2021年4月28日水曜日

今週の今昔館(264) 上牧、本澄寺 20210428

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(43)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「上牧、本澄寺」をご紹介します。上牧とは「上の御牧」で、「中の御牧」の柱本、これに鳥飼の御牧をあわせて、摂津三牧と呼ばれていました。


■上牧、本澄寺
 天王山から水無瀬の里を過ぎると、摂津国島上郡上牧村の浜にさしかかります。この川筋から右奥に見える堂宇が法華山本澄寺で、日蓮宗の寺院です。文明三年(1471)に創建されたと伝わり、俗に上牧の高祖と呼ばれますが、その由来は、本堂に安置された高祖日蓮像で、日蓮の自作と伝えられています。江戸時代初めに東福門院が祈願されて以降、多くの信者が参拝したと言われます。

淀川両岸一覧下船之巻「上牧、本澄寺」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 本澄寺は「厄除けの高祖」として知られ、宗門の人々の信仰を集めました。
 本文の解説にもあるように、例祭は春と秋に行われ、秘仏の高祖像が開帳されます。春の例祭(3月12日)には京都から、秋の例祭(9月12日)には大坂から群居して参詣者が訪れました。挿絵にはその様子は描かれていませんが、参詣の人々は船を仕立てて、船中で題目を唱えながら太鼓を打ちならしてやって来ました。彼らはこの御開帳に高祖像を一目見ようと、先を争って押しかけ、また、檀家の村人も例祭の日には農作業よりも法要が優先と、寺に集まって参詣者をもてなすのが慣わしでした。
 上牧とは「上の御牧」で、「中の御牧」の柱本、これに鳥飼の御牧をあわせて、摂津三牧と呼ばれていたと言います。

 絵の賛は、次の二作です。

 蒟蒻に 箔の付きたる 御影講 許六
 袖も柿も 拝れにけり 御影講 沾圃


 本文の解説は次のとおりです。
■上牧
 高浜村の下にあり。いにしへ御牧のありし旧跡にしてすなはち上の御牧なり。中の御牧は柱本にして、ともに「延喜式」に出づ。広瀬よりこれまで水上およそ十四町半余
■上牧神祠(かみまきのやしろ)
 上牧村にあり。当村および鵜殿・井尻両村の生土神(うぶすな)とす
■本澄寺
 右同村にあり。日蓮宗、洛陽本満寺に属す。俗に上牧の高祖と称す。これより北街道筋梶原村に一乗寺とて同宗の大地あり。
 当寺本堂に安置する所は、高祖四十二歳御自作の木像にして、世に厄除けの高祖と称し、宗門の男女帰依して、例祭三月十二日は京師より群参おびただし。上鳥羽法花浜より乗船し、船中にて題目を唱へ、太鼓を打ちならし、淀の大河も狭しと漕ぎ下せり。また九月十二日は浪花よりも同じく前夜より乗合の船に異体同心の男女押し合ひて各々祖像の開扉を争ひ拝す。平日は容易(たやすく)開く事を許さず。さてまた当村はことごとく経宗にして、右春秋両度の法会には農業を休み寺へ打ちこぞり、詣人を饗(もてな)す事宛(あたか)も生土神の祭礼のごとし。


 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の上牧付近を見てみましょう。この絵は北から見た風景を描いていますので、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の左上が八幡、中央上部に橋本の町が描かれています。絵の手前側が淀川の右岸で、「みなせ川」「広瀬」「高浜村」「上牧」「中村」「うとの」「大つか」の文字が見えます。淀川には曳き船をしている三十石船が描かれています。

「よと川の図」の上牧付近(大阪くらしの今昔館蔵)


 上牧付近の様子を地形図で見てみましょう。今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治41年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 1枚目は、男山から樟葉にかけての広域を表示しています。淀川右岸には山すそを西国街道が通っています。街道に沿う形で東海道本線が走っています。淀川との間には農地が拡がっています。左岸には京街道が通り、樟葉には道路沿いに町が形成されています(町樟葉)。樟葉の対岸には湿地帯が広がり、その奥に上牧の集落が見えます。


今昔マップより上牧付近広域(男山~樟葉)

 2枚目は、上牧付近を拡大して表示しています。
 淀川の西側に湿地帯が広がり、その西側に上牧の集落があります。集落の北寄りに寺院の記号が見えているのが本澄寺です。最新の地理院地図では、湿地帯が埋め立てられて東上牧2丁目と3丁目になっています。上牧町2丁目の左手に寺院が本澄寺です。

今昔マップより上牧付近

 3枚目と4枚目は、国土地理院地図の自分で作る色別標高図です。5mから5m刻みで色を変えています。図の「+」のところが上牧です。山裾を東海道本線が通り、その東側を新幹線と阪急京都線が並行して走っています。
 拡大した図を見ると、上牧付近の標高は、淀川の河川敷よりも低い地盤となっていることがわかります。


自分で作る色別標高図の上牧付近広域
自分で作る色別標高図の上牧付近

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「上牧、本澄寺」をご紹介しました。



〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館は、臨時休館しています
 【令和3年 4月25日(日)~5月11日(火)】


 新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令に伴い、4月25日(日)~5月11日(火)までの間、臨時休館しています。



〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」も臨時休館しています

 会期は、令和3年4月17日(土)~6月13日(日)
 4月25日(日)~5月11日(火)まで臨時休館

 大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
 日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
 重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
 春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。

【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
 こちらからどうぞ⇒https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk


喜雨滴る
あお麦風々
桜東風
朝露涼夏
ランプシェード


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw





〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


2021年4月21日水曜日

今週の今昔館(263) 大山崎 20210421

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(42)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「大山崎」をご紹介します。大山崎は天王山への登り口に位置し、天王山の山並みの先端にあたります。


■大山崎、天王山、観音寺、宝寺
 淀を過ぎると右手に天王山、左手に男山が淀川を挟む格好で、ちょうど京の喉元を押さえるかのように向かい合って立っています。大山崎はこの天王山への登り口に位置し、その名の通り天王山の山並みの先端にあります。
 この辺りが都への南の玄関として、歴史上の要衝地であったことは、秀吉が明智光秀を破った山崎の戦など、争奪が激しかったことからもわかります。
 また、天王山には挿絵にもあるように、観音寺、宝寺(宝積寺)の他、大念寺、酒解神社など数々の古社寺が建ち並び、さしずめ山全体が神仏の霊場のようなものでした。
 乗客は船中からこの神々しい山稜を見上げながら、いにしえの合戦に思いを馳せたのでしょうか。

淀川両岸一覧下船之巻「大山崎、天王山、観音寺、寳寺」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 絵は淀川右岸の天王山を、対岸の橋本から眺めた風景を描いています。天王山の麓、山崎について、本文は次のように記しています。

 ≪茶店、旅舎(はたご)多く有て賑わし。此所、参詣所しばしばあり。≫

 茶店や旅籠が多くあったのには理由があります。つまり、「参詣所」とあるように、寺社仏閣が点在していたからなのです。
 絵の右側、山の中腹にみえる鳥居は「大山崎天王社」、いまの自玉出祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさけとけじんじゃ)です。その右下に見える伽藍は「観音寺」、「山崎の聖天さん」の名で親しまれている妙音山観音寺です。絵の左にみえる三重の塔は「宝寺」、すなわち天王山宝積寺です。ほかにも、千利休が住まった妙喜庵、離宮八幡宮など、旅人の心を惹きつける名所にことかかない。それが当時の山崎という土地だったのです。

 本文の解説には次のようにも記されています。

 ≪此の大山崎の駅路は京師九条東寺の西、四ツ塚より西南につづき、桂川久世橋を渉り、向町を歴て山崎に向ひ、関戸院の旧跡に至る。是関西三十三州の官道にして、文禄年中、豊臣秀吉公朝鮮征伐の時、闢(ひら)く所也。故に唐街道(からかいどう)といふ。≫

 ここにある官道、唐街道とは、西国街道のこと。淀川を利用した京坂の「川の道」は、右岸の西国街道、左岸の東海道(京街道)とともに、発展していったのです。

 絵の賛は次の漢詩と発句です。

 窃窕たる●城、水湾を臨む (●はさんずいに奠)
 豊公曽て此に 瑤顔を蓄ふ
 閨中に誇て指す天王の色
 是我當年賊を破るの山  鎮西 韓中秋

 山吹の 庭にも咲くや 宝寺  沂山

 聞きはづす ばかりに啼くや ほととぎす 醒花

本文の解説は次のとおりです。
■神木(かみのき)
 法西川の西にあり
■円明寺
 神木村の下にあり
■円明寺川
 同村を経て淀川に入る
■狐渡口
 円明寺の浜より八幡の浜にわたす舟わたしなり。渡の長さ百十間といふ。俗に狐川といふ。誤りなり。川は淀川にして、別に名なし。
■山崎
 円明寺村の下にあり。茶店・旅舎(はたごや)多くありて賑はし。この所参詣所しばしばあり。あらましをここに出だす。
■大山崎天王社
 天王山といふ。祭神素戔烏尊の御子八王子を鎮座したまふ。山崎郷中の生土神(うぶすな)とす。例祭四月八日、神輿三基を出だす。
■古戦場
 天正十年、羽柴秀吉、明智光秀と戦ふ。世に山崎合戦といふ。
■観音寺
 天王山の東半腹にあり。真言宗なり。
 本尊観世音(聖徳太子の御作)
 祖師堂(本堂の左にあり、弘法大師の像を安ず)木食以空僧正中興して、当時のごとく再建あり(当時の客殿より淀・八幡の風景眼下にさへぎりて、魂をいたましむるの佳境なり)聖天堂(本堂の前、右の傍にあり。霊験あらたなりとて世に名高し)
■宝寺
 観音寺の南にあり、補陀洛山宝積寺と号す。真言宗なり
 本尊十一面観世音(立像にして聖武天皇と行基大士の両作なり)
 三重塔(大日如来を安置す)聖武帝石塔婆(庭上にあり)
■古城蹟
 観音寺と宝寺の間にあり。文明二年山名是豊・赤松一族上洛してこの城を築くといふ
■妙喜庵
 宝寺の梺にあり。禅宗にして本尊十一面観世音なり。千利休この所に住し二畳じきの囲を建つる。豊公をりをりいらせたまひ、茶の湯ありしとぞ。袖すりの松とて名木あり。

 本文は、このあと、
■離宮八幡宮
■菅公腰掛石
■関戸明神社
■大山崎西観音寺
■関戸院の旧蹟
■橋本渡口
■水無瀬川
■水無瀬渡口
■広瀬

 右一村なり。淀小橋よりこの所まで水上およそ五十町ばかり、この地より西、桜井に待宵小侍従、古曾部に能因法師の古跡等あり。
■水無瀬殿
■後鳥羽院御廟
■阿弥陀院
■広瀬神祠
■水無瀬里
■高浜

 広瀬村の下にあり
■高浜渡口
と続きます。(解説文は一部のみ掲載しました。)


 「都名所図会」には「山崎、離宮八幡宮、寶寺、観音寺、八大天王」と「山崎谷の観音」の挿絵があります。

都名所図会「山崎、離宮八幡宮、寶寺、観音寺、八大天王」
(国際日本文化研究センターデータベース)
都名所図会「山崎谷の観音」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の山崎付近を見てみましょう。この絵は北から見た風景を描いていますので、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の左上の橋は木津川に架かる淀大橋です。絵の手前側に描かれている山が天王山で、「たから寺」「山さき」「離宮八幡」などの文字が見えます。淀川には曳き船をしている三十石船が描かれています。

「よと川の図」の山崎付近(大阪くらしの今昔館蔵)


 山崎付近の様子を地形図で見てみましょう。
 1枚目は明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)です。図の右上が淀の町で、当時は宇治川は淀の町の北側を流れ、町の北側で桂川が宇治川に合流していました。明治初年に付け替えられた木津川が、天王山と男山の間で淀川に合流しています。

明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 次に、今昔マップを利用して治水地形分類図を見てみましょう。
 宇治川、木津川、桂川の三川が合流して、天王山と男山の間を流れるこの付近は、洪水が頻繁に起きた地域で、幾度にもわたって河川改修工事が行われました。木津川と宇治川の川筋が新しく築かれ、流れが大きく変わっています。桂川は、以前は淀城の北側で宇治川に合流していましたが、山崎よりもさらに下流側で合流するように堤が築かれました。

今昔マップより山崎付近の治水地形分類図

 3枚目は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。天王山と男山が淀川の流れをせき止めるかのように並んで立っている様子がわかります。赤色は国道、黄色は府道、薄緑色は高速道路です。2つの山の間を右岸に西国街道、左岸に東海道が通っていましたが、現在でも多くの幹線道路と、新幹線、在来線、阪急京都線、京阪本線が通り抜けています。

地理院地図+色別標高図


 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「大山崎」をご紹介しました。



〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えます。
 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館は、4月10日(土)からは、「夏祭りの飾り」の展示になっています。
http://konjyakukan.com/edo_1.html


〇企画展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」が始まりました

 令和3年4月17日(土)~6月13日(日)

 大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
 日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
 重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
 春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。

【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
 こちらからどうぞ⇒https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk


喜雨滴る
あお麦風々
桜東風
朝露涼夏
ランプシェード


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
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 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
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2021年4月14日水曜日

今週の今昔館(262) 淀小橋 20210414

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(41)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「淀小橋」をご紹介します。当時の宇治川は淀の町の北側を流れており、淀小橋が架けられていました。


■淀小橋
 伏見から宇治川に沿って京街道を徒歩で来た旅人が淀の城下に向かうには、宇治川を渡らなければなりません。その宇治川に架かるのが淀小橋です。大きな橋ですが「小橋」と名付けられているのは、より大きな橋が木津川に架かっていて、そちらが「大橋」だからです。

 「上り船の部」の本文は次のように記しています。

 ≪城郭の上にあり。長さ七十六間、橋下の大間に鉄灯炉を釣り終夜灯を灯じ通船の便とす。≫

 「上り船の部」においては、淀川の左岸の風景を下流から上流へと紹介していますから、「城郭の上にあり」とは、淀小橋は淀城の上流に位置しているということです。
 また、「下り船の部」には、

 ≪両岸共に茶店・旅店・貨食家多く繁昌なり。≫

と記しています。
 淀の宿場には、本陣・脇本陣こそありませんが、交通の要衝で風光明媚な場所であるがゆえに、多くの旅館や茶店が軒を連ねていたのです。

淀川両岸一覧下船之巻「淀小橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 絵は淀川左岸から小橋の橋下を眺めた風景で、右が上流、左が下流です。橋脚の間から奥に見える鳥居が淀姫社で、淀川右岸の水垂村の産土神(うぶすな)でした。対岸には旅人目当てに商いをする店が並んでいるのが見えます。小橋といいながら大河の流れに耐えることができるよう、たいそう立派な造りの橋脚になっています。そこを通過する船が三艘。向こうの二艘が十石船で、手前は旅客を乗せた三十石船です。

 淀小橋の橋下は水流が巻いている上、急流のため、船頭にとっては鬼門でした。「三十石船唄」にも

 伏見下がれば淀とはいやじゃ いやな小橋をとも下げに

と船頭の気持ちを歌っています。「とも下げ」とは、船を回転させて艫(とも)つまり船尾から下ることを言います。

 絵の右上の漢詩は次のとおりです。

酒慢(しゅまん)、茶檣(ちゃしょう)、又一湾/春雲碧(みどり)を涵(うるほ)し未だ山に帰らず/流れに乗りて偏へに恐る、誤って相触るるを/舟を転じ退き行く橋脚の間 島棕隠

 川の流れによってコントロールが効かなくなって、誤って橋脚に触れることを恐れ、船の前後を回転させてスピードを落とし橋脚をやり過ごしていたのです。

 西鶴の「世間胸算用」巻四ノ三「亭主の入替り」にも、「程なう淀の小橋なれば、大間の行燈目的に、船を艫より逆下し」とのくだりがあります。橋脚保護のため船尾を前にして失速させ、衝突事故を予防したのですが、下りといえども、ここでの舵取りは容易ではありませんでした。その行燈が、絵の中央左に描かれています。ここを通過する船の安全を守るため、こうした配慮が必要だったのです。

 本文には、次のとおりの解説があります。
■淀小橋
 長さ七十六間、南北に架す。両岸共に茶店・旅店・貨食家多く繁昌なり。領界より水上およそ二十三丁。橋下には夜、燈籠を照らし通船の便とす。
■納所(のうしょ)
 右小橋の北詰なり。ここに過書船の番所あり。
■唐人雁木(とうじんがんぎ)
 同所にあり。朝鮮人来朝の時、大坂より河舟にて上り、この所より陸地を行くなり。
■鳥羽川
 加茂川の下流なり。横大路の辺に至り桂河の末と合し、唐人雁木の下にて淀川に入る。
■水垂(みづたれ)
 鳥羽川の傍にあり
■淀姫社(よどひめのやしろ)
 水垂村にあり。この所の生土神とす。
 祭神三座、中央淀姫神、東間千観内供、西間天神。当社は千観法師の勧請なりと云ふ。若宮(本社の西にあり)多宝塔(鳥居の東にあり。大日如来を安ず)火大神祠・地蔵堂(本社の東にあり) 例祭九月二十三日、神輿一基あり。
■宮之渡口
 右淀姫の社の鳥居前より鳥羽川の落合を小橋の北づめへの舟わたしなり。
■大下津
 水垂村につづく
■法西川(ほうさいがは)
 大下津村の下にあり。
 この所より大坂まで陸路行程九里の場所なり。

 「下り船の部」においては、淀川の右岸の地名や風景を上流から下流へと順に紹介していきますから、「○○の下にあり」という言い回しが、これ以降頻出します。「○○の下流側に位置する」という意味になります。


 「都名所図会」には「淀姫社、浮田森、淀小橋」の挿絵があります。

 本文には、「大橋(木津川の末にかくる橋なり、長さ百四十間あり。)、小橋(宇治川伏見の沢等の下流にかくる橋なり、長さ七十間、城郭造営の時かけ初しなり。)」と、解説があります。小橋の長さが「淀川両岸一覧」と差異がありますが、大橋が小橋の2倍ほどの長さがあったことがわかります。

都名所図会「淀姫社、浮田森、淀小橋」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の淀小橋付近を見てみましょう。この絵は北から見た風景を描いていますので、左手が伏見、右手が大坂になります。絵の向こう側左寄りに淀城が描かれ、左端に描かれている橋が宇治川に架かる淀小橋、右上に描かれている橋が木津川に架かる淀大橋です。絵の手前側の淀川右岸には、納所村があり、左手に「とみの森」、右手に「水垂」「淀明神」などの文字が見えます。

「よと川の図」の淀小橋付近(大阪くらしの今昔館蔵)


 淀小橋付近および三川合流地域の様子を地形図で見てみましょう。
 1枚目は明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)です。図の右上に見える大きな池は巨椋池、左下は山崎と八幡の間で三川が合流する所です。図の中央上部が淀城と城下町(=宿場町)です。当時は宇治川は淀の町の北側を流れ、町の北側に架かる橋が淀小橋です。淀小橋の下流で桂川が宇治川に合流し、淀川となります。淀の町の南側から町の西に向かって、木津川がかつて流れていた河道の痕跡が見られます。かつては町のすぐ近くで三川が合流していたことがわかります。

明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 次に、今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。一枚目は、左は明治42年陸地測量部地図、右は最新の地理院地図です。二枚目は、左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 左側の図では、宇治川が直線状に流れるように川筋が付け替えられた新しい河道が完成しています。「新宇治川」と表示があります。「京阪電気鐡道」に沿って旧河道も残っており、「舊宇治川」の文字が見えます。
 右の図では、横大路沼は埋め立てられて横大路運動公園になっています。新旧宇治川の間、淀の町の東側に京都競馬場が見えます。競馬場中央の池はかつての地形を利用して作られています。黄色の道路は府道を示しています。
 2枚目の地図の左側を見ると、横大路沼の部分は黄色に赤い横線が引かれ、埋め立てられたことを示しています。木津川の旧河道が青色の横縞で表示されています。かつての木津川と新しい宇治川がほぼ直角に交差しており、地形が大きく改造されたことがわかります。右側の図では、右上の宇治川の旧川筋は埋め立てられて宅地になっています。

今昔マップより淀小橋付近
今昔マップより淀小橋付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。5mから5m刻みで色を変えています。この地域は、大半が10m~15mの薄い水色ですが、淀城の石垣の内側と、宇治川と桂川の堤防、桂川の北側の淀水垂町の造成地に、黄緑や黄色が見られます。地図の中央「+」印のところが淀小橋があった位置です。

地理院地図+自分で作る色別標高図


 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「淀小橋」をご紹介しました。



〇大阪くらしの今昔館は、4月10日(土)からは、「夏祭りの飾り」の展示になっています。
http://konjyakukan.com/edo_1.html


〇次回の企画展は「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」

 令和3年4月17日(土)~6月13日(日)

 大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
 日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
 重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
 春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。

【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
 こちらからどうぞ⇒https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk


喜雨滴る
あお麦風々
桜東風
朝露涼夏
ランプシェード


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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