2018年2月27日火曜日

今週の今昔館(100) 真言坂 20180227

 今週の今昔館は、今回で100回目を迎えました。今後とも「大阪くらしの今昔館」をどうぞよろしくお願いいたします。

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(9)

 9回目も引き続き上町台地の名所をご紹介します。名所の多い天王寺区です。
 今回は昨年の「第9回なにわなんでも大阪検定」に出題された「真言坂」を取り上げます。有栖川有栖さんの「幻坂」の文章を読み空欄を埋める記述式問題で、「真言坂」「浪花百景」が正解でした。「幻坂」の本文は「浪花百景」ですが、錦絵のタイトルは「浪速百景・真言坂」ということで、「浪花百景」「浪速百景」「浪華百景」の3つとも正解と認められたようです。

■真言坂(国員画)
 上町台地の西側には起伏に富んだ地形が坂を形成、いわゆる「四天王寺七坂」と称して趣ある風景を作り出しています。その一つの真言坂は、当時は高津宮参道と生国魂神社北門を結ぶ坂で、両神社への参拝者で周辺はにぎわいました。
 生国魂神社の神宮寺は真言宗の法案寺で、同寺は別当南坊以下、医王院、観音院、桜本坊、新蔵院、遍照院、曼荼羅院、持宝院、覚園院、地蔵院という塔頭十ヶ寺を擁していました。俗に生玉十坊と総称されたこれらの塔頭の内、南坊、医王院、観音院が神社から北へ下る坂道の西側に並び、対面する東側には遍照院、新蔵院、桜本坊の3ヶ寺が並んでいました。そのためこの坂は一般に真言坂と称されました。浪花大師巡りの札所としても知られていました。しかし、明治の神仏分離で塔頭寺院は神社周辺を離れました。
 錦絵のタイトルは「浪速百景・真言坂」となっています。理由はよくわかりませんが、絵によって「浪花」「浪華」「浪速」が使い分けられています。

浪花百景「真言坂」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブより)
現在の真言坂

■生玉絵馬堂(国員画)
 生国魂神社は生島神・足島神を祀る「延喜式」式内大社です。「日本書紀」の大化元年(645)孝徳天皇即位前紀に「仏法を尊び、神道を軽(あなど)」った孝徳天皇が「生国魂社の樹を斮(き)」ったと記されるほどの古社で、「難波大社」とも称されました。
 もともとは、石山本願寺(大坂城地)近傍に鎮座しましたが、信長の石山合戦の際に焼失。秀吉の寄進により現在地に遷座したと伝えられます。
 西側は上町台地の断崖で、安政年間(1854~1860)頃、絵馬堂が作られ、難波津から六甲山系、淡路の島影まで見渡せる絶景が好まれました。西鶴の俳諧興行、近松の「生玉心中」など文芸とのつながりも深い土地です。


浪花百景「生玉絵馬堂」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブより)

■生玉辨天池夜景(芳雪画)
 生国魂神社の東門の前には、かつては池があり、中央の島に弁天宮が祀られていたため一般に弁天池と称せられました。弁天宮の南側部分には白蓮が、北側には紅蓮が一面に植えられて、蓮の香りが四方に芳しく、江戸時代には幽玄な蓮見の名所として知られていました。
 「浪華の賑ひ」には、「門前の池には夏日、蓮の花紅白をまじへて咲き乱れ、荷葉(蓮の葉)の匂ひ四方に芳し」と記されています。池畔の料理屋では蓮葉飯や蓮酒が供され、季節の風流を楽しめました。


浪花百景「生玉辨天池夜景」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブより)

 天保年間発行の「浪華名所獨案内」には、「生玉宮」が絵入りで描かれています。東側には鳥居があります。藍色の線は、モデル観光ルートを示しています。
 大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」の生魂神社付近を見ると、神社の左上(北側)に描かれている北へ下りる坂が真言坂です。神社の右上(東側)には、辨天池も描かれています。この時代には、まだ池があったのですね。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵・上が東です)

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 今回は、「浪花百景」の真言坂と生玉神社の絵馬堂、辨天池をご紹介しました。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「浪花の大ひな祭り」開催中です。

会期:平成30年2月18日(日)~4月2日(月) 
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
閉館日:毎週火曜日


 ひな祭りは女の子の成長を願う節句として、江戸時代には大坂の町人にも親しまれていました。上方の雛飾の特徴として内裏雛(女雛・男雛)が御殿に入る雛飾が、かつては多く作られました。また、台所道具を模した「勝手道具」は女の子に家事を教えるという意図を込めて雛に添えて飾り、手にとって遊ばれていました。
 本展では、上方の雛の特徴を持った大阪の商家の雛飾などを展示します。特に昨年寄贈された大坂の豪商「加島屋」(廣岡家)の豪華な享保雛と多種多様な雛道具の数々は必見です。また、全国から摂南大学に寄せられた雛人形の中から600体を飾る「大ひな壇」の迫力もお楽しみください。
≫ http://konjyakukan.com/kikakutenji.html

「ひなそふぁ」で、お雛さんと記念写真をどうぞ
ひな600体の大雛飾(摂南大学蔵)
享保雛 加島屋伝来(大阪くらしの今昔館蔵)



〇今週のイベント・ワークショップ

2月28日(水)~3月3日(土)、5日(月)、7日(水)~10日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:11:30、14:30
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

3月3日(土)
イベント 今昔館のひな祭り

ひな祭りを祝おう
①13時 ②14時30分
中学生以下対象
参加費無料
※各回先着20名 当日、12時~ 8階受付にて、整理券を配布します

3月4日(日)、11日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

3月4日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

3月10日(土)
ワークショップ 『木の継ぎ方を知ろう』

13時30分~15時
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆
参加費無料

3月11日(日)
町家衆イベント おじゃみ

古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

イベント 町家寄席-落語
江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演:笑福亭伯枝、他
14時~15時


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

2018年2月20日火曜日

今週の今昔館(99) 「浪花の大ひな祭り」開催中 20180220

〇企画展「浪花の大ひな祭り」開催中です。

会期:平成30年2月18日(日)~4月2日(月) 
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
閉館日:毎週火曜日


 ひな祭りは女の子の成長を願う節句として、江戸時代には大坂の町人にも親しまれていました。上方の雛飾の特徴として内裏雛(女雛・男雛)が御殿に入る雛飾が、かつては多く作られました。また、台所道具を模した「勝手道具」は女の子に家事を教えるという意図を込めて雛に添えて飾り、手にとって遊ばれていました。
 本展では、上方の雛の特徴を持った大阪の商家の雛飾などを展示します。特に昨年寄贈された大坂の豪商「加島屋」(廣岡家)の豪華な享保雛と多種多様な雛道具の数々は必見です。また、全国から摂南大学に寄せられた雛人形の中から600体を飾る「大ひな壇」の迫力もお楽しみください。
≫ http://konjyakukan.com/kikakutenji.html

ひな600体の大雛飾(摂南大学蔵)
享保雛 加島屋伝来(大阪くらしの今昔館蔵)


〇今週のイベント・ワークショップ

2月21日(水)~24日(土)、26日(月)、28日(水)~3月3日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

2月24日(土)
ワークショップ 『ミニ雛人形を作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、1人300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します

2月25日(日)、3月4日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

2月25日(日)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸、桂小鯛
14時~15時

町家衆イベント 絵本で楽しい時間
むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30~15:00

3月3日(土)
イベント 今昔館のひな祭り

ひな祭りを祝おう
①13時 ②14時30分
中学生以下対象
参加費無料
※各回先着20名 当日、12時~ 8階受付にて、整理券を配布します

3月4日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。



〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(8)

 今回は「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の8回目、引き続き上町台地の名所をご紹介します。前回の茶臼山から北へ向かって、順に紹介していくことにします。

■安居天神社(芳雪画)
 四天王寺の僧が院にこもって修行する安居院(あんごいん)があった場所で、菅原道真が大宰府への左遷に際し船待ちのためしばしこの地に安居(休息)したためその名が起こったともいわれ、その伝承も加わり天神信仰の社となりました。
 境内は天神森とか安井森などと呼ばれた景勝地で、特に桜の季節には花見客で賑わいました。錦絵の山裾中央やや右に見えるのが天王寺七名泉の一つに数えられた「安井清水」。
 また、大坂冬・夏の陣では、この一帯は主戦場でした。夏の陣最後の決戦で、茶臼山に布陣した真田幸村が激しい攻防の中で大奮戦の末最期を遂げた地としても知られ、毎年5月7日には幸村祭が執り行われます。
 
浪花百景「安居天神社」(大阪市立図書館蔵)

■天王寺増井(芳瀧画)
 江戸時代、大坂三郷といわれる大坂市中の井戸水は塩気を含んで飲めないため、川から水を汲んできたり、水屋から川水を買ったりして飲み水としていました。そうした中、天王寺付近の台地だけは良質の井戸が多く、とりわけ新清水崖下の増井清水は、亀井、玉出、相坂(おうさか)、安井、有栖、金龍の各清水とともに「天王寺七名泉」の一つに数えられています。曲亭馬琴の「羇旅漫録」にも「増井の清水、その外天王寺邊の井戸水を汲みにゆくもの、夕方より引きもきらず」と記されています。以前は、上下二段の水汲み場があり、上は武家、下は庶民が使用したといわれます。井戸からあふれた水が池を作り、周囲に藤棚もあって、憩いの場でもありました。現在は井桁と屋根が残るのみです。

浪花百景「天王寺増井」(大阪市立図書館蔵)

■新清水紅葉坂瀧(芳雪画)
 四天王寺の支院清光院は、寛永17年(1640)京都清水寺から聖徳太子作と伝える千手観音を譲り受けて本尊としたため、一般に新清水と通称されます。本堂前には清水寺を模した優美な舞台が設けられ、遠く淡路島や播磨の国が眺望できたといわれます。本堂脇から下る石段には楓の木がたくさん植えられて紅葉坂と名付けられ、境内を覆い尽くす紅葉の頃はいっそう美しく、参拝者を集めました。南側の崖にはこれも清水寺の音羽の滝を模して作られた「玉出の滝」を設けて市内唯一の水の行場としました。今日も三条の水を落としています。

浪花百景「新清水紅葉坂瀧」(大阪市立図書館蔵)

 天保年間発行の「浪華名所獨案内」には、安井天神、キヨミズ、増井清水、相坂清水が描かれています。大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」にも、安井天神、清水寺の文字があります。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵・上が東です)

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 今回は、「浪花百景」の安居天神社、天王寺増井、新清水紅葉坂瀧をご紹介しました。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。



大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

2018年2月13日火曜日

今週の今昔館(98) 上町台地の名所 20180213

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(7)

 今回は「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の7回目、引き続き上町台地の名所をご紹介します。台地の南端(天王寺区内)の茶臼山です。

■茶臼山雲水(芳雪画)
 茶臼山の河底池に南接する邦福寺は、宝永6年(1709)黄檗四代独湛を招請して中興とした黄檗宗別格寺院。修行に励む雲水が大勢いたことから雲水寺とも称されました。
 黄檗の寺らしく仏殿・楼門など諸堂すべてを中国様式で整えていました。庭には桜や紅葉が多数植えられ、茶臼山もまるで園内にあるかの如く借景として取り込まれ、方丈座敷からの眺望はことのほかすばらしく、来観者が絶えませんでした。
 それら客の需に応じて出された普茶(ふちゃ)料理(中国風精進料理)は当寺の名物でした。煎茶の急須塚も祭祀されるなど、江戸時代以降、多くの文人が訪れた名刹でした。境内には湯が湧き、湯屋も設けられていたといわれます。昭和45年統国寺と改称されます。現在はベルリンの壁があることでも知られているお寺です。

浪花百景「茶臼山雲水」(大阪市立図書館蔵)

統国寺にあるベルリンの壁

■茶臼山(芳雪画)
 茶臼山については、5世紀ごろ築造の全長200m近い前方後円墳であるという説があります。しかし昭和61年(1986)の発掘調査結果によると、古墳に欠かせない葺(ふ)き石や埴輪(はにわ)が全く見つかりませんでした。一方、規則正しい作られ方をしている盛り土は、堺市の大塚山古墳や御勝山古墳にも共通していることから、茶臼山が古墳丘ではないとも断定できず、専門家の間で議論が繰り広げられ、結論が出されていないのが現状です。
 いまひとつの説として、延暦7年(788)に和気清麻呂が上町台地を東西に横切る運河の開削を試みましたが未完成に終わりましたが、茶臼山南側の河底池(こそこいけ、通称ちゃぶいけとも言う)はその際の河川の遺構で、茶臼山は掘り出した土を積み上げたものだとする説があります。

 明治期には住友家の邸地となり、須磨への本邸の移転後は、大正15年(1926)に住友家から大阪市へ寄贈され、天王寺公園として市民の憩いの場となっています。
 

浪花百景「茶臼山」(大阪市立図書館蔵)

 大坂冬の陣の際には徳川家康が本陣を置き、夏の陣では豊臣方の真田幸村が陣を布き、天王寺口の戦いとして激戦地となった舞台。幸村は最前線で徳川方を迎え討ちますが、壮絶な戦いの末、すぐ北の安居天神に落ちてゆきます。合戦の後、茶臼山山頂にて家康が戦勝を祝しました。江戸時代はこれに敬意を表して禁足地とされていました。現在当地には、「大坂の陣史跡・茶臼山」の石碑が建っています。

大坂の陣史跡の石碑

 天保年間発行の「浪華名所獨案内」では、地図の右端(南端)に茶臼山があります。大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」では、天王寺公園の脇に茶臼山が描かれ、住友邸の文字も見えます。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵・上が東です)

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 大坂冬の陣、夏の陣の戦況をウィキペディアより引用し(≪ ≫内)、なぜ茶臼山に本陣が置かれ激戦地となったのかをみていきましょう。

 ≪慶長19年11月19日(1614年12月19日)、戦闘は木津川口の砦において始まります(木津川口の戦い)。この後11月26日には鴫野・今福で(鴫野・今福の戦い)、11月29日には博労淵、野田・福島において戦闘が行われました(博労淵の戦い、野田・福島の戦い)。数ヶ所の砦が陥落した後、11月30日に豊臣軍は残りの砦を破棄、大坂城に撤収します。

 豊臣方が籠城した大坂城を徳川方は約20万の軍で完全に包囲しました。家康は12月2日茶臼山を、以降は各将の陣を視察し、仕寄(攻城設備)の構築を命じています。4日より各隊は竹束・塹壕・築山などの仕寄の構築を行いつつ大坂城に10町から5・6町まで接近していきました。これ以前、家康は10月22日に命じた方広寺の炉で作成させた鉄盾を各将に配布しています。
 この接近時に起こった真田丸の戦い(12月3日、4日)で豊臣軍が徳川軍を撃退。秀忠は4日に岡山(のちに御勝山)に着陣し、家康が和議を考えていると知り家康に総攻撃を提案しますが、家康は「敵を侮る事を戒め戦わずに勝つ事を考えよ」と却下しています。5日、家康は住吉から茶臼山に本陣を移し、8日までに到着した部隊にも仕寄(しより、塹壕の事)の構築を命じています。
 和議の交渉は18日より徳川方の京極忠高の陣において、家康側近の本多正純、阿茶局と、豊臣方の使者として派遣された淀殿の妹である常高院との間で行われ、19日には講和条件が合意、20日に誓書が交換され和平が成立しました。同日、家康・秀忠は諸将の砲撃を停止させています。
 講和内容は豊臣家側の条件として
・本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、惣構の南堀、西堀、東堀を埋めること。
・淀殿を人質としない替わりに大野治長、織田有楽斎より人質を出すこと。
が提出され、これに対し徳川家が
・秀頼の身の安全と本領の安堵。
・城中諸士についての不問。
を約束する事で和議は成立。この他、秀頼・淀殿の関東下向を行わなくて良い事も決められました(ただし、二の丸の破壊をしなくても良いという史料もあります)。≫


 冬の陣では豊臣方は天下の名城大坂城に籠城し、総構え堀の外に陣を構えた武将は、真田丸の真田信繁(幸村)のみでした。真田丸は大坂城の最大の弱点である南側を守るために作られ、徳川方に大きな被害をもたらしました。家康が本陣を構えた茶臼山からは、大坂城を望むことができたといわれます。


大坂冬の陣布陣図(Wikipediaより)

 ≪和議条件の内、城の破却と堀の埋め立ては二の丸が豊臣家、三の丸と外堀は徳川家の持ち分と決められていました。城割(城の破却)は古来行われていますが、大抵は堀の一部を埋めたり土塁の角を崩すだけ、城郭の一部の破壊については外周の外堀だけを埋めるという儀礼的なものでした。しかし徳川側は松平忠明、本多忠政、本多康紀を普請奉行とし、家康の名代である本多正純、成瀬正成、安藤直次の下、攻囲軍や地元の住民を動員して突貫工事で外堀を全て埋めた後、一月より二の丸も埋め立て始めました。二の丸の埋め立てについては相当手間取ったらしく、周辺の家・屋敷を破壊してまで埋め立てを強行しました。講和後、駿府に帰る道中家康は埋め立ての進展について何度も尋ねています。工事は23日には完了し、諸大名は帰国の途に就きました。この際、門や櫓も徹底的に破壊されています。

 慶長20年3月15日(1615年4月12日)、大坂に浪人の乱暴・狼藉、堀や塀の復旧、京や伏見への放火の風聞といった不穏な動きがあるとする報が京都所司代板倉勝重より駿府へ届くと、徳川方は浪人の解雇か豊臣家の移封を要求します。
 4月1日、家康は畿内の諸大名に大坂から脱出しようとする浪人を捕縛すること、小笠原秀政に伏見城の守備に向かうことを命じました。
 4月4日、家康は徳川義直の婚儀のためとして駿府を出発、名古屋に向かいました。翌5日に大野治長の使者が来て豊臣家の移封は辞したいと申し出ると、常高院を通じて「其の儀に於いては是非なき仕合せ」(そういうことならどうしようもない)と答え、4月6日および7日に諸大名に鳥羽・伏見に集結するよう命じました。樫井の戦い、道明寺・誉田合戦、八尾・若江合戦を経て、最終決戦となる天王寺・岡山合戦となります。

 5月7日、豊臣軍は現在の大阪市阿倍野区から平野区にかけて迎撃態勢を構築しました。
 天王寺口は真田信繁、毛利勝永、岡山口には大野治房ら、別働隊として明石全登、全軍の後詰として大野治長・七手組の部隊が布陣しました。
 これに対する幕府方の配置は、大和路勢および浅野長晟を茶臼山方面に、その前方に松平忠直が展開した。天王寺口は本多忠朝らが展開し、その後方に徳川家康が本陣を置きました。岡山口には前田利常ら。その後方に近臣を従えた徳川秀忠が本陣を置きました。
 正午頃に開始された天王寺・岡山合戦は豊臣方の真田隊・毛利隊・大野治房隊などの突撃により幕府方の大名・侍大将に死傷者が出たり、家康・秀忠本陣は混乱に陥るなどしましたが、兵力に勝る幕府軍は次第に混乱状態から回復し態勢を立て直し、豊臣軍は多くの将兵を失って午後三時頃には壊滅。唯一戦線を維持した毛利勝永の指揮により、豊臣軍は大坂城本丸に総退却しました。
 裸同然となっていた大坂城に、殺到する徳川方を防ぐ術はもはやなく、真田隊を壊滅させた松平忠直の越前勢が一番乗りを果たしたのを始めとして徳川方が城内に続々と乱入しました。遂には秀頼の下で大阪城台所頭を務めていた大角与左衛門が徳川方に寝返り、手下に命じて城の大台所に火を付けさせるという事態も発生し、全体に延焼した大坂城は灰燼に帰し、落城しました。≫

 徳川方の関西の拠点は京都の二条城と伏見城。京都から大坂を攻めるのに、最短距離の淀川沿いの京街道を使わず、大坂のはるか東、南を迂回して郡山・法隆寺を経由して行軍し、道明寺や若江が戦場となったのはなぜか?主戦場が大阪城の南側、上町台地上に限られたのはなぜか?

 これには、大坂の地形が大きく関係しています。当時の大和川は河内平野を北西へ流れ、大坂城の北で淀川と合流していました。大坂城の東は湿地帯で大軍が進軍することは難しかったのです。このため、上町台地の付け根に当たる道明寺や平野付近が戦場となり、最終決戦では上町台地上を攻めてくる徳川方を迎え撃つため、豊臣方は茶臼山に陣を張りました。

大坂夏の陣布陣図(Wikipediaより)

 ≪戦後、大坂城には松平忠明が移り、街の復興にあたりました。復興が一段落すると忠明は大和郡山に移封され、以降大坂は将軍家直轄となりました。幕府は大坂城の跡地に新たな大坂城を築き、西国支配の拠点の一つとしました。≫


 今回は、「浪花百景」の茶臼山雲水と茶臼山をご紹介しました。あわせて、茶臼山が冬の陣、夏の陣で本陣となるなど、大坂の陣の重要拠点であったことから、大坂の陣の概要と大坂の地形についてもご紹介しました。上町台地の地形が大坂の陣の戦況にも大きな影響を与えたことがよくわかります。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。



〇次回の企画展「浪花の大ひな祭り」2月18日からです。

会期:平成30年2月18日(日)~4月2日(月) 
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
閉館日:毎週火曜日


 ひな祭りは女の子の成長を願う節句として、江戸時代には大坂の町人にも親しまれていました。上方の雛飾の特徴として内裏雛(女雛・男雛)が御殿に入る雛飾が、かつては多く作られました。また、台所道具を模した「勝手道具」は女の子に家事を教えるという意図を込めて雛に添えて飾り、手にとって遊ばれていました。
 本展では、上方の雛の特徴を持った大阪の商家の雛飾などを展示します。特に昨年寄贈された大坂の豪商「加島屋」(廣岡家)の豪華な享保雛と多種多様な雛道具の数々は必見です。また、全国から摂南大学に寄せられた雛人形の中から600体を飾る「大ひな壇」の迫力もお楽しみください。

http://konjyakukan.com/korekara.html

享保雛 加島屋伝来(大阪くらしの今昔館蔵)
ひな600体の大雛飾(摂南大学蔵)


〇今週のイベント・ワークショップ

2月14日(水)~17日(土)、19日(月)、21日(水)~24日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

2月18日(日)、25日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

2月17日(土)
町家衆イベント 折り紙(有料)

季節に合わせてさまざまな折り紙をお教えします。
作品は持ち帰っていただきます。
開催日:偶数月の第3土曜
時 間:13:30~15:00

2月18日(日)
町家衆イベント 今昔語り

大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

イベント 町家でお茶会
町家の座敷でお抹茶とお菓子をお召し上がり頂けます。     
協力:大阪市役所茶道部
先着順50名、茶菓代300円    
※当日12時より受付でお茶券を販売します
13時~15時

ワークショップ ハンカチを染めよう
①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、1人300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します

2月24日(土)
ワークショップ 『ミニ雛人形を作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、1人300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します

2月25日(日)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸、桂小鯛
14時~15時

町家衆イベント 絵本で楽しい時間
むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30~15:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。


大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

2018年2月6日火曜日

今週の今昔館(97) 上町台地の名所 20180206

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(6)

 今回は「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の6回目、今回から上町台地の名所をご紹介していきます。沢山ありますので、何回かに分けて。まず初めは、四天王寺関連で「勝曼院愛染堂」から始めましょう。

■勝曼院愛染堂(芳雪画)
 聖徳太子が四天王寺を建立する際、ともに造営した四ヶ院の一つ施薬院の後身といわれます。太子がここで勝曼経を講じたことからの寺名。本尊の愛染明王は愛の仏として、芸能・縁結びに信仰を集め「愛染堂」あるいは「愛染さん」と親しまれます。大坂の夏祭りの先駆け、毎年6月30日から7月2日にかけて行われる愛染祭りは、宝恵駕籠(ほえかご)行列が出て、いつの時代も艶やかさを添えます。
 堂々たる偉容の多宝塔は、慶長2年(1597)の再建で、有数の規模を誇る市内唯一の桃山期の遺構。豪華精巧な様式を伝えており、現在国の重要文化財に指定されています。

浪花百景「勝曼院愛染堂」(大阪市立図書館蔵)

■増井浮瀬夜の雪(芳瀧画)
 浮瀬(うかむせ)は新清水北坂下にあり、門前の松林に囲まれた二階建てを二棟もつ代表的な料亭。秘蔵する貝杯「浮瀬」に因み店の名としました。大きな鮑で作られた浮瀬は鮑の11の穴を塞いだ奇杯で、長曽我部元親の陣羽織で作った服紗に包み込まれ、七合半の酒を盛ることができ、これを飲み干せば名簿に名を留める名誉を得たといわれます。他にも鳴門、幾瀬の銘を付けた貝の名杯があり、浮瀬の大杯は歌舞伎・浄瑠璃のも登場、かの芭蕉翁も死の直前の元禄7年(1694)9月に句会を開いた名店。雪見の酒は風趣の極みであったでしょう。明治20年(1887)頃売却され、まもなく姿を消しました。

浪花百景「増井浮瀬夜の雪」(大阪市立図書館蔵)

■西照庵月見景(芳雪画)
 生玉寺町を南に突き当たったところの尼寺・月江寺の裏門の西に、浮瀬と同様に有名な料亭、西照庵がありました。上町台地の豊かな木々に囲まれ、京都・円山を模したといわれる庭には泉が湧き、桜や萩、菊など季節の花見が楽しめ、紅葉の名所にも数えられていました。座敷からは市中はもとより海までも見渡せ絶景でした。西照庵の名前にふさわしく、紅葉の頃には沈む夕陽に照らされて、美しさは格別であったといわれます。明治初期には姿を消しました。

浪花百景「西照庵月見景」(大阪市立図書館蔵)

■浪華名所獨案内
 浪華名所獨案内の四天王寺・上町台地付近を見ると、アイゼン、ウカムセ、西照庵ともに、掲載されています。当時から、観光の名所としてモデルルートにも入っています。この地図は、上が東になっていますので、ご注意ください。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵・上が東です)

 大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」では、愛染坂と大江神社、神社へ昇る石段は描かれていますが、愛染堂は明確には描かれていません。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

■台地を探して -浪花百景で物見遊山-
 「オープン台地in大阪」さんが作成された「台地を探して -浪花百景で物見遊山-」の地図です。高低差を色分けし、浪花百景の舞台となっている地点をプロットしています。赤が高いところ、青が低いところです。上町台地は東側に比べて西側の斜面が急勾配になっていて、とりわけ南半分には天王寺七坂と呼ばれる坂があり、眺望のいい場所や土地の起伏による景観が多く、百景の舞台となっている箇所が多くあることがよくわかります。

台地を探して -浪花百景で物見遊山-
(オープン台地in大阪)

 今回は、「浪花百景」の勝曼院愛染堂、増井浮瀬夜の雪、西照庵月見景をご紹介しました。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「道具のむかしばなし展―ものから学ぶ昔のくらし―」2月10日まで開催中です

 わたしたちのくらしは、この数十年で大きな変化をとげました。古くから使われてきた道具にかわり、それまでになかった電化製品が登場し、料理や掃除、洗濯にいたるまで、より便利で快適な生活を実現してきました。

 本展では小学校の学習内容に合わせ、さまざまな生活道具を展示し、くらしのうつりかわりを紹介します。また、昭和期の茶の間を再現した展示や、蚊帳や黒電話など道具に触れる体験コーナーもあります。

 さあ、道具たちのむかしばなしに耳をすませ、楽しく昔のくらしを学んでみましょう。

 展示内容は、こちらからどうぞ。
http://konjyakukan.com/temp-topic.html#2017/12/28




会期:平成29年12月16日(土)~平成30年2月10日(土)
開館時間:午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
会期中の休館日:毎週火曜日、年末年始(12月29日~1月2日)



〇次回の企画展「浪花の大ひな祭り」2月18日からです。

会期:平成30年2月18日(日)~4月2日(月) 
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
閉館日:毎週火曜日


 ひな祭りは女の子の成長を願う節句として、江戸時代には大坂の町人にも親しまれていました。上方の雛飾の特徴として内裏雛(女雛・男雛)が御殿に入る雛飾が、かつては多く作られました。また、台所道具を模した「勝手道具」は女の子に家事を教えるという意図を込めて雛に添えて飾り、手にとって遊ばれていました。
 本展では、上方の雛の特徴を持った大阪の商家の雛飾などを展示します。特に昨年寄贈された大坂の豪商「加島屋」(廣岡家)の豪華な享保雛と多種多様な雛道具の数々は必見です。また、全国から摂南大学に寄せられた雛人形の中から600体を飾る「大ひな壇」の迫力もお楽しみください。

http://konjyakukan.com/korekara.html

享保雛 加島屋伝来(大阪くらしの今昔館蔵)
ひな600体の大雛飾(摂南大学蔵)


〇今週のイベント・ワークショップ

2月7日(水)~10日(土)、14日(水)~17日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

2月11日(日)、12日(月・祝)、18日(土)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

2月10日(土)
ワークショップ 『版木はがき』

13時30分~15時
参加費:200円

2月11日(日)
町家衆イベント おじゃみ(有料)

古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

2月12日(月)
イベント 町家寄席-講談

江戸時代にタイムスリップ!
大坂の町家で、講談をきいてみませんか
出演:旭堂南鷹、旭堂南舟、旭堂さくら
14時~15時

2月17日(土)
町家衆イベント 折り紙(有料)

季節に合わせてさまざまな折り紙をお教えします。
作品は持ち帰っていただきます。
開催日:偶数月の第3土曜
時 間:13:30~15:00

2月18日(日)
町家衆イベント 今昔語り

大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

イベント 町家でお茶会
町家の座敷でお抹茶とお菓子をお召し上がり頂けます。     
協力:大阪市役所茶道部
先着順50名、茶菓代300円    
※当日12時より受付でお茶券を販売します
13時~15時

ワークショップ ハンカチを染めよう
①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、1人300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。


大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse