2020年5月26日火曜日

今週の今昔館(217) 難波橋 20200526

〇浪華の賑ひに見る江戸時代の大坂(48)

 今回は「浪華の賑ひ」の「難波橋」をご紹介します。

■難波橋
 すずしさやまづともしびの蛍かな 今朝菴醒花

浪華の賑ひ「難波橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 浪花の賑ひの本文には、難波橋について、次のような記載があります。

■難波橋
 大川すじ第三の大橋なり
 南詰は船場の北浜町、北詰は西天満といふ。長さ百十四間六尺、高欄壮観なり。この北詰、西の方は諸侯の御蔵屋敷、甍を連ねて巍巍たり。夏の夕は浜側に納涼(すずみ)の茶店をならべ、醴酒(ひとよざけ)・豆茶なんどを販(ひさ)ぎて、川風に苦熱を忘るる客をもてなす。あるいは按摩按腹・軍書講釈などありて、すこぶる賑はし。
 六月二十四日・二十五日の両日は天満宮の祭礼にこの川筋を船にて神輿渡御あれば、川には拝礼の船々透き間なく、陸もひとしく遥拝の群衆雲霞のごとく、献灯の挑灯、商店の行灯、あたかも白昼のごとく、花火の流星八方を照らし、水売の錫鉢四面に輝き、その美観言ふべくもあらず。皆これ天満神の余光なるべし。
 この橋の中央より西の方に中の島の端あり。これを山崎の鼻と号す。この地方より東の方の瞻望佳景なり。風流の貨食家・富家の隠居所などありて、双びなき勝地なり。これより北の流れを堂島川といひ、南の流れを大川と号す。


 「浪花百景」には、「浪花橋夕景」があります。

■浪花橋夕景(国員画)
 現在、堺筋を土佐堀川と堂島川に架かる「難波橋」は、大正4年(1915)市電が走る橋として掛け替えられるまで一つ西の難波橋筋に架かっていました。当時は中之島は難波橋の西までしかなく、大川に架かる長い橋でした。架橋年代については豊臣時代に架橋されたのではないかといわれていますが、『元亨釈書』に天平17年(745)僧行基が摂州に難波橋を架けたという記事もあり、正確なところは定かではありません。

 江戸期には浪華三大橋として公儀橋に指定され、界隈には諸藩の蔵屋敷が建ち並びそれを取り巻くように問屋街が形成され、大変な賑いをみせていました。また納涼や花火見物、花見、月見にも絶好で舟遊びや避暑を楽しむ行楽地でもありました。現在は堂島川、中之島公園、土佐堀川にまたがって架かり、ライオン像を有することで知られています。堺筋にありますが、名前は難波橋を引き継いでいます。

浪花百景「浪花橋夕景」(大阪市立図書館蔵)

 難波橋、天神橋、天満橋の三大橋や天満天神、天満市場あたりの町の様子を江戸時代の古地図で見てみましょう。まず初めに、天保年間発行の「浪華名所獨案内(なにわ めいしょ ひとり あんない)」。江戸時代の観光マップです。東が上になっています。淀川には地図の上から順に天満バシ、天神バシ、ナニハバシが架かり、左側の北岸には青物市場と市ノ側、その北には天満宮があり、南岸には八ケン家があります。中之島はナニハバシの手前までしかありません。

 赤い線は観光のモデルコースを示しています。当時から名所であった場所が、浪花百景に描かれていることが確認できます。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵・上が東です)

 次は、ラムゼイコレクションで公開されている文化3年(1806)発行の「増修改正摂州大阪地図」。三大橋には長さと幅が表示されています。幅はいずれも3間で、長さは天神橋は122間、天満橋は115間、難波橋は114間となっており、いずれも百間を超える大橋でした。

 大川北岸の天満橋と天神橋の間には、「青モノ市バ」の文字があります。白い△の印は天満組(大坂三郷のひとつ)を示しています。左下に見える黒丸(●)は、北組です。

文化3年(1806)発行の「増修改正摂州大阪地図」
(ラムゼイコレクションより)

 3枚目は、時代が下って大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」。明治21年(1888)に架け替えられてトラス構造の鉄橋となった天満橋と天神橋が描かれています。北岸にびっしりと並ぶ町家は青物市場です。

 天満橋と難波橋には市電が通っている様子が描かれています。中之島が現在と同じく天神橋まで伸びています。
 4枚目は難波橋付近を拡大したもの。橋の姿や建物の様子がよくわかります。現在東洋陶磁美術館が建っている場所には大阪ホテルがあり、西には公会堂・図書館が並んでいます。中之島公園のバラ園も描かれています。

大阪市パノラマ地図(国際日本文化研究センター蔵)
大阪市パノラマ地図(国際日本文化研究センター蔵)

 次は、昭和12年の「大大阪観光地図」。観光名所に挿絵が入り、名前を丸で囲んだ赤字で示しています。天満天神、造幣局、難波橋、天神橋、中之島公園に加えて、「天満配給所」があります。青物市場が中央卸売市場に統合された跡地がそう呼ばれていたのでしょうか。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 明治時代以降のまちの変遷を、今昔マップを使って辿ってみましょう。

 1枚目は、明治41年(左)と昭和4年(右)。左の地図では、城東線(現在の大阪環状線)は通っていますが、道路や掘割には江戸時代の町割りのなごりが残っています。図の左上には堀川監獄があります。東西の寺町もよくわかります。難波橋は堀川から西に2本目の筋(難波橋筋)に架かっていた旧難波橋です。

 右の地図では、市電の開通と合わせて幹線道路の拡幅と橋の架け替えが行われています。難波橋は堀川から1本西の堺筋に移設されています。中之島は現在と同じ天神橋の東まで伸びてきています。天満橋をよく見ると、市電が橋の東側を通っています。パノラマ地図で確認すると市電はトラスの外側を走っており、正確に描かれていることがわかります。監獄が堺へ移転した跡地は扇町公園になっています。

明治41年と昭和4年の地形図(今昔マップ)

 2枚目は、左が終戦後の昭和22年、右は最近の地形図です。左の地図の白い部分は戦災で焼失した地域です。東天満の多くは焼失しましたが、西天満の老松町付近は焼失を免れました。天神橋北詰から市電の通る西天神橋筋までが拡幅され現在の姿になっています。

 右の地図は現在の国土地理院地図で、市電が廃止されて地下鉄谷町線と堺筋線が通り、国道1号線にはJR東西線も地下鉄と並行して走っています。天満堀川が埋め立てられて阪神高速道路が通っています。

昭和22年と最近の地形図(今昔マップ)

 次に、グーグルマップを利用して空中写真と最新の地図を見てみましょう。文化3年(1806)の古地図と重ねて見ることもできます。古地図は正確な測量に基づくものではないため、多少のズレはありますが、大まかな位置関係を確認できて便利です。

グーグルの空中写真
古地図と空中写真の合成

 次は最新のグーグルマップです。地下鉄の駅や路線の位置もよくわかります。京阪中之島線も描かれています。

グーグルマップ

 古地図とグーグルマップを重ねると、天神橋はほぼ正しく重なり、難波橋は現在の橋より一筋西に、天満橋は現在の橋より一筋東に架かっています。堀川と高速道路もほぼ重なっています。古地図の東西方向の位置関係はほぼ正確であることが分かります。

 一方、地下鉄とJR東西線が通る国道1号線は、天満天神を一部切り取り、星合池よりも南側を通っていますが、これは、古地図の方が南北方向に伸びた形で描かれていることが原因と推定されます。こうしたズレには注意が必要ですが、まち歩きの際に付近に昔は何があったのかを確認できて便利です。

古地図とグーグルマップの合成

 最後に、架け替えられる前の難波橋(難波橋筋に架かっていました)と新しく架けられた橋の両方が描かれている地図をご紹介します。大正3年(1914)発行の「大阪市内詳細図」です。
 新しく架けられた橋の名前は「大川橋」となっています。元の難波橋が撤去されたのち、新しい橋が名前を継承しました。そのため、堺筋に架かっているのに難波橋となりました。


大正3年大阪市内詳細図(国際日本文化研究センター蔵)

 現在の難波橋付近を写真で見てみましょう。

難波橋から中之島バラ園を見る
難波橋の顕彰板
難波橋の親柱、左奥は京阪中之島線なにわ橋駅
難波橋のライオン像(向かって左)、文字は「かな」
左手のライオンは口が開いている「阿像」
難波橋のライオン像(向かって右)、文字は漢字
右手のライオンは口が閉じている「吽像」
今年完成した「こども本の森」
京阪中之島線なにわ橋駅、後方は「こども本の森」

 今回は、「浪華の賑ひ」の「難波橋」をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。今昔館8階展示室の床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、「堂島」や「中之島」を確かめてください。


〇大阪くらしの今昔館からのお知らせです。

開館のお知らせ 令和2年6月3日(水)~


 大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」では、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、2月29日(土)より臨時休館を継続してまいりました。去る5月14日(木)に公表された大阪府緊急事態措置において、府が定める標準的対策を遵守することを条件に、施設の休止要請が解除されたことを受け、大阪市と協議を重ねた結果、6月3日(水)より再開させていただく運びとなりました。ご来館を心待ちにしておられた皆さまには、長期の休館により多大なご迷惑をおかけしましたことを深くおわび申し上げます。

 再開にあたっては、感染症拡大防止の観点から、いわゆる「3密」状態の防止やアルコール消毒の実施など十分な予防対策に努めてまいります。これに伴い、ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などの入館並びに観覧時にご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。 なお、詳しくは今昔館のホームページ等でご案内させていただきますので、ご来館の際には必ずご確認くださいますようお願い申し上げます。


〇大阪くらしの今昔館「なにわの町並み編」
 今昔館の見どころを動画でご紹介しています。今回は「なにわの町並み編」です。
https://www.youtube.com/watch?v=eLFLvGgxj3o


 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be


 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4


〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪くらしの今昔館は、6月3日(水)より再開の予定ですが、休館が長引いています。大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


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