2018年4月24日火曜日

今週の今昔館(108) 長堀石濱 20180424

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(17)

 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の17回目、今回は長堀周辺の名所をご紹介します。

■長堀石濱(芳瀧画)
 木津川からまっすぐ東に進む長堀川は船運に都合がよく、往時、長堀川は大阪の幹線河川のひとつとして諸国物産の運搬に利用されていました。
 沿岸には回船問屋や材木商、加工業の店が集まっていました。旧心斎橋と佐野屋橋との間は石工業者の集まる町で「石屋の浜」と呼ばれました。

 長堀を通って運ばれた各地名産の石が浜を埋め、それが名もない名工たちの手によって鳥居や橋、灯篭、狛犬、石仏、道標、石臼、鉢など様々な作品に姿を変えました。元禄期の東大寺大仏の蓮華下の石座も長堀石工職人の仕事です。
 長堀川沿いには、商品の加工製造の町大坂の特色が表れていました。長堀のこの部分は昭和38年までには埋め立てが完了し、長堀地下駐車場に姿を変え、現在では地下街の「クリスタ長堀」となっています。

浪花百景「長堀石濱」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

■長堀材木市(芳瀧画)
 長堀川は東横堀川から木津川まで船場と島之内を分けながら東西に流れる、まさに長い堀川です。江戸初期に開発され、大坂の水の幹線路として諸国の産物の集散地となっていました。
 西横堀川より西のこの地域には堀の南側に土佐藩の蔵屋敷があり、特産品である材木・鰹節などが運び込まれたことから、諸国の材木・鰹節を商う商人が集中しました。

 諸国の銘木が船積みされ、あるいは筏に仕立てられて続々と入荷、所狭しと浜に並べられます。取引はおよそ午前を中心に行われ、材木の上で威勢よく競りが行われました。
 昭和40年代までに埋め立てられ堀端の風情は失われましたが、今もこの辺りには材木問屋が多く、「鰹座橋」「白髪橋」といった橋の名前は交差点名として残っています。

浪花百景「長堀材木市」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 天保年間発行の浪華名所獨案内を見ると、四ツ橋の東に「サノヤバシ」、「心サイバシ」が描かれています。この辺りが石濱と呼ばれていた地域です。地図は上を東に描かれていますが、上を北にしましたので、文字は横を向いています。
 四ツ橋から西については「高バシ」までの間の橋が省略されていますが、「鰹座」の名前と、「此辺両岸トモ ザイ木市アリ」の文字があります。

浪華名所獨案内の長堀(「津の清」蔵)

 文化3年(1806)発行の増修改正摂州大阪地図を見ると、四ツ橋の東に佐野屋バシ、心斎バシがあり、西側には、宇和島橋、富田屋橋、問屋橋、白髪橋、鰹座橋が描かれています。鰹座橋の南には土佐藩の蔵屋敷があったこともわかります。

増修改正摂州大阪地図(文化3年(1806))の長堀
(ラムゼイコレクションより)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、四ツ橋の東に「さのやばし」、「しんさいばし」があります。長堀の北を堀に沿って市電が走っています。

大阪市パノラマ地図の心斎橋から四ツ橋にかけて
(大阪くらしの今昔館蔵)

 大阪市パノラマ地図の四ツ橋から西、鰹座橋にかけては、浪花百景の「長堀材木市」に描かれている地域に当たります。堀の北側は市電が走り、堀に沿って街路樹が植えられています。南岸には空き地が目に付きますが、堀からの荷上場があったものと思われます。鰹座橋の南西に土佐稲荷神社があります。かつて土佐藩蔵屋敷のあったところです。

大阪市パノラマ地図の四ツ橋から鰹座橋にかけて
(大阪くらしの今昔館蔵)

 今回は、「浪花百景」の長堀付近の名所をご紹介しました。石屋や材木市が名所になっていること自体が大変興味深いことです。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」開催中です。

 本展で初公開となる「三井別家中川コレクション」は、江戸時代の豪商三井家の別家中川九兵衛(なかがわくへえ)家に伝来する書画、茶道具、食器類などのコレクションです。
 三井家は、江戸、京都、大坂の三都に呉服店を構え、両替商も営んでいました。幕末の大坂の名所を描いた『浪花百景』には、高麗橋2丁目にあった大坂本店の繫栄ぶりが描かれています。
 ところで、京都と大坂では風土や文化が異なるという指摘が古くからあります。一方で、京・大坂を一体にした上方文化という歴史用語もあります。2つの都市は、淀川という大動脈によって密接に結ばれていて、共通する生活文化が醸成されたことも事実です。例えば、船場言葉は京言葉と似ていますし、町家や町並み、年中行事など、両都市に共通する生活文化は数多く見いだすことができます。また、大坂の豪商・加島屋が京都出水の三井家から花嫁を迎えたように、京都と大阪は人や文化の交流を深めながら共に発展してきました。

 中川家は、享保期頃(1716~1736)より代々京都西陣に近い千両が辻で本家と同じ呉服業を営んでいました。明治初頭に廃業しますが、現在の当主で10代目を数える旧家です。
 歴代の当主たちは家業に勤しむかたわら、歌人や茶人、絵師や陶工と親しく交流しました。また、家業だけでなく年中行事や通過儀礼といった生活面においても、本家や他の別家との交際も重要だったと推察されます。  このような、富裕な商家ならではのくらしを営むなかで、来客をもてなす膳碗や酒器、食器類、四季折々に床の間を飾る掛軸や花器、そのほか調度品や装飾品などが蓄積されました。また、8代目当主(明治14年~大正10年/1881~1921)は茶の湯の愛好者で、茶道具類の収集にも熱心だったといいます。


 本展は“四季のしつらい”と“もてなし”をテーマに、「三井別家中川コレクション」から、端午の節句飾り、季節を演出する掛軸や花器、また、茶道具をはじめ陶器、漆器、ガラス器などの道具類、100点余りを展示します。上方の富裕な商家に育まれたくらしの美を感じていただければ幸いです。

会期 平成30年4月21日(土)~平成30年5月27日(日)
開催期間中の休館日 毎週火曜日
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)


唐獅子牡丹図大鉢
中川家に伝来の甲冑


〇大阪くらしの今昔館は「重文民家をつなぐ!-それは文化とともに建物を次世代に伝えること-」を共催します

民家を愛する方、民家をもっと知りたい方 必見!
重文民家は建物の魅力だけではありません。とても大切な伝統文化をつないでいるのです。

特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」設立40周年記念パネルディスカッション

国指定重要文化財民家(重文民家)の半数以上は、代々個人の住宅です。住み続けることで重文民家の貴重な文化を守っています。このパネルディスカッションでは、重文民家が大切な伝統文化をつないでいることを所有者自らが語ります。重文民家を伝統文化とともに次世代につなぐにはどうすればよいかを、英国の事例に学びながら考えます。

◆日時 2018年5月27日(日)
13:30~16:30(受け付けは13:10から)

◆会場 大阪市立住まい情報センタ- 3階 ホ-ル

◆参加費無料(定員150名 先着順)

◆プログラム
1 所有者が語る重文民家をつなぐ意味
・天皇即位の儀式と三木家住宅ー大嘗祭の麻布(麁服(あらたえ))ー 三木 信夫(徳島県 三木家住宅)
・世界文化遺産の地・宮島で厳島文化と上卿屋敷(林家住宅)を伝える 出先 洋一(広島県 林家住宅)
・高林家住宅に伝わる百舌鳥精進と年中行事―家族で受け継ぐ400年-  高林 永統・高林 宗弘(大阪府 高林家住宅)

2 歴史住宅を次世代につなぐための支援~英国の事例から~  (通訳あり)
・次世代につなぐ-英国では歴史住宅をどのように次世代に継承しているのか
  Ben Cowell (イギリス Hisitoric Houses 代表)

3 ディスカッション -重文民家を次世代につなぐために (通訳あり)

※詳しくはチラシをご覧ください。各住宅の紹介を写真とともに掲載しています。
https://www.sumai-machi-net.com/event/images/upload_files/event/33160/event_file/5ad2e65e02b5a.pdf

◆主催:特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」
    大阪教育大学居住環境学研究室
    大阪くらしの今昔館
    大阪市立住まい情報センタ-



〇今週のイベント・ワークショップ
4月25日(水)~28日(土)、5月2日(水)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

4月28日(土)
町家衆イベント ワークショップ『組みひもストラップを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

4月29日(日)30日(祝)、5月3日(祝)~6日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

4月29日(日)
イベント ヘルマンハープ コンサート

バリアフリー楽器ヘルマンハープと共に・・・
14時~15時
出演:シュトラーセ

5月3日(木・祝)
イベント 町家寄席-講談

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、講談をきいてみませんか
出演:旭堂南左衛門、南青、南舟
14時~15時

5月4日(金・祝)
イベント 町家寄席-落語“らくてん会”

大坂の町家で開催される、アマチュア落語の会です
14時~15時30分頃
出演:らくてん会

5月5日(土・祝)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演:笑福亭学光
14時~15時

町家衆イベント ワークショップ『兜を作ろう』
①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名(中学生以下対象)、参加費100円
    *当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

5月6日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
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2018年4月17日火曜日

今週の今昔館(107) 四ツ橋 20180417

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(16)

 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の16回目、今回は「四ツ橋」をご紹介します。

■四ツ橋(芳瀧画)
 現在の四ツ橋交差点のすぐ東、阪神高速道路をくぐるあたりは、かつて東西に延びる長堀川と南北に延びる西横堀川とが十字に交差していた場所で、北に上繋橋、南に下繋橋、西に吉野屋橋、東に炭屋橋と、まさに十文字の横断歩道のように橋が4つ架かっていたことから四ツ橋と総称されました。
 交差点のように4つの橋を通行する人、足元を行く船は十字に行き交うという珍しい光景に、納涼や観月などを楽しむ人も訪れ、江戸時代から市街の景勝地として親しまれました。「涼しさに 四ツ橋を四つ 渡りけり」(小西来山)。
 橋のたもとには淡路島に渡る船着き場もありました。画は南西から北の船場方面を見ており、両御堂の屋根が望めます。昭和40年代に堀が次々に埋め立てられて消滅し、かつて橋のたもとにあった文人の句碑が残っています。
 錦絵は四ツ橋を南西から見たもので、奥に見えている大きな屋根は、手前が南御堂、向こうが北御堂です。

浪花百景「四ツ橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 四ツ橋という地名を聞くと、ご年配の方は、「プラネタリウムのあったところ」とお答えになると思います。現在の大阪市立科学館の前身の電気科学館が交差点に面して建っていて最上階がプラネタリウムになっていました。若い方は、「地下鉄の四つ橋線に駅があったかなぁ」くらいかもしれません。四ツ橋の昔と今を見ていきましょう。
 江戸時代の天保年間1820年ころの地図「浪華名所独案内」の四ツ橋付近です。東が上になっています。中央部左右の川が西横堀川、上下の川が長堀川です。2つの川がクロスしているところに橋が4つ架かっています。4つまとめて四ツ橋と呼ばれていました。

浪華名所独案内の四ツ橋付近

 見慣れている地図になるよう、北を上にして拡大してみました。四ツ橋の右上は船場、右下は島之内、左下は堀江、左上は新町になり、新町には廓がありました。

浪華名所獨案内の四ツ橋付近(上が北)

 もう一枚、ほぼ同じ時代の、詳細な古地図「天保新改攝州大阪全圖」の四ツ橋付近です。通りの名や町名が詳しく書かれています。

天保新改攝州大阪全圖の四ツ橋付近(上が北)

 四ツ橋(よつばし)は、「堀川の十字交差部(大阪市内に唯一存在した)」に、架橋されていた4つの橋を一括して称した名称で、その周辺の地域の通称にもなっています。その後、堀川は埋め立てられたため現在は交差点名や駅名として残っています。
 もともとは、長堀川と西横堀川(両方とも埋め立てられた)が交差する地点に「ロ」の字型に架けられていた4つの橋の愛称です。道路、水路、市電にとっての重要な交通の要所でした。
・上繋橋(かみつなぎばし)西横堀川に架かる北の橋。1964年(昭和39年)撤去。
・下繋橋(しもつなぎばし)西横堀川に架かる南の橋。1964年(昭和39年)撤去。
・炭屋橋(すみやばし)長堀川に架かる東の橋。1970年(昭和45年)撤去。島之内西端の旧町名「炭屋町」に由来。
・吉野屋橋(よしのやばし)長堀川に架かる西の橋。1970年(昭和45年)撤去。北堀江東端の旧町名「吉野屋町」に由来。


 四ツ橋は、昔から、建物が建て込んだ都心部の中にあって貴重な開けた場所でしたので、散策コースとして市民に親しまれ、また大阪名所・観光名所として「浪花百景」のほかにも「摂津名所図会」にも描かれ、写真が絵はがきにも用いられました。かつては夕涼みの名所だったそうで、江戸時代中期の俳人小西来山の句「涼しさに 四ツ橋を四ツわたりけり」が有名です。

摂津名所図会の四ツ橋

 大正13年(1924年)発行の大阪市パノラマ地図では地図のちょうど真ん中に「四ツ橋」が描かれています。鳥瞰図ですので左上が北になっています。

大阪市パノラマ地図の四ツ橋付近

 こちらも東を上にしてみました。鳥瞰図ですので道が斜めになっています。長堀の北側の長堀通と西横堀の西側の四ツ橋筋に市電が走っています。位置は少しずれますが2つの通りの交差点も四ツ橋と呼ばれていました。

大阪市パノラマ地図の四ツ橋付近(上が東)

 日本初の国産ダイヤモンドクロッシング(軌道の交差点)が設置されたのもこの交差点です。大阪市電の東西線と南北線という2つの重要路線がクロスしていましたが、昭和36(1961)年に東西線、昭和38(1963)年に南北線が廃止されたことにより撤去されました。

四ツ橋電車交叉点(大阪府写真帖)

 昭和12年(1937年)の大大阪観光地図です。心斎橋、大丸、そごう、文楽座、新町演舞場など名所と並んで、電気科学館の文字が赤字で大きく表示されています。電気科学館は四ツ橋交差点の北東角に建っていました。昭和12年(1937年)、日本で初の電気科学館(サイエンスセンター)としてオープンした施設で、東洋初のプラネタリウムを置いていました。パノラマ地図は大正13年発行ですので電気科学館は描かれていません。

大大阪観光地図の四ツ橋付近
(国際日本文化研究センター蔵)
開館当時の電気科学館 (大阪市立科学館HPより)

 昭和29年(1954年)の最新大阪市街地図です。

昭和29年の四ツ橋付近(国際日本文化研究センター蔵)

 四つ橋筋には市電が走っていて南北線と呼ばれていました。大阪駅前と難波、恵美須町を結ぶ主要幹線でした。四ツ橋周辺の市電は昭和38年(1963年)に廃止されました。昭和40年(1965年)に地下鉄四つ橋線西梅田大国町間が開通しました。地下鉄四つ橋線は2015年に50周年を迎えました。

 名前の表記について、「四ツ橋」と「四つ橋」が使い分けられています。地名(橋名・交差点名・駅名)は、「四ツ橋」「四ツ橋駅」とカタカナの「ツ」、線名(道路名・地下鉄路線名)は「四つ橋筋」「四つ橋線」とひらがなの「つ」となっています。これは、道路を管理していた市の土木局(当時)と、交通事業(市電に四ツ橋の電停があった)を管理していた電気局(当時)が、監督官庁に別の表記で届け出たことに原因があると言われています。さらに、地下鉄路線名は通過する街路の名前(四つ橋筋)に合わせたのに対して、駅名は地名を採用したという結果、「地下鉄四つ橋線の四ツ橋駅」 のような表記になっています。

 地下鉄四つ橋線の名前の由来は、地名の四ツ橋→橋の近くを通る南北の道の名前が四つ橋筋→そこに地下鉄が建設されたので四つ橋線です。四ツ橋駅の構内は心斎橋駅とつながっていますが、線名になっているので四つ橋線の駅だけは四ツ橋駅を名乗っています。四ツ橋駅の壁面には4つの橋の名前がデザインされています。
 ちなみに、四つ橋線の信濃橋駅は中央線ができて本町駅とつながり、駅名も本町に変更になりました。なんば元町駅もなんば駅に統一されました。地元ゆかりの地名は残してもよかったように思います。

地下鉄四ツ橋駅の壁面デザイン
東側の橋の名前は?
地下鉄四ツ橋駅の壁面デザイン
西側の橋の名前は?
地下鉄四ツ橋駅の壁面デザイン
北側の橋の名前は?
地下鉄四ツ橋駅の壁面デザイン
南側の橋の名前は?

 現在では、大川、土佐堀川、堂島川、木津川、道頓堀、東横堀(いわゆるロの字の水路)を残して、ほとんどの堀が埋立てられています。西横堀川は埋め立てられて上が高速道路になっています。長堀川は埋め立てられて地下に地下街と駐車場が造られました。その上が現在の広い長堀通りになっていて、中央部が広い分離帯になっています。もと長堀の南部分は一部民有地になっているところもあります。

 現在「四ツ橋」は長堀通と四つ橋筋の交差点名となっています。本来の四ツ橋は、長堀川と西横堀川の交差部、つまり、長堀通と阪神高速1号環状線北行きの交差部なので、四ツ橋交差点は本来の四ツ橋の位置より少し西側にずれている事になります。なお、四ツ橋交差点の位置で長堀川に架けられている橋は「西長堀橋」です。

 四ツ橋交差点の東側、長堀通の中央分離帯にはミニ四ツ橋のモニュメントと案内板があります。案内板は高速道路(旧西横堀川)の西側の交差点の脇にあります。こちらは、わかりやすいと思います。



 阪神高速道路の東側には、江戸時代中期の俳人小西来山と上島鬼貫が詠んだ句碑が建っています。少しわかりにくいですが、かつて角屋橋が架かっていたところにあたります。

 上島鬼貫の句は「後の月 入て貌よし 星の空」で、小西来山の句は「涼しさに 四ツ橋を四ツわたりけり」となっています。


 吉野屋橋の北西角、四ツ橋交差点の北東角には、四ツ橋のシンボルとなっていた大阪市立電気科学館がありましたが、老朽化を理由に平成元年(1989年)5月に閉館。同年に北区中之島に大阪市立科学館がオープンしました。

 電気科学館は取り壊されて、現在はヴィアイン心斎橋長堀通を主テナントとする大阪市交通局所有の複合ビル「ホワイトドームプラザ」となっています。ビルの外観は、屋上部分がドーム状に造られるなど、電気科学館を模したデザインとなっています。

四ツ橋交差点のホワイトドームプラザ

 昔の地図を見ながらのまち歩き、古地図を片手に、スマホをお持ちの方はスマホに古地図を取り込んで、いろんな所へちょっと出かけてみませんか?

 スマートフォン(iPhone、アンドロイド)をご利用の方は、「こちずぶらり」というアプリを利用すると、GPS機能によって地図上に現在位置を表示させることができます。まち歩きの際などにその場所に昔は何があったかを現地で確認することができて便利です。
 大阪市パノラマ地図は、「こちずぶらり」に搭載されていますし、浪華名所独案内もこちらからダウンロードできます。

 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示しています。ちょうど真ん中に四ツ橋がありますので、じっくりとご確認ください。
 大阪市パノラマ地図についてはこちらに解説があります。
http://konkon2001.blogspot.jp/2017/10/blog-post_10.html
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html

 今回は、「浪花百景」の四ツ橋をご紹介し、四ツ橋の昔と今を訪ねました。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇次回の企画展は「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」。4月21日(土)から開催です。

 本展で初公開となる「三井別家中川コレクション」は、江戸時代の豪商三井家の別家中川九兵衛(なかがわくへえ)家に伝来する書画、茶道具、食器類などのコレクションです。
 三井家は、江戸、京都、大坂の三都に呉服店を構え、両替商も営んでいました。幕末の大坂の名所を描いた『浪花百景』には、高麗橋2丁目にあった大坂本店の繫栄ぶりが描かれています。
 ところで、京都と大坂では風土や文化が異なるという指摘が古くからあります。一方で、京・大坂を一体にした上方文化という歴史用語もあります。2つの都市は、淀川という大動脈によって密接に結ばれていて、共通する生活文化が醸成されたことも事実です。例えば、船場言葉は京言葉と似ていますし、町家や町並み、年中行事など、両都市に共通する生活文化は数多く見いだすことができます。また、大坂の豪商・加島屋が京都出水の三井家から花嫁を迎えたように、京都と大阪は人や文化の交流を深めながら共に発展してきました


 中川家は、享保期頃(1716~1736)より代々京都西陣に近い千両が辻で本家と同じ呉服業を営んでいました。明治初頭に廃業しますが、現在の当主で10代目を数える旧家です。
 歴代の当主たちは家業に勤しむかたわら、歌人や茶人、絵師や陶工と親しく交流しました。また、家業だけでなく年中行事や通過儀礼といった生活面においても、本家や他の別家との交際も重要だったと推察されます。
 このような、富裕な商家ならではのくらしを営むなかで、来客をもてなす膳碗や酒器、食器類、四季折々に床の間を飾る掛軸や花器、そのほか調度品や装飾品などが蓄積されました。また、8代目当主(明治14年~大正10年/1881~1921)は茶の湯の愛好者で、茶道具類の収集にも熱心だったといいます。

 本展は“四季のしつらい”と“もてなし”をテーマに、「三井別家中川コレクション」から、端午の節句飾り、季節を演出する掛軸や花器、また、茶道具をはじめ陶器、漆器、ガラス器などの道具類、100点余りを展示します。上方の富裕な商家に育まれたくらしの美を感じていただければ幸いです。

唐獅子牡丹図大鉢

中川家に伝来の甲冑


〇今週のイベント・ワークショップ

4月18日(水)~21日(土)、23日(月)、25日(水)~28日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

4月21日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演・演目:桂出丸、他
14時~15時

町家衆イベント 折り紙(有料)
季節に合わせてさまざまな折り紙をお教えします。
作品は持ち帰っていただきます。
開催日:偶数月の第3土曜
時 間:13:30~15:00

4月22日(日)、29日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

4月22日(日)
町家衆イベント 絵本で楽しい時間

むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30~15:00

4月28日(土)
町家衆イベント ワークショップ『組みひもストラップを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

4月29日(日)
イベント ヘルマンハープ コンサート

バリアフリー楽器ヘルマンハープと共に・・・
14時~15時
出演:シュトラーセ


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
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2018年4月10日火曜日

今週の今昔館(106) 道頓堀角芝居 20180410

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(15)

 今回は「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の15回目、道頓堀付近の名所をご紹介します。

■道頓堀角芝居(国員画)
 安井道頓、道卜による道頓堀開削以降、一帯は遊所や芝居小屋の設置が許可され随一の歓楽街を形成しました。道頓堀の南側、日本橋から戎橋の間は「芝居側」と呼ばれ、浄瑠璃、歌舞伎などの大芝居から、あやつり、からくりなどの見世物小屋に至るまで、芝居小屋が密集する浪花随一の繁華街でした。浜側の芝居茶屋には船から直接上がることができました。角座(角の芝居)は興行主大坂太左衛門が開いた歌舞伎座で、道頓堀の中でも古い小屋で、公許の印である櫓を掲げた5つの劇場のひとつでした。

 いくつかの芝居小屋は近代に引き継がれましたが、今なお江戸時代以来の名前を保っているのは、中座と角座のみです。平成19年(2007)までは映画館と飲食店が雑居する角座ビルとして、大衆芸能の核として長らく当地を盛り上げてきました。平成25年(2013)角座ビル跡地にダイハツ工業がメインスポンサーとなった「松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座」が再開場しました。

浪花百景「道頓堀角芝居」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

■道頓堀太左衛門橋雨中(芳雪画)
 現在の道頓堀周辺は大阪の代表的な遊び場で、若者達でごった返す夜の景観が大阪の一つの顔にもなっています。江戸時代には堀の南側に中の芝居などの芝居小屋が軒を並び、また、観劇の人に向けた芝居茶屋がひしめきあい、ここに近世の大坂文化が花を咲かせていました。役者が船で御目見えする船乗り込みも行われ、水都にふさわしい趣向が見られました。

 太左衛門橋の名は、橋の南に芝居小屋「角の芝居(角座)」を開いた興行師で若衆歌舞伎の座元の大坂太左衛門に由来します。道頓堀には4つの橋が架かっていましたが、この橋を北へ渡ると花街宗右衛門町があり、島之内にも通じます。華やかな町をつなぐ橋には艶っぽい情緒があふれています。織田作之助は、芝居街と花街をつなぐ太左衛門橋を「さまざまな人のさまざまな思い出がこもっている橋だった『大阪の女』」と記しています。

浪花百景「道頓堀太左衛門橋雨中」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


■松屋呉服店(芳瀧画)
 松屋呉服店は大丸の前身。大丸は享保2年(1717)に下村彦右衛門が京都伏見において開いた大文字屋呉服店が発祥です。心斎橋の大坂店は9年後の同11年(1726)に開設されました。西陣のものを主力として南の芸人衆や遊郭筋を目当てに商いをし、老舗呉服屋の松屋を吸収するまでになりました。明治末まで屋号は「松屋」と「大丸」を併用していましたが、商標は大文字屋の称号にゆかりの深い「〇に大」を用い、人々は「大丸」と呼びならわしました。

 暖簾を見ると江戸や名古屋にも支店を持っていたことがわかります。心斎橋筋には小大丸や十合(そごう)など同業が大店を出し、商都大坂の一端を担っていました。豪商であったにもかかわらず、救民義捐に尽くす義商として知られていたため、大塩平八郎の乱の際にも襲撃をまぬがれたといわれます。

浪花百景「松屋呉服店」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 天保年間発行の浪華名所獨案内を見ると、道頓堀川の南側(左)に、竹田座、若太夫座、角座、中座、筑後座の五座が並んでいます。戎橋を北へ渡り心斎橋筋を進むと、左手に〇に大の標があるところが松屋呉服店です。どちらも観光ルートの線が引かれています。

浪華名所獨案内の道頓堀付近(「津の清」蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、道頓堀の南側に、辨天座、朝日座、角座、中座、浪速座、に加えて、松竹座が並びます。千日前通と日本橋筋には市電が走っています。千日前の楽天地が目を引きます。

大阪市パノラマ地図の道頓堀付近
(大阪くらしの今昔館蔵)

 戎橋を北へ渡り5つ目のブロックの西側に大丸があります。大正12年当時は御堂筋の拡幅前ですので、大丸、十合(そごう)は心斎橋筋に面して店を開いていました。御堂筋の位置には道頓堀と長堀には橋が架かっていませんでした。

大阪市パノラマ地図の大丸付近
(大阪くらしの今昔館蔵)

 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示していますので、じっくりとご確認ください。

大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://konkon2001.blogspot.jp/2017/10/blog-post_10.html



 今昔マップ3を使って、地形図の変遷を見てみましょう。
左上は明治41年、通りと筋はほとんどが江戸時代のままの道幅です。その中で、長堀川の北の末吉橋通は、拡幅されています。右上は昭和4年、末吉橋通と堺筋(長堀橋筋)に市電が通っています。左下は昭和22年、御堂筋が拡幅されています。白い部分は戦災で焼失した地域で、とりわけ島之内の東半分は大きな被害がありました。右下は昭和42年の地形図で、長堀川が埋めたてられて、長堀通となっています。島之内の中央部を東西に通る幅の広い通りは、アメリカ村のメイン通りやヨーロッパ通りとしても知名度がある周防町通です。關一大阪市長が推進した大阪市第一次都市計画事業に基づき、1936年(昭和11年)に周防町通が市道堀江玉造線として貫通・拡幅整備されました。その際に、東横堀川に鋼製アーチ橋の東堀橋が架けられました。東堀橋の開通により、玉造と九条が一本の道路で結ばれました。大丸は御堂筋側に増築され、心斎橋筋と御堂筋の両方の筋に面しています。
明治41年から昭和42年の地形図(今昔マップ3より)

 今回は、「浪花百景」の道頓堀付近の名所をご紹介しました。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇今昔館は4月9日(月)~13日(金)まで展示替えのため休館となります。

〇4月14日(土)からは、9階江戸時代のフロアの常設展示は「夏祭りの飾り」の展示となります。



展示替えによって、
幔幕(まんまく)と高張り提灯
造り物
お迎え人形
天神丸
などが加わります。


光と音の演出にも、
祭囃子や花火が入り、にぎやかさが演出されます。


9階に実物が展示されているお迎え人形が、祭りの当日にどのように使われていたかは、8階の近代のフロアにある大正時代の天神祭りの船渡御の模型展示を見るとわかります。祭りの当日、お迎え人形が飾られたお迎え船が、神さまの船をお迎えに行く様子を見ることができます。
当時の船渡御は現在とは違って大川の下流にある松島の御旅所に向けて川を下っていました。お迎え人形は江戸時代の元禄期に戎島御旅所周辺の町々が、当時の芝居(歌舞伎・能・文楽など)の登場人物をモデルにして作った大型の風流人形です。




〇企画展「浪花の大ひな祭り」終了しました。

〇次回の企画展は「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」。4月21日(土)から開催です。

 本展で初公開となる「三井別家中川コレクション」は、江戸時代の豪商三井家の別家中川九兵衛(なかがわくへえ)家に伝来する書画、茶道具、食器類などのコレクションです。
 三井家は、江戸、京都、大坂の三都に呉服店を構え、両替商も営んでいました。幕末の大坂の名所を描いた『浪花百景』には、高麗橋2丁目にあった大坂本店の繫栄ぶりが描かれています。

 ところで、京都と大坂では風土や文化が異なるという指摘が古くからあります。一方で、京・大坂を一体にした上方文化という歴史用語もあります。2つの都市は、淀川という大動脈によって密接に結ばれていて、共通する生活文化が醸成されたことも事実です。例えば、船場言葉は京言葉と似ていますし、町家や町並み、年中行事など、両都市に共通する生活文化は数多く見いだすことができます。また、大坂の豪商・加島屋が京都出水の三井家から花嫁を迎えたように、京都と大阪は人や文化の交流を深めながら共に発展してきました

 中川家は、享保期頃(1716~1736)より代々京都西陣に近い千両が辻で本家と同じ呉服業を営んでいました。明治初頭に廃業しますが、現在の当主で10代目を数える旧家です。
 歴代の当主たちは家業に勤しむかたわら、歌人や茶人、絵師や陶工と親しく交流しました。また、家業だけでなく年中行事や通過儀礼といった生活面においても、本家や他の別家との交際も重要だったと推察されます。
 このような、富裕な商家ならではのくらしを営むなかで、来客をもてなす膳碗や酒器、食器類、四季折々に床の間を飾る掛軸や花器、そのほか調度品や装飾品などが蓄積されました。また、8代目当主(明治14年~大正10年/1881~1921)は茶の湯の愛好者で、茶道具類の収集にも熱心だったといいます。

 本展は“四季のしつらい”と“もてなし”をテーマに、「三井別家中川コレクション」から、端午の節句飾り、季節を演出する掛軸や花器、また、茶道具をはじめ陶器、漆器、ガラス器などの道具類、100点余りを展示します。上方の富裕な商家に育まれたくらしの美を感じていただければ幸いです。


唐獅子牡丹図大鉢

中川家に伝来の甲冑


〇今週のイベント・ワークショップ

4月14日(土)、16日(月)、18日(水)~21日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

4月15日(日)、22日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

4月14日(土)
町家衆イベント ワークショップ『一閑張りの小物入れを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費200円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

4月15日(日)
町家衆イベント 今昔語り

大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日12時より受付でお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時

4月21日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演・演目:桂出丸、他
14時~15時

町家衆イベント 折り紙(有料)
季節に合わせてさまざまな折り紙をお教えします。
作品は持ち帰っていただきます。
開催日:偶数月の第3土曜
時 間:13:30~15:00

4月22日(日)
町家衆イベント 絵本で楽しい時間

むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30~15:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
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