2019年1月29日火曜日

今週の今昔館(148) 源八渡し口 20190129

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(53)

 今回は、「源八渡し口」をご紹介します。

■源八渡し口(国員画)
 源八渡は天満源八町と対岸の中野村を結ぶ渡しです。
 大川右岸の源八町は大坂町奉行所の与力同心の官舎が建ち並び、樋之口から源八橋付近一帯は木村堤と称されて下流から桜並木が続き桜の名所として著名でした。左岸の中野村は農村で、梅林の名所として知られていました。渡し口からは名高い中野村の梅林を眺めることができ、毛馬出身の与謝蕪村は「源八をわたりて梅のあるじかな」という一句を遺しています。
 両岸を結ぶ渡しは、早春から梅、桜、菜の花と花に誘われる行楽の船としても広く利用されました。
 錦絵は中野村側から源八町方面を眺めたもので、堤上には多くの桜樹が見られます。この辺りは天満橋詰から始まる曳き舟の最初の区間で、堤の上を水主(かこ)たちが一里ほどにわたって三十石船を引き続けます。
 昭和11年に源八橋が架橋されるとともに源八渡は廃止となりました。

浪花百景「源八渡し口(国員画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、「天神バシ」の北詰から「天満宮」「御宮」「川崎御蔵」を経て「源八ワタシ」で淀川を渡り、「櫻ノ宮」「大長寺」「野田村」を経て、「野田橋」と「京バシ」を渡って大坂城に至るルートが観光モデルコースとなっています。源八ワタシも観光ルートに組み込まれていました。この地図は、東が上に書かれており、北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、川崎には「伊勢津(藩)」の蔵屋敷があり、付近には天満寺町や与力・同心の屋敷がありました。淀川沿いには「木村ツツミト云」の文字も見えます。木村堤を北へ進むと、「源八渡」の文字が見えます。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図には、城東線の鉄橋が描かれ、淀川東岸に「櫻ノ宮駅」があります。城東線の南側に「げんぱちの渡」の文字と舟の絵が見えます。淀川の西側、寺町の北側には工場の煙突が目に付きます。一方東側を見ると、駅の南側には市街地が広がり、北側の一角には木造の市営住宅が描かれています。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、北同心町と中野町の間に「源八橋」が架けられ、「源八渡」は廃止されています。かつて水源地があったところは「淀川貨物駅」となり、入堀も描かれています。水運と陸運の結節点でした。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)


 地形図でも確認してみましょう。まずは、明治18年の陸地測量部地図です。川崎村と中野村を結ぶ渡し船の記号が描かれていますが、名前はありません。中野村側は渡し舟の船着き場近く以外はほとんどが田畑です。川崎村側は寺町の北側に与力・同心の屋敷が並んでいます。淀川と堀川を細い水路がつないでいます。
明治18年陸地測量部地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、その後の源八渡し周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、城東線の南側に渡し船の記号が見えます。「さくらのみや」駅の北側は水源地となっています。
 右上の昭和4年では、淀川の堤防内が整備されワンドができています。渡し船はワンドの入り口までとなり、水路が短くなりました。水源地の跡が貨物駅になっています。

明治41年から最近の地形図
(今昔マップ3より)

 左下の昭和22年を見ると、名前の表示はありませんが、源八橋が架けられています。まだ渡し船も残っています。
 右下は最近の国土地理院地図です。源八橋の名前が表記されています。天満堀川が埋め立てられて阪神高速道路(地図の緑色の表示)が通っています。

 現在の源八橋付近を写真で見てみましょう。最初の写真は源八橋の東詰から橋と対岸を見たものです。かつては、中央の中州から向こう岸までの間を源八渡しが結んでいました。対岸(西詰)の河川敷に源八渡しの跡の碑があります。


中野側から見る源八橋と対岸の眺め
中野側から見る源八橋(南面)
源八渡し跡の碑

 源八渡し跡の碑の南隣には、「日羅公之碑」があります。
 大阪市のホームページによると、「伝日羅(にちら)墳跡」として、≪『日本書紀』敏達(びだつ)天皇12年の条によると、日羅は肥後の人、長らく百済(くだら)に滞在してその地に精通していた。当時わが国は、朝鮮半島の新羅に帰属していた任那(みまな)の復興をはかっており、日羅を帰国させ献策させた。それが百済に不利なものと思った随行の百済人が、彼を暗殺した。この付近は日羅初葬の地と伝えられるところで、碑はここより西約200mの民家前にあった。≫とあります。


隣には日羅公之碑

 この辺りは江戸時代から「木村堤」として桜の名所でした。それは現在にもつながっています。以前に源八橋の上から撮った写真をご紹介します。
源八橋から見た大川右岸の桜
大川右岸の桜(源八橋より)


 今回は、「浪花百景」の「源八渡し口」をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「見て、さわって、調べよう。昔のくらし」開催中。
 2月22日(金)まで。毎週火曜日は休館日です。


 現代の家庭では掃除機や炊飯器を使ったり、スイッチひとつで洗たくをすることは一般的になりました。しかし、少し昔にさかのぼってみると、かまどでご飯を炊いたり、タライで洗たくをしたり、ハタキや雑巾がけなど、手間と時間と使って暮らしていました。その中には暮らしの知恵がいくつもありました。

 電気やガスを使うようになり、便利で豊かな生活を送るために多様な道具が次々と作られました。道具の変化は暮らしぶりの変化でもあり、昔の道具を見ることで当時の様子を想像することができます。

 今回の展覧会では昔のくらしを学ぶ児童の学習を想定し、生活道具の種類ごとの変化や、節供の人形や掛軸など季節の行事に関連するものを展示します。
 道具の体験コーナーでは、昨年よりも触れる道具を増やしました。道具の手触りや重さも体感してください。





新板勝手道具之図 重宣画
絞り器付き電気洗濯機
商業中心地区(船場)
「大阪市大観(大正14年)」より


〇今週のイベント・ワークショップ

1月30日(水)~2月2日(土)、4日(月)、6日(水)~9日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

2月3日(日)、10日(日)、11日(祝)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


2月2日(土)
イベント 日本の伝統文化『香道』

①13:00 ②15:00
日本の文化を体験しませんか
講師:香道「はなの会」主宰  神垣裕子
会場:今昔館9階展示室 薬屋 座敷(正座椅子等の持ち込可能)
対象:中学生以上、各回20名(申込み多数の場合抽選)
参加費:500円(別途、大阪くらしの今昔館の入館料が必要です)

2月3日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00

2月9日(土)
ワークショップ 『版木はがき』

13時30分~15時
参加費:200円

2月10日(日)
町家衆イベント おじゃみ(有料)

古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00-16:00

2月11日(月・祝)
イベント 町家寄席-講談

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、講談をきいてみませんか
出 演:旭堂南左衛門、他
時 間:14時~15時

そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪のまちづくり」に掲載しています。  「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2019年1月22日火曜日

今週の今昔館(147) 川崎御宮 20190122

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(52)

 今回は、「川崎御宮」をご紹介します。

■川崎御宮(国員画)
 大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした徳川家康は、翌元和2年(1616)4月17日にこの世を去りました。遺体は即日久能山に葬られ、翌年4月17日に日光に移されました。この日光改葬と同じ日に、夏の陣後の大坂復興に当たっていた家康の外孫松平忠明が、家康ゆかりの織田有楽斎別邸跡地に社殿を建て、分祀したのが川崎東照宮です。
 当地は名水が湧く所で、築山・林泉を整え、観音堂・薬師堂を配した美しい景勝地と伝え、毎年4月と9月の17日には権現祭りが執行され、「浪花随一の紋日」とうたわれる程大層な賑わいを見せたといわれます。明治6年(1873)廃社となりましたが、忠明献納の石灯籠は天満宮境内に移されました。

浪花百景「川崎御宮(国員画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、「天満宮」の東「川崎御蔵」と並んで「御宮」の文字があります。ここが川崎東照宮のあったところです。朱色の線の観光ルートにもなっており、天満宮と並んで観光名所であったことがわかります。この地図は、東が上に書かれており、北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、もう少し詳細な様子が分かります。大川に面して「御蔵」と「御材木蔵」があり、その東に「町与力」があり、その東に「御宮」があります。天満橋は現在よりも一筋東に架かっており、天満橋北詰から北へ進んだところに川崎東照宮があったことがわかります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、「造幣局」の西側、「川崎」の「崎」の文字の左に学校の印があります。ここが現在の滝川小学校にあたります。学校の北から東にかけて緑の樹木が描かれていますが、かつての川崎東照宮の名残を示しているようです。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、「造幣局」と「空心町」の文字に隠れて「文」の印が見えます。ここが現在の滝川小学校で、このあたりに川崎東照宮がありました。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 
 地形図でも確認してみましょう。まずは、明治18年の陸地測量部地図です。大川沿いの造幣局の建物の西側に樹木が植わっているような表示がありますが、このあたりが川崎東照宮のあったところです。明治維新になり徳川幕府関連の施設は廃止され名前の表示はありません。
明治18年陸地測量部地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、その後の周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、「造幣局」の西側に「文」の記号が見えます。この一角が川崎東照宮があった場所です。
 右上の昭和4年では、同様に「文」の記号が見えます。区角割が多少変わっていますが、この辺りの土地が造幣局の関連施設として利用されていたことが伺えます。

明治41年から昭和42年の地形図と現在の空中写真
(今昔マップ3より)

 左下の昭和42年を見ると、造幣局のすぐ西には官舎と思われる建物が並び、その西側が学校の敷地となっています。現在の滝川小学校です。
 右下は最近の空中写真です。造幣局の西側に学校のグラウンドと校舎、体育館が見えます。

 川崎御宮の跡の現状を写真で見てみましょう。最初の写真は造幣局の西に位置する滝川小学校を北西側から見たものです。こちらから見ると、特に変わったものは見えません。2枚目は、反対側、南西からみたものです。正門の手前に石碑と顕彰版があります。ここが川崎東照宮があった場所です。

滝川小学校
滝川小学校、正門右に川崎東照宮跡の碑
滝川小学校正門
川崎東照宮跡の碑
川崎東照宮跡の碑
川崎東照宮跡の顕彰版
滝川小学校正面入り口

 川崎橋は桜之宮公園の南の入り口に当たります。造幣局の櫻の通り抜けの季節には、造幣局と大阪城を結ぶルートとして大勢の人々でたいへん賑わいます。


 今回は、「浪花百景」の「川崎御宮」をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「見て、さわって、調べよう。昔のくらし」開催中。
 2月22日(金)まで。毎週火曜日は休館日です。


 現代の家庭では掃除機や炊飯器を使ったり、スイッチひとつで洗たくをすることは一般的になりました。しかし、少し昔にさかのぼってみると、かまどでご飯を炊いたり、タライで洗たくをしたり、ハタキや雑巾がけなど、手間と時間と使って暮らしていました。その中には暮らしの知恵がいくつもありました。

 電気やガスを使うようになり、便利で豊かな生活を送るために多様な道具が次々と作られました。道具の変化は暮らしぶりの変化でもあり、昔の道具を見ることで当時の様子を想像することができます。

 今回の展覧会では昔のくらしを学ぶ児童の学習を想定し、生活道具の種類ごとの変化や、節供の人形や掛軸など季節の行事に関連するものを展示します。
 道具の体験コーナーでは、昨年よりも触れる道具を増やしました。道具の手触りや重さも体感してください。





新板勝手道具之図 重宣画
絞り器付き電気洗濯機
商業中心地区(船場)
「大阪市大観(大正14年)」より


〇今週のイベント・ワークショップ

1月23日(水)~26日(土)、28日(月)、30日(水)~2月2日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

1月27日(日)、2月3日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


1月26日(土)
町家衆イベント ワークショップ『鬼のお面作り』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、1人300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します

1月27日(日)
イベント 座敷舞

山村流の立ち方が華やかな舞を披露します
出演:山村若女 ほか
14時~15時

町家衆イベント 絵本で楽しい時間
むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30-15:00

2月2日(土)
イベント 日本の伝統文化『香道』

①13:00 ②15:00
日本の文化を体験しませんか
講師:香道「はなの会」主宰  神垣裕子
会場:今昔館9階展示室 薬屋 座敷(正座椅子等の持ち込可能)
対象:中学生以上、各回20名(申込み多数の場合抽選)
参加費:500円(別途、大阪くらしの今昔館の入館料が必要です)

2月3日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪のまちづくり」に掲載しています。  「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2019年1月15日火曜日

今週の今昔館(146) 川崎ノ渡シ月見景 20190115

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(51)

 今回は、「川崎ノ渡シ月見景」をご紹介します。

■川崎ノ渡シ月見景(芳雪画)
 こんにち造幣局のある一帯は、川崎村と呼ばれ、大坂三郷の一つ天満郷の東に隣接していました。大坂城に近い川崎村は、幕府の材木蔵や米蔵、城代屋敷、蔵屋敷が建ち並ぶ地域でした。
 この川崎村と大川対岸の備前島とを結ぶ渡しが川崎渡で、鯰江川に架かる備前島橋(御成橋)、寝屋川に架かる京橋を経て、その向こうに大坂城の雄姿を望むことができました。季節ごとの舟遊びの内でも、とくに大坂城を背景に京街道沿いの松林越しに臨む川崎の名月は、絶好の月見の拠点として有名でした。
 渡しは昭和20年6月の空襲で施設が破壊されて以降廃止され、かわって昭和53年に歩行者・自転車専用の川崎橋が架けられました。現在はその下をアクアライナーがくぐってゆきます。

浪花百景「川崎ノ渡シ月見景(芳雪画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、「野田村」と「御宮」の間に「ワタシ」の文字があります。ここが川崎の渡しがあったところです。この地図は、東が上に書かれており、北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、備前島が天満橋の下まで伸びてきており、橋の右手(東側)に「川崎渡」の文字が見えます。「備前島橋」「京橋」を渡ると、「御城」の「京橋口」に至ります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3には掲載されていない明治18年の陸地測量部地図です。日文研さんからお借りしました。
 天満橋の右手(東側)に「川嵜橋」が描かれています。明治10年に建設された私設の木造橋でした。造幣局から、川嵜橋、備前島橋、京橋と3つの橋を渡ると、大阪城京橋口に至ります。川嵜橋は、明治18年の淀川大洪水によって流失し、その後は再建されませんでした。当時の大阪城とその周辺は陸軍の軍用地として利用されていました。図中の「M」は陸軍を示す記号です。


明治18年陸地測量部地図(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、「天満橋」の「北詰」から東へ進むと桜並木の描かれている造幣局があります。その手前に「川崎ノ渡シ」の文字と舟の絵、航路の点線があります。渡った対岸を進むと「びぜんじまばし」さらに「きやうばし(京橋)」へと続きます。その先には大阪城があります。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、「天満橋北詰」停留所の右側に「造幣局」が大きく描かれています。造幣局の手前から「川崎渡」で対岸の備前島に渡り、「備前島橋」「京橋」を渡ると、大阪城京橋口に至ります。寝屋川が付け替えられて川崎渡しのすぐ西側で大川に合流しています。京阪電車の天満橋駅の北側に「備前島」の地名が残っています。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、「天満橋」の東側、「京橋」の北側に、文字はありませんが、渡し船の記号と航路の点線が見えます。明治43年に開通した京阪電車が記されています。
 右上の昭和4年では、「川崎渡」の文字が記されています。京阪電車と並んで市電が走っています。

明治41年から昭和42年の地形図と現在の空中写真
(今昔マップ3より)

 左下の昭和42年を見ると、川崎の渡しは廃止され、表示がなくなっています。京阪電車が天満橋の手前で地下に入っていく様子が描かれています。
 右下は最近の空中写真です。川崎の渡しがあったところに川崎橋が架けられています。大川沿いに桜之宮公園が整備され、緑が写っています。京橋の上空に歩行者専用橋の「大坂橋」があり、造幣局と大阪城を結ぶ歩行者ルートになっています。

 川崎の渡し跡の現状を写真で見てみましょう。最初の写真は天満橋から東方面を見たところです。
 左手が大川・川崎橋、右手は寝屋川で、京阪電車が走っています。正面はOBPのビル群、右奥には生駒山が見えます。


天満橋より川崎橋を見る
川崎橋、背景はOBP、
左手前に「川崎橋命名の由来」の碑
「川崎橋命名の由来」の碑
川崎橋と大阪城、屋形船、京阪電車
川崎橋、右奥に大阪城

 川崎橋は桜之宮公園の南の入り口に当たります。造幣局の櫻の通り抜けの季節には、造幣局と大阪城を結ぶルートとして大勢の人々でたいへん賑わいます。

桜之宮公園の案内図(右が北)

 今回は、「浪花百景」の「川崎ノ渡シ月見景」をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「見て、さわって、調べよう。昔のくらし」開催中。
 2月22日(金)まで。毎週火曜日は休館日です。


 現代の家庭では掃除機や炊飯器を使ったり、スイッチひとつで洗たくをすることは一般的になりました。しかし、少し昔にさかのぼってみると、かまどでご飯を炊いたり、タライで洗たくをしたり、ハタキや雑巾がけなど、手間と時間と使って暮らしていました。その中には暮らしの知恵がいくつもありました。

 電気やガスを使うようになり、便利で豊かな生活を送るために多様な道具が次々と作られました。道具の変化は暮らしぶりの変化でもあり、昔の道具を見ることで当時の様子を想像することができます。

 今回の展覧会では昔のくらしを学ぶ児童の学習を想定し、生活道具の種類ごとの変化や、節供の人形や掛軸など季節の行事に関連するものを展示します。
 道具の体験コーナーでは、昨年よりも触れる道具を増やしました。道具の手触りや重さも体感してください。





新板勝手道具之図 重宣画
絞り器付き電気洗濯機
商業中心地区(船場)
「大阪市大観(大正14年)」より


〇今週のイベント・ワークショップ

1月16日(水)~19日(土)、21日(月)、23日(水)~26日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

1月20日(日)、27日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


1月20日(日)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演:笑福亭伯枝、露の棗
14時~15時

町家衆イベント 連鶴(有料)
折鶴がいくつもつながった連鶴。
一枚の紙から折るところに特色があります。
作り方を詳しくお教えします。
開催日:奇数月の第3日曜
時 間:13:30~初心者向け
14:30~中級者以上向け

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00

1月26日(土)
町家衆イベント ワークショップ『鬼のお面作り』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、1人300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します

1月27日(日)
イベント 座敷舞

山村流の立ち方が華やかな舞を披露します
出演:山村若女 ほか
14時~15時

町家衆イベント 絵本で楽しい時間
むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30-15:00

そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪のまちづくり」に掲載しています。  「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
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 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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初めての方はこちらからどうぞ。
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