2021年3月31日水曜日

今週の今昔館(260) 伏見船宿 20210331

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(39)

 琵琶湖から大阪湾へと流れる淀川は、人の流れ、物の流れを担う交通の大動脈として機能してきただけでなく、人々の暮らしと大きく関わり、政治・経済・文化にも大きな影響を与えてきました。

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「伏見船宿」をご紹介します。伏見の船宿は、京橋・蓬莱橋界隈に多くありました。


■伏見船宿
 京より陸路を下り、ようやく伏見まで辿り着きました。これから大坂までは再び淀川船旅の始まりです。下りの船賃は、曳き船が必要のない分、上りの約半額になります。例えば「淀川両岸一覧」が刊行された文久年間に近い慶応年間の記録では、大坂~伏見間の乗合一人の船賃が、上り448文、下り216文でした。もっともこの時期は物価高騰によって慶応元年に船賃が改定され、上りは従来の2倍増し、下りは3倍増しとなっていますから、文久年間にはもっと安かったはずです。

淀川両岸一覧下船之巻「伏見船宿」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代の伏見の町は、京坂を結ぶ川の道と陸の道が交わるターミナルとして機能していました。京の南の玄関口が伏見です。そのため、多くの旅人が行き交う場となっていました。

 本文には次のとおりの解説があります。

 ≪淀川の通船、昼夜をわかたず着あり出るあって、其賑ひ言うべくもあらず。船宿の男女は軒に出て、お下りなれば今出る舟がござります、と声喧(かしま)しく客を招く。裏には上り客支度を調へば、船頭は下り客を迎へて荷物を運ぶ。上るも下るも御機嫌よふ、コレ船頭仕切りを随分緩(ゆるり)と取て気を付さんせとは定例(おさだまり)の口上ながら、是も詞(ことば)の色なるべし。≫

 旅客は、下りの三十石船を伏見の船宿で待ちます。三十石船は、伏見と大坂の各船宿が対になって営業するもので、出船の用意が出来次第、宿の人が「お下りなれば今出船がござります。」と知らせてくれます。船の準備もでき、船宿を出るときには、「上るも下るも御機嫌克コレ船頭衆仕切りを随分緩りと取て気を付さんせ。」というのが船宿の決まり口上で、これも旅の風情の一つでした。

 挿絵は、伏見の港で疲れを癒す旅人たちで賑わう船宿の様子を描いています。

 絵の右奥が帳場で、鉢巻きに前掛けをした出入りの男が持ってきた品を、女中と番頭が確認しているところ。
 その左には、手代が「ようお越しやす」と二人連れの旅人を迎える様子が見えます。

 一方、絵の左側では、奥の座敷へ招かれる侍の姿。寒い時期とみえ、女中が火鉢を持って従います。江戸時代は身分社会ですから、それぞれの身分によって部屋のランクや待遇も違っていたのです。
 また、食事だけに立ち寄ることもできました。右下に見える小上がりは、入れ込みで腰掛けて一服します。男三人連れの旅人はささやかな料理をあてに、腹ごしらえの最中。その右、京土産の伏見人形を脇に置く男女は、注文しているところです。土間を行く女中が運ぶ膳には、尾頭付きの魚料理と飯椀。食事のメニューにもランクがあったようです。

 人の賑わいのある所は、金銭のやりとりも頻繁に行われます。それを見越して、浄財を募る神職や僧侶たちも集まってきます。この宿にも「本堂再建奉加」の幟を持った無精ひげの僧侶がいます。伏見には篤信な旅人が多いようで、にこやかな表情から懐具合が伺えます。

 また、船宿の並ぶ京橋、蓬莱橋界隈の南にある中書島は、江戸時代、遊所として栄えました。「拾遺都名所図会」の解説には、

 ≪いにしへの江口神崎に準(なぞらへ)、旅客の舟をとどめ、楊柳の陰に觴(さかづき)をめぐらし、あるは歌舞の妓婦、花のあしたに袖を翻し、琴三弦の音は月のゆふべに絶間なし≫

 と評されています。濠川沿いにある長建寺は「島の弁天さん」として親しまれた真言宗醍醐派の寺院です。本尊の弁財天は水との関係が深く、技芸上達の利益がありましたから、この地にあるのもうなずけます。

 かつては「伏水」とも書き表された伏見の町。豊かな水の流れが人を呼び、人の流れによって繁栄した土地だといえるでしょう。

 右上の賛の漢詩は次のとおり。

茶竃の煙喧(あたた)かく碧(あを)き●(さざなみ)に吹く(●は、さんずいに椅)/船家正にこれ午餐の時/客来りすでに満つ蓬間の座/なほ私銭を募り纜(ともづな)を解くこと遅し
曲々として桃花絳雲(こううん)に蘸(うつ)る/舟に上る人各(おのおの)微醺(びくん)を帯ぶ/橋を過ぎ港を出でてか纔(わずか)に三里/まづ占ふ江南の春幾分(いくばく)ぞと 島棕隠

 左上の狂歌と発句は次のとおり。

 京や奈良へ参詣人ものりの船大仏やとてどちらにもあり アハ猿人

 行々子啼くや艪の音馬の鈴 霞川

 本文は次のとおりです。
■伏見船場
 京橋阿波橋にあり。大坂着岸の勝手にとりて、舟宿の差別あり。
 淀川の通船、昼夜をわかたず着くあり出づるあって、其賑はひ言うべくもあらず。船宿の男女は軒に出でて、お下りなれば今出る舟がござります、と声喧(かしま)しく客を招く。裏には上り客支度を調へば、船頭は下り客を迎へて荷物を運ぶ。上るも下るも御機嫌よふ、コレ船頭衆仕切りを随分緩(ゆるり)と取りて気を付けさんせ、とは定例(おさだまり)の口上ながら、是も詞(ことば)の色なるべし。

■三栖
 伏見肥後橋の向かふにあり。上三栖・下三栖の両村あり。上三栖に善福寺と号する禅刹あり。行基菩薩の開基にして、本尊薬師仏・十二神将、ともに行基の作といふ。

■天武天皇社
 下三栖村にあり。生土神(うぶすな)とす。例祭九月十六日の夜にして、大松明をともし神輿の渡御あり。これを三栖のたいまつ祭といふ。



 「都名所図会」には「伏見船場」、「拾遺都名所図会」には「伏見三栖、天武天皇社、善福寺」という挿絵があります。どちらも、鳥瞰図風に描かれていて、当時の景観が見てとれます。

都名所図会「伏見船場」
(国際日本文化研究センターデータベース)
拾遺都名所図会「伏見三栖、天武天皇社、善福寺」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の伏見付近を見てみましょう。北西上空から見た鳥観図で、「京はし」「向はし」「北はま町」「西はま町」などの文字が見えます。交通の要衝である伏見は、江戸中期には人口3万人、本陣4軒、脇本陣2軒を擁する宿場でした。絵の中央の槍・刺股(さすまた)の並ぶ屋敷は船番所で、通行する船を検査し、税の徴収にあたりました。

「よと川の図」の伏見付近(大阪くらしの今昔館蔵)

 次回からは、三十石船の下り船の船旅が始まります。淀川両岸一覧の本文では、伏見船宿の挿絵の次に、見開きで「三十石夜船の行」という漢詩を紹介しています。当時の船旅の様子が生々しく描かれていますので、長文になりますが読み下してみます。伏見京橋から大坂八軒家に至る舟旅を皮肉を交えて詠んでいます。
 難しい漢字が多数登場しますが、例えば「蚤が数千匹這い移って痒い」のところでは、「痒い」に辞書にも載っていない「やまいだれに登」という字が使われています。蚤が這いあがってきて痒い様子が、文字にも表現されていて、大変ユニークです。
 現代の感覚では、放送禁止となりそうな用語も登場しますが、当時の様子がよくわかるので、そのまま掲載します。

淀川両岸一覧下船之巻「三十石夜船の行」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

「三十石夜船の行」 王震起

船宿相ひ連なる京橋の傍
目印の行燈軒ごとに行(つら)なる
登るあり下るあり三十石
或いは去り或いは来たりて旅客忙はし
出し殻の煎茶、水泥臭く
八杯の豆腐歯に当てて剛し
按摩・上燗呼び歩きて売り
鼻紙・楊枝を婆商ふ
支度已に調ふて暇乞ひ済み
荷を持ちて若者送って艎(ふね)に入る
苫低く恰かも椽(えん)の下に住むが如く
立ちて着替へんと欲して数(しばしば)亢(くび)を縮む
借り切る胴の間やや広しといへども
異ならず饅頭を重箱に詰めるに
虱虫(のみ)数千這ひ移りて●(かゆ)く (●=やまいだれに登)
蒲団三帖糊ことに強し
船頭、中書島より帰りて
撓(かい)を取り出す時、夜已に央(なかば)なり
高声に叱りて云く、手を出すこと勿れ
早や早や消すべし挑灯(ちょうちん)の光と
乗合口々に諸国の話
或いは歌ひ或いは笑ひ声みな張る
巫女・山伏・卜筮者(うらやさん)
四国の道者・西国の娘
何れの処の素干しか狐臭(わきが)に交り
紛々と伝へ来て鼻当て難し
銘々用心す巾着切り
膝を合はせ跡を刺し互ひに狼を怕(おそ)る
一様に眠りに着きて、鼾(いびき)蟒(うはばみ)を疑ひ
誰人の寝言か全く狂(きちがひ)の如し
風寒く波響きて世間静かに
犬吠えて遙かに過ぐ淀川の防(つつみ)
誠なるかな色は本思案の外
風与(ふと)見得たり隣に寝る孀(ごけ)
月影に賺窺(すかしみ)て胸ほとんど躁(さわ)ぐ
年頃盛りを過ぐれども器量好し
一向に留め難し息子の勢ひ
分別無く起って竊(ひそ)かに裳(もすそ)を搴(まく)れば
机上急に呼びて雷の落つるが如し
愕(びっくり)手を引きて首を挙げて望めば
起きよ、起きよ、寝惚けの輩(やつら)
餅を沽(か)へ、酒を飲め、牛蒡を喰へ
追々目を醒まして何ぞ負けて居ん
横平に買ひ取りて空腹(すきばら)を助け
傍若無人に悪口吐く
法外の雑言惶(おそる)るに足らず
惜しいかな、已に大事の処に到って
田舎の百姓無下に妨げしを
其の跡往き難く寝も就(な)らず
野暮な風を為して故郷を思ふ
喜びに堪へたり、霧暗(やみ)にして人の見る無きを
一夜の懇切互ひに忘れず
陸(おか)に上りて蜘蛛の子を散らすが如く
右往左往四方に去る
女中久しく小便を忍(こら)へるによって
八軒家の頭(ほとり)、雪隠長し


 伏見付近の様子を地形図で見てみましょう。
 1枚目は明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)です。伏見の町は南北に長く、南には宇治川の支流が掘割となり港があります。北東の角から北へ伏見街道が、北西の角から北へ竹田街道が伸びており京へと向かいます。伏見の西側を高瀬川が流れ、宇治川の支流の濠川に合流しています。伏見の北から西を走る線路は奈良鐡道です。伏見より北側は現在の近鉄京都線、南側は現在のJR奈良線に当たります。

明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 次に、今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 伏見の町は、柿色で示されている「段丘面」の上に形成されていることがわかります。地盤の良いところです。
 高瀬川は伏見の町の西側を流れ濠川に注いでいましたが、下流部が付け替えられて宇治川本流に合流するようになりました。
 伏見の街なかを北東から南西へ流れる川は琵琶湖疎水(鴨川運河)で、明治27年(1894)開通しています。奈良鐡道は明治38年(1905)に関西鉄道に譲渡され、明治40年(1907)に国有化されました。その後、大正10年(1921)に、東海道本線の東山トンネル完成に伴い、旧東海道本線の京都駅~稲荷駅間は奈良線となり、稲荷駅~桃山駅間に新線が建設され、奈良線の京都駅~伏見駅間は廃止されました。廃止された旧線を利用して、奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)が、昭和3年(1928)に開通しました。
 右側の最新の地理院地図では、赤色の道路は国道、黄色は府道を表しています。国道24号は伏見の東側を通り、伏見街道、竹田街道などは府道となっています。竹田街道が2本に分かれていますが、西側の線は京都電気鐡道の線路跡を利用しています。


今昔マップより伏見付近
今昔マップより伏見京橋付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。15mから5m刻みで色を変えています。京都盆地の地形は北が標高が高く、南に向かって低くなっています。伏見付近では大半が青色(標高15m以下)になってきました。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 三条橋から伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見てきました。盆地の中がひな壇状になっていて、北と南で標高が変わる様子がよくわかります。伏見城は東山の南の先端部に築かれ、伏見の港やまち、京から大坂への街道筋、大津から大坂への街道筋も見下ろす位置にありました。現在は明治天皇伏見桃山陵となっています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「伏見船宿」をご紹介しました。次回からは三十石船の船旅となります。


〇企画展「博覧会の世紀1851-1970」開催中です

 4月4日(日)まで。残り僅かです。3月17日から展示資料の一部が入れ替えられました。

 博覧会の歴史は1851年のロンドン万博に遡り、その後、欧米各国で開催されるようになります。世界中の国々で、今日に至るまで実に数千回にも及ぶ博覧会が開催され、日本においても明治以降、多種多様な博覧会が開催されてきました。
 時代とともに博覧会の内容や展示手法は進化し、開催目的や性格も大きく変わっていきました。博覧会はその時代における社会的な要求や世相を映す鏡であったといえます。
 本展では19世紀から20世紀の博覧会を俯瞰し、時代とともに変わってきた人々の価値観や他者へのまなざしを読み解くとともに、大阪を会場とした博覧会に焦点を当て、大阪の人々の生活スタイルや娯楽、都市文化を紹介します。

『元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図』
株式会社乃村工藝社蔵
第5回内国勧業博覧会『明治三六年之大阪』
大阪毎日新聞社発行
株式会社乃村工藝社蔵
『大礼奉祝交通電気博覧会鳥瞰図』
株式会社乃村工藝社蔵
'70大阪万博ペナント4種類
株式会社乃村工藝社蔵


〇大阪くらしの今昔館は、4月5日(月)から9日(金)までの間、展示替えのため休館となります。
4月10日(土)からは、「夏祭りの飾り」の展示になります。


〇次回の企画展は「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ 写生から装飾 そして琳派を生きる」

 令和3年4月17日(土)~6月13日(日)

 大阪くらしの今昔館では現代日本画家の個展「重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ」を開催します。
 日本の絵画は住まいの中で、座敷における「しつらい」として親しまれてきました。中でも四季の彩りを表す花鳥画は古くから愛好され、現代においても人気のある画題のひとつです。
 重岡良子氏は自然の中に身を置いて花や鳥などの動植物を写生し、その心を50年にわたって描き表してきました。また、京都で培われた「琳派」に着想を得て「IMA琳派」として装飾性を持たせた作品も発表されています。今回は屏風を中心に代表的な作品を披露します。
 春から初夏にかけて草木が青々とするこの時期に、日本画のもつ繊細かつ優美な色彩の織り成す世界をご堪能ください。

【インタビュー動画】重岡良子 花鳥画展 刻を紡ぐ
 こちらからどうぞ⇒https://www.youtube.com/watch?v=KJRYeH5yqWk


喜雨滴る
あお麦風々
桜東風
朝露涼夏
ランプシェード


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


2021年3月24日水曜日

今週の今昔館(259) 東竹田、藤茶屋 20210324

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(38)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「東竹田、藤茶屋」をご紹介します。竹田街道に接して軒先に藤棚がある茶屋がありました。


■東竹田、藤茶屋
 竹田村に藤茶屋という風情のある茶店がありました。柳茶屋と同じく竹田街道に接して軒を構えていましたが、柳茶屋との違いは、軒先にあるのが柳の代わりに藤棚であるということです。その名の由来でもあるこの藤棚は店先の街道筋をアーケードのように覆い、初夏には満開の藤が天井から垂れ、見事な藤暖簾ができました。藤浪の底に旅人が集い酒食を囲む様子は、地上の竜宮城のような趣でした。
 挿絵を見ると、座敷に腰を掛けて、2、3人で一杯酌み交わしている旅客あり、駕籠を置いて軒先の床几で一服する駕籠かき人足あり、藤を愛でながら思わず足を止める通行人あり、街道筋を上下する人々のオアシスのようです。

淀川両岸一覧下船之巻「東竹田、藤茶屋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 本文には、次のように記されています。

 ≪東竹田村にあり。茶店に藤の棚あり。ゆゑに名とす。≫

 絵を見ると、店名の由来でもある藤棚が、軒で日陰を作る役割を果たしています。花はちょうど見ごろ。初夏の雰囲気が伝わってきます。絵の向こう側に車道が通っていることから、この茶店が竹田街道に面していることがわかります。

 絵の右上には、賛の狂歌と発句がひとつずつ。

 龍宮に勝る茶店はたこに鯛に 豆腐はたらく藤浪の底 力丸

 その奥に のれん掛けたり ふじの花 伴水園

 歌にある「たこに鯛」と「豆腐」はここの名物料理だったようです。大坂方面で水揚げされた魚介は伏見に運ばれ、陸路を通って都へと運ばれましたから、そのルート上にある藤茶屋では、一足先に客に出すことができたのです。
 一方の発句では、藤の盛りともなれば、店の暖簾よりも外側にある藤の花房が、頭上から暖簾のように下がっている様子を吟じています。

 絵の左側には、「ふぢ茶屋」の提灯が見えます。店内には、旅人がそこここで憩う様子がみえます。左上の賛は次のとおりです。

 夕風や賑はしうなる藤の花 柳亭
 苗とれと水鶏の啼くや竹田道 塘里

 車道を行く牛車には荷が積まれていません。都から伏見への帰路であることがわかります。本文には次のようにあります。

 ≪右は、東洞院通の街道を伏見黒門口に至る道条(みちすじ)なり。≫

 絵は店の中から向こうを通る街道の様子を描いていますから、ここから右(南)へ向かうと伏見に至るということになります。また、西に向かえば、安楽寿院や城南宮ということになります。

 本文は既に紹介しましたが、再掲しておきます。本文は縦書きですから「右は・・・」の意味は、「藤茶屋は東洞院通の街道を伏見黒門口に至る道条(みちすじ)にある。」の意味と考えられます。安楽寿院の解説に、「右は油小路より下る道条にして、すなはち安楽寿院の東門前より東洞院の街道に出でて伏見黒門に至る。」とありました。東洞院通の道条と、油小路より下る道条とが対になっています。
■藤茶屋
 東竹田村にあり。茶店に藤の棚あり。ゆゑに名とす。
 右は、東洞院通の街道を伏見黒門口に至る道条(みちすじ)なり。

 五条橋以降、東竹田村の藤茶屋までの道筋を地図で確認してみましょう。
 五条橋から五条通を西へ進み、A地点で東洞院通を南に下ると、竹田街道に入り東九条村の柳茶屋、東竹田村の藤茶屋、竹田分道(C地点)に至ります。B地点で油小路通を南に下ると、稲荷御旅所、安楽寿院に至ります。高瀬川は竹田街道に沿って付いたり離れたりしながら伏見へと流れています。
 ➀から➄は、淀川両岸一覧の五条大橋から後の挿絵の順番です。上り船の巻では、伏見から伏見街道に沿って京へ向かい、下り船の巻では、五条大橋から竹田街道に沿って伏見へと向かいます。是非紹介したい稲荷御旅所と安楽寿院は竹田街道から外れています。さて、どの順番に紹介しようか・・・と悩んだ結果の順番であると思われます。

明治42年陸地測量部地図の五条通から竹田村付近

 「都名所図会」には、「竹田、北向不動院、西行寺、城南神社」という挿絵があります。右手前に「西行寺」、左手前に「茶所」が描かれています。中央付近に「八幡社」「城南社」「小枝橋」が、左手に「秋の山」、左端には「下鳥羽」の文字が見えます。

都名所図会「竹田」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 竹田村付近の様子を地形図で見てみましょう。
 1枚目は明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)です。竹田村の東を南北に竹田街道が通っています。竹田村より北では高瀬川が街道に沿って流れ、村の南で少し西に離れて伏見へと向かいます。竹田村を横切って南へ走り、図の右下へと向かう線路は、奈良鐡道です。現在の近鉄京都線に当たります。

明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 次に、今昔マップを利用して昔と今の様子を見比べてみます。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 地図の左上をかすめている水色は鴨川です。青色の横線は旧河道を示しています。かつての鴨川が暴れ川であった名残です。東竹田村、西竹田村は黄色で示された微高地の上に形成されています。柿色で示されているのは「段丘面」で、東山の山すそに当たります。
 右側の最新の地理院地図では、赤色の道路は国道、黄色は府道、緑色は高速道路を表しています。国道24号は旧街道の東側にバイパスとして新設され、東竹田村の南では竹田街道が拡幅されて国道になり、鉄道に沿って南東に向かいます。鉄道から南では竹田街道は府道になっています。


今昔マップより東竹田村付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。15mから5m刻みで色を変えています。京都盆地の地形は北が標高が高く、南に向かって低くなっています。伏見が近づいてきましたので、水色が多くなってきました。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 三条橋から伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見ています。盆地の中がひな壇状になっていて、北と南で標高が変わる様子がよくわかります。伏見城は東山の南の先端部に築かれ、伏見の港やまち、京から大坂への街道筋、大津から大坂への街道筋も見下ろす戦略上の要所であったことも読み取れます。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「東竹田、藤茶屋」をご紹介しました。次回は、いよいよ伏見船宿です。


〇企画展「博覧会の世紀1851-1970」開催中です

 4月4日(日)まで。残り少なくなってきました。3月17日から展示資料の一部が入れ替えられました。

 博覧会の歴史は1851年のロンドン万博に遡り、その後、欧米各国で開催されるようになります。世界中の国々で、今日に至るまで実に数千回にも及ぶ博覧会が開催され、日本においても明治以降、多種多様な博覧会が開催されてきました。
 時代とともに博覧会の内容や展示手法は進化し、開催目的や性格も大きく変わっていきました。博覧会はその時代における社会的な要求や世相を映す鏡であったといえます。
 本展では19世紀から20世紀の博覧会を俯瞰し、時代とともに変わってきた人々の価値観や他者へのまなざしを読み解くとともに、大阪を会場とした博覧会に焦点を当て、大阪の人々の生活スタイルや娯楽、都市文化を紹介します。

『元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図』
株式会社乃村工藝社蔵
第5回内国勧業博覧会『明治三六年之大阪』
大阪毎日新聞社発行
株式会社乃村工藝社蔵
『大礼奉祝交通電気博覧会鳥瞰図』
株式会社乃村工藝社蔵
'70大阪万博ペナント4種類
株式会社乃村工藝社蔵


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse