2021年1月19日火曜日

今週の今昔館(250) 大仏門前 20210119

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(29)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。昨年6月からスタートしているこのシリーズでは、淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、大坂から京都までの淀川左岸(川の流れから見て左側)沿いの風景を訪ねていきます。

 今回は「大仏門前」をご紹介します。京阪本線七条駅の東、京都国立博物館の北側にあります。

■大仏門前
 東福寺から伏見街道をさらに2キロ余り北上し、七条通を越えると、大仏殿方広寺が見えてきます。秀吉が建立した方広寺は、大坂の陣の発端となった「国家安康・君臣豊楽」の銘文を刻んだ銅鐘で有名です。お寺は何度も災害に遭っているものの、この鐘だけは当時の姿を残しています。
 絵は、方広寺の大仏殿から西側を見た眺望を描いたもので、烏丸七条に建つ東本願寺の屋根が見渡せます。右手前には大仏表門が見え、その奥の門前には名物の大仏餅屋が店を出しています。

淀川両岸一覧上船之巻「大仏門前」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 鴨川左岸の東山一帯には豊臣秀吉ゆかりの神社仏閣が多数あります。なかでも方広寺は世に広く知られ、大仏殿とも大仏さんとも呼ばれていました。
 方広寺は天正十四年(1586)秀吉が父母の菩提を弔うために身の丈「九間四尺五寸(約18メートル)」の毘盧遮那仏の座像を安置したことにはじまると、本文に記されています。
 「太閤記」によると南都東大寺にならって大仏殿の建立を計画したのですが、東大寺が二十年の歳月を費やしたのに対して、方広寺は五年で完成させると豪語し、実際にその予告通りに造営したと言います。
 ところがこの大仏さん、たびたび災禍に見舞われます。初代の木製の大仏は慶長元年(1596)の地震で崩れ、慶長七年(1602)に再建された銅製の大仏は鋳造過程のミスにより像本体から出火して仏殿もろとも焼失します。さらに、慶長十七年(1612)に銅製の大仏が再建されますが、寛文二年(1662)の地震で小破します。そのため、木造の大仏として造り改められます。天明六年(1786)刊行の「都名所図会」にはその時の大仏殿が描かれています。

都名所図会「大仏殿」
(国際日本文化研究センターデータベース)


 しかし、その大仏殿も、寛政十年(1798)落雷によって仏殿ごと焼失します。「淀川両岸一覧」の本文には次のように記されています。

≪寛政十年七月に雷火にかかりて焼亡し、今その礎石のみ存す。百分一の尊像再建あり。また、近年大像の半身成就し仮堂に安ず。≫

 ですから、「淀川両岸一覧」が出版された文久元年(1861)当時、すでに「大仏さん」はなく、縮小した上半身の像が仮堂に安置されるのみだったのです。そのため、挿絵には大仏殿ではなく、その門前にある耳塚と大仏餅屋、さらに鴨川の先にある東本願寺の伽藍が描かれているのです。つまりこれは、かつての毘盧遮那仏が目にしたであろう風景なのです。
 耳塚について、本文には次のように記されています。

≪正面仁王門の前にあり。文禄元年朝鮮征伐の時、小西行長、加藤清正を大将として数万の敵兵を討取、首を日本へ渡さん事益なければ、刵(みみそぎ)劓(はなそぎ)して送りしを、此所に埋み、耳塚といふ。≫

 鼻塚とも呼ばれるこの墳丘は、文禄・慶長の役に関わる遺跡です。絵には、塚を見上げる旅人の姿が描かれていることから、幕末には名所の一つとして知られていたことがわかります。また、寛政十一年(1799)刊行の「都林泉名勝図会」には、オランダ人の一行が役人の案内で耳塚を見物する姿を描く挿絵が掲載されています。

 名所には名物がつきもの。街道を往来する旅人のお目当ては、隅田屋の「大仏餅」。この店は、大仏建立の時から営業している由緒ある餅屋で、その味は「都名所図会」によると「その味はい、煎(に)るに蕩(とろ)けず、炙(あぶ)るに芳(かん)ばしうして」と評してその美味を伝えています。かの、滝沢馬琴も「羇旅漫録」のなかで「味ひ甚だ佳なり」と絶賛するほどでした。残念ながらこの店はすでに絶え、当時の味を賞味することはできません。

 都名所図会には「洛東名物大仏餅」の挿絵があります。屋根看板には「大佛御餅所」、袖看板には「新製餅まんぢう」の文字が見えます。

都名所図会「洛東名物大仏餅」
(国際日本文化研究センターデータベース)


 「淀川両岸一覧」の絵の右上には漢詩、左上には二句が添えられています。

馘(くび)を納めて当時小丘を築く/毘盧殿畔の土饅頭/雲は寃恨を関(とざ)す、雞林(けいりん)の月/濤(なみ)は凱歌を送る、馬島の舟/古蘚(こせん)雨穿(うが)ちて、声底に徹し/孤墳草翠(みどり)にして、色愁ひを含む/偏へに憐む、京観魂の宅に非ず/聾絶して郷音求むべからざるを 余易

耳塚に 蚊のなく声も 哀れなり 兎士
耳塚に 来て声つくれ 郭公 柳亭


 本文の解説は次のとおりです。
■大仏殿方広寺
 同伏見街道の北にあり。寛政十年七月に雷火にかかりて焼亡し、今その礎石のみ存す。百分一の尊像再建あり。また、近年大像の半身成就し仮堂に安ず。
 当寺は往昔(そのかみ)天正十四年、豊臣秀吉公の御建立なり。本尊は廬舎那仏の座像、長(みたけ)九間四尺五寸、幅十三間二尺四寸、後光の高さ十八間五尺、座の廻二十五間。仏殿は西向きにして、東西二十七間五尺五寸、南北四十五間二尺五寸、棟の高さ二十五間、柱数九十二本ばかり、差径(さしわたり)およそ五尺ばかり。廻廊(南北百二十間、東西百間)高さ三間半。仁王門(十五間二尺五寸、六間七尺)高さ十一間二尺。金剛力士の長(みたけ)一丈四尺。狛犬高さ七尺。南門(六間六尺、四間七尺)棟の高さ五間。撞鐘堂四間四方、柱数十二本、鐘(つりがね)(高さ一丈四尺、差しわたし九尺二寸、厚さ九寸)。堂前に建つる石燈炉には、列国諸侯の名を刻む。仏殿の敷石また正面石垣の大石には、国々出所の名あるいは諸侯の紋所等あり。廻廊の外には桜・紅葉を交えて植ゑたり。
 慶長元年閏七月十二日、地震によって仏像を崩る。秀吉公そののち信州善光寺の弥陀仏を迎へ安置す。同二年八月、善光寺に帰座。同三年また大像を造る。同七年焼失。このたびは銅像に模す。しかるに鋳損じ大像より出火して仏殿ともに回禄す。同十五年秀頼公ことごとく再営ある。寛文二年本尊銅像を改めて木像としたまふ。北山浄住これを彫刻す。太閤秀吉公の石塔婆は仏殿の南にあり。豊国社荒廃ののちこれを営みしといふ。塔前の石燈炉には慶長十年九月とあり。
■耳塚
 正面仁王門の前にあり。文禄元年朝鮮征伐の時、小西行長、加藤清正を大将として数万の敵兵を討ち取り、首を日本へ渡さん事益なければ、刵(みみそぎ)劓(はなそぎ)して送りしを、此所に埋み、耳塚といふ。
■名物大仏餅屋
 耳づかの西にあり。街道の西側なり。
 大仏殿建立の時よりこの銘を蒙り、売り弘むといふ。唐破風作の額標版(かんばん)は正水の筆にして、代々ここに住してその名高し。大仏北の門前、馬町を東へ趣き大津に至る街道あり。これを瀋谷越(しるたにごえ)と号く。山科郷御陵村にて、日岡より来る旅人に出で会ふ。これより向かふは、朱雀・四の宮等を経て追分にいたる一すぢの街道なり。

 上り船の旅路は、大仏殿の前から瀋谷越(しるたにごえ)の道を北に取り、粟田口日岡から来る大津街道(東海道五十三次)と瀋谷越の道が打ち会う「奴茶屋」までの間の両側の名所について紹介しています。


 付近の様子を地形図で見てみましょう。
 まず、最も古い測量図である明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)を見てみます。伏見から伏見街道を北へ上ってきてAの辺りが大仏餅屋があった所。Bから大仏前を通りC、D、Eと三条大橋までの通りが大和大路。Eから東へFに向かう道が東海道(五十三次)、CからGへ向かう道が瀋谷(しるたに)街道(渋谷街道ともいう)です。
 Aの右手を見ると「豊國神社」と「大佛」の文字が見えます。筆塚はAのすぐ東側にあります。


明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵


 2枚目は、今昔マップを利用して大佛付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図、右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 左側の明治42年の地形図では、「大佛」「耳塚」の文字がみえます。最新の地理院地図では、大仏は史跡・名勝の記号と「方広寺石塁及び石塔」の表記、耳塚は名前の表記はなく記念碑の記号が表示されています。


今昔マップより伏見稲荷大社付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高20mから5m刻みで色を変えています。
 京阪電車七条駅付近の標高は約30m、方広寺石塁及び石塔の付近は約40mとなっています。道路は赤色は国道、黄色は府道を示しています。


地理院地図+自分で作る色別標高図

 「淀川両岸一覧登船下之巻」の最後には、以下のあとがきがあります。

〇大仏前伏見街道を直ぐに上れば、五条橋・建仁寺町・四条通・繩手・大和橋・三条通に至る。この南北の街道を大和大路といふ。下にて俗に伏見街道といふ。三条通より北は道なし。東は白川橋より粟田口・蹴上・日岡を歴て追分に出で、大津札ノ辻に至る街道なり。西は洛中の繁花にして街巷(ちまた)の結構、往来の賑はひは言ひも尽くしがたし。かつ洛中洛外の名所旧跡は勝計(あげてかぞ)ふべからず、「都名所図会」を閲(けみ)して知るべし。

 あとがきで、大仏前から三条通までの経路を紹介しています。「五条通」ではなく「五条橋」とあることから、秀吉によって新設された五条橋の架かる通を本来の五条通と区別して「五条橋通」と呼んでいたことがわかります。
 「大和橋」は白川に架かっている橋です。「三条通より北は道なし。」とあるように、明治22年の地図を見ても、大和大路は三条通で行き止まりになっています。
 最後に、「洛中洛外の名所旧跡は数えきれないほどあるので、『都名所図会』を見てください。」としっかり宣伝をして、登り船の巻を締めくくっています。

 最後の挿絵は、大原女を描いたもので、次の賛が添えられています。ユーモアのある締めとなっています。

花折そへて 女馬追ふ みやこかな 宗永

江戸、塵外楼
大原女は もゆる薪や 柴の外 火の用心の はしごまで売り

淀川両岸一覧上船之巻「あとがき」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 今回は、「淀川両岸一覧」の「大仏門前」と「あとがき」をご紹介しました。次回からは下り船の巻をご紹介します。


〇企画展「くらしと漆工」開催中です

 令和2年12月19日(土)〜令和3年2月14日(日)

 古来より漆は日本人のくらしや文化と密接に結び付いてきました。実用性と美観に優れる漆は、日用品としての食器類をはじめ、ハレの日の装身具や調度、建築装飾に至るまで幅広く用いられており、今日に至るまで日本の伝統文化を支え続けています。
 2001年の開館以来、大阪くらしの今昔館には「住まいの歴史と文化」に関する資料の一分野として、形も用途も様々な漆工品が集められました。
 本展では、それらのコレクションの中から魅力あふれる作品を選りすぐり、漆商いの中心地であった大坂所縁の作品とともに展観します。今昔館では初となる漆工をテーマにした展示を通し、長い歴史と共に育まれてきたその魅力に迫ります。

草花蒔絵引盃
草花蒔絵熨斗形香合
鉄線蒔絵双六盤


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施しています。お気軽にご参加ください。
 ① 11 時 30 分~(約 30 分)
 ② 14 時 30 分~(約 30 分)


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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