頭に、神楽船などの渡御が進みます。趣向を凝らした御迎人形を掲げた船は、芸能の町大坂らしい。木津川を下った船が夜8時ごろこの地に到着し、周囲は人形を飾りつけた御迎船や多数の見物客で賑わいました。
 この御旅所は風水害の被害により明治8年(1875)ここより南の松島に移転し、跡地には華僑の商館が建ち並びました。

浪花百景「戎嶋天満宮御旅所」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」の戎島付近を見てみると、「ヱノゴジマ」と並んで「戎嶋」があり、「御番所」と並んで「天神ヲタビ」の文字があります。この地図は、東が上になっています。
浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見てみましょう。戎島には北から順に「御舟蔵」「御船手ヤシキ」「御三郷蔵地」があり、「▲戎ジマ丁」の横に「天神ヲタビ」があります。▲は大坂三郷の北組を表しています。天満宮の御旅所がありますが、天満組ではなく北組に属しています。この地図では、〇は天満組、△は南組を表しています。安治川沿い、大佛島付近には天満組の〇印が見られます。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、戎嶋の地名は川口となり、中央部を南北に市電が走り、「川口町」停留所で東に分岐して「江之子島」を越えて本町通につながっています。御旅所は松島に移っています。江之子島には府庁と警察本部、消防本部があり、川口にも川口警察があります。
 川口の外国人居留地は明治末に閉鎖されていますが、街並みはかつての面影をとどめ、緑が多く描かれています。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、市電のネットワークが拡がり、土佐堀通にも市電が走っています。川口町からは、野田方面、中之島、土佐堀通、本町通、港通と四方に市電網が走っています。
 江之子島の府庁は大手前に移転し、跡は工業奨励館となっています。地図左上の野田には、中央卸売市場が開場し、隣には大阪市場冷蔵会社の文字もあります。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、中之島から大阪港につながる市電が通っています。江之子島には府庁の姿があります。
 右上の昭和7年では、野田方面と本町方面へも市電が通り、野田には中央市場が開業しています。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、大きな被害があったことがわかります。市電が土佐堀通にも走っています。
 右下の昭和42年を見ると、市電は土佐堀通から港通りにつながる路線を除いてその他は廃止され、本町通の南に新たに中央大通が完成し東西方向の新たな幹線となっています。地下鉄中央線はかつての幹線の本町通ではなく新しくできた中央大通を走り、阿波座から西では地上に出て、高架線を走っています。

明治42年~昭和42年の地形図(今昔マップ3より)


 今回は、「浪花百景」の戎嶋天満宮御旅所をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。
 大阪くらしの今昔館には川口居留地の模型(今週の今昔館(69)参照)があります。また、大正年間の天神祭船渡御の模型(今週の今昔館(68)参照)もあります。2つの模型と8階展示室床面の「大阪市パノラマ地図」を見比べながらお楽しみください。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」は終了しました。


〇次回の企画展は、「2018年度 建築設計展」です。
前期:「設計競技入選作品展『地域の素材から立ち現れる建築』」
   平成30年6月2日(土)~4日(月)
後期:「全国大学・高専卒業設計展示会」
   平成30年6月7日(木)~10日(日)
開館時間:午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)

●前期 「設計競技入選作品展『地域の素材から立ち現れる建築』」
内 容:設計競技 『地域の素材から立ち現れる建築』の入選作品を展示します。
入場料:無料
主 催:日本建築学会、同近畿支部
    大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)

【講評会】
日 時:平成30年6月2日(土) 午後2時~午後3時
会 場:大阪くらしの今昔館8階 企画展示室
内 容:近畿支部審査会の委員長であった講師には、展示作品の全体講評に加え、
    近畿支部入選作品を中心に取り上げながら、審査員が評価した内容など
    について語っていただきます。
    コンペに応募される学生および関係者には、貴重な機会となりますので
    講評会に是非ともご参加下さい。
講 師:江副 敏史 氏(株式会社日建設計)

●後期 「全国大学・高専卒業設計展示会」
内 容:全国の大学及び高等専門学校の卒業設計優秀作を展示します。
入場料:無料
主 催:日本建築学会、同近畿支部
    大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)


〇次々回の企画展は、「商都慕情 -今昔館の宝箱-」です。
会期:2018年6月16日(土)~7月8日(日)
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:毎週火曜日

 「天下の台所」と称された大阪には諸国の物産が集積し、商人は富み栄え、豊かな暮らしを背景に芸術・文化が開花しました。また、「水の都」とも称された大阪は市中に堀川が発達し、多くの橋がかけられました。三大橋と呼ばれた「天満橋」「天神橋」「難波橋」、町人が維持管理した町橋など多種多様な橋があり、魅力ある都市景観を作り出していました。
 大阪くらしの今昔館が所蔵する美術品の中には、大阪の景観や、年中行事など、人々の暮らしぶりを描いた絵画が残されています。例えば、「浪花下村店繁栄之図」(佐藤保大筆)は幕末期の松屋(現在の大丸)の店構えと賑わいが、「浪花天神橋図」(菅楯彦筆)には天神橋の上で武家の子ども連れと、天神旗を持った行商人の家族などが行き交う様子などが描かれています。さらに花見や月見など季節の行楽、寺社への参拝、年中行事や祭礼など、古きよき大阪の魅力あふれる街の様子や暮らしぶりを掛軸・絵巻・屏風などの絵画作品を通してご覧ください。



〇今週のイベント・ワークショップ

5月30日(水)~6月2日(土)、4日(月)、6日(水)~9日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

6月3日(日)、10日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

6月2日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演・演目:桂出丸、他
14時~15時

6月3日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

6月9日(土)
ワークショップ 『版木はがき』

13時30分~15時
参加費:200円

6月10日(日)
イベント 筑前琵琶

和楽器の奏でる音色をお楽しみください
出演:竹本旭将、福井旭巽
14時~15時

町家衆イベント ワークショップ おじゃみ
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00-16:00



そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2018年5月22日火曜日

今週の今昔館(112) 両本願寺 20180522

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(21)

 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の21回目は、両本願寺をご紹介します。北御堂と南御堂が一枚に描かれています。

■両本願寺(国員画)
 近世大坂の都市形成の端緒は、現在の大阪城付近に蓮如が造立した大坂御坊(石山御坊・大坂本願寺)にあります。
 しかし大坂に着目した織田信長との10年に及ぶ戦い(石山合戦)により天正8年(1580)、大坂を離れました。以降京都に寺地を与えられ、本願寺派(西本願寺)と大谷派(東本願寺)とに分かれ現在に至っています。
 その後豊臣秀吉の厚遇を受け大坂に復帰、慶長期(1596~1615)に難波別院(南御堂)と津村別院(北御堂)を教化拠点として建立しました。共に壮大な堂舎を誇り、市中の建物の中でも群を抜いていました。

 錦絵の手前が西本願寺北御堂、左手が東本願寺南御堂、ともに幅3間の道に面して、東を正面にして建っていました。北御堂の石段には、子ども連れ、お年寄り、町人、武士など様々な人々が描かれ、観光客を引き連れる案内人の姿もあります。
 両御堂は法話や講話が年中催され、公的な会合にも使われるなど人々の交流の場となりました。人々に「御堂さん」と呼び親しまれ、両御堂が並立する通りは、御堂筋と呼ばれました。
 昭和の拡幅後の広路を「御堂筋」と呼ぶようになった名称の由来にもなっています。


浪花百景「両本願寺」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 前回ご紹介した「永代濱」にも、背景に大きな屋根が描かれています。海部堀が直角に曲がっている所を西からとらえた風景ですので、大屋根は真西から見た北御堂です。

浪花百景「永代濱」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「四ツ橋」の背景にも、大屋根が二つ描かれています。この大屋根が描かれることによって、この錦絵は南西から北東を見た図であることが明らかとなります。手前が南御堂、左奥が北御堂で、4つの橋も特定されることになります。

浪花百景「四ツ橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「高津」の遠景にも、鳥居と蔵の間に大屋根が二つあります。左側の大きく描かれた屋根が南御堂、右側の蔵の近くの大屋根が北御堂です。

浪花百景「高津」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 このように南北両御堂は、他の錦絵の中にも大屋根が描かれ、当時の大坂市中で圧倒的な存在感があり、ランドマークにもなっていたことがわかります。さらには、錦絵に大屋根が描かれることによって地理関係を理解するヒントにもなっています。

 次に、古地図で両本願寺のあたりを見てみましょう。一枚目の天保年間発行の浪華名所獨案内は、東が上に描かれています。西横堀の東側(上)に2つの御堂が描かれ、西御堂と東御堂の文字が記されています。方角では北御堂と南御堂ですが、当時は西本願寺北御堂を「西御堂」、東本願寺南御堂を「東御堂」とも呼んでいたことが分かります。どちらも赤色の線で結ばれていて、観光名所となっていました。

 北御堂と南御堂、どちらが本願寺派、大谷派だったかな?
これを間違えることなく記憶する方法があります。

 京都の西本願寺と東本願寺は、御所を北に見て左が西本願寺、右が東本願寺です。もちろん方角と合っています。
 一方、大坂では、当時の古地図は東を上に描かれることが多いですが、大坂城を東(上)に見て、左が西御堂、右が東御堂となっています。
 「両本願寺と御所、両御堂と大坂城の位置関係が同じである」。この三角関係を覚えておくと、北御堂が西本願寺津村別院(本願寺派)、南御堂が東本願寺難波別院(大谷派)であることを間違えることはありません。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 文化3年(1806)発行の増修改正摂州大阪地図を見ると、浪華名所獨案内と比べると堀川の形や橋の位置・名前が正確に描かれています。こちらは北を上にしています。
 西本願寺の南の通りは本町通で、通りの両側が本町です。地図には▲の印がありますが、大坂三郷の南組を表しています。通りの北側は、1つの街区に●と▲が縦に並んでいます。これは、背割りの太閤下水が北組と南組の境になっているためで、これより北側は●印になり、北組となります。
 また、この古地図では、東本願寺の敷地が西本願寺よりも一回り大きく描かれています。

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見てみましょう。北御堂には「本願寺御門跡」、南御堂には「東本願寺御門跡」の文字があります。こちらの地図では通りに書かれた町名、丁目の上に▲や△の印が書かれ、北組は▲、南組は△で表示されています。本町は△で南組、一筋北の安土町は▲で北組となっています。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大阪市パノラマ地図では、本町通と四ツ橋筋が拡幅され、市電が通っています。北御堂の南東角には「相愛女学校」があり、その傍に「本町四」の停留所があります。電車の絵が描かれている所はプラットホームがあったところです。
 南御堂の敷地内には「大谷女学校」が描かれ、西側には「座摩(いかすり)神社」があります。
 パノラマ地図は大正13年発行の地図ですから、もちろん御堂筋は拡幅前の様子が描かれています。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、大屋根の両御堂の絵があり、観光地を示す丸囲みのなかに「北御堂」「南御堂」の文字があります。御堂筋が拡幅され、地下鉄も通っています。御堂筋にはバスも走っていたようです。本町通、堺筋、四ツ橋筋、あみだ池筋に市電が走り、地下鉄と合わせてネットワークとなっています。地下鉄本町駅は、市電の「本町四」停留所の位置にありました。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、南北の四ツ橋筋に市電が通っています。両御堂の表示は西本願寺と東本願寺となっています。
 右上の昭和7年では、東西の本町通と南北の堺筋にも市電が通っています。両御堂の表示は、北御堂と南御堂となっています。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、両御堂ともに被害を受けて焼失しています。両御堂よりも西側の方が被害が大きかったことが分かります。この時点では、市電東西線、南北線ともに残っています。
 右下の平成8年を見ると、市電がすべて廃止され、本町通の2筋南に中央大通が完成し東西方向の新たな幹線となっています。中央大通りは南御堂のすぐ北側を通っています。地下鉄中央線はかつての幹線の本町通ではなく新しくできた中央大通の下を走っています。西横堀川は埋め立てられて、上を阪神高速道路が通っています。

明治42年~平成8年の地形図(今昔マップ3より)

 下の図は、地下鉄中央線本町駅のホームに掲示されている構内案内図です。地下鉄中央線(緑のC)は本町通ではなく中央大通の下を走っているため、御堂筋線(赤のM)の本町駅とは離れています。乗り換えが不便なのは両線の建設の歴史が物語っています。
 四つ橋線(青のY)の本町駅は、本町通と中央大通の間に作られました。開業時は「信濃橋」駅でしたが、中央線が完成した際に本町駅とつながり、駅名も本町と改称されています。
 北御堂は2番出口、南御堂は13番出口が最寄りとなります。両御堂は御堂筋と中央大通が交差する大阪の臍ともいえる位置に建っています。

地下鉄中央線本町駅の構内案内図

 今回は、「浪花百景」の両本願寺をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。両御堂の前の筋が44mに拡幅された後も、市民に親しまれた「御堂筋」の名前で呼ばれていることは、喜ばしいことと思います。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇大阪くらしの今昔館は「重文民家をつなぐ!-それは文化とともに建物を次世代に伝えること-」を共催します

 民家を愛する方、民家をもっと知りたい方 必見です!
重文民家は建物の魅力だけではありません。とても大切な伝統文化をつないでいるのです。

 特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」設立40周年記念パネルディスカッション

 国指定重要文化財民家(重文民家)の半数以上は、代々個人の住宅です。住み続けることで重文民家の貴重な文化を守っています。このパネルディスカッションでは、重文民家が大切な伝統文化をつないでいることを所有者自らが語ります。重文民家を伝統文化とともに次世代につなぐにはどうすればよいかを、英国の事例に学びながら考えます。

◆日時 2018年5月27日(日)
    13:30~16:30(受け付けは13:10から)

◆会場 大阪市立住まい情報センタ- 3階 ホ-ル

◆参加費無料(定員150名 先着順)

◆プログラム
1 所有者が語る重文民家をつなぐ意味
・天皇即位の儀式と三木家住宅ー大嘗祭の麻布(麁服(あらたえ))ー 三木 信夫(徳島県 三木家住宅)
・世界文化遺産の地・宮島で厳島文化と上卿屋敷(林家住宅)を伝える 出先 洋一(広島県 林家住宅)
・高林家住宅に伝わる百舌鳥精進と年中行事―家族で受け継ぐ400年-  高林 永統・高林 宗弘(大阪府 高林家住宅)

2 歴史住宅を次世代につなぐための支援~英国の事例から~  (通訳あり)
・次世代につなぐ-英国では歴史住宅をどのように次世代に継承しているのか
  Ben Cowell (イギリス Hisitoric Houses 代表)

3 ディスカッション -重文民家を次世代につなぐために (通訳あり)

◆主催:特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」
    大阪教育大学居住環境学研究室
    大阪くらしの今昔館
    大阪市立住まい情報センタ-




〇企画展「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」開催中です。5月27日(日)までです。

 本展で初公開となる「三井別家中川コレクション」は、江戸時代の豪商三井家の別家中川九兵衛(なかがわくへえ)家に伝来する書画、茶道具、食器類などのコレクションです。
 三井家は、江戸、京都、大坂の三都に呉服店を構え、両替商も営んでいました。幕末の大坂の名所を描いた『浪花百景』には、高麗橋2丁目にあった大坂本店の繫栄ぶりが描かれています。

 ところで、京都と大坂では風土や文化が異なるという指摘が古くからあります。一方で、京・大坂を一体にした上方文化という歴史用語もあります。2つの都市は、淀川という大動脈によって密接に結ばれていて、共通する生活文化が醸成されたことも事実です。例えば、船場言葉は京言葉と似ていますし、町家や町並み、年中行事など、両都市に共通する生活文化は数多く見いだすことができます。また、大坂の豪商・加島屋が京都出水の三井家から花嫁を迎えたように、京都と大阪は人や文化の交流を深めながら共に発展してきました

 中川家は、享保期頃(1716~1736)より代々京都西陣に近い千両が辻で本家と同じ呉服業を営んでいました。明治初頭に廃業しますが、現在の当主で10代目を数える旧家です。
 歴代の当主たちは家業に勤しむかたわら、歌人や茶人、絵師や陶工と親しく交流しました。また、家業だけでなく年中行事や通過儀礼といった生活面においても、本家や他の別家との交際も重要だったと推察されます。
 このような、富裕な商家ならではのくらしを営むなかで、来客をもてなす膳碗や酒器、食器類、四季折々に床の間を飾る掛軸や花器、そのほか調度品や装飾品などが蓄積されました。また、8代目当主(明治14年~大正10年/1881~1921)は茶の湯の愛好者で、茶道具類の収集にも熱心だったといいます。


 本展は“四季のしつらい”と“もてなし”をテーマに、「三井別家中川コレクション」から、端午の節句飾り、季節を演出する掛軸や花器、また、茶道具をはじめ陶器、漆器、ガラス器などの道具類、100点余りを展示します。上方の富裕な商家に育まれたくらしの美を感じていただければ幸いです。

会期 平成30年4月21日(土)~平成30年5月27日(日)
開催期間中の休館日 毎週火曜日
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)


唐獅子牡丹図大鉢

中川家に伝来の甲冑



〇今週のイベント・ワークショップ

5月23日(水)~26日(土)、28日(月)、30日(水)~6月2日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

5月27日(日)、6月3日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

5月26日(土)
ワークショップ 『張り子のお面を作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

5月27日(日)
町家衆イベント 絵本で楽しい時間

むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30-15:00

6月2日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演・演目:桂出丸、他
14時~15時

6月3日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
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 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
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初めての方はこちらからどうぞ。
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2018年5月15日火曜日

今週の今昔館(111) 永代濱 20180515

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(20)

 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の20回目、今回は永代濱と解舟町をご紹介します。

■永代濱(芳瀧画)
 かつての西船場には東西に横切るいくつもの堀があり、その内の一つ海部堀川が一筋南の阿波堀川につながる形で直角に曲がるところを永代濱といいました。塩魚や干物、鰹節などを扱う靱の海産物商人が寛永元年(1624)に開削、陸揚げ場として浜を設けました。もとは生魚と同様に天満で商っていましたが、水利に悪く当地に移ってきました。

 幕府より「永代諸魚干鰯市場揚場」として許可されたことに因んだ地名で、塩干魚や干鰯取引の中心地でした。江戸中期以降大坂周辺農村が干鰯を肥料として利用するようになると、当地の取引はますます盛んとなり、主に北国から輸送された干鰯のほとんどがここで荷揚げされました。

浪花百景「永代濱」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

■解舟町(国員画)
 阿波大名蜂須賀氏の大坂屋敷を中心に阿波商人が集まった阿波座。 現在の西本町を東西に貫いて流れていた阿波堀川の南岸にあった奈良屋町は、その東部に古船を解体する業者が集まり、解舟町とも呼ばれました。あわせて古材を売買したり、それを風呂桶など木製品に加工する店もできて、船運にて興隆した大坂らしい再生業が生まれました。

 すぐ南の立売堀には材木市も立ちました。堀端に古板を立て連ねた様子は切り立った山岳を連想させ、雪の積もった朝などはあたかも山水画のようで風趣を誘ったといわれます。 
 阿波堀川は昭和31年に埋め立てられ、今は往時を偲ぶよすがもありません。

浪花百景「解舟町」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 天保年間発行の浪華名所獨案内を見ると、西横堀から西に分かれる「アハザボリ(阿波座堀)」の南岸に「トキ舟丁」があり、「解舟ヤ多シ」と書かれています。また、「アハザボリ」から北に分かれる「海部堀」が描かれ、「ホシカヤ多シ」の文字があります。海部堀が直角に曲がるあたりが永代濱です。この地図は、上が東になっています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 文化3年(1806)発行の増修改正摂州大阪地図を見ると、堀川の形や橋の位置・名前が正確に描かれています。西横堀から西に分岐する京町堀と阿波座堀が描かれ、その2つの堀をつなぐ形で海部堀があります。海部堀が直角に曲がるところに永代橋が架かり、東岸に「永代濱」の文字があります。阿波座堀が西横堀から分かれるところの南岸に「奈良屋町」の文字があります。このあたりが解舟屋が集まり解舟町とも呼ばれていました。図中の●は大坂三郷の北組の印です。阿波座堀よりも北側は北組に属していたことが分かります。

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)

 天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を拡大して見てみましょう。海部堀川が直角に曲がるあたりに「永代濱」の文字があり、堀の北側には「▲海部堀丁」の文字があります。こちらの地図では町名の上に印が書かれ、北組は▲で表示されています。
 西横堀から阿波座堀が分かれるところの南岸に「▲奈良ヤ丁」とあります。2筋南の通りに「△神田丁」「△伊達丁」「▲箱屋丁」「▲豊島丁」とあり、この通りが北組と南組の境目になっていたことがわかります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、本町通と四ツ橋筋に市電が通り、交差点に「信濃橋」停留所があります。本町通が西横堀を跨ぐところに架かる橋が信濃橋です。阿波座堀の南の通りには「アワボリドーリ一丁メ」の文字があり、奈良屋町の地名は消えています。
 一方、「太郎助橋」停留所の北には「永代濱」の文字があり、堀からの荷揚げがしやすいように「雁木」があった様子も描かれています。ここでも、東西に走る市電の停留所は橋の名前になっています。電車の絵が描かれている所にプラットホームがありました。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、永代濱の文字は残っています。解舟町のあたりは「阿波通一丁目」となっています。「社町」「戸ヤ町」など赤い文字で通称が掲載されている町もありますが、「解舟町」の字はありません。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、南北の四ツ橋筋に市電が通っています。阿波堀川の南の通りには「阿波堀通」の文字があります。すでに地名が変わっていたようです。京町堀川と阿波堀川に挟まれた地域は「靭(うつぼ)」と呼ばれていました。
 右上の昭和7年では、南北のあみだ池筋と東西の本町通にも市電が通っており、「しなのばし」停留所の文字があります。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、あたり一帯が戦災を受けたことが分かります。この時点では多くの堀と、市電東西線、南北線ともに残っています。京町堀川の南に「飛行場」の文字があります。昭和27年までGHQによって利用されていました。
 右下の昭和42年を見ると、すべての堀が埋め立てられ、市電は、あみだ池筋と土佐堀通に残っています。新たに都市計画道路として、なにわ筋と中央大通(四ツ橋筋より西側)が整備されています。飛行場のあったところが靭公園になっています。

明治42年~昭和42年の地形図(今昔マップ3より)

 今回は、「浪花百景」の永代濱と解舟町をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。戦災によって地域一帯が焼失したことと、昭和30年代に阿波座堀などの堀川が埋め立てられたことによって、地域の景観はすっかり変わっています。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇大阪くらしの今昔館は「重文民家をつなぐ!-それは文化とともに建物を次世代に伝えること-」を共催します

 民家を愛する方、民家をもっと知りたい方 必見です!
重文民家は建物の魅力だけではありません。とても大切な伝統文化をつないでいるのです。

 特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」設立40周年記念パネルディスカッション

 国指定重要文化財民家(重文民家)の半数以上は、代々個人の住宅です。住み続けることで重文民家の貴重な文化を守っています。このパネルディスカッションでは、重文民家が大切な伝統文化をつないでいることを所有者自らが語ります。重文民家を伝統文化とともに次世代につなぐにはどうすればよいかを、英国の事例に学びながら考えます。

◆日時 2018年5月27日(日)
    13:30~16:30(受け付けは13:10から)

◆会場 大阪市立住まい情報センタ- 3階 ホ-ル

◆参加費無料(定員150名 先着順)

◆プログラム
1 所有者が語る重文民家をつなぐ意味
・天皇即位の儀式と三木家住宅ー大嘗祭の麻布(麁服(あらたえ))ー 三木 信夫(徳島県 三木家住宅)
・世界文化遺産の地・宮島で厳島文化と上卿屋敷(林家住宅)を伝える 出先 洋一(広島県 林家住宅)
・高林家住宅に伝わる百舌鳥精進と年中行事―家族で受け継ぐ400年-  高林 永統・高林 宗弘(大阪府 高林家住宅)

2 歴史住宅を次世代につなぐための支援~英国の事例から~  (通訳あり)
・次世代につなぐ-英国では歴史住宅をどのように次世代に継承しているのか
  Ben Cowell (イギリス Hisitoric Houses 代表)

3 ディスカッション -重文民家を次世代につなぐために (通訳あり)

◆主催:特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」
    大阪教育大学居住環境学研究室
    大阪くらしの今昔館
    大阪市立住まい情報センタ-




〇企画展「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」開催中です。5月27日(日)までです。

 本展で初公開となる「三井別家中川コレクション」は、江戸時代の豪商三井家の別家中川九兵衛(なかがわくへえ)家に伝来する書画、茶道具、食器類などのコレクションです。
 三井家は、江戸、京都、大坂の三都に呉服店を構え、両替商も営んでいました。幕末の大坂の名所を描いた『浪花百景』には、高麗橋2丁目にあった大坂本店の繫栄ぶりが描かれています。

 ところで、京都と大坂では風土や文化が異なるという指摘が古くからあります。一方で、京・大坂を一体にした上方文化という歴史用語もあります。2つの都市は、淀川という大動脈によって密接に結ばれていて、共通する生活文化が醸成されたことも事実です。例えば、船場言葉は京言葉と似ていますし、町家や町並み、年中行事など、両都市に共通する生活文化は数多く見いだすことができます。また、大坂の豪商・加島屋が京都出水の三井家から花嫁を迎えたように、京都と大阪は人や文化の交流を深めながら共に発展してきました

 中川家は、享保期頃(1716~1736)より代々京都西陣に近い千両が辻で本家と同じ呉服業を営んでいました。明治初頭に廃業しますが、現在の当主で10代目を数える旧家です。
 歴代の当主たちは家業に勤しむかたわら、歌人や茶人、絵師や陶工と親しく交流しました。また、家業だけでなく年中行事や通過儀礼といった生活面においても、本家や他の別家との交際も重要だったと推察されます。
 このような、富裕な商家ならではのくらしを営むなかで、来客をもてなす膳碗や酒器、食器類、四季折々に床の間を飾る掛軸や花器、そのほか調度品や装飾品などが蓄積されました。また、8代目当主(明治14年~大正10年/1881~1921)は茶の湯の愛好者で、茶道具類の収集にも熱心だったといいます。


 本展は“四季のしつらい”と“もてなし”をテーマに、「三井別家中川コレクション」から、端午の節句飾り、季節を演出する掛軸や花器、また、茶道具をはじめ陶器、漆器、ガラス器などの道具類、100点余りを展示します。上方の富裕な商家に育まれたくらしの美を感じていただければ幸いです。

会期 平成30年4月21日(土)~平成30年5月27日(日)
開催期間中の休館日 毎週火曜日
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)


唐獅子牡丹図大鉢

中川家に伝来の甲冑



〇今週のイベント・ワークショップ

5月16日(水)~19日(土)、21日(月)、23日(水)~26日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

5月20日(日)、27日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

5月20日(日)
町家衆イベント 連鶴(有料)

折鶴がいくつもつながった連鶴。
一枚の紙から折るところに特色があります。
作り方を詳しくお教えします。
開催日:奇数月の第3日曜
時 間:14:00-15:30

町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30-15:00

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00

イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日12時より受付にてお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時

5月26日(土)
ワークショップ 『張り子のお面を作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

5月27日(日)
町家衆イベント 絵本で楽しい時間

むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30-15:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

2018年5月8日火曜日

今週の今昔館(110) 新町店つき 20180508

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(19)

 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の19回目、今回は新町の2枚をご紹介します。

■新町店つき(国員画)
 新町は京都島原、江戸吉原とともに近世三大遊里の一つで、大坂において唯一江戸幕府公認の遊廓があった所で、17世紀中頃明暦頃(1655頃)にそれまで市中に散在していた遊所を集めて成立しました。四周を溝で囲んだ売春地帯でしたが、中では男女間の様々なドラマが生まれ、井原西鶴「好色一代男」や近松門左衛門「夕霧名残の正月」をはじめ数多くの文芸作品で取り上げられました。


 「見世付(みせつき)」とは遊女屋の表に面した格子の部屋をさし、客は格子越しに好みの女性を品定めしました。
 最上級の太夫は教養・諸芸に通じた遊女で、客にも相応の格が求められました。夕霧太夫は諸国に知れ渡る新町の名妓でした。ここで格式高く豪遊することに皆が憧れを持ちました。


 この地は明治5年(1872)の遊女解放令以降市街地化し、現在は昔の面影をほとんどとどめません。

浪花百景「新町店つき」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

■新町廓中九軒夜桜(芳瀧画)
 江戸時代大坂で唯一の公認遊廓のあった新町のうち、九軒町は玉造の九軒茶屋を移してきたことに因みます。西横堀川に架けられた新町橋を渡り、周囲を竹垣などで仕切られた新町の大門をくぐると、位の高い遊女を呼んで遊ぶ揚屋が並ぶ九軒町。文政2年(1819)3月新町振興策の一環として堤に桜が植えられたのが始まりで、ことに夜桜が有名でした。桜で飾り付けた最上位の遊女が桜並木のもとを練り歩く太夫道中をめあてに多数の見物客が詰めかけました。


浪花百景「新町廓中九軒夜桜」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 現在新町北公園に桜並木が再現されており、北西角には「新町九軒桜堤の跡」の碑と、当時からあった加賀千代女の句碑「だまされて 来て誠なり はつ桜」も残されています。



 天保年間発行の浪華名所獨案内を見ると、立売堀、西横堀、長堀に囲まれたところに「新町廓 九ケン通リスジ」が描かれています。廓の西には「スナバ」と「ヲグラヤ」があり、さらに西には、「鰹座」と「クワンヲン」があります。新町廓を通り抜け、観音を見て、長堀に沿って四ツ橋に出る赤い線が引かれ、観光モデルルートとなっています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 新町南公園には、「ここに砂場ありき」の石碑があります。この辺りは、大阪城築城の際に砂や砂利などの資材が置かれた場所だったので、通称『砂場』と呼ばれていました。「二千年袖鑑(そでかがみ)」によると、秀吉が築城に着手した天正11(1583)年の翌年、そばを扱う店が創業したと記されており、営業形態を整えたそば店としては大阪の「いづみや」「津の国屋」が国内で一番古いといわれます。やがて店名をいわなくても「砂場」といえばそば店を指すようになり、店名も「砂場」に改められ、のちに「砂場」は東京に進出し、「藪」「更科」とともに江戸の三大そばの一つになったといわれます。



 文化3年(1806)発行の増修改正摂州大阪地図を見ると、西長堀に架かる新町橋を渡ると正面に大門があり、溝が廻らされた遊郭が描かれています。遊郭の左上あたりに「九ケン丁」の文字があります。新町は大半が▲印の南組ですが、遊郭内には一部●印の北組が見られます。

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)

 天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、溝は描かれていませんが、遊郭の部分の町割りが他と違っている様子が分かります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、西横堀の西を通る四ツ橋筋と長堀の北の通り(末吉橋通)に市電が走り、新町橋の傍には「新町一」停留所があります。遊郭が廃止され市街地化した後が描かれています。「よ」のマークは寄席です。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、四ツ橋筋、あみだ池筋、末吉橋通に市電が走り、四ツ橋交差点の北東角に「電気科学館」があり、新町には「新町演舞場」の文字が見えます。その上には「九軒」の文字があります。その左側を見ると「わらぢや」の文字が見えます。この地図を制作した「和楽路屋」の本社があったところです。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、東西の長堀北通と南北の四ツ橋筋に市電が通っています。
 右上の昭和7年では、あみだ池筋にも市電が通っています。それ以外の道路は、かつてのままの道幅で残っています。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、あたり一帯が戦災を受けたことが分かります。この時点では長堀、市電東西線、南北線ともに市電が残っています。
 右下の昭和53年を見ると、長堀は埋め立てられ、中央分離帯のある幅の広い長堀通となっています。市電南北線は廃止され、新たに都市計画道路として、なにわ筋と新なにわ筋が通って幹線となっています。区画整理によって街区の整理がされ、かつての遊郭の痕跡は見えなくなっています。

明治42年~昭和53年の地形図(今昔マップ3より)

 今回は、「浪花百景」の新町をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。昭和戦前までは、遊郭の跡に新町演舞場があり、かつての面影が多少は残っていたかもしれませんが、戦災によってあたり一帯が焼失し、戦災復興の区画整理がなされたことによって、町並みは一新しています。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。



〇大阪くらしの今昔館は「重文民家をつなぐ!-それは文化とともに建物を次世代に伝えること-」を共催します

 民家を愛する方、民家をもっと知りたい方 必見です!
重文民家は建物の魅力だけではありません。とても大切な伝統文化をつないでいるのです。

 特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」設立40周年記念パネルディスカッション

 国指定重要文化財民家(重文民家)の半数以上は、代々個人の住宅です。住み続けることで重文民家の貴重な文化を守っています。このパネルディスカッションでは、重文民家が大切な伝統文化をつないでいることを所有者自らが語ります。重文民家を伝統文化とともに次世代につなぐにはどうすればよいかを、英国の事例に学びながら考えます。

◆日時 2018年5月27日(日)
    13:30~16:30(受け付けは13:10から)

◆会場 大阪市立住まい情報センタ- 3階 ホ-ル

◆参加費無料(定員150名 先着順)

◆プログラム
1 所有者が語る重文民家をつなぐ意味
・天皇即位の儀式と三木家住宅ー大嘗祭の麻布(麁服(あらたえ))ー 三木 信夫(徳島県 三木家住宅)
・世界文化遺産の地・宮島で厳島文化と上卿屋敷(林家住宅)を伝える 出先 洋一(広島県 林家住宅)
・高林家住宅に伝わる百舌鳥精進と年中行事―家族で受け継ぐ400年-  高林 永統・高林 宗弘(大阪府 高林家住宅)

2 歴史住宅を次世代につなぐための支援~英国の事例から~  (通訳あり)
・次世代につなぐ-英国では歴史住宅をどのように次世代に継承しているのか
  Ben Cowell (イギリス Hisitoric Houses 代表)

3 ディスカッション -重文民家を次世代につなぐために (通訳あり)

◆主催:特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」
    大阪教育大学居住環境学研究室
    大阪くらしの今昔館
    大阪市立住まい情報センタ-




〇企画展「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」開催中です。5月27日(日)までです。

 本展で初公開となる「三井別家中川コレクション」は、江戸時代の豪商三井家の別家中川九兵衛(なかがわくへえ)家に伝来する書画、茶道具、食器類などのコレクションです。
 三井家は、江戸、京都、大坂の三都に呉服店を構え、両替商も営んでいました。幕末の大坂の名所を描いた『浪花百景』には、高麗橋2丁目にあった大坂本店の繫栄ぶりが描かれています。

 ところで、京都と大坂では風土や文化が異なるという指摘が古くからあります。一方で、京・大坂を一体にした上方文化という歴史用語もあります。2つの都市は、淀川という大動脈によって密接に結ばれていて、共通する生活文化が醸成されたことも事実です。例えば、船場言葉は京言葉と似ていますし、町家や町並み、年中行事など、両都市に共通する生活文化は数多く見いだすことができます。また、大坂の豪商・加島屋が京都出水の三井家から花嫁を迎えたように、京都と大阪は人や文化の交流を深めながら共に発展してきました

 中川家は、享保期頃(1716~1736)より代々京都西陣に近い千両が辻で本家と同じ呉服業を営んでいました。明治初頭に廃業しますが、現在の当主で10代目を数える旧家です。
 歴代の当主たちは家業に勤しむかたわら、歌人や茶人、絵師や陶工と親しく交流しました。また、家業だけでなく年中行事や通過儀礼といった生活面においても、本家や他の別家との交際も重要だったと推察されます。
 このような、富裕な商家ならではのくらしを営むなかで、来客をもてなす膳碗や酒器、食器類、四季折々に床の間を飾る掛軸や花器、そのほか調度品や装飾品などが蓄積されました。また、8代目当主(明治14年~大正10年/1881~1921)は茶の湯の愛好者で、茶道具類の収集にも熱心だったといいます。


 本展は“四季のしつらい”と“もてなし”をテーマに、「三井別家中川コレクション」から、端午の節句飾り、季節を演出する掛軸や花器、また、茶道具をはじめ陶器、漆器、ガラス器などの道具類、100点余りを展示します。上方の富裕な商家に育まれたくらしの美を感じていただければ幸いです。

会期 平成30年4月21日(土)~平成30年5月27日(日)
開催期間中の休館日 毎週火曜日
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)


唐獅子牡丹図大鉢

中川家に伝来の甲冑



〇今週のイベント・ワークショップ

5月9日(水)~12日(土)、14日(月)、16日(水)~19日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

5月13日(日)、20日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

5月12日(土)
町家衆イベント ワークショップ『押し花しおりを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費200円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します     
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

5月13日(日)
町家衆イベント おじゃみ(有料)

古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

5月20日(日)
町家衆イベント 連鶴(有料)

折鶴がいくつもつながった連鶴。
一枚の紙から折るところに特色があります。
作り方を詳しくお教えします。
開催日:奇数月の第3日曜
時 間:14:00-15:30

町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30-15:00

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00

イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日12時より受付にてお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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初めての方はこちらからどうぞ。
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