「淀川両岸一覧」は、大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介した船旅の案内書で、文久元年(1861)に刊行されました。暁晴翁の著述、松川半山の画図によるものです。
淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、約160年前の江戸時代の大坂から京都までの淀川南岸(左岸)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「川崎 桜宮」をご紹介します。
■川崎、桜宮
網島の絶景の眺望を見渡しながら漕ぎ進むと、桜宮の川岸に至ります。ここはその名の通り、桜並木で有名な神社があり、それが転じて地名となりました。
『摂津名所図会大成』によれば、この桜宮は、元々旧大和川堤の桜野というところにあったのを後にここに移し、桜野にちなんで桜宮と称したことから境内に数百株の桜を植えたところが、その名の通りの桜宮になったと記されています。その見事さと言えば、川岸の満開の桜花は雲とも雪とも見違えるほどで、またこの桜が川面に映えて美しく、花の芳香が四方に漂い、当時の大坂で最高のお花見の名所でした。
大阪を代表する桜の名所大川沿いの桜宮。絵は右岸から左岸方向を眺めた風景です。絵の対岸に見えるのは、右が馬場、左が社前の鳥居です。桜宮について、本文は次のように解説します。
■桜宮
網島の北にあり。例祭九月二十一日なり。
祭るところ天照皇太神にして、宮づくりの光景伊勢を模せり。当社は淀河の東岸にありて、境内は言も更」なり。水辺より馬場の堤に至るまで一円の桜にして、晩春の花の盛には雲と見、雪と疑ふ風景なり。
■桜之渡口
右社頭の上の方にあり。川崎の浜への舟わたし也。此の渡船は弥生の花の頃のみ有て、常はあらず。故に桜のわたしと号す。
春季限定の桜を楽しむための臨時の渡し船。絵を見ると、右中央に渡し船が描かれています。しかし、それより多いのが、桜見物の御座船。春風に吹かれながら、川面から眺める桜を堪能するという趣向です。また、両岸にも多くの露店が並びます。右下の提灯には「汁」、左下は「でんがく」の文字。花も団子も、同時に味わうことができました。
淀川両岸一覧上船之巻「川崎 桜宮」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
絵の賛には、狂歌と発句。
ちりながら/流れもやらで/網島に/かかる桜の/宮のはる風 正裕
ひととせの/栄花とりこす/花見かな 翠翁
淀川両岸一覧上船之巻「其二」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
「其二」の解説は次のように記しています。
桜宮の西岸は天満の川崎なり。登舟の水主等(かこら)此所より上陸し、木村堤を長柄の三ツ頭まで凡一里の間引きのぼり、夫れより船にのりて東堤へよする。
花見の屋形船で賑わう川面を縫うように、船頭は船を西岸の天満川崎へ寄せます。船頭らはここから上陸し、長柄の三ツ頭まで一里ほど引き上げます。東岸を削る水勢が強いのでしょう。ここで初めての曳き舟となります。
絵の左下に岸から綱で舟を曳くようすが描かれています。綱をたどると船の本体は「川崎 桜宮」の絵の左下に見えます。
花を見に/京へとくとく/綱手なは/夢をも引て/ゆくのぼり船 貞柳
寝た顔を/撫る柳や/のぼり船 西柳亭
「川崎 桜宮」と「其二」は、2枚並べるとつながるパノラマの図柄になっています。
「川崎 桜宮」(右)と「其二」(左) (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
「浪華の賑ひ」にも「櫻宮」がありますので、ご紹介します。
■櫻宮
桜の宮は淀川の東の岸にありて社頭はいふもさらなり、水辺より馬場の堤にいたるまで一円の桜にして、弥生の盛りには雲と見、雪と疑ふ光景(ありさま)、西の岸は川崎堤より北につづきて、堀川の樋の口まで、ここも桜の並木なれば、川をはさみて両岸の花、爛漫として水に映じ、川風花香を送りて、四方(よも)に馥郁たり。
さる程に都下の貴賤老若、陸(くが)を歩み、船にて通ひて諷ふあり、舞ふありて、終日(ひねもす)遊宴す。げに浪花において花見の勝地といふべし。
浪華の賑ひ「櫻宮」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
「浪華の賑ひ」の本文には「桜宮」として以下のように記載されています。
網島の北にあり
祭るところ天照皇太神にして、例祭九月二十一日なり。当社は旧野田の小橋故大和川の堤、字を桜野といへる所に有りしを、後世ここに移す。ゆゑに旧地の名をもて、桜野宮と号せしが、いつしか社頭の傍に数百株桜を植ゑしより、今は桜の宮と称して花ゆゑ号(なづ)けしごとくなるも、いはゆる名詮自性(みょうせん-じしょう)なるべし。
またこれより十丁ばかり川上に母恩寺といふ女僧寺(あまでら)あり。尼僧常に綿帽を製す。すこぶる光美(つやけく)して名物なり。
当寺の北東なる田圃の中に鵺塚(ぬえづか)といへるあり。頼政の射留めし化鳥を埋めむ所と云ふ。
浪花百景にも「さくらの宮景」がありますので、見てみましょう。
■さくらの宮景(国員画)
桜宮の創建については不詳ですが、たびたびの淀川の洪水を受けて社殿が流出、そのたびに移転したようです。当地への遷座は宝暦6年(1756)とされ、桜野という地名にあやかって努めて桜を植え、境内から大川堤まで続く桜の景勝を整えました。
花の季節には雲か雪かと見間違う程見事な景色だったと伝えられ、境内の前から対岸の川崎・木村堤へ渡しが出され、桜の渡しと呼ばれました。また川を埋めるほどの屋形船が仕立てられて、様々に爛漫の春を楽しみました。川風に運ばれて辺り一帯に馥郁たる香りが広がり、「摂津名所図会大成」は、「浪花において花見随一の勝地といふべし」と記しています。浪花随一の花見の名所は今も変わりません。
また堤の下に青湾と称される小湾があり、ここの水は大変きれいだったため、茶の湯に最も適すると雅人に愛用されました。
浪花百景「さくらの宮景(国員画)」 (大阪市立図書館デジタルアーカイブ) |
桜宮は、浪華の賑ひ、浪花百景のほかにも、多くの文献に取り挙げられています。
『摂津名所図会大成』には「当社其初ハ野田の小橋故大和川の堤の字(あざな)を桜野といふ所にありしを後世こゝに迁(まわ)すゆへに旧地の名を以て桜野宮と号せしがいつしか境内のほとりに数百株の桜を植しより今ハ桜の宮と称して花ゆへなづけし如くなる」「浪花において花見第一の勝地なり」とあります。
また、『摂津名所図会』には「この社頭に神木とて桜多し。弥生の盛りには、浪花の騒人ここに来つて幽艶を賞す。淀川の渚なれば、きよらなる花の色、水の面にうつるけしき、塵埃を避けて神慮をすずしめ奉るなり」「咲くからに見るからに花の散るからに」と賞され、文人に愛される桜の名所でした。
摂津名所図会「櫻宮」 大阪市立図書館デジタルアーカイブ |
江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、「天満バシ」の右手(東側)に「野田村」があり、その北側に「大長寺」、さらに北に「櫻ノ宮」があります。対岸の川崎御蔵との間を「源八ワタシ」が結んでいます。この地図は、東が上に書かれており、北を上にしましたので文字は右を向いています。
浪華名所獨案内(「津の清」蔵) |
次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、「野田村」と「中野村」の間に「櫻ノ宮」があります。脇を水路が流れていました。対岸には「木村ツツミト云」の文字が見えます。木村堤も桜の名所として有名でした。
天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵) |
大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、「泉布観」「三菱精錬所」の対岸に「櫻ノ宮」が描かれています。桜之宮橋の架橋前で、木製の「よどかわばし」が架かっています。
大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵) |
昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、「桜ノ宮公園」の北側に「桜ノ宮」の文字が見えます。東野田町、中野町の地名も見えます。
大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵) |
今昔マップ3を利用して、周辺地域の変遷を見てみます。
左上の明治41年では、「淀川橋」の北側に「桜宮」の文字が見えます。東野田、中野の地名も見え、農地が拡がるなかに「あみじま」駅があります。ここから関西鉄道の名古屋行直通列車が走っていました。「さくらのみや」駅の北には水源地が描かれています。大阪市の水道発祥の地です。
右上の昭和4年では、南北に市電が走り網島駅の跡地に「工業大学」が建ち、周辺の市街化が進んでいます。水源地の跡が淀川貨物駅になっています。
明治41年から昭和22年の地形図と現在の空中写真 (今昔マップ3より) |
左下の昭和22年を見ると、白くなっている部分が戦災によって焼失した地域で、この地域は大きな被害を受けています。「櫻ノ宮」の文字は見えます。
右下は最近の空中写真です。大川沿いに河川公園が整備され、その脇に桜宮の緑も写っています。
現在の櫻宮の状況です。大川の自然堤防上に鳥居、本殿が並び、境内には、江戸時代献納の灯籠や、往来安全の石碑、伊勢神宮の遥拝石などが残っています。
現在の櫻宮の鳥居 |
櫻宮の拝殿 |
寛政元年献納の灯籠 |
「往来安全」の石碑 |
伊勢神宮の遥拝石 |
大川河川敷の桜之宮公園に「青湾」の碑があります。文久2年(1862)に建てられたものと伝えられています。
桜之宮公園にある「青湾」の碑 |
「青湾」の史跡案内板 |
桜之宮公園の案内図(右が北) |
今回は、「淀川両岸一覧」の「川崎 桜宮」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、桜宮付近の様子を確かめてください。
〇企画展「大阪くらしの今昔館所蔵品展『歳時記と祝い事』」は、7月23日から開催しています
令和2年7月23日(木・祝)~9月6日(日)
大阪くらしの今昔館ではこれまで、住宅や建築に関する歴史資料、祭礼や年中行事に関する絵画資料など、大阪の伝統的な建築文化および歴史文化を伝える資料の収集に努めてきました。本展ではこれまでに収集した館蔵品の中から「歳時記」と「祝い事」に関連する絵画資料、染織資料、工芸品、節句飾りなどを展示します。
季節にあわせて飾られた掛軸や屏風、節句飾りや年中行事に用いられた漆器、贈答用の袱紗、通過儀礼の際に身に纏った宮参りや婚礼の衣装など「ハレの日」を彩った100点余りを選びました。 五節句や年中行事、人の一生の節目にあたる儀礼など、大阪の人々が大切に守ってきた生活文化に触れていただきます。
浪花行事十二月 七夕月 二代長谷川貞信 |
花嫁衣裳 扇面四季花鳥模様振袖 |
花嫁衣裳 揚羽蝶円紋金襴菱木打掛 |
雛飾り台所道具 |
住吉をどり 菅楯彦 |
〇大阪くらしの今昔館は6月3日(水)から開館しています
再開にあたっては、十分な予防対策に努めてまいります。これに伴い、ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などの入館並びに観覧時にご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。
今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・町家ツアー(ボランティア等による展示解説)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ
・ギャラリートーク、講演会
〇江戸時代の疫病退散-天神祭の宵宮飾り
本来ならば、7月24日は天神祭の宵宮、25日は本宮でした。
今年の天神祭は、新型コロナウィルス対策のため、神職による神事のみの開催になり、陸渡御・船渡御・奉納花火はありませんでした。
天神祭は元々は疫病退散を願う年中行事でしたから、コロナの禍中の今こそ大切な行事です。
大阪くらしの今昔館の近世常設展示室(江戸時代のフロア)では200年前の天神祭の宵宮飾りと疫病退散にまつわる展示を行っています。
御迎人形「酒田公時(金太郎)」(大阪天満宮蔵) 疫病神(疱瘡神)は赤色を 嫌うと信じられていました |
流行り病に打ち勝つ! 鍾馗さんや神農さんの掛軸を飾る 呉服屋での展示の様子 |
コレラ退治の虎 張子の虎が、店の表で 皆さんをお出迎え |
〇【動画】江戸時代の疫病退散 -今昔館の天神祭
こちらからご覧ください。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=eOBkOPeM5MU&feature=youtu.be
〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
⇒http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf
このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be
また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be
⇒https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4
〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
こちらからどうぞ。
⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
≫ http://konjyakukan.com/index.html
「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
≫ http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
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