2022年4月6日水曜日

今週の今昔館(313) 住まいの大阪六景「北船場」 20220406

〇今昔館の近代展示室の見どころ(23) 住まいの大阪六景「北船場」

 大阪くらしの今昔館は、天井改修工事の実施に伴い、令和4年秋頃(予定)まで、9階常設展示室(江戸時代のフロア)および10階展望フロアが閉鎖されています。
 前回から、8階展示室(近代のフロア)にある「住まいの大阪六景」を順番に取り上げています。今回は、8階展示室に入って左手前から2つ目にある「北船場 -旧大坂三郷の近代化-」についてみていきます。

 船場(せんば)は、大阪市中央区の地域名で、大阪市の中心業務地区にあたり、大坂の町人文化の中心となったところです。
 船場は河川と人工の堀川に囲まれた(囲まれていた)四角形の地域であり、東端は東横堀川(現在の阪神高速1号環状線南行き)、西端は西横堀川(現在の阪神高速1号環状線北行き。1962年に埋立)、南端は長堀川(長堀通。1964年に埋立)、北端は土佐堀川、の東西1km、南北2kmのエリアです。江戸時代の町組の名残で、本町通の北を北船場(きたせんば)、本町通の南を南船場(みなみせんば)と呼び分けることもあります。東は上町、南は島之内、西は下船場、北は中之島に接しています。

 船場の街区は基本的に40間(1間は6尺5寸)四方の正方形で、街路は碁盤目状に直交しています。大坂城の西に位置することから東西方向が竪(たて)となり、東西方向の街路を通(とおり)と称しています。通は計23本あり、当初の幅員は4間(約8m)に設定されていました。一方、南北方向は横(よこ)となり、南北方向の街路を筋(すじ)と称しています。計13本。当初は補助的な街路とされたために幅員は3間(約6m)となり、通に対して狭く設定されていました。
 東西の通りを挟んで北と南で1つの町を形成しています。両側町と呼ばれる形態で、町の名前は通の名前と一致していました。伝統的な町家が建ち並んでいた明治時代の旧大坂三郷は、東西の通、南北の筋で構成される江戸時代以来の狭隘な道路が、近代化を進めるうえで大きな障害になっていました。
北船場-旧大坂三郷の近代化-(住まいの大阪六景)

 そこで「軒切り」と呼ばれる都市改造が実施されました。もともとは町家の正面の一部を切り取って本来の道路の幅員を回復するものですが、市電の敷設工事や都市計画に基づく道路拡幅も軒切りと総称され、明治の終わりから昭和にかけて行われました。堺筋などは市電の敷設に合わせて大きく拡幅されました。東西の通も軒切りによって拡幅されました。模型は、堺筋を挟んだ道修町と平野町の一角の昭和7年(1932)の様子で、市電の敷設に合わせて拡幅された堺筋と、平野町通の拡幅前後を表わしています。

■船場の変遷(江戸時代から近代へ)
豊臣時代から江戸時代にかけて形成された船場の様子とその後の変遷を、古地図で見てみましょう。

浪華名所獨案内(天保年間)の北船場(「津の清」蔵)
天保新改攝州大阪全圖の北船場(国際日本文化研究センター(日文研)蔵)

 東西の通りを挟んで北と南で1つの町を形成する両側町と呼ばれる形態で、町の名前は通の名前と一致していました。大阪城に近い東側から西に向かって「1丁目」「2丁目」・・・となっています。赤い枠内が、北船場の模型に再現されているエリアです。

大阪市内詳細図(大正3年)の道修町・平野町付近(日文研蔵)
大阪市パノラマ地図(大正13年)の道修町・平野町付近
(大阪くらしの今昔館蔵)
 實地踏測大阪市街圖(大正14年)の北船場(日文研蔵)
最新大大阪市街地図(昭和10年)の北船場(日文研蔵)
明治41年・昭和4年・昭和42年の地形図、地理院地図の北船場
(今昔マップ3)

 明治時代になって梅田、難波、天王寺に鉄道駅ができ、南北の交通量が増えたことから、市電の敷設と合わせて堺筋と四つ橋筋が拡幅され、さらに、昭和時代になって地下鉄の建設と合わせて御堂筋が整備されたことから、現在では南北の筋のほうがメインストリートとなっています。

東西の通(メインストリート)と南北の筋で構成される「両側町」

市電の敷設に合わせて拡幅された堺筋と軒切り前後の平野町通
(図の下が北になっていますので注意してください)

 軒切りを契機に大阪の都市景観は大きく変貌しました。伝統的な町家を取り壊して、洋風建築への建て替えが進みました。町家形式の建て替えでも、階高が高く箱軒と呼ばれる軒蛇腹を大きくした町家や、3階建ての町家などが流行しました。一方、建て替えをしなかった町家も、軒切りで表側が切り取られため、表構えが大きく変わりました。町家の内部も、店の間を板敷きの事務所とするなど、生活様式や商売の形態の近代化に対応した改造が見られました。

市電敷設に合わせて拡幅された堺筋と軒切り前後の平野町通

 「北船場-旧大坂三郷の近代化-」の模型は、昭和7年(1932)の様子を再現しています。昭和5年、平野町のうち堺筋から西側が軒切りされ、幅13メートルの道幅に拡幅されて町並みが一新されました。一方、昭和8年に軒切りが実施された堺筋から東側の街区は、江戸時代と変わらない町並みが続いていました。したがって、東側が拡幅前、西側が拡幅後の様子が再現されています。

■道路拡幅と近代建築
 道路拡幅による大きな変化は、近代建築が新築されたことです。平野町通と堺筋が交差する西南と西北の角地に生駒ビルヂングと澤之鶴ビルデイングが建てられました。2つの建物の角に注目してください。敷地の角が45度に切り取られています。これは隅切りといって、道路の交差部などにおける見通しの確保や、車両や人の通行上の安全を目的としたもので、道路拡幅とともに導入されました。澤之鶴ビルデイングでは隅切り部に出入口を設けています。これは江戸時代にはなかったことです。

 生駒ビルヂングは、地上5階、地下1階、鉄筋コンクリート造の建物で、生駒時計店のビルとして昭和4年(1929)5月に起工し、翌年3月に竣工しました。大阪建築界の重鎮・宗兵蔵の事務所による設計、施工は大林組で、スクラッチタイル張りのアール・デコスタイルの外観です。 東面の時計台の下の出窓と丸窓は、時計の振り子を模したものといわれています。生駒ビルヂングは、現在、国の有形文化財に登録されています。

 昭和6年に竣工した澤之鶴ビルデイングは、地上3階・一部地階、塔屋付き、鉄筋コンクリート造の建物で、昭和6年1月に起工し、同年11月に竣工しました。設計・施工は大林組です。江戸時代の享保2年(1717)に創業した沢の鶴は、米屋を営む初代喜兵衛(米喜)が副業で酒造りを始めたことを発祥としています。平野町の堺筋の北西角地にあった米喜の建物は、『二千年袖鑑拾遺』に描かれています。図の左、つまり堺筋の角には城の櫓のような建物が見えます。当時の人は、これを櫓屋敷と呼んでいました。
米喜の建物『二千年袖鑑拾遺』

 大坂の櫓屋敷は、高麗橋の西詰に南北に建てられたものがよく知られていますが、この平野町にも存在したのです。近代建築である澤之鶴ビルデイングのモダンな塔屋は、この櫓を模してデザインしたものではないでしょうか。平野町の櫓屋敷は、『摂津名所図会大成』に、元来は「南北両角にありしが、享保の大火後南の方は廃し」たと伝えられているので、昔は高麗橋の櫓屋敷と同じように、平野町の通りの南北にそびえていたようです。南の角地とは、生駒ビルヂングの場所です。

 一方、平野町通の軒切りが終わっていない堺筋の北東角は、堺筋に面して洋館が建てられていますが、その南の路上には交番と半鐘櫓が建っています。ここでは近世と近代が混在した風景を見ることができます。

■町家の変容
 次に、軒切りによって大阪の町家がどのように変わってきたのかを見てみましょう。今昔館の近代展示室の「近代都市住宅年表」のコーナーに描かれた建物の立面図と、「北船場-旧大坂三郷の近代化-」の模型を対照して紹介しましょう。
 左は軒切り前の平野町の町家立面図(「近代都市住宅年表」)、右は軒切り後の道修町の町家の模型です。
 軒切りによって、町家の表側が奥行1間から1間半を切り取られたため2階の建ちが高くなり、1階の表構えは、平格子から鉄製の丸棒の窓格子に変わり、窓下は石貼りやタイル貼りに化粧されています。
 道修町(どしょうまち)にある小西儀助商店(現在はコニシボンドの製造元で有名)は、明治36年(1903)に完成した近代町家の典型で、店の間がある表棟と、家族の居住に供する奥棟に分かれた表屋造りで、外観は土蔵造り、3階座敷をもち、3階蔵を構えた巨大な建物でした。ところが、明治44年(1911)の堺筋の軒切り(拡幅)によって表の間口の西側(正面の左側)が4間ほど削り取られました。左の図は、その姿を示しています(「近代都市住宅年表」)。さらに大正12年(1923)の関東大震災後、建物の安全対策のために3階部分が撤去されました。模型は、3階を撤去した後の姿になっています。現在、この建物は国の重要文化財に指定されています。
 道修町には、大正5年(1916)に竣工した藤澤商店がありました。この建物の立面図を見ると、小西儀助商店と同様に表屋造りで、表棟の外観は、全体に建ちが高く、2階の軒先は箱軒で、左右に重厚な袖うだつをあげた近代町家でした(「近代都市住宅年表」)。伝統的な木造建築ですが、正面の格子は木製から鉄製の丸棒に変わり、窓下も石貼りになって、洋風建築の影響を見て取ることができます。2階の壁も黒漆喰塗りで、窓には鉄製の出格子がはめ込まれ、防火性能を意識していたことがわかります。

 模型は、2階部分を外した姿で再現されています。奥棟は、床と床脇、書院を構えた10畳の客間と7畳半の次の間、8畳の主人居間、玄関、石敷きの台所土間からなり、2階にも4室の座敷をもつ本2階建ての木造建物でした。断面図によると、奥棟は本2階建てで、屋根構造は伝統的な和風の小屋組でした。
 店の間は、竣工当初は畳敷きでその上に事務机が並べられていましたが、昭和になると板敷に改造されました。さらに事務スペースが奥へ拡張され、主人家族が郊外に引っ越す職住分離の要因になりました。
 木造3階建ての町家は、明治末から大正時代に誕生しました。上の図は、堺筋に面して建てられた3階建ての町家の模型で、屋根は切妻造り、各階に庇をつけ、2階には両側にうだつを設け、正面外壁は黒漆塗り、箱軒は銅板で覆った究極の近代町家です。「近代都市住宅年表」には上町にあった木造3階建て町家の立面図も展示していますので参考にしてください。なお、3階建て町家で登録文化財になっているものに、昭和3年(1928)の建築になる北野家住宅(平野町)があります。

 近代にも発展を遂げた大阪の町家ですが、昭和10年頃になると材木などの戦時統制が進んでその発展に終止符を打たれ、同20年の大阪大空襲で壊滅的な被害を受けました。

 今回は、「北船場-旧大坂三郷の近代化-」の模型から、近代建築では生駒ビルヂングと澤之鶴ビルデイングを、町家では小西儀助商店と藤澤商店を中心に紹介しました。解説は、『住まいのかたち 暮らしのならい-大阪市立住まいのミュージアム図録-』を参考にしました。


〇企画展「浪花 なりわいづくし」開催中です

 2022年4月10日(日)まで。残りわずかです。

 大阪くらしの今昔館は、2022年4月11日(月)〜4月15日(金)の間、展示替えのため休館となります。

前期 1月21日(金)~2月27日(日)
後期 3月3日(木)~4月10日(日)

 江戸時代、米をはじめとして全国の農産物・海産物・名産品など様々な物資の集積地であった大坂は商業をはじめ、物流、金融の中心地となり経済都市として繁栄しました。一方で、摂津名所図会や浪花名所独案内に紹介されているように、市中には有名な社寺、料理屋、豪商の大店、桜や紅葉のみどころなど、諸国から人々が訪れる観光名所が生まれました。また、夜店で有名な順慶町や、道頓堀・曽根崎新地の芝居街などの盛場も形成され、市民や旅行者の娯楽の場として大変な賑わいをみせました。

 経済都市として、また観光都市、遊興都市として繁栄した大坂には、華やかな都市文化を支える多種多様な生業(なりわい)が成立しました。本展では絵画資料に描かれた「働く人々」の姿から、江戸時代の大坂で営まれた多種多様な生業を紹介します。生き生きと働く人々の姿を通して、大坂の活気と賑わいをお伝えします。

*前期と後期で展示の一部を入替えます。

 企画展示室内には、江戸時代における商家の座敷の再現や、重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵」の構造模型(公益財団法人 竹中大工道具館蔵)など実物大の模型を設置し、2種の建築から住まいと暮らしの様相をお見せします。

*茶室「蓑庵」の実物大構造模型は前期のみの展示となります。(終了しました)

職人尽屏風 右隻部分(個人蔵)前期展示
職人尽屏風 左隻部分(個人蔵)後期展示
堂島穀あきない(部分)摂津名所図会
祭礼提灯引き札
虫売り(小西秀麿)
茶室「蓑庵」実物大模型
(公財)竹中大工道具館蔵

〇次回の企画展は「漆造形の旗手 栗本夏樹の世界」

 2022年4月16日(土)〜2022年7月3日(日)

 天然の塗料である漆は、古くから日用品や調度、建築装飾などに多用され、その独特な美観でもって、日本の伝統的な住まいやくらしの中に彩りを添えてきました。大阪出身の造形作家である栗本夏樹は、日本人の生活文化と密接に関わってきた漆という素材を、新たな生命を吹き込む神聖な存在と捉え、現代の生活空間を飾る様々な作品へと昇華してきました。栗本が漆を塗る対象は流木や樹皮、石などの自然物をはじめ、使用されなくなった紙管や自動車のボンネットなどの人工物にも及びます。1994年には大阪南港にあるアジア太平洋トレードセンターで行われたモニュメント制作の指名コンペティションに参加。この時に選出された“アジアの中の私”は、1996年のおおさかパブリックアート賞を受賞し、これを機にその活躍の場は公的な空間に置かれる造形物にまで広がりました。

 本展では立体、平面、器物を中心とした栗本の過去から現在に至るまでの代表的な作品を一堂に集め、栗本が取り入れてきた表現の移り変わりを概観することができます。長い歴史の中で育まれてきた伝統的な美を継承しつつも、新たな発見に満ちた漆造形の世界をご覧ください。



〇天井改修工事の実施に伴う一部展示室等の閉鎖のお知らせ

 大阪くらしの今昔館から重要なお知らせです。
 天井改修工事の実施に伴い、令和4年秋頃(予定)までの約1年間、9階常設展示室および10階展望フロアが閉鎖されますので、ご注意ください。


・9階、10階の閉鎖期間中は8階企画展示室に町家座敷を実物大で再現し展示します。
・8階の吹抜け部分に大型映像コーナーを新設し、江戸時代の大坂の町なみと天保年間の人々の暮らしを描いた動画をご覧いただけます。


・天井改修工事期間中の入館料
8階常設展と企画展をご覧いただけます。
 一般   400円  団体(20名以上)300円
 高・大生 300円  団体(20名以上)200円 *要学生証提示

【年間パスポート】
現在年間パスポートは販売を休止しております。

【年間パスポートをお持ちの方へ】
天井改修工事期間を含む年間パスポートをお持ちの方は有効期限を延長いたします。インフォメーションにて手続きをいたしますので、次回ご来館の際にご提示ください。



 今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編公開されています。動画を見てから見学すると、見どころがよくわかると思います。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。昨年、開館20周年を迎えました。
 前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
 こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo

 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館は開館していますが、イベント・ワークショップ等の開催は中止しています。

 イベント・ワークショップおよびボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)等は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の為、当面の間 開催を中止いたします。

 開催を楽しみにしてくださった皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解をいただきますようお願いいたします。


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画(全4編)の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be




〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒https://www.osaka-angenet.jp/konjyakukan/manabi_program/今昔館のオンラインまなびプログラム





 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
https://www.osaka-angenet.jp/konjyakukan/


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html



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