2020年4月14日火曜日

今週の今昔館(211) 雑喉場 20200414

〇浪華の賑ひに見る江戸時代の大坂(42)

 今回は「浪華の賑ひ」の「雑喉場」をご紹介します。

■雑喉場
 この地は江戸堀・京町堀等の末にして、鮮魚(なまうを)の市場なり。さる程に、毎朝遠近の浦々より鱗(いろくづ)を運送し、鯨・鮪(しび)・鰤(ぶり)の大魚より鰶(つなし、注:このしろ、セイ)・鰯の小魚まで群をなして市を立つることいといさまし。
 わけて、夏六月朔日より夜市なれば、炬火(たいまつ)・篝火(かがりび)を焼きて売り買ふその光景目ざましく夥(おびただ)し。
 人勢ひにまけて散り出す桜かな 柳亭翠鶯

浪華の賑ひ「雑喉場」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 「浪花百景」にも、「雑魚場」があります。

■雑魚場(芳瀧画)
 豊臣期には生魚・塩干魚を扱う商人が天満に市を開いていましたが、鮮度を考慮し、河口に近く船の利用しやすい鷺島に移ってきました。官許の魚問屋が明和年間(1764~1772)には84軒あったとされ、問屋の裏口が荷揚げ場の百閒堀川に面していました。
 雑魚場魚市場は、江戸時代を通じ大坂市中の鮮魚の独占的な取引権を獲得し、堂島米市場、天満青物市場とともに大坂三大市場の一つとして繁栄を誇り、天下の台所、食い倒れ大坂の源となりました。近海で獲れた魚が毎朝荷揚げされ、揃いの紺の着物の仲買人が威勢よく働き、勇ましい掛け声とともに行われる取引は、商人の町大坂を象徴する風物でした。
 明治以降も雑魚場は発展を続けましたが、昭和6年大阪市中央卸売市場開設にともない消滅しました。かつて荷揚げの便を支えた百閒堀川も戦後の埋め立てによって姿を消し、現在記念碑が建てられています。


浪花百景「雑魚場」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」の雑魚場付近を見てみると、おおきく「雑魚場魚市場」の文字があり、赤い線で「ウツボ天満町」と「カイヤ町」と結ばれています。それぞれに「〇塩魚店多シ」「〇カイヤ多し」の文字があります。カイヤは櫂屋です。魚市場とこれらを結ぶルートが観光コースになっていたようです。雑魚場から北へは「西北バシ」、南へは「モザエモンバシ」が架かっています。
浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 文化3年発行の「増修改正摂州大阪地図」を見ると、川口には御番所、御舟蔵があり、対岸の江之子島には「巳亥築地」の文字が見えます。江之子島から北へ「崎吉橋」が架かり、「川魚市場」「乙酉ツキヂ」の文字があります。
 雑魚場には、「雑魚場町」「魚市バ」の文字があり、江之子島との間には、「上ノハシ」「下ノハシ」が架かっています。

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見てみましょう。雑魚場から江之子島の間に「上ハシ」「下ノハシ」の2つの橋が架かり、「ザコバ丁」「魚市バ」の文字があります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、江之子島との間の百間堀川に「ざこばばし」が架かり、変体仮名で「ざこば」の文字が書かれているあたりが雑魚場です。府庁の傍にある市電「江之子島」停留所からの利便を考えてざこば橋が架けられたのでしょう。江之子島の北の端には北へ「さきよしばし」が架かっています。雑魚場との間には「さぎしまばし」があります。江戸堀には「さきよしばし」と「さいほくばし」の間にもう一つ橋がありますが、名前は書かれていません。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、市電のネットワークが拡がり、土佐堀通にも市電が走っています。川口町からは四方に市電網が走っています。
 江之子島の府庁は大手前に移転し、跡は工業奨励館となっています。地図左上の野田には、中央卸売市場が開業し、大阪市場冷蔵会社の文字もあります。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、中之島から大阪港につながる市電が通っています。江之子島には府庁の姿があります。府庁の北から百間堀川を渡った辺りが雑魚場です。
 右上の昭和7年では、木津川橋と江之子島橋が拡幅されて本町通にも市電が通っています。ざこば橋も架け替えられています。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、大きな被害があったことがわかります。昭和橋が架かり市電が土佐堀通にも走っています。
 右下の昭和42年を見ると、市電は土佐堀通から港通りにつながる路線を除いて他は廃止されました。江之子島との間にあった百間堀川が埋め立てられ、新たに「新なにわ筋」ができていますが、中之島にわたる橋はまだありません。

明治42年~昭和42年の地形図(今昔マップ3より)

 最新のグーグルマップを見ると、江戸堀、百閒堀、古川などが埋め立てられ、新なにわ筋ができており、昭和戦前とは地形が大きく変わっています。江之子島は島ではなくなっています。川口から土佐堀通につながる橋が「昭和橋」、本町通につながる橋は「木津川橋」です。新なにわ筋の上には阪神高速道路3号神戸線が通っています。

最新のグーグルマップ


 雑喉場の現状を写真で見てみましょう。

雑喉場魚市場跡の周辺
雑喉場魚市場跡の周辺
雑喉場魚市場跡の周辺(江之子島公園)
雑喉場魚市場跡の碑
雑喉場魚市場跡の碑
雑喉場魚市場跡の碑の説明文
ざこばばしの碑
雑喉場橋之碑説明文

 今回は、「浪華の賑ひ」の「雑喉場」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらに解説があります。
http://konkon2001.blogspot.jp/2017/10/blog-post_10.html
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html



〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。

 臨時休館延長のお知らせ 2/29(土)~当面の間


 新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、当面の間、臨時休館を継続いたします。
 当館の展示を楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
 なお、今後の予定につきましては、国や大阪市の動向、感染症の拡大状況を注視しつつ決定し、ホームページにおいてお知らせします。



〇大阪くらしの今昔館ー近代の大阪にタイムトラベル
 今昔館の休館が長引いていますので、館の見どころを動画でご紹介します。今回は近代のフロアをご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


 今昔館の江戸時代のフロアの動画は4編あります。順次ご紹介していきます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
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