2021年1月6日水曜日

今週の今昔館(248) 伏見稲荷社 20210106

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(27)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。昨年6月からスタートしているこのシリーズでは、淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、大坂から京都までの淀川左岸(川の流れから見て左側)沿いの風景を訪ねていきます。
 新年は「伏見稲荷社」からスタートします。いつもの年なら初詣に約250万人が参拝する神社です。千本鳥居が有名で、外国人にもパワースポットとして人気です。京阪電車の伏見稲荷駅東側の山麓に位置しています。

■伏見稲荷社
 宝塔寺から伏見街道を北上すると、右手に伏見稲荷社の鳥居が見えてきます。この稲荷社は全国の稲荷社の総本社で、全国から大勢の参拝者を集めました。とりわけ、毎年2月の初午の神事には、前日から京一番の賑わいとなっていました。

 都名所図会には、伏見稲荷神社は「三之峰稲荷社」として鳥瞰的に描かれています。街道に面して鳥居があり、山裾に広がる境内の様子がよくわかります。

都名所図会「三之峰稲荷社」
(国際日本文化研究センターデータベース)


 淀川両岸一覧の挿絵にも描かれているように、境内周辺には参拝客相手の茶屋が営業していました。寛政十二年(1800)8月の茶屋の誓約書には、賭博や喧嘩の規制や遊廓的営業の禁止に関する制約事項があり、また営業時間についても、暮六つ時(午後6時頃)を限ることを約しています。しかし、門限については、「初午、御火焼、大晦日」は容赦してくださいと但書があり、例外もあったようです。

淀川両岸一覧上船之巻「伏見稲荷社」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 「伏見のお稲荷さん」として知られる稲荷社は、そもそも下京の産土神ですから、本文の解説には「当社地は京兆尹(けいちょういん)に隷す」と記されています。「京兆尹」とは京職を指し、ここが京都町奉行の支配域にあったことがわかります。また、「この街道榎橋より南は伏見支配なり」とあることから、榎橋が伏見奉行の支配域との境であったこともわかります。

 絵は伏見街道に面する大鳥居を真西の方角から眺めたものです。3枚のうち中央の絵に大鳥居が描かれ、左右の両脇には「玉屋」と「玉鍵屋」が描かれています。鳥居を見上げる旅人や、わざわざ荷を下ろして街道から手を合わせる二本差しの侍の姿などが見えます。この場所が年に一度だけ参詣者で埋め尽くされる日があります。如月の初午の日です。

 ≪毎年二月初午の日は、和銅年間の例によって神事となり、その前日より遠近の貴賤群参す。皇都第一の賑はひなり。≫

 本文に「和銅年間の例」とあるように、この初午は、稲荷社の祭神が三ケ峰に降臨されたのが和銅四年(711)二月の初午であったことにちなむ祭礼です。
 初午の参詣は、前日の巳の日から丸二日、福徳を授かりたい篤信者で賑わいました。文化三年(1806)刊行の「諸国図会年中行事大成」には、次のように記されています。

 ≪初午詣亦巳午市(みむまいち)とも称し、前日早天より当日の夜におよび都下近国の貴賤群参跡を同(おなじう)し、行人容易(たやすく)路を遮ること能(あたは)ず。其賑ひ三都の内是を一とす。≫

 これを見ると、巳と午の両日にわたるので「巳午市」とも呼ばれ、たいへん賑わったことがわかります。また、次のようにもあります。

 ≪古は是日参詣の諸人、神籬(かみがき)の杉の枝を折り帰って家に納めしといふ。此杉を折ること今は絶たり。此辺の家々に土細工の狐、鈴、或は布袋、西行、遊活朗(だいじん)、倡婦(おやま)、其他鳥獣の類ひ、今様風流の偶人(にんぎゃう)を作り売る。これを稲荷人形と称し、名だたる産物なり。またもろもろの種物、地黄煎など売る家あり。或はこの日の売ものとて、烏帽子、小き俵、桝など、童の翫愚(もてあそび)とす。思ひ思ひに是を求めて家土産(つと)とす。是みな此御神衣食を実(みのらせ)給ふに因(よれ)ばなり。≫

 かつては御神木である「験(しるし)の杉」を授かったのですが、幕末のころには絶えていたようです。その代わりに、街道筋ではさまざまな土産が売られていました。伏見人形・稲荷人形に、烏帽子や俵・桝をかたどった玩具、深草団扇、植物の種など、衣食にまつわるものばかりでした。
 特に人気があったのは、伏見人形の布袋様。毎年、小さいものから順に集め、七体揃うと縁起が良いとされていました。

 絵の賛は、右上に漢詩、左上に発句が添えられています。

 神門大道に臨み/元午の晨(あした)霊辰/祀典群社に踰(こ)え/三灯、万春に福(さいはひ)す/楓杉、青錦の地/更に吟望の人に宜し 祇園瑜

 若葉なり 奥もよくなる 稲荷山 尺草


 本文の解説は次のとおりです。
■稲荷神社
 伏見街道にあり。この街道榎橋より南は伏見支配なり。当社地は京兆尹に隷す。
 本社第一宇迦(うが)御魂神、第二素戔烏尊(宇迦御魂神の御父なり)、第三大市姫神(同御母なり)已上三座。往古は三峰に祭る。田中社(大巳貴命)四大神(五十猛令・大屋姫・狐津姫・事八十神)この二神を加えあはせて五座と称す(弘長三年に告あって文永年中にあはせ祭るとなり)。楼門朱の玉垣きらびやかに、権殿・礼殿・舞殿・末社・御倉・絵馬舎・鳥居等巍々(ぎぎ)として、神官館・社僧の坊等軒をつらね、さるほどに都鄙の詣人間断なし。なかんづく毎年二月初午の日は、和銅年間の例によって神事となり、その前日より遠近の貴賤群参す。皇都第一の賑はひなり。
 例祭は四月上の卯の日にして、三月二の午の日神輿五基、九条の御旅所に渡御あり(俗に御出祭(おいでまつり)といふ。四月上の卯の日まで御旅所に置きてこれを祭る。その間御旅中と称して諸人ここに群詣す)。当日祭礼あって神輿還幸、社司前後に供奉し、神具雲のごとくに列なり、巍々滔々として壮麗たる祭式なり(別(わけ)て近来神輿あらたに修理加はりて、その結構諸人目をおどろかせり)。


 付近の様子を地形図で見てみましょう。
 まず、明治22年測量の陸地測量部地図(仮製地図)を見てみます。最も古い測量図です。地図の左寄りを南北に伏見街道が通り、街道に並行して鉄道(東海道本線)が走っています。稲荷停車場の東側に福稲村が見えます。稲荷神社は山裾一帯に拡がっています。


明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵


 2枚目は、今昔マップを利用して伏見稲荷神社付近を見ています。左は明治42年陸地測量部地図に治水地形分類図を重ねたもの。右は地理院地図に色別標高図を重ねたものです。
 明治22年の地図と見比べると、明治27年に完成した琵琶湖疎水が伏見街道に沿って西側を流れ、伏見の濠川までつながっています。左側の明治42年の地形図に「東海道本線」と表示のある鉄道は、今も同じところを走っていますが、現在はJR奈良線となっています。東山トンネルが完成したため東海道本線は大正10年に廃止となりましたが、稲荷駅には旧東海道本線の時代のレンガ積みのランプ小屋が残っています。京阪電車の駅は、明治42年には「いなりしんみち」でしたが、現在は「伏見稲荷」となっています。京阪電車の駅から伏見稲荷大社まで新しい道ができ、それが駅名になったのでしょうか。現在は駅から街道までの道は黄色の表示となっており、京都府道になっています。伏見街道を越えたところに伏見稲荷大社があります。


今昔マップより伏見稲荷大社付近

 3枚目は地理院地図に自分で作る色別標高図を重ねたものです。標高20mから5m刻みで色を変えています。
 京阪電車伏見稲荷付近の標高は約25m、伏見稲荷大社は40m以上の山麓にあります。


地理院地図+自分で作る色別標高図

 最後に、本文の「(稲荷神社は)伏見街道にあり。この街道榎橋より南は伏見支配なり。当社地は京兆尹に隷す。」に登場する「伏見奉行と京都町奉行の境界となっていた榎橋」について、現在の地図(マピオン地図)で見てみましょう。榎橋は現存していませんが、「深草稲荷榎木橋町」という地名として残っていることが確認できます。伏見稲荷大社よりも北に位置していますので、橋より南の地域は伏見奉行の管轄だけれど、稲荷神社は京都町奉行が管轄していたということのようです。
 また、深草稲荷榎木橋町よりも北は本町22丁目で東山区に属しています。伏見街道に沿って本町が1丁目(五条通りのすぐ南)から22丁目まであって伏見区に食い込んでいる点、榎木橋が現在でも行政上の境になっている点は、歴史を引き継いでいて興味深く思います。


マピオン地図の伏見稲荷駅周辺

 今回は、「淀川両岸一覧」の「伏見稲荷社」をご紹介しました。


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇企画展「くらしと漆工」開催中です

 令和2年12月19日(土)〜令和3年2月14日(日)

 古来より漆は日本人のくらしや文化と密接に結び付いてきました。実用性と美観に優れる漆は、日用品としての食器類をはじめ、ハレの日の装身具や調度、建築装飾に至るまで幅広く用いられており、今日に至るまで日本の伝統文化を支え続けています。
 2001年の開館以来、大阪くらしの今昔館には「住まいの歴史と文化」に関する資料の一分野として、形も用途も様々な漆工品が集められました。
 本展では、それらのコレクションの中から魅力あふれる作品を選りすぐり、漆商いの中心地であった大坂所縁の作品とともに展観します。今昔館では初となる漆工をテーマにした展示を通し、長い歴史と共に育まれてきたその魅力に迫ります。

草花蒔絵引盃
草花蒔絵熨斗形香合
鉄線蒔絵双六盤



〇今昔館は新年1月3日(日)から開館しています。


〇大阪くらしの今昔館は感染予防に注意して再開しています

 ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などのご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・ボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ

・スタッフによる展示解説(町家ツアー)を1日2回実施しています。お気軽にご参加ください。
① 11 時 30 分~(約 30 分)
② 14 時 30 分~(約 30 分)


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

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