2021年8月4日水曜日

今週の今昔館(278) 菜蔬市場、天神橋 20210804

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(57)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
 今回は「菜蔬市場、天神橋」をご紹介します。大川右岸の天満橋と天神橋の間には天満菜蔬市場(あをものいちば)がありました。


■菜蔬市場、天神橋
 川崎を過ぎると、天満橋の橋下にさしかかります。ここは流れが急に西に折れ曲がっていて水勢が強いので、下り船は、勢いに流されて橋脚にぶつかって大事故にならないように、橋下は淀小橋の時と同じく、艫下げといって、船尾からゆっくりと下っていきます。この天満橋をくぐると、終点の八軒家はもう目の前です。

 絵は天神橋を南東から眺めた風景です。この橋について本文には次のように記されています。

≪当橋の北詰通は十丁目條(すぢ)と号し、夫れより数の町々を経て長柄の渡口に通じ、高槻・山崎を過ぎて京師に至るの街道なり。且(そのうえ)近郷便宜の通路なるゆへ、諸商家軒をならべ、万端(よろづ)もとむるに欠る事なし。さる程に、旅人・遊客および諸色もとむる農夫、天満宮の詣人、街に混じ、終日(ひねもす)閑静の時をしらず。実に浪花北方第一の繁華なり。≫

淀川両岸一覧下船之巻「菜蔬市場、天神橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 天神橋の北詰から北へ向かうと長柄の渡しがあり、そこを渡れば高槻・山崎へと続く。そして、京都に至るのです。この行程はおよそ西国街道に相当します。ちなみに、八軒家浜は南詰のすぐそば。そこはまた、熊野街道の起点でもあります。天神橋が「浪花北方」を代表する「繁華」な場所であったのは、こうした川の道と陸の道とをつなぐ役割を果たしていたからなのです。

 天神橋は八軒家の西側を南北に渡す橋で、終点を目前にした三十石船の前に整然と橋脚が並び連なっていました。この橋は、天満宮神領の収納米をもって文禄3年(1594)に架設されたのを始まりとし、橋名もこれを由緒とします。後にこの橋は、幕府直轄の公儀橋となり、牛馬諸車の通行、露店の出店を禁じられています。

 「浪花北方第一の繁華」である理由はほかにもあります。江戸時代、この橋の北詰の東側には、三大市場のひとつとして有名な天満菜蔬(あをもの)市場がありました。絵の右上「市場」とあるのがそれです。

≪此の市場は日々朝毎の菜蔬(さいそ・あをもの)を商ふこと、春の初めの初市より、暮の終市(しまひいち)に至るまで一日も怠ることなく、売買市人、鳥の如く萃(あつま)る。其盛(さかん)なること甚し。
 原(もと)此の市場は京橋南詰におひて年久しく有りしが、慶安の頃其所御用地となりて、京橋北詰片原町に引きうつす。然るに商人の往来にわづらひ有りとて替地を許され、今の所にうつりて益々繁栄して賑へり。≫

 この市場は、一年を通して春の初市から暮の終市(しまいいち)まで休まず開かれ、近郊で収穫される野菜や果物が売買され、その鱗の如く集まる人いきれというや大変なものでした。京橋南詰から北詰に移され、商人が京街道を往来する旅人の妨げになったことから、天満の地に移されたのでした。

 「摂津名所図会」の本文によると、四十軒の問屋と百五十軒の仲買が並ぶほどの規模だったようです。「春のあした春日野の若菜」にはじまり、師走の「紀の海士、有田」から持ち込まれる「蜜柑」の大市まで、さまざまな品が取引されます。なかでも、重陽の節句にあわせた松茸市・栗市は、提灯や松明で空を照らしながら夜間に行われ、多くの人出があったといいます。天神橋の北詰は「喰い倒れ」の文化を支えた地でもあったのです。

 終点八軒家はこの市場の対岸に位置し、船客はここで目的に応じて、上陸したり船を乗り換えたりしました。

 賛は広瀬謙の漢詩、梅通の発句、中島棕隠の漢詩の三作です。

世の習ひ滔々として侈奢(ししゃ)に趨(おもむ)く/新を褒め異を薦(すす)め競ふて相誇る/詩人賦せんと欲するも例なきに苦しむ/九月の竜孫(たけのこ)、十月の瓜  広瀬謙

長柄ではまた花瓜を市の側 梅通

是れを言へば名都第一の橋/万(よろず)の跫(あしおと)地に轟きて夜猶多し/舟船随処に皆泊るに堪ふ/箇々の楼燈暗いき潮を照らす 島棕隠

 本文の解説は次のとおりです。
■菜蔬(あをもの)市場
 天神橋北詰より東へ三町ばかりの間にあり。北詰より西を市の側といふ。荒物・乾物の商家多し。
 この市場は日々朝毎に菜蔬を商ふこと、春の初めの初市より、暮の終市(しまひいち)に至るまで一日も怠ることなく、売買市人、鳥の如く萃(あつま)る。其盛(さかん)なること甚し。
 原(もと)此の市場は京橋南詰におひて年久しく有りしが、慶安の頃其所御用地となりて、京橋北詰片原町に引きうつす。然るに商人の往来にわづらひ有りとて替地を許され、今の所にうつりて益々繁栄して賑へり。
■天満天神社
 右市場の北にあり。正面通を九丁目すぢと云ふ。浜より内に石鳥居あり。
 本社中央、大自在天神。相殿(あひでん)(東二手力雄命(たぢからをのみこと)・西二猿田彦大神・東三法性坊尊意・西三蛭児命(ひるこのみこと))
 その余(ほか)社頭に末社多く、神輿庫・宝庫・文庫・絵馬舎・廻廊巍々たり。この地は往昔(そのかみ)北西に続きし松原なりしが、村上天皇(人皇六十二代)天暦年間勅願によって初めて建立したまふところなりとぞ。ゆゑに天神松原・天神の森など古書に見えたり。地名を天満と号することは、天満宮鎮座したまふゆゑなり。さるほどに、霊験あらたなれば四時に詣人間断なく、遠近より群集へば、社内には昔噺・あるいは軍書講釈の小屋、地上には放下師・品玉・軽業の芸・新内・祭文・流行歌の読売・植木店、その外菓子類・手遊具の出店なんど地方(ところ)せきまで列なりて賑はへる事言はんかたなし。門前には貨食家(りょうりや)・煮売店・鮓屋・饅頭・果実売、珍器・奇品の商家軒をならべて繁昌なるは、皆菅神の余光といふべし。例祭六月二十五日は鉾流しの神事と号して、神輿戎島の行宮(おたびしょ)に渡御あり。その壮観の美景なる事は、世俗普(よのひとあまね)く知るところなり。また九月二十五日は秋祭の神事行はれ、流鏑馬の式ありて殊に賑はし。もっとも例月二十五日は詣人群をなせり。なかんづく正月は初天神とて群参街に充満し、錐を立つるの寸地なく、いはゆる早春の大紋日なり。
■天神橋
 北詰は天満十丁目、南詰は京橋六丁目といふ。川上より第二の大橋なり。長さ百二十間三尺。
 当橋の北詰通は十丁目条(すぢ)と号し、夫れより数の町々を経て長柄の渡口に通じ、高槻・山崎を過ぎて京師に至るの街道なり。且(そのうえ)近郷便宜の通路なるゆゑ、諸商家軒をならべ、万端(よろづ)もとむるに欠くる事なし。さる程に、旅人・遊客および諸色もとむる農夫、天満宮の詣人、街に混じ、終日(ひねもす)閑静の時をしらず。実に浪花北方第一の繁花なり。南詰の東は八軒家の舳岸(ふなつき)にしてこれまた昼夜ともに賑はし。この所より出でし船はここにとどまるゆゑに、船客おのおのこれより上陸す。また、東堀・道頓堀の船は、橋の下より東堀を下る。北浜・西横堀の船は大川を下がり、雑喉場の船はなほ土佐堀を西に下る。船客おのおのその便宜に随ひ、無事に着岸あるこそ甚(いと)愛度(めでた)し。なほ難波橋の風景は、前にくはしく著せば略して、ここに筆をとどむ。

「夫木」
心あらん人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを  能因法師


 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の菜蔬市場、天神橋付近を見てみましょう。絵の左手が上流、右手が下流になります。絵の手前側が淀川の右岸で、左から「てんまはし」「興正寺」「天満天神宮」「天神橋」「本泉寺」のラベルが見えます。青物市場は天満天神と大川の間にありますが、記載はありません。天満橋の左手にる三十石船が描かれています。
 対岸の淀川左岸には、左端に「京橋」、奥に「大坂御城」、下流側に「東御番所」「八軒家」の文字が見えます。八軒家浜付近には多くの船が描かれています。八軒家浜の奥には、釣鐘屋敷と火の見櫓が見えます。大坂城には、天守はすでになく、天守台が見えます。そのまわりには多くの櫓が描かれています。


「よと川の図」の菜蔬市場、天神橋付近
(大阪くらしの今昔館蔵)


 浪花百景には、「天満市場」があります。

■天満市場(国員画)
 秀吉の頃、京橋にあった青物市場は夏の陣以降二転三転し、承応2年(1653)から天満橋と天神橋の間のこの地において官許市として営業を開始しました。
 幕府の保護を受けた大坂で唯一の青物市場で、対岸は八軒家浜という大川の一等地に広く問屋が並び、摂河泉の野菜や紀州・山城の果物を四季を通じて集荷しました。秋の松茸・栗、冬の蜜柑などは夜市が立ち、こうこうと輝く松明や提灯の明かりのなかで取引が行われ、年中無休の営業で活況を呈しました。昭和6年(1931)大阪市中央卸売市場に合併しました。画面手前の橋は天神橋です。


浪花百景「天満市場」(大阪市立図書館蔵)

 摂津名所図会では天満市場は「天満市之側」として紹介されています。天神橋北詰から竜田町まで大川北岸に続く浜は、天満市之側と呼ばれた青物市がありました。絵は師走の名物蜜柑市。その賑わいを上の解説文では「常に朝毎に市あり。また毎年極月二十四日の夜には紀国より多く積み上せるみかんをここにて市をなす事麻のごとく、諸人群れをなす。市の繁花たる首長たるべし」と讃えています。

摂津名所図会「天満市之側」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 浪花百景には、青物市場の対岸の八軒家夕景、さらに天満橋風景、天神橋(天神祭り夕景)も描かれています。

■八軒屋夕景(国員画)

 八軒屋は、天神橋と天満橋の中間南岸の地名。古来、寺社参詣のため淀川から熊野街道に入る旅の中継地で、八軒の宿が軒を並べていました。
 ここには京都へ行き来する様々な船の船着き場があり、船頭・馬子・旅宿の客を集める声や乗客たちの口論する罵声など、昼夜を問わず人々の喧騒に包まれ、まさに大川水運の一大拠点でした。
 ちなみに、「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんを乗せた三十石船と呼ばれる川船は、京都伏見から大坂までを半日で、大坂から伏見までは丸一日で航行しました。
 明治になると蒸気船に変わり、鉄道が開通すると船着き場の役割は低下し、衰えました。


浪花百景「八軒屋夕景(国員画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 八軒屋は、摂津名所図会にも描かれています。こちらでは、川の水位が上下しても船からの陸への人やモノの移動ができるように設置された階段状の「雁木」が描かれ、賑わっている浜の様子が詳細に表現されています。

摂津名所図会「八軒屋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

■天満橋風景(国員画)
 三大橋のなかで、最も上流部に位置する「天満橋」。江戸時代、谷町筋より一つ東に架けられていました。架橋年代は明確ではありませんが、大坂冬の陣の配陣図に「てん満橋」の書入れがあることや、ルイス・フロイスの『日本史』によると、天正14年(1586)以前に豊臣秀吉によって大坂城下建設の一環として天満橋の前身が架橋されたと推定されます。そして江戸時代に天満橋、天神橋、難波橋の三大橋はそろって架けられ、いずれも「公儀橋」に指定され幕府の直轄管理となりました。

 当時橋の南側には東西の町奉行所や様々な役所、北側には、大川沿いには町与力の屋敷、空心町にかけては同心などの官舎や営繕関係の役所・倉庫が建ち並び、天満橋はこれら役人が行き交う橋でもありました。その後度重なる流失を経て、明治21年(1888)天神橋と共にトラス構造の鉄橋となりました。現在は上部に高架橋ができ二層の橋となっています。

浪花百景「天満橋風景」(大阪市立図書館蔵)

■天神祭り夕景(国員画)
 天神橋は天満宮への参詣にあたる道に架けられた橋であるところから名付けられました。三大橋のなかで最も長い橋で、17世紀中ごろは、大川には淀川と大和川の水が入り川幅が広く、最長時には百三十七間(約250m)あったといわれます。
 また、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱の折りには、天満橋とともに幕府の手で一部が撤去されています。町にとってのこの橋の重要性が見てとれます。明治18年(1885)に流失後、明治21年(1888)にトラス構造の鉄橋となりました。現存の橋は昭和9年(1934)に改築されたアーチ式の鉄橋です。

 天神祭は大阪の夏を彩る大祭。天暦5年(951)に神鉾を流して、流れ着いたところを斎場とし心霊を禊したのが始まりといわれる天神祭。船渡御は著名で、神輿が難波橋から船に乗り楽を奏して戎島の御旅所まで往復しました。地盤沈下の影響で昭和28年(1953)からは大川を遡行することになりました。

浪花百景「天神祭の夕景」(大阪市立図書館蔵)


 古地図で地域の変遷を見てみましょう。まず、江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、天満橋と天神橋の間の北側右岸には、「青物市場」があり、その北側には「天満宮」があります。天神橋よりも西側は「市ノ側」と記されています。対岸の左岸には「八ケン家」があり、「三十石舟ツキ 宿ヤ多シ」と書かれています。南には「ザマヲタビ(坐間神社御旅所)」「火ノ見ヤグラ」があります。この地図は、東が上に書かれています。北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、天満橋と天神橋の間の北側右岸に「青物市バ」の文字が見えます。天満橋の北詰には「〇二丁メ」、天神橋の北詰には「〇十丁メ」の文字があり、天神橋筋は東から数えて十本目の筋ということから「十丁目筋」と呼ばれていたことが分かります。
 天満橋の南詰には「▲京橋二丁メ」の文字があり、一筋西側に「谷丁一丁メ」の文字が見えます。天満橋は、谷町筋より一筋東に架かっていたことがわかります。「▲四丁メ」の傍に「八軒屋」と書かれています。そこから南へ伸びる筋には「▲ヲハライスジ」の文字があります。八軒屋は熊野街道の起点となっていました。
 地図に書かれている記号は、「▲」は大坂三郷の「北組」を表し、大川の対岸にある「〇」は「天満組」を表しています。


天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図を見ると、土佐堀通と谷町筋には市電が走り、天満橋と天神橋に停留所があります。その間に「八軒屋」の記載はありません。天満橋北詰には「北詰」停留所があり、天神橋北詰までの間の川沿いには店が連なっており「〇」で囲まれた「市」の記号が見えます。「私設市場」を表す記号です。名前は記載されていませんが、青物市場が描かれています。天満橋北詰の「〇」に「公」の記号は「交番所」です。大川には川を上下する船が描かれています。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、パノラマ地図と同様土佐堀通と谷町筋に市電が走り、こちらでは、天満橋、八軒家、天神橋に停留所があります。八軒家停留所の前に「八軒家」の文字があり、寝屋川が付け替えられて將基島が埋め立てられています。対岸には「天満配給所」の文字があります。天満青物市場の跡地に配給所があったことがわかります。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)


 地形図でも確認してみましょう。まずは、明治18年の陸地測量部地図です。大川の上流側から川嵜橋、天満橋、天神橋、難波橋が架かっています。川嵜橋は私橋で、他の3つは江戸時代幕府が管理していた公儀橋です。大坂城の北詰の京橋も公儀橋でした。天満青物市場は天満橋と天神橋の間の大川右岸にありましたが、地図には記載がありません。

明治18年陸地測量部地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップを利用して明治41年陸地測量部地図(左)、最新の地理院地図に色別標高図を重ねたもの(右)を見比べてみます。1枚目は広域、2枚目は天神橋付近の拡大です。
 左側の明治41年では、現在の主要幹線道路である国道1号線や御堂筋、谷町筋、土佐堀通などは拡幅されておらず、江戸時代の町割りが残っています。右側の地理院地図では赤色は国道、黄色は府道を示しています。
 2枚目は、青物市場付近を拡大したものですが、地形図には青物市場の記載はありません。東天満という広域地名が大きく記されています。

今昔マップより天神橋付近(広域)
今昔マップより天神橋付近


 今昔マップ3の4画面を利用して、明治41年以降の周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、土佐堀通り、松屋町筋、谷町筋ともに拡幅前の姿です。北岸も川沿いの道だけが少し広く描かれています。南岸では嶋町の通りがやや広く描かれており、「嶋町」の文字も見えます。
 右上の昭和4年を見ると、土佐堀通りと谷町筋に市電が走り拡幅されています。天満橋では道路橋の東側に市電用の橋が架けられています。中之島が東側に広げられ、天神橋まで届いています。北岸は大きな変化は見られません。
 左下の昭和42年を見ると、谷町筋の市電が廃止されています。天満橋の東側で京阪電車が地下に入り、天満橋から天神橋の間の大川が一部埋め立てられて川幅が狭くなり、天満橋南詰の土佐堀通りの北側にビルが建っています。日本橋から移転してきた松坂屋のビルです。北岸は川沿いの一列が河川敷となっています。
 右下の地理院地図では、地下鉄道の路線が茶色の点線で表示され、地下鉄谷町線、京阪電車の本線に加えて、中之島線のルートも描かれています。天満橋の上空に橋が架かり、土佐堀通と立体交差している様子が分かります。北岸の河川敷は公園として整備されています。上記3枚の地形図では、かつての舟運が衰えていたこともあって八軒屋の記載はありませんが、最新の地理院地図では、船の記号と航路が描かれ、観光としての舟運が復活している様子が分かります。

明治41年から最近の地形図
(今昔マップ3より)


 天満青物市場付近の現状を写真で見てみましょう。
 1枚目は、天神橋から東側を見た風景で、左手が天満青物市場があった所で、現在は南天満公園になっています。右手は八軒家、奥に天満橋、OBPが見えています。右手前は中之島の東端、剣先です。ちょうど噴水が上がっています。
 2枚目、3枚目は、桜の季節の南天満公園です。

 4枚目は天満青物市場跡の碑、5枚目は淀川三十石船舟唄の碑、6枚目は天満の子守歌の像。南天満公園には、多くの記念碑があります。

天神橋より東を望む
左手が天満青物市場があった南天満公園
南天満公園
天満青物市場跡の碑
淀川三十石船舟唄の碑
天満の子守歌の像



 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「菜蔬市場、天神橋」をご紹介しました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、菜蔬市場、天神橋付近の様子をお確かめください。


〇企画展「掌(てのひら)の建築展 ― 橋爪紳也+遠藤秀平 建築ミニチュアコレクション ―」開催中です。
 令和3年7月10日(土)~8月29日(日)

 誰しもがどこかで手に取り、1つや2つは部屋に飾っている建築ミニチュア。私たちが住まう都市を形作る建築への愛着の結晶が建築ミニチュアではないでしょうか。「掌(てのひら)の建築展」では、世界中の建築ミニチュアを一堂に会して展示し、建築ミニチュアを通して都市や建築・住まいが持つ魅力に触れていただきます。
 建築ミニチュアを展示する企画は、2015年に開催された「ENDO SHUHEIワールド・ミニチュア・ワールド」展を始めとし、「みんなの建築ミニチュア展」としてこれまでに東京、大阪、京都、滋賀、岡山など日本各地で開催されてきました。
 今回の展覧会では、世界中の建築ミニチュアを展示し、観覧される皆様に世界旅行の気分を楽しんでいただける内容となっています。
また、写真家川村憲太氏と橋爪紳也氏のコラボレーションによる写真展「ミニチュア・ワンダーランド」を併催し、掌サイズの建築ミニチュアと巨大な都市空間や自然の景色とを組合せた作品をお楽しみいただきます。
※本展は生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2021の連携プログラムです。

開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日 :火曜日(ただし祝日を除く)
会 場 :大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館) 企画展示室
      〒530-0041 大阪市北区天神橋6丁目4-20 住まい情報センタービル8階
入館料 :企画展のみ300円
     常設展+企画展 一般800円(団体700円)
           高・大生500円(団体400円)(要学生証原本提示)
*団体は20名以上。
*周遊パス・年間パスポートでも入場可。
*中学生以下、障がい者手帳等持参者(介護者1名含む)、大阪市内在住の65歳以上の方は無料(要証明書原本提示)。
交 通 :地下鉄堺筋線・谷町線、阪急電鉄「天神橋筋六丁目」駅3番出口から直結
     JR大阪環状線「天満」駅から北へ650m
主 催 :大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)
協 賛 :鹿島建設株式会社、淀鋼商事株式会社
協 力 :鹿島出版会、一般社団法人日本建築設計学会、神戸大学光嶋研究室、
     生きた建築ミュージアム大阪フェスティバル実行委員会、海洋堂、
     大阪府立大学観光産業戦略研究所、
     株式会社橋爪総合研究所、遠藤秀平建築研究所
監 修 :橋爪紳也 遠藤秀平


フィレンツェ大聖堂
サンマルコ広場
タワーシリーズ1
タワーシリーズ2
ミラノのドゥオーモ
(写真 川村憲太)


〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
 前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
 こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo

 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館は、6月21日から再開しています。

【イベント、ワークショップ、およびボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)中止のお知らせ】
イベント・ワークショップ等は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の為、当面の間 開催を中止いたします。

開催を楽しみにしてくださった皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解をいただきますようお願いいたします。

※スタッフによる展示解説(町家ツアー)は1日3回実施しています。お気軽にご参加ください。

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。

スタッフによるまちの解説(町家ツアー)スケジュール
①11:00~(約30分)
②13:00~(約30分)
③14:00~(約30分)



〇天井改修工事の実施に伴う一部展示室等の閉鎖のお知らせ

 大阪くらしの今昔館から重要なお知らせです。
 天井改修工事の実施にともない、令和3年9月18日より令和4年秋頃(予定)まで、9階常設展示室および10階展望フロアを閉鎖します。

・9階、10階の閉鎖期間中は8階企画展示室に町家座敷を実物大で再現し、茶室の実物大構造模型とともに展示します。
・8階の吹抜け部分に大型映像コーナーを新設し、江戸時代の大坂の町なみと天保年間の人々の暮らしを描いた動画をご覧いただけます。

・天井改修工事期間中の入館料
8階常設展と企画展をご覧いただけます。
 一般   400円  団体(20名以上)300円
 高・大生 300円  団体(20名以上)200円 *要学生証提示

【年間パスポート】
現在年間パスポートは販売を休止しております。

【年間パスポートをお持ちの方へ】
天井改修工事期間を含む年間パスポートをお持ちの方は有効期限を延長いたします。インフォメーションにて手続きをいたしますので、次回ご来館の際にご提示ください。



〇大阪くらしの今昔館を紹介する動画作成プロジェクトが「2021年度都市住宅学会賞・業績賞」を受賞しました

 受賞対象は「歴史博物館から発信する大阪の町家と住文化の魅力-子ども・若者・外国人に町家と住文化を理解してもらうための動画制作プロジェクト-」です。
 この動画制作プロジェクトは、2018年度に申請者らからなる博物館住まい学習研究会が「建築技術教育普及センター」の助成を受け、大阪くらしの今昔館の9階常設展示「商家の賑わい」で撮影・編集し、2019年3月に完成しました。ドイツ人留学生のザビ-ネさんがナビゲートし、今昔館ボランティア「町家衆」の皆さんが江戸時代の住民に扮して出演しています。その後、2019年7月からYouTubeで配信しました。

 授賞理由・受賞者・動画の詳細は、以下のとおりです。

・審査委員会の講評(授賞理由)
 本事業は、「大阪くらしの今昔館」の江戸時代の町並み展示を活用して、大阪の町家の建築と生活文化を伝える教育動画を制作し、YouTubeで配信するものである。変化した現在の町家でなく、江戸時代当時の建築と生活が学べる点で他の動画にはない独創性を備えている。また、制作された動画は教育効果の高い内容に加えて、外国人留学生がナビゲートする演出など様々な工夫がされており高く評価できる。本動画は、海外旅行者や社会科見学等の団体見学者に対する事前学習の活用が意図されているが、今後のITCを活用した授業の優れた教材の提供、コロナ禍における博物館の情報発信の面でも先駆的な試みであり、日本の伝統的な生活文化を世界に発信するツールとして今後の展開が期待できる。以上より、本事業は、当学会の業績賞に相応しいと認められる。

・受賞者
 大阪くらしの今昔館 前館長 谷直樹氏
 大阪教育大学教授  碓田智子氏
 大阪くらしの今昔館 特別研究員 岩間香氏
 大阪市住宅供給公社 渡邊望氏

 大阪くらしの今昔館を紹介する学習ビデオは、「なにわの町並み」、「町家の商い」、「町家のくらしとおもてなし」、「裏長屋のくらし」の4編(それぞれ日本語字幕版と英語字幕版)で構成されています。

 日本語字幕版と英語字幕版の動画はこちらをご覧ください↓↓↓
大阪くらしの今昔館 「商家の賑わい」学習ビデオ【日本語・English】



〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


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