2021年2月17日水曜日

今週の今昔館(254) 五条橋 20210217

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(33)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「五条橋」をご紹介します。


■五条橋
 五条橋は元々現在の松原通に架けてあったものを、伏見城から内裏へ参内するための便と、方広寺大仏殿の造営の目的のために、秀吉が当時の六条坊門通(五条大路と六条大路の中間の小路)に付け替え、これ以降現在まで、この六条坊門通に架かる橋を五条橋、または五条大橋とよんでいます。
 京から大坂へ向かうとき、三十石船の出る伏見までは、これから我々が辿る竹田街道や、五条橋を東へ渡り伏見街道を下る陸の道と、もう一つは高瀬川を船で下る川の道、以上3つの方法があり、本文には「老人足弱の徒(ともがら)は高瀬川の下舟に乗りて伏見に至る」との説明があります。

 絵は五条橋の西詰南側から北東の方角を眺めた風景です。本文の解説には次のように記されています。

 ≪三条橋の下にあり。初めは松原通に架せり。すなわち五条通なり。秀吉公の時この所にうつすゆゑに五条橋通といふ。実は六条坊門なり。欄干紫銅(からかね)擬宝珠、左右十六本ありて、北の方、西より四ツ目に橋の銘あり。≫

 これをみると、五条通と区別するために五条橋通とよばれていたことがわかります。

淀川両岸一覧下船之巻「五条橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代、京から大和へと向かう大和街道の北端は五条橋の東詰でしたから、この橋は三条大橋と同様に、幕府が管理する公儀橋となっていました。絵の左側中央に描かれた橋の様子から、公儀橋の証である擬宝珠を確認できます。

 ちなみに、現在の五条大橋という呼び方でなく「五条橋」と呼ばれていたのは、大橋に対応する小橋が存在しないからです。三条通や四条通では、西を流れる高瀬川に架かる小橋がありますが、五条通にはありません。五条通付近では高瀬川と鴨川との距離が接近しており、2つの川を跨ぐ恰好で五条橋が架けられていたのです。絵の中央「まがきの杜」の西(左)に見えるのが高瀬川で、荷を積んだ高瀬舟が上流へと曳き上げられているようすがわかります。
 絵の右下に「従三条以下三橋 洛士 方春翠画」の文字があり、三条橋、四条橋、五条橋の3枚の挿絵は、松川半山ではなく方春翠によって描かれていることがわかります。

 都名所図会にも「五條橋」がありますので、ご紹介します。絵の左端に「川下」の文字、中央下に「川上」の文字がありますので、橋の北東上空から南西を眺めた風景であることがわかります。絵の中央に「本堂」「方丈」(位置から見ると本覚寺か)、右上に「上徳寺」の文字が見えます。橋の西詰め付近の寺院が詳しく描かれています。橋は鴨川と高瀬川を跨いで架けられていて、高瀬舟を曳き上げている様子も描かれています。絵の左端には籬(まがき)の森も見えます。

都名所図会「五條橋」
(国際日本文化研究センターデータベース)


 「淀川両岸一覧」の本文は、次のとおりです。

■五条橋
 三条橋の下にあり。初めは松原通に架せり。すなわち五条通なり。秀吉公の時この所にうつすゆゑに五条橋通といふ。実は六条坊門なり。欄干紫銅(からかね)擬宝珠、左右十六本ありて、北の方、西より四ツ目に橋の銘あり。

 雒陽(みやこ・らくよう)五条石橋正保二年乙酉十一月吉日
 奉行 芦浦観音寺舜興
    小川藤左衛門尉正長

  この橋上の半より東に向かへば、洛東の勝地木の間木の間に顕はれて、平安の佳景ここに止まる。

   蒲団着て 寝たるすがたや ひがし山 嵐雪

 京師より浪華へ船にて下るには、大和大路(伏見街道の事なり)を伏見に出づる。これを本街道といふ。老人足弱の徒(ともがら)は高瀬川の下舟に乗りて伏見に至るもあり。また西の辺より伏見に行くは、東洞院の車道九条より東竹田を経て伏見の黒門に至る。あるいは油小路より竹田を経て黒門に出づる。これを竹田街道と号す(西竹田・東竹田といふ。両道東西の便宜に任す)。また陸路は東寺より鳥羽街道を経て淀に至るもあり、あるいは伏見より淀に出づるもあり、または東寺の四ツ塚より桂川を越えて山崎に至り、高槻より鳥飼・江口・柴島を長柄に出でて大坂に至る(俗に西街道あるいは山崎越えともいふ。この道条(みちすぢ)に長岡の天神・向(むかふ)の明神・山崎の八幡・江口の君堂・柴島のさらし堤などありて、そのながめ少なからずよき往来なり)。


 付近の様子を地形図で見てみましょう。
 まず、最も古い測量図である明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)を見てみます。地図の中央が五条橋ですが、五条橋通は拡幅前の道幅で、周辺も江戸時代の町割りがそのまま残っています。橋の西詰や東山一帯には多くの寺院がありますが、この地図には名前の表示がありません。仮製地図ということもあってか、記載されている文字が少ないなかで、「豊國神社」は大きな文字で、その脇には「大佛」「妙法院」「新日吉社」の文字が見えます。高瀬川が五条橋付近では鴨川に接近している様子がわかります。


明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵

 2枚目は、今昔マップを利用して五条橋付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 左側の明治42年の地形図では、五条通、河原町通には変化がありませんが、木屋町通に高瀬川に沿って市電が走っていることがわかります。図の左下の水色の線は旧河道を示しています。最新の地理院地図では、多数の寺院の記号が目に付きます。赤色の道路は国道で、この付近では1号と8号が共用しています。黄色の道路(河原町通と東山通)は府道です。


今昔マップより五条橋付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高15mから5m刻みで色を変えています。
 五条橋付近の標高は約35m、橋の東側には40m、45m以上の橙色、茶色が迫っています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 三条橋から伏見までの間、同じ配色を使って京都の地形を見ています。五条橋付近の標高は黄色で約35m、橋の東詰には東山が迫ってきています。京都盆地の中も平らではなく、ひな壇状に北側が高く、南側が低くなっています。伏見付近では標高約15mとなっています。

地理院地図+自分で作る色別標高図

 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「五条橋」をご紹介しました。
 三条橋を西へ渡る所から始まった我々の下りの旅路は、鴨川西岸(右岸)沿いに南へ四条橋、五条橋と下ってきましたが、ここから西へ進み、烏丸通を横切り油小路通へ出て、南へ通じるいわゆる竹田街道を伏見へと向かいます。



〇企画展「くらしと漆工」は終了しました


〇次回の企画展は「博覧会の世紀1851-1970」です

 2021年2月20日(土)~2021年4月4日(日)

 博覧会の歴史は1851年のロンドン万博に遡り、その後、欧米各国で開催されるようになります。世界中の国々で、今日に至るまで実に数千回にも及ぶ博覧会が開催され、日本においても明治以降、多種多様な博覧会が開催されてきました。
 時代とともに博覧会の内容や展示手法は進化し、開催目的や性格も大きく変わっていきました。博覧会はその時代における社会的な要求や世相を映す鏡であったといえます。
 本展では19世紀から20世紀の博覧会を俯瞰し、時代とともに変わってきた人々の価値観や他者へのまなざしを読み解くとともに、大阪を会場とした博覧会に焦点を当て、大阪の人々の生活スタイルや娯楽、都市文化を紹介します。

『元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図』
株式会社乃村工藝社蔵
第5回内国勧業博覧会『明治三六年之大阪』
大阪毎日新聞社発行
株式会社乃村工藝社蔵
『大礼奉祝交通電気博覧会鳥瞰図』
株式会社乃村工藝社蔵
'70大阪万博ペナント4種類
株式会社乃村工藝社蔵


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施します。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)

・ミュージアムショップは一時休業していますが、図録などは8階インフォメーションで販売しています。
http://konjyakukan.com/shop.html


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
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