2020年4月7日火曜日

今週の今昔館(210) 川口 20200407

〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。

 臨時休館延長のお知らせ 3/18(水)~当面の間


 このたび、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、令和2年2月29日(土)~3月17日(火)までの間、臨時休館としていましたが、3月18日(水)以降も当面の間、臨時休館を継続いたします。
 当館の展示を楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
 なお、今後の予定につきましては、国や大阪市の動向、感染症の拡大状況を注視しつつ決定し、ホームページにおいてお知らせします。



〇大阪くらしの今昔館「町家のくらしとおもてなし」
 今昔館の休館が長引いていますので、館の見どころを動画でご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=54ItUFyKUkM


 今昔館の動画は4編あります。順次ご紹介していきます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



〇浪華の賑ひに見る江戸時代の大坂(41)

 今回は「浪華の賑ひ」の「川口」をご紹介します。江戸時代この辺りは戎島と呼ばれていました。

■川口
 この地は戎島の端にして、官家の監船所ありて、海舶の出入を改めたまふ。西面の眺望、すこぶるよし。ここに続きて御船蔵ありて、孔雀丸・難波丸・土佐丸・新土佐丸・紀伊国丸、海舶には鳳凰丸等を蔵めらる。
 また、この南の方に天満宮の御旅所あり。六月二十五日の祭礼には舟にて神輿渡御ありて賑はし。御迎船とてこの辺りの生子地(うぢち)よりいろいろの木偶(にんぎょう)を船にかざり、船諷(ふなうた)うたひつれてさし上る光景美観なり。
 さる程にこれを見んとて船に乗じて酒宴を催し、絃鼓をはやし興じる賑はひ、鼎(かなへ)のにゆるがごとし。

浪華の賑ひ「川口」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「浪花百景」には、「川口雑魚場つきじ」と「戎嶋天満宮御旅所」があります。

■川口雑魚場つきじ(芳瀧画)
 堂島川と土佐堀川の合流した安治川が、さらに木津川を分流する川口は三角地帯を形成し、諸国から市中に入船してくる船にとってはちょうどのど元に当たります。元和元年(1620)ここに船を監視する船番所(船手奉行所)が設置され、併せて船奉行の役人の住居や幕府の船蔵も置かれた要地でした。
 一方東対岸にあった江之子島には漁船のほか瀬戸内方面への便船も発着しました。江之子島北側の江戸堀に架かっていた崎吉橋付近は安政4年(1857)に茶屋設置が許可されて以来、人々の往来で賑わい、雑魚場築地と俗称されていました。現在江戸堀は埋められ、木津川を挟んだ両岸は昭和7年完成の昭和橋で結ばれています。

浪花百景「川口雑魚場つきじ」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 かつて、天満宮の御旅所は川口にありました。戎嶋天満宮御旅所をご紹介します。

■戎嶋天満宮御旅所(国員画)
 天神祭宵宮に行われる鉾流神事は、水辺を禊の場として行う厄除け神事で、天神祭の中でも重要な祭事です。もとは神鉾が流れ着いた場所に祭場を設け、御神霊を移し御旅所としました。翌日氏子たちが船を仕立てて奉還を行うのが船渡御です。
 木津川を挟んだ江之子島の対岸、現在の本田小学校付近をかつて戎島といい、岸に面して大坂天満宮の御旅所がありました。江戸時代、旧暦6月25日に行われていた天神祭の船渡御神事では、祭礼では太鼓船(どんどこ船)を先頭に、神楽船などの渡御が進みます。趣向を凝らした御迎人形を掲げた船は、芸能の町大坂らしい。木津川を下った船が夜8時ごろこの地に到着し、周囲は人形を飾りつけた御迎船や多数の見物客で賑わいました。
 この御旅所は風水害の被害により明治8年(1875)ここより南の松島に移転し、跡地には華僑の商館が建ち並びました。

浪花百景「戎嶋天満宮御旅所」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」の戎島付近を見てみると、「ヱノゴジマ」と並んで「戎嶋」があり、「御番所」と並んで「天神ヲタビ」の文字があります。この地図は、東が上になっています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見てみましょう。戎島には北から順に「御舟蔵」「御船手ヤシキ」「御三郷蔵地」があり、「▲戎ジマ丁」の横に「天神ヲタビ」があります。▲は大坂三郷の北組を表しています。天満宮の御旅所がありますが、天満組ではなく北組に属しています。この地図では、〇は天満組、△は南組を表しています。安治川沿い、大佛島付近には天満組の〇印が見られます。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、戎嶋の地名は川口となり、中央部を南北に市電が走り、「川口町」停留所で東に分岐して「江之子島」を越えて本町通につながっています。御旅所は松島に移っています。江之子島には府庁と警察本部、消防本部があり、川口にも川口警察があります。
 川口の外国人居留地は明治末に閉鎖されていますが、街並みはかつての面影をとどめ、緑が多く描かれています。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、市電のネットワークが拡がり、土佐堀通にも市電が走っています。川口町からは、野田方面、中之島、土佐堀通、本町通、港通と四方に市電網が走っています。
 江之子島の府庁は大手前に移転し、跡は工業奨励館となっています。地図左上の野田には、中央卸売市場が開場し、隣には大阪市場冷蔵会社の文字もあります。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、中之島から大阪港につながる市電が通っています。江之子島には府庁の姿があります。
 右上の昭和7年では、野田方面と本町方面へも市電が通り、野田には中央市場が開業しています。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、大きな被害があったことがわかります。市電が土佐堀通にも走っています。
 右下の昭和42年を見ると、市電は土佐堀通から港通りにつながる路線を除いてその他は廃止され、本町通の南に新たに中央大通が完成し東西方向の新たな幹線となっています。地下鉄中央線はかつての幹線の本町通ではなく新しくできた中央大通を走り、阿波座から西では地上に出て、高架線を走っています。

明治42年~昭和42年の地形図(今昔マップ3より)


 川口の現状を写真で見てみましょう。

大坂船手会所跡の碑
大坂船手会所跡の碑
川口居留地跡の碑
川口居留地跡の碑
川口教会
川口教会
木津川橋の碑
現在の木津川橋

 今回は、「浪華の賑ひ」の「川口」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらに解説があります。
http://konkon2001.blogspot.jp/2017/10/blog-post_10.html
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


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