2018年4月3日火曜日

今週の今昔館(105) 長町裏遠見難波蔵 20180403

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(14)

 今回は「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の14回目、難波付近の名所をご紹介します。

■長町裏遠見難波蔵(芳瀧画)
 日本橋から南へ、日本橋3~5丁目の堺筋沿いに文字通り細長く伸びる町並みの長町。町に沿って堺へ向かう紀州街道が通るため往来激しく、街道左右には有名な旅籠屋や木賃宿が並びます。またここは傘職人が多く住む町で、天気の良い日には地面に埋めた竹筒に傘を差し込んで乾燥させるのが常でした。現在は電気機器の専門店街となっていますが、高島屋東別館北側に傘専門店が数件残り、わずかに往時の面影をとどめています。
 難波蔵は享保17(1732)~18年の飢饉に際し設けられた幕府直轄の米蔵で、遠方に臨む広大な難波蔵は八棟が並び建つという規模の大きさから名所の一つでもありました。この辺りは樹木が生い茂り、寂寞として閑静な土地でした。明治以降煙草専売局の工場となり、終戦後には大阪球場が作られた場所です。現在は再開発されて「なんばパークス」となっています。

浪花百景「長町裏遠見難波蔵」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


■鉄眼寺夕景(芳雪画)
 もと薬師寺と号する村民支配の寺でしたが、寛文10年(1670)に鉄眼和尚を住持として招き、延宝4年(1676)に瑞龍寺と改号しました。鉄眼和尚は、明の高僧隠元に入門、黄檗宗の布教に努めた傑僧で、その功績から鉄眼寺と通称され、現在に至っています。
 鉄眼和尚は一切経全六七七一巻の完全な翻刻を志し、全国を行脚して喜捨を集めました。集めた浄財を二度までも洪水や飢饉による難民の救済にほどこし、苦難の果てに三度目に集めた浄財によってようやく版木約六万枚に及ぶ一切経(万福寺蔵)を完成させたといわれます。学深く能弁で多くの民衆を教化した名僧でした。
 寺は広大な寺地に諸堂、蓮池を設け、藍畑、綿畑が広がるのどかな風景とともに文人墨客に愛されました。


浪花百景「鉄眼寺夕景」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 天保年間発行の浪華名所獨案内を見ると、今宮村のすぐ北側(左)に「戎社」があり、さらに北に「廣田」とあるのが廣田神社、その北に「御蔵」とあるのが難波御蔵で、道頓堀川から入堀が通じています。
 江戸時代の大坂は幕府の直轄地でしたが、江戸と異なり大半が町人地で武家地は少なく、武家地は奉行所、城代屋敷、蔵、与力・同心の住まいなどに限られていました。数少ない武家地のうちのひとつ「難波御蔵」は、享保の大飢饉を機に享保17(1732)年に新たに設置され、翌年に道頓堀川と難波御蔵を結ぶ難波入堀川が開削されました。

浪華名所獨案内の難波付近(上が東)(「津の清」蔵)

 天保8年発行天保新改攝州大阪全圖の難波付近を見ると、道頓堀川から難波入堀が引かれ、その先に難波御蔵と新御蔵があります。御蔵の東側(右手)には日本橋筋(長町)が描かれています。浪花百景「長町裏遠見難波蔵」は長町から難波御蔵を遠く望む風景が切り取られています。
天保8年発行天保新改攝州大阪全圖の難波付近(上が北)
(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、難波堀川と鼬川、高津堀川が結ばれ、道頓堀川とループ状につながっている様子が描かれています。
 難波御蔵のあったところには、煙草専売局があります。
大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 煙草専売局付近を拡大してみると、手前(西側)にある難波入堀川(難波新川)は、入堀で汚濁が激しく不衛生だったため、明治に入って鼬川(いたちがわ)まで延長開削されました。昭和33(1958)年に埋め立てられ、現在は上部を阪神高速道路が高架で走っています。東側を走っている鉄道は南海鉄道(現在の南海電気鉄道)です。当時は蒸気機関車が客車を引いていた様子が描かれています。

大阪市パノラマ地図の煙草専売局付近
(大阪くらしの今昔館蔵)

 難波御蔵の跡地は、明治37(1904)年にたばこ製造が専売となり、煙草専売局工場が建設されました。戦災により壊滅した後に、昭和25(1950)年には大阪スタヂアム(大阪球場)が完成し、プロ野球の南海ホークスが本拠地としていました。福岡ダイエーホークスとなった1988年以降は住宅展示場などとして利用され、1998年に解体されました。現在は、再開発されてなんばパークスとして利用されています。江戸時代の武家地が、様々に用途転用され利用されてきた典型例と言えます。

 大阪市パノラマ地図の難波駅西側を見ると、市電元町二の停留所の横に「鐵眼寺」が描かれています。右下(南)には八坂神社もあります。
 
大阪市パノラマ地図の鉄眼寺付近
(大阪くらしの今昔館蔵)

 今昔マップ3を使って、地形図の変遷をたどります。
 左上は明治42年、南海線が轢かれ、難波駅の北まで市電が来ていますが、それ以外は江戸時代の町並みが残っています。新川の文字が見えます。右上は昭和7年、煙草専売支局、鉄眼寺の文字が見えます。浪速区役所もあります。市電網が出来上がっています。左下は昭和22年、白い部分は戦災により焼失した地域です。右下は昭和42年、大阪球場の文字が見え、高島屋百貨店があります。難波入堀が埋め立てられ阪神高速道路が通っています。
明治42年から昭和42年の地形図(今昔マップ3)

 なお、第3回大阪検定(2011年度)1級第21問に以下の問題が出題されました。
問 1950年(昭和25年)、大阪市内で初めての本格的なプロ野球場である大阪球場がミナミに誕生しました。大阪球場が建設された場所は、戦争中、空襲により焼失するまで、何があったでしょう?
①軍需工場 ②鉄道工場 ③たばこ工場 ④ビール工場
※正答率は63%でした。


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示していますので、じっくりとご確認ください。

大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html
http://konkon2001.blogspot.jp/2017/10/blog-post_10.html


 今回は、「浪花百景」の難波付近をご紹介し、難波地域の変遷を見てきました。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「浪花の大ひな祭り」終了しました。

〇次回の企画展は「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」。4月21日(土)から開催です。

 本展で初公開となる「三井別家中川コレクション」は、江戸時代の豪商三井家の別家中川九兵衛(なかがわくへえ)家に伝来する書画、茶道具、食器類などのコレクションです。
 三井家は、江戸、京都、大坂の三都に呉服店を構え、両替商も営んでいました。幕末の大坂の名所を描いた『浪花百景』には、高麗橋2丁目にあった大坂本店の繫栄ぶりが描かれています。

 ところで、京都と大坂では風土や文化が異なるという指摘が古くからあります。一方で、京・大坂を一体にした上方文化という歴史用語もあります。2つの都市は、淀川という大動脈によって密接に結ばれていて、共通する生活文化が醸成されたことも事実です。例えば、船場言葉は京言葉と似ていますし、町家や町並み、年中行事など、両都市に共通する生活文化は数多く見いだすことができます。また、大坂の豪商・加島屋が京都出水の三井家から花嫁を迎えたように、京都と大阪は人や文化の交流を深めながら共に発展してきました

 中川家は、享保期頃(1716~1736)より代々京都西陣に近い千両が辻で本家と同じ呉服業を営んでいました。明治初頭に廃業しますが、現在の当主で10代目を数える旧家です。
 歴代の当主たちは家業に勤しむかたわら、歌人や茶人、絵師や陶工と親しく交流しました。また、家業だけでなく年中行事や通過儀礼といった生活面においても、本家や他の別家との交際も重要だったと推察されます。
 このような、富裕な商家ならではのくらしを営むなかで、来客をもてなす膳碗や酒器、食器類、四季折々に床の間を飾る掛軸や花器、そのほか調度品や装飾品などが蓄積されました。また、8代目当主(明治14年~大正10年/1881~1921)は茶の湯の愛好者で、茶道具類の収集にも熱心だったといいます。

 本展は“四季のしつらい”と“もてなし”をテーマに、「三井別家中川コレクション」から、端午の節句飾り、季節を演出する掛軸や花器、また、茶道具をはじめ陶器、漆器、ガラス器などの道具類、100点余りを展示します。上方の富裕な商家に育まれたくらしの美を感じていただければ幸いです。

唐獅子牡丹図大鉢

中川家に伝来の甲冑

〇今昔館は4月9日(月)~13日(金)まで展示替えのため休館します。

〇今週のイベント・ワークショップ

4月4日(水)~7日(土)、9日(月)、11日(水)~14日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

4月8日(日)、15日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

4月8日(日)
イベント 座敷舞

山村流の立ち方が華やかな舞を披露します
出演:山村若女 ほか
14時~15時

町家衆イベント おじゃみ(有料)
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

4月14日(土)
町家衆イベント ワークショップ『一閑張りの小物入れを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費200円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

4月15日(日)
町家衆イベント 今昔語り

大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日12時より受付でお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。


大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html



 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
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