2020年11月25日水曜日

今週の今昔館(242) 欣浄寺 20201125

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(22)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、大坂から京都までの淀川左岸(川の流れから見て左側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「欣浄寺」をご紹介します。八軒家から伏見までの船旅が終わり、今回からは伏見街道を徒歩で京へ向かいます。

■欣浄寺(ごんじょうじ)
 伏見京橋で一泊し、ここから伏見街道を徒歩で北上して行きます。伏見周辺は宿場を控えるだけあって遊廓が多く、宿をたち半時間ほど行くと、撞木町(しゅもくちょう)と呼ばれる傾城町に出ます。ここは赤穂浪士大石内蔵助が遊興にかこつけて同志と密議を凝らしたところとして有名で、京の島原に比べると鄙びた格式ばらない遊廓だったようです。化粧をした遊女に袖を取られて呼び止められながら、どうにかやり過ごすと、街道筋右手(東側)に見えてくるのが挿絵に描かれた欣浄寺です。

 この寺は挿絵に「欣浄寺 俗に深草寺ともいふ」とあるとおり、別名深草寺と称し、寺伝によれば、深草少将の邸宅址と伝えられ、そのゆかりの史跡が数多く残っています。有名な小野小町のもとへ百夜通ったといわれる小路や、少将・小町の塔、墨染井などが寺の後に広がり、「都名所図会」などを見ると、一庭園を形作っています。百夜通いの伝承に惹かれた旅人が二人、寺門をくぐる姿が挿絵に見えます。

 絵は欣浄寺の山門を北西の方角から眺めた風景です。左右に走るのが伏見街道で、右へ行くと伏見、左へ行くと京の町。絵の中央手前には、菅笠に杖を持つふたりの旅人がみえます。「ここが世に名高い百夜通いの寺かいな」と、奥の山門へと向かうようす。街道を行く旅人にとって、興味を引く名所であったことがわかります。また、街道の右手から北へと向かう旅の侍。ロマンティックな伝説も、彼にとっては無用の長物とみえ、目もくらずに先を進んでいきます。

淀川両岸一覧上船之巻「欣浄寺」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)
都名所図会「深草 欣浄寺」
(国際日本文化研究センターデータベース)

 江戸時代、深草の里の名物として、次のようなものがあったことが、本文に記されています。

 土器(かはらけ)、風炉(ふろ)その外土細工の人形、器物また蕃椒(とうがらし)の粉、団(うちは)等

 これらはみな、「すこぶる世に名高」かったと本文にあります。松尾芭蕉の「蕉門十哲」のひとり向井去来に、このうちの団扇を詠じた狂歌が残されています。

 深草の 少将団(うちは) 安ければ 京の小町に 買ひはやらかす

 江戸時代、ここの団扇は深草団扇と呼ばれ、求めやすい値で人気を博しました。その深草団扇と、深草の少将と小野小町にまつわる悲恋物語を、掛詞に仕立てているのが、この歌のみどころです。(深草団扇は安価なので、深草少将のように小野小町にプレゼントする物ではなくて、京の小町娘のために買うて、流行らせる。)

 能楽「通小町(かよいこまち)」に、小野小町に懸想した深草の少将が百夜(ももよ)通いを試みるも九十九夜目に亡くなってしまうというエピソードがあります。その深草の少将が住んでいたとされている場所に、欣浄寺はあります。

 現在、清涼山欣浄寺は曹洞宗の寺院です。ただし、「淀川両岸一覧」の本文には「浄土宗」と記されています。もとは真言宗であったのを曹洞宗に改め、さらに、真言宗、曹洞宗と改宗を重ねた経緯があるからです」。

 また、「都名所図会」は次のように紹介しています。

≪墨染の南にあり。浄土宗にして、本尊には阿弥陀仏を安置す。(中略)此地いにしへ深草少将の第宅(ていたく)なり。寺記に曰く、四位少将は深草大納言義平卿の長子にして、少将義宣卿と号す、弘仁三年三月十六日此所において卒し給ひぬとかけり。≫

 そもそも深草の少将は架空の人物です。モデルだといわれる人物には諸説あり、ここでは「深草大納言義平卿」の子「義宣卿」であるとしています。

 ところで、本文は「続千載和歌集」の次の和歌を取り上げています。

 深草や 竹の下道 分け過ぎて ふしみにかかる 雪の明けぼの 前関白太政大臣

 これは深草の少将が九十九夜目に降った大雪で亡くなったことを詠じています。
 これに対して、絵の左上、賛の発句はつぎのとおり。

 解けて行く 雫せはしや 雪の笹 醒花

 欣浄寺の傍にある撞木町は大石内蔵助が山科から通った揚屋「笹屋」のあるところ。時代が変われば、雪も解けて雫となるのです。



 本文は次のとおりです。一部重複するところがありますが、全文を掲載しておきます。
■深草里(ふかくさのさと)
 ひがしは谷口山を限り、西は竹田の里、南は墨染、北は稲荷を限る。これ一箇の勝地にして、いにしへより高貴の山荘・寺院の大厦(たいか)多し。ことに鵜(うづら)の名所にして、古人の秀詠多し。また、この里の名産は、土器(かはらけ)、風炉(ふろ)その外土細工の人形、器物また蕃椒(とうがらし)の粉、団(うちは)等はすこぶる世に名高し。

狂歌
 人形の 西行いかに 花見んと 群れつつ通る ふしみ街道 天地根
 わらんべに 思ひつかそと 見せつきや 伏見の里の お山人形 春女
 深草や 少将団(うちは) やすければ 京の小町に 買ひはやらかす 去来

■欣浄寺(ごんじょうじ)
 街道の東側にあり。浄土宗。
 本尊阿弥陀仏、立像にして聖徳太子十六歳の御作。
 深草少将塚・小野小町塚、ともに堂の後、池の東にあり。
 少将通道(かよひみち)、池の東、藪のあひだにあり。
 道元禅師の石像、少将塚の北にあり。道元禅師入宋の後この所に初めて禅寺を営みたまふ、ゆゑに旧(もと)は禅宗の寺院なり。
 七瀬川局墳(つか)、石像の北にあり。墨染井、池の汀にあり。竹の下道、かよひ道のほとりをいふ。

 「続千」
 深草や 竹の下道 分け過ぎて ふしみにかかる 雪の明けぼの 前関白太政大臣

■撞木町(しゅもくまち)
 本名えびす町。秀吉公伏見御在城のとき、渡辺掃部・前原八左衛門といふものに慶長九年十二月傾城町を免許ありし所なりとぞ。元禄のころ、大石内蔵助この廓に遊びし時、ささやといへる楽戸(あげや)の天井板に落書せしこと世の口碑(こうひ)にのこれり。しかるにその家も没落におよび、天井板は東武の人に売りたるよし聞こゆ。
 菜の花や裏から這入る撞木町 何狂
 鶏頭や垣のあちらは撞木まち 可風



 前回までで大坂から伏見への船旅が終わり、今回からは徒歩で京へ向かいます。前回ご紹介しました「蓬莱橋」の本文に、「伏見で上陸した旅人は京に到るのに、それぞれいろいろな道を選んで歩きましたが、およそこの蓬莱橋の筋を北へ下板橋通に至り、ここは行きどまりなので、右に曲がって墨染・深草を経て京に入る道を通りました。これを本街道、あるいは伏見街道・稲荷街道という。」とありました。また、阿波橋のところには、「橋すぢの東は京街道に通じる」とありました。これらのコースを地形図でたどってみることにしましょう。
 1枚目は今昔マップを利用して、左側に明治42年の地形図に明治期の低湿地(明治20年ころの水面(水色)・水田(黄色)・湿地(紫)・荒地(緑)を表す)を重ねたもの、右側は最新の地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 図中のAは京橋、Bは蓬莱橋、Cは下板橋、Dは阿波橋です。
 Dの阿波橋の東詰から東へ進むと図のEに出ます。ここは「四辻の四つ当たり」という場所で、東西南北どちらから来ても行き止まりになっている辻です。秀吉時代の町割りで町の防衛上から考えられたといわれます(2枚目の地図参照)。ここからさらに東へ進むとFに至ります。この角を北へ進むと京街道(本街道・伏見街道・稲荷街道)です。
 Bの蓬莱橋から北へ進み、突き当りの下板橋通を東へ進むとGに至ります。京への街道は、ここから北へ、H、I、Jと進んでいきます。

今昔マップより伏見深草付近
四辻の四つ当たり(地理院地図に加筆)

 3枚目は明治22年陸地測量部地図です。街道の様子がわかりやすいので、少し拡大して示します。図のA~Fが京街道になります。欣浄寺は図のG付近になります。

明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 4枚目は、今昔マップを利用して墨染付近を拡大しました。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの。右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。右の地図の中央辺りに寺院の記号が2つ並んでいますが、上が墨染寺、下が欣浄寺です。左の地図では欣浄寺は表示されていません。

今昔マップより墨染付近

 5枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高20mから5m刻みで色を変えてみました。JR奈良線は山裾を走り、京街道は水色の標高25~30mの辺りを通っています。図の上部中央に寺院の記号が2つ見えますが、下の方が欣浄寺です。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 最後は、マピオン地図の深草墨染付近です。図の右上「西桝屋町」の文字の右下に「欣浄寺」があります。本堂の東側には池が描かれています。また、地図の左下には「撞木町」の地名が今も残っています。

マピオン地図の深草墨染付近


 今回は、「淀川両岸一覧」の「欣浄寺」をご紹介しました。次回からは引き続き徒歩で京街道を京へと向かいます。


〇シンポジウム「美しい日本の暮らし・秋」の開催
 文化庁から委託を受け、公益財団法人山本能楽堂が企画・運営し、大阪市立住まいのミュージアムが共催で実施する「二十四節気七十二候~暮らしをいろどる生活絵巻~日本人ってすごい!」の一環としておこなうものです。

◇基調講演
 「生活を楽しむ日本人の暮らし・秋」大阪くらしの今昔館 館長 谷 直樹氏
◇事例報告
 「茶の湯の季節感」森 雅子氏 大徳寺玉林院
 「和装がふだん着だった頃」深田 智恵子氏 大阪くらしの今昔館
◇まとめ
 「美しい都市のくらしと創造性」
 佐々木 雅幸氏(文化庁文化創造アナリスト 大阪市立大学名誉教授)

日 時:令和2年11月29日(日)10:30~12:30
会 場:大阪市立住まい情報センター3階ホール 大阪市北区天神橋6丁目4-20
参加費:無料
定 員:150名(先着順)

詳しくはこちらからどうぞ。
http://konjyakukan.com/topic.html#2020/11/12


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇企画展「景聴園×今昔館 描きひらく上方文化」は、終了しました。

 「景聴園(けいちょうえん)」は京都で日本画を学んだグループです。80〜90年代生まれの関西出身の作家5名と企画を担当する2名が所属し、2012年に結成されました。同世代でありながらも異なる制作スタイルを持つ作家たちを中心に、日本画を通して文化と歴史を再考することで絵画のあり方を見つめ、日夜議論を重ねながら制作と発表を続けてきました。第6回目を迎える今回の展示は、大阪での初開催となります。
 大阪くらしの今昔館は、大阪における住まいの歴史を紹介する一環として、江戸時代を中心に近代までの美術・歴史資料を所蔵しています。それらは床の間や座敷で掛軸や屏風として、生活の中を彩るものとして、生活に取り入れられてきました。時代の流れとともに住まいは郊外にうつり、座敷を持たない家も増え、生活の中で日本画に親しむ機会も少なくなってしまいました。しかし現在も、連綿と続いてきた日本画の歴史を継承して学び、絵を描くことについて問いかけながら制作活動をつづける人たちがいます。
 景聴園の作家たちは当館で展示をするにあたり、所蔵品の熟覧を重ねることで大阪の歴史と文化から着想を得て、それぞれのテーマを設けました。本展では、5者5様のアプローチによって描き出された景聴園の新作を中心に今昔館の所蔵品も交えながら、上方で発展してきた都市文化が持つ奥深い世界を展開します。

こちらから企画展の紹介動画をご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=JfeeQ8ShSgo&feature=youtu.be



〇次回の企画展は「くらしと漆工」
令和2年12月19日(土)〜令和3年2月14日(日)
 古来より漆は日本人のくらしや文化と密接に結び付いてきました。実用性と美観に優れる漆は、日用品としての食器類をはじめ、ハレの日の装身具や調度、建築装飾に至るまで幅広く用いられており、今日に至るまで日本の伝統文化を支え続けています。2001年の開館以来、大阪くらしの今昔館には「住まいの歴史と文化」に関する資料の一分野として、形も用途も様々な漆工品が集められました。本展では、それらのコレクションの中から魅力あふれる作品を選りすぐり、漆商いの中心地であった大坂所縁の作品とともに展観します。今昔館では初となる漆工をテーマにした展示を通し、長い歴史と共に育まれてきたその魅力に迫ります。



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be


 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4



〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
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初めての方はこちらからどうぞ。
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