2021年2月24日水曜日

今週の今昔館(255) 稲荷御旅所、企画展「博覧会の世紀1851-1970」 20210224

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(34)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「稲荷御旅所」をご紹介します。伏見稲荷大社の御旅所で、JR京都駅の南西にあります。


■稲荷御旅所
 西本願寺を右手に見ながら油小路通を南へ下ると、稲荷御旅所が見えてきます。稲荷御旅所は、豊臣秀吉によって京都駅の南西、西九条の現在の場所に移されました。御旅所とは祭礼などで神輿が渡御する際、仮に奉安される場所のこと。ここを経由して、産土神は氏子町を行幸するのです。本文の解説には次のようにあります。

≪いなりの神輿五座、毎年三月中の午の日ここに神幸ありて、四月初の卯の日還幸までこの旅所にましますなり。≫

 これをみると、四月の初卯の日に行われる例祭にあわせ、三月の中午の日に五柱の神が渡御したことがわかります。なお、現在では稲荷祭といい、四月二十日から五月三日の期間、御旅所に神輿が納められます。

淀川両岸一覧下船之巻「稲荷御旅所」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 この祭礼について「都名所図会」は次のように詳述しています。

≪例祭は四月上の卯の日なり。神輿五基、九条の御旅所より東寺南の大門を搔き入れて、金堂の前に神輿をすゑ、産子は神供(じんく)を頭に戴いて運び持ちて献じ、僧侶はかはるがはる出でて法施(ほっせ)し、東寺寺務の僧正をはじめ一山の衆僧は東西に列し、弦召(つるめそ)は東のかたに警す。その厳重たる粧(よそお)ひ他にならぶことなし。これを東寺の神供といふ。近年安永三甲午年(1774)より祭礼の式再興ありて、行列の首(はじめ)には勅裁の綸旨、弓・楯の神具かずかず列なり、神輿の前後には社司のめんめん騎馬にて供奉し、唐鞍(からくら)の神馬三疋、そのほか、大幣・榊・翳(えい)・菅蓋(かんがい)・錦蓋(きんがい)等、雲のごとくつらなり、巍々滔々(ぎぎとうとう)として壮麗たる祭式なり。≫

 五重塔で知られる教王護国寺、通称東寺は、稲荷社の氏子町にあります。そのため、神輿が御旅所から還幸する際に「東寺の神供」と呼ばれる法要を執行したのです。神社の祭礼に寺院が関わることは、江戸時代には珍しいことではなく、神仏習合の思想によって神社と寺院は近しい関係にあったのです。ところが明治以降、神仏分離令により両社の結びつきは薄くなってしまいました。稲荷祭の場合、現在でも東寺の僧侶による神供が行われ、往時の信仰の一端を垣間見ることができます。

 「都名所図会」には「稲荷御旅」の挿絵があります。次のとおりです。こちらは、鳥瞰図風に描かれています。右奥に「古御旅」移転前の御旅所が見えます。左手の村は「西九条」です。

都名所図会「稲荷御旅」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 例祭には賑わいを見せる御旅所も、平時に訪れる人は多くありません。絵を見ると菅笠に脚絆姿の旅人が鳥居に向かって歩く姿があります。絵の左上には賛の狂歌があります。

 街道からまゐるもちょっと鍵の手にまはるいなりの神の御旅所 千載舎靍成

 街道とあるのは竹田街道で、油小路に面する稲荷御旅所は少し離れています。竹田街道から九条通を西に行きここをめざす経路が鍵の形に似ていることを詠んでいるのです。つまり、先の旅人は御旅所までわざわざ足を運んだ篤信者ということです。地図で見ると次のようになります。五条大橋からA地点で南に折れて竹田街道(東洞院通)を進むと、C地点でもう一度西に曲がって御旅所に向かうことになり、ちょうど鍵のような形になっています。「淀川両岸一覧」では、五条通をB地点まで進み、ここから油小路通を南下して御旅所に向かうルートを取っています。

明治42年陸地測量部地図の五条通から稲荷御旅所付近

 「淀川両岸一覧」の本文には次のとおりの解説があります。

■道祖神社
 油小路通七条下る東側にあり。祭神猿田彦命なり。世人首途神(かどでのかみ)と称す。社内に天満宮あり。碑を建つ。烏石葛辰(うせきかつしん)の銘、篆字(てんじ)は岡白駒(をかはくく)の筆なり。

■稲荷御旅所
 道祖神の南二丁にあり。いなりの神輿五座、毎年三月中の午の日ここに神幸ありて、四月初の卯の日還幸までこの旅所にましますなり。


 付近の様子を地形図で見てみましょう。今回は移動距離が長いので、五条通を西に進み油小路通を左折して南に進む本願寺付近と、挿絵をご紹介している稲荷御旅所付近の2か所を見てみましょう。
 まず、最も古い測量図である明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)を見てみます。地図の右上の橋が五条橋で、五条通を西へ進みます。五条橋通は拡幅前の道幅で、周辺も江戸時代の町割りがそのまま残っています。この地図は仮製地図ということもあってか、記載されている通り名などの文字が少ないなかで、「西本願寺」「東本願寺」「本圀寺」の文字がみえます。


明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 2枚目は、今昔マップを利用して本願寺付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 左側の明治42年の地形図では、五条通には変化がありませんが、西洞院通に市電が走っていることがわかります。最新の地理院地図では、多数の寺院の記号が目に付きます。赤色の道路は国道で、五条通は1号と9号、堀川通は1号、烏丸通は24号です。黄色の道路(堀川通の北部分、七条通)は府道です。市電の走っていた西洞院通は幹線道路にはなっていません。


今昔マップより本願寺付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高15mから5m刻みで色を変えています。
 五条橋から西にかけては標高は30~35m、西本願寺付近は25~30mの黄緑色となっています。


地理院地図+自分で作る色別標高図

 次に今回挿絵をご紹介している稲荷御旅所付近を見てみましょう。明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)では、京都乗車場から南西に延びる鉄道(奈良鐡道)に沿って、西九条村の右下に鳥居の印が見えるところが稲荷御旅所です。地図の右寄りに「竹」の文字が見える南北の道が竹田街道です。なお、奈良鐡道の開通は明治28年、明治38年に関西鉄道に譲渡され、明治40年に国有化されました。現在は京都駅から南東へ進む線路(当初は東海道線)を走っており、当初の奈良鉄道の路線は近鉄京都線となっています。地図の発行年と合わないので確認すると「明治30年修正」となっていました。

明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 2枚目は、今昔マップを利用して稲荷御旅所付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 左側の明治42年の地形図では、京都駅の南側には水田が多く見られ、右寄りの西九条村の右下に稲荷御旅所が見えます。最新の地理院地図では、九条通を東に進んできた国道1号(赤色で表示)が油小路通で左折、北に折れて拡幅されています。これに面して稲荷御旅所があります。御旅所前の東西の道には「東寺道」の名前が見えます。九条通の東部分、大宮通、七条通は黄色で表示されており府道となっています。左右を見比べると、京都駅の位置が南へ移動していることがわかります。大正3年(1914)に線路が付け替えられ駅も移設されました。


今昔マップより稲荷御旅所付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高15mから5m刻みで色を変えています。
 京都駅から南部ではさらに標高が下がり御旅所付近では水色の20~25mとなっています。


地理院地図+自分で作る色別標高図

 三条橋から伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見ています。五条橋付近の標高は黄色で約35m、京都駅付近では黄緑色の約30m、稲荷御旅所付近では水色の20~25mとなっています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「稲荷御旅所」をご紹介しました。
 これからしばらくの間は、竹田街道を伏見へと向かう徒歩の旅となります。



〇企画展「博覧会の世紀1851-1970」が始まりました

 2021年2月20日(土)~2021年4月4日(日)

 博覧会の歴史は1851年のロンドン万博に遡り、その後、欧米各国で開催されるようになります。世界中の国々で、今日に至るまで実に数千回にも及ぶ博覧会が開催され、日本においても明治以降、多種多様な博覧会が開催されてきました。
 時代とともに博覧会の内容や展示手法は進化し、開催目的や性格も大きく変わっていきました。博覧会はその時代における社会的な要求や世相を映す鏡であったといえます。
 本展では19世紀から20世紀の博覧会を俯瞰し、時代とともに変わってきた人々の価値観や他者へのまなざしを読み解くとともに、大阪を会場とした博覧会に焦点を当て、大阪の人々の生活スタイルや娯楽、都市文化を紹介します。

『元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図』
株式会社乃村工藝社蔵
第5回内国勧業博覧会『明治三六年之大阪』
大阪毎日新聞社発行
株式会社乃村工藝社蔵
『大礼奉祝交通電気博覧会鳥瞰図』
株式会社乃村工藝社蔵
'70大阪万博ペナント4種類
株式会社乃村工藝社蔵


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


2021年2月17日水曜日

今週の今昔館(254) 五条橋 20210217

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(33)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「五条橋」をご紹介します。


■五条橋
 五条橋は元々現在の松原通に架けてあったものを、伏見城から内裏へ参内するための便と、方広寺大仏殿の造営の目的のために、秀吉が当時の六条坊門通(五条大路と六条大路の中間の小路)に付け替え、これ以降現在まで、この六条坊門通に架かる橋を五条橋、または五条大橋とよんでいます。
 京から大坂へ向かうとき、三十石船の出る伏見までは、これから我々が辿る竹田街道や、五条橋を東へ渡り伏見街道を下る陸の道と、もう一つは高瀬川を船で下る川の道、以上3つの方法があり、本文には「老人足弱の徒(ともがら)は高瀬川の下舟に乗りて伏見に至る」との説明があります。

 絵は五条橋の西詰南側から北東の方角を眺めた風景です。本文の解説には次のように記されています。

 ≪三条橋の下にあり。初めは松原通に架せり。すなわち五条通なり。秀吉公の時この所にうつすゆゑに五条橋通といふ。実は六条坊門なり。欄干紫銅(からかね)擬宝珠、左右十六本ありて、北の方、西より四ツ目に橋の銘あり。≫

 これをみると、五条通と区別するために五条橋通とよばれていたことがわかります。

淀川両岸一覧下船之巻「五条橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代、京から大和へと向かう大和街道の北端は五条橋の東詰でしたから、この橋は三条大橋と同様に、幕府が管理する公儀橋となっていました。絵の左側中央に描かれた橋の様子から、公儀橋の証である擬宝珠を確認できます。

 ちなみに、現在の五条大橋という呼び方でなく「五条橋」と呼ばれていたのは、大橋に対応する小橋が存在しないからです。三条通や四条通では、西を流れる高瀬川に架かる小橋がありますが、五条通にはありません。五条通付近では高瀬川と鴨川との距離が接近しており、2つの川を跨ぐ恰好で五条橋が架けられていたのです。絵の中央「まがきの杜」の西(左)に見えるのが高瀬川で、荷を積んだ高瀬舟が上流へと曳き上げられているようすがわかります。
 絵の右下に「従三条以下三橋 洛士 方春翠画」の文字があり、三条橋、四条橋、五条橋の3枚の挿絵は、松川半山ではなく方春翠によって描かれていることがわかります。

 都名所図会にも「五條橋」がありますので、ご紹介します。絵の左端に「川下」の文字、中央下に「川上」の文字がありますので、橋の北東上空から南西を眺めた風景であることがわかります。絵の中央に「本堂」「方丈」(位置から見ると本覚寺か)、右上に「上徳寺」の文字が見えます。橋の西詰め付近の寺院が詳しく描かれています。橋は鴨川と高瀬川を跨いで架けられていて、高瀬舟を曳き上げている様子も描かれています。絵の左端には籬(まがき)の森も見えます。

都名所図会「五條橋」
(国際日本文化研究センターデータベース)


 「淀川両岸一覧」の本文は、次のとおりです。

■五条橋
 三条橋の下にあり。初めは松原通に架せり。すなわち五条通なり。秀吉公の時この所にうつすゆゑに五条橋通といふ。実は六条坊門なり。欄干紫銅(からかね)擬宝珠、左右十六本ありて、北の方、西より四ツ目に橋の銘あり。

 雒陽(みやこ・らくよう)五条石橋正保二年乙酉十一月吉日
 奉行 芦浦観音寺舜興
    小川藤左衛門尉正長

  この橋上の半より東に向かへば、洛東の勝地木の間木の間に顕はれて、平安の佳景ここに止まる。

   蒲団着て 寝たるすがたや ひがし山 嵐雪

 京師より浪華へ船にて下るには、大和大路(伏見街道の事なり)を伏見に出づる。これを本街道といふ。老人足弱の徒(ともがら)は高瀬川の下舟に乗りて伏見に至るもあり。また西の辺より伏見に行くは、東洞院の車道九条より東竹田を経て伏見の黒門に至る。あるいは油小路より竹田を経て黒門に出づる。これを竹田街道と号す(西竹田・東竹田といふ。両道東西の便宜に任す)。また陸路は東寺より鳥羽街道を経て淀に至るもあり、あるいは伏見より淀に出づるもあり、または東寺の四ツ塚より桂川を越えて山崎に至り、高槻より鳥飼・江口・柴島を長柄に出でて大坂に至る(俗に西街道あるいは山崎越えともいふ。この道条(みちすぢ)に長岡の天神・向(むかふ)の明神・山崎の八幡・江口の君堂・柴島のさらし堤などありて、そのながめ少なからずよき往来なり)。


 付近の様子を地形図で見てみましょう。
 まず、最も古い測量図である明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)を見てみます。地図の中央が五条橋ですが、五条橋通は拡幅前の道幅で、周辺も江戸時代の町割りがそのまま残っています。橋の西詰や東山一帯には多くの寺院がありますが、この地図には名前の表示がありません。仮製地図ということもあってか、記載されている文字が少ないなかで、「豊國神社」は大きな文字で、その脇には「大佛」「妙法院」「新日吉社」の文字が見えます。高瀬川が五条橋付近では鴨川に接近している様子がわかります。


明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 2枚目は、今昔マップを利用して五条橋付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 左側の明治42年の地形図では、五条通、河原町通には変化がありませんが、木屋町通に高瀬川に沿って市電が走っていることがわかります。図の左下の水色の線は旧河道を示しています。最新の地理院地図では、多数の寺院の記号が目に付きます。赤色の道路は国道で、この付近では1号と8号が共用しています。黄色の道路(河原町通と東山通)は府道です。


今昔マップより五条橋付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高15mから5m刻みで色を変えています。
 五条橋付近の標高は約35m、橋の東側には40m、45m以上の橙色、茶色が迫っています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 三条橋から伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見ています。五条橋付近の標高は黄色で約35m、橋の東詰には東山が迫ってきています。京都盆地の中も平らではなく、ひな壇状に北側が高く、南側が低くなっています。伏見付近では標高約15mとなっています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「五条橋」をご紹介しました。
 三条橋を西へ渡る所から始まった我々の下りの旅路は、鴨川西岸(右岸)沿いに南へ四条橋、五条橋と下ってきましたが、ここから西へ進み、烏丸通を横切り油小路通へ出て、南へ通じるいわゆる竹田街道を伏見へと向かいます。



〇企画展「くらしと漆工」は終了しました


〇次回の企画展は「博覧会の世紀1851-1970」です

 2021年2月20日(土)~2021年4月4日(日)

 博覧会の歴史は1851年のロンドン万博に遡り、その後、欧米各国で開催されるようになります。世界中の国々で、今日に至るまで実に数千回にも及ぶ博覧会が開催され、日本においても明治以降、多種多様な博覧会が開催されてきました。
 時代とともに博覧会の内容や展示手法は進化し、開催目的や性格も大きく変わっていきました。博覧会はその時代における社会的な要求や世相を映す鏡であったといえます。
 本展では19世紀から20世紀の博覧会を俯瞰し、時代とともに変わってきた人々の価値観や他者へのまなざしを読み解くとともに、大阪を会場とした博覧会に焦点を当て、大阪の人々の生活スタイルや娯楽、都市文化を紹介します。

『元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図』
株式会社乃村工藝社蔵
第5回内国勧業博覧会『明治三六年之大阪』
大阪毎日新聞社発行
株式会社乃村工藝社蔵
『大礼奉祝交通電気博覧会鳥瞰図』
株式会社乃村工藝社蔵
'70大阪万博ペナント4種類
株式会社乃村工藝社蔵


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


2021年2月11日木曜日

今週の今昔館(253) 四条橋 20210211

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(32)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「四条橋」をご紹介します。


■四条橋
 鴨川に架かる橋として三条、五条と並んで古い歴史を持つ四条橋は、祇園社への参詣道として、氏子勧進募金で架けられた私橋(町橋)です。一方、前の二橋は公儀橋ですので、性格が異なります。幕府が管理する公儀橋は、洪水で流されたり、災害で破損しても幕府が費用を賄いますが、私橋では橋の両側に住む人々が負担をしなければなりませんでした。
 四条橋は、永治2年(1142)の架橋以降たびたび流失し、修復を繰り返しました。長らく仮橋しか架けられなかった時期もありました。明治初期には通行料を徴収した時期もあり、「ぜにとり橋」とも呼ばれました。

淀川両岸一覧下船之巻「四条橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 実際に、江戸中期に刊行された「都名所図会」の「四条河原夕涼之躰」には、中洲を挟んで枝分かれした川筋のそれぞれに小橋が渡され、大橋の姿は見当たりません。

都名所図会「四条河原夕涼之躰」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 「淀川両岸一覧」の絵は四条大橋を南西の方角から眺めたものです。これをみると、仮橋ではなく大橋の様子が描かれています。「淀川両岸一覧」が出版される4年前の安政4年(1857)に、仮橋から架け替えられていたのです。

 四条河原の納涼は江戸時代から京都の名物で、両岸には納涼床が設置され、河原には床机がぎっしり並びました。
 橋の東詰にのぼりが林立し、ひときわ大きな屋根が見えるのが南座で、年末の1か月は歌舞伎の顔見世興行が行われ名優が競演し、人気を呼びました。

 絵の上部、左側の賛は次の発句です。

 顔みせや 川かみはまだ 千鳥の夜 霞川

 この句は夜を通して顔見世興行で賑わう四条、祇園界隈に比べて、上流に架かる三条大橋などはひっそりとしている様子を吟じています。

 一方、右側に掲げられた賛は次の和歌です。

 神ぞのの かみの御幸の 大御はし ふたたびかかる 美代に逢ふかな 瓢翁

 ここにある「神」とは祇園社にお祀りする牛頭天王すなわち素戔嗚尊のこと。四条大橋はこの産土神と氏子とをつなぐ役目を担っていました。この歌は、立派な橋が架けられていた往時に匹敵するような新しい橋が完成したことを祝っています。詠者の瓢翁は、「淀川両岸一覧」の序文を記した平塚瓢斎です。幕末の京都において、芝居興行による町の繁栄と人々の信心とが結びつくことで成就した四条大橋の完成は、人々の注目を引くトピックだったのです。

 絵をよく見ると、橋の左側(上流側)に交差させた木の杭が川中に打ち込まれています。これは上流から流される流木や石によって橋が傷つけられないようにするための防護杭です。

 「淀川両岸一覧」の本文は、三条橋の次は五条橋で、四条橋の解説は省略されています。



 付近の様子を地形図で見てみましょう。
 まず、最も古い測量図である明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)を見てみます。地図の中央が四条橋ですが、橋の付近の四条通は拡幅前の道幅で、江戸時代の町割りがそのまま残っています。四条通の東の突き当りは八坂神社ですが、この地図には表示がありません。図の右端から鴨川に向かって流れる川は「白川」です。仮製地図ということもあってか、記載されている文字が少なく、「建仁寺」だけは大きく表示されています。その他の表示は「下京」と、「高臺寺」、橋の東側に「38.91」の標高が記されている程度です。


明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 2枚目は、今昔マップを利用して四条橋付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 左側の明治42年の地形図では、四条通、河原町通には変化がありませんが、木屋町通に市電が走っていることがわかります。最新の地理院地図では、多数の寺院の記号が目に付きます。黄色の道路は府道を示しています。


今昔マップより四条橋付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高15mから5m刻みで色を変えています。
 四条大橋付近の標高は約40m、橋の南側には35m以下の黄色が少し見えています。


地理院地図+自分で作る色別標高図

 次回以降も、伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見ていきたいと思います。四条橋付近の標高は約40m、伏見の中書島付近は約15mと約25mの標高差があります。京都盆地の中も平らではなく、ひな壇状に北側が高くなっています。東山・西山と盆地の間には橙色・黄色・黄緑・水色の部分が少なく、両方の山が東西にそそり立っている様子がわかります。東山の南の突端部にある伏見城は、戦略上も重要な位置を占めていることに気が付きます。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「四条橋」をご紹介しました。下り船の巻では、船から見て右手、淀川右岸の風景を訪ねていきます。


〇企画展「くらしと漆工」開催中です

 令和3年2月14日(日)まで、残りわずかです。

 古来より漆は日本人のくらしや文化と密接に結び付いてきました。実用性と美観に優れる漆は、日用品としての食器類をはじめ、ハレの日の装身具や調度、建築装飾に至るまで幅広く用いられており、今日に至るまで日本の伝統文化を支え続けています。
 2001年の開館以来、大阪くらしの今昔館には「住まいの歴史と文化」に関する資料の一分野として、形も用途も様々な漆工品が集められました。
 本展では、それらのコレクションの中から魅力あふれる作品を選りすぐり、漆商いの中心地であった大坂所縁の作品とともに展観します。今昔館では初となる漆工をテーマにした展示を通し、長い歴史と共に育まれてきたその魅力に迫ります。

草花蒔絵引盃
草花蒔絵熨斗形香合
鉄線蒔絵双六盤


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse