2020年8月11日火曜日

今週の今昔館(228) 赤川 20200811

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(8)

 暁晴翁の著述、松川半山の画図による船旅の案内書「淀川両岸一覧」は、文久元年(1861)に刊行され、大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、約160年前の江戸時代の大坂から京都までの淀川南岸(左岸:川の流れから見て左側です)沿いの風景を訪ねていきます。今回は「赤川」をご紹介します。

■赤川
 毛馬から始まる2度目の曳き船は、2Km余りを引き上げ赤川に着きます。ここで船頭らは船に戻り今度は右岸柴島へ渡します。
 赤川の地は、大坂の陣の前までここにあった天台宗の赤川寺に因むもので、当時は既に寺はなく、地名のみが残っていました。
 挿絵には、南に二上山、葛城山の峰々や金城等が見え、毛馬同様広々とした雄大な景色が続き、船内の窮屈さも癒される眺めであったことがうかがわれます。

淀川両岸一覧上船之巻「赤川」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 一方、船頭らにとっては、上りのこの辺りは曳き船の続く難所でした。夏は蚊に刺され、冬は霜を踏み締めながら水流に逆らい船を引き上げる苦労は、並大抵のものではなかったようです。

 絵の上部にある賛は、醒花の句と、江戸の家風作の狂歌です。

 野も山も そふて霞むや 暮しばし 醒花

 琴糸の 十三里ひく 淀川に つめもたゝざる のり合のふね 江戸、家風

 狂歌では、曳き船の綱を琴糸にたとえ、十三里を引き上げるうちに、綱をつかむ指の爪もすり減ってしまうほどの重労働だったことを詠っています。

 「赤川」の絵には「煮売船」が描かれています。絵の右下、帆を張った船の手前にみえるのが「煮売船」です。
 「赤川」の遠景は、右から「金城」「かづらぎ」左に移って「二上嶽」の文字。
 「金城」は大坂城で、「かづらぎ」は大和葛城山のこと。「二上山」の右が雌岳、左が雄岳。淀川沿いの堤からは、こうした金剛山地の稜線を望むことができたのです。

 本文には以下のように赤川から土居に至る村の名前が下流から上流の順にあげられています。

■赤川
 毛馬村の上にあり。この地より土を出だす、世に赤川土とて名高し。ひところ杜若に名高かりしが、今は絶えたり。惜しむべき。
■葱生(なぎふ) 赤川村の上にあり
■上之辻 葱生村の上にあり
■中村 上之辻村の上にあり
■江野 中村の上にあり
■南島 江野村の上にあり
■森小路 南島村の上にあり
■陸路街道
 大坂野田村より野江・関目・茶屋を経て、南島と森小路の間に出づる。これより、森小路・今市・土居・守口を経て南十番・八番・七番・五番・二番・一番(佐太といふ。これより多く河岸を行くなり)・仁和寺・点野太間・木屋・松ケ鼻・出口・伊加賀・枚方・禁野・磯島・渚・下島・上島・樋之上・楠葉・橋本・樋之上・美豆・淀(大橋・間小橋(まごばし)・小橋を越えて淀堤五十町)・下三栖より伏見肥後橋に至る。本街道を京に入る。あるいは竹田街道を上るもあり。また淀より富森・横大路・下上の鳥羽を経て東寺・四ツ塚に出づるもあり、おのおのその方角の便宜にしたがふなり。
■今市渡口
 森小路村の上にあり。東生郡今市村より、西成郡平田村への舟わたしなり
■今市
 渡場の一村なり。毛馬よりこの所まで水上およそ十一丁半余
■摂河の国境
 今市村・土居村の間にあり。これまでは摂州東成郡、これより上は河州茨田郡なり
■土居
 今市村の上にあり。旧名竹門江(たかどえ)といふ

 野田村からの京街道が野江・関目・茶屋を経て、南島と森小路の間に出てくることから、「陸路街道」としてここで取り上げられ、京までの道筋が一括して紹介されています。
 三十石船の上り船は川の流れに逆らって曳き船の区間もあることから時間がかかり、船賃も下りの2倍したそうです。大坂から京への上りは京街道を歩き、下りは船で。という人も多かったとか・・・
 今市と土居の間に「摂河の国境」として摂津と河内の国境が紹介されている点も興味深いところです。東生郡、東成郡の両方の文字が使用されていたこともわかります。


 「浪花百景」にも、「浪華の賑ひ」にも、「赤川」はありません。

 そこで、八軒家を出発してから赤川までのルートを、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」でたどってみることにします。「よと川の図」には江戸時代18世紀末頃の淀川沿岸の大坂中之島から京都伏見までの風景が描かれています。縦36cm、横8m82cmの長大な折本です。この図については、大阪くらしの今昔館特別展の図録「淀川舟游」に紹介され、詳細に解説されています。ここでは、三十石船の起点である八軒家から、赤川付近までの船筋をたどってみます。

 1枚目は、八軒家から京橋にかけてのエリアです。

 八軒家浜を出発した船は天満橋の下をくぐります。当時の天満橋は旧大和川と大川の合流地点より上流側に架かっていました。
 図は北から南を見て描かれていますので、手前側が大川、奥が旧大和川になります。三十石船は手前側をくぐり、備前島の岸に沿って東へと進みます。


よと川の図の八軒家付近(大阪くらしの今昔館蔵)

 2枚目は、網島から桜宮・毛馬・土居にかけてのエリアです。
 船は網島から桜宮まで大川の左岸に沿って上ります。桜が咲き誇る桜宮には幔幕が張り巡らされ花見の宴が開かれています。
 桜宮からは対岸の天満川崎に渡り、ここから長柄まで一度目の曳き船となります。図にも2隻の三十石船を岸辺の道から引き上げる様子が描かれています。1隻に3人ずつ前のめりになって綱を引いています。
 長柄まで引き上げられた船は、左岸の毛馬へと渡り、ここから二度目の曳き船で赤川まで引き上げられます。図には毛馬・赤川の張り紙はありませんが、南嶋村の右手辺りになります。
 図には川の中央付近に川御座船が描かれています。
 三十石船は赤川からは、また右岸の柴島に渡り、ここからしばらくは右岸を曳きあげられることになります。


よと川の図の桜宮付近(大阪くらしの今昔館蔵)

 もう一枚、「淀河筋図」をご紹介します。こちらは、両岸の地名が詳しく載っていますので、船筋を確認しやすいと思います。「淀川舟游」の図録から借用しました。この図は東が上に描かれています。図の右手「南」の字の左の川ぞいに「八ケンヤ」があり、そこから大川の左岸をたどると、網島、櫻宮、毛馬、赤川の文字が確認できます。さらに進むと、今市、河内摂津国境、土居の文字も見えます。ここでも国境が記されています。

淀河筋図(摂南大学図書館蔵)

 赤川あたりの地域の変遷を地形図で確認してみましょう。明治18年の陸地測量部地図を見ると、毛馬村から川岸の道を右手(東方向)にたどると、赤川村、荒生(なぎ)村があります。淀川の改良工事前の状況を確認することができます。村のまわりは、ほとんどが田畑でした。

明治18年陸地測量部地図
(国際日本文化研究センター蔵)

 明治41年陸地測量部地図を見ると、竣工間近の新淀川の姿が描かれ、毛馬の閘門や洗堰が確認できます。毛馬村の大半、また、赤川村の西北部分は新淀川の堤防の内側になり、河川敷や川底となりました。毛馬村と赤川村は堤防の南側に移転することとなりました。

明治41年陸地測量部地図
(今昔マップ3より)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、淀川改良工事によって新淀川が完成し、毛馬閘門が建設されて川の流れが大きく変わっています。この大工事によって毛馬村の大半と赤川村の西北部分は新淀川の川底となりました。
 洗堰によって市内中心部への水害を防ぐとともに、閘門によって船が新淀川から大川、中津運河の間を行き来することができました。赤川付近には貨物線の鉄橋が架かり、その傍には赤川渡しがあります。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 現在の地形図に、明治20年代の川筋を重ねた地図です。濃い水色が旧淀川、薄い水色が新淀川です。うすい黄色は当時の水田を示しています。川筋が大きく変わったことがわかります。新淀川の堤防の内側の白い部分(毛馬町(四)の北側)が旧毛馬村に当たります。また、赤川村の左上の白い部分も、もとは村の一部でしたが川の中に入りました。

国土地理院地図(明治時代の低湿地)

 今昔マップ3を利用して、その後の赤川付近の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、赤川の東側の新しい淀川の南側に元の淀川の流れが残っています。赤川村の西北部分は川の中になりました。
 右上の昭和4年では、城東貨物線が通り、赤川鉄橋が架けられています。旧淀川部分は池になっています。赤川町に市電が通り、家が建ち並び始めています。

明治41年から最近の地形図
(今昔マップ3より)

 左下の昭和42年を見ると、赤川町はびっしりと市街地化が進み、毛馬町と大東町にも家屋が並んでいます。公団住宅のスターハウスも見えます。旧淀川部分は、城北公園内の池になっています。
 右下は最近の国土地理院地図ですが、淀川貨物線がおおさか東線になり、上流側に菅原城北大橋が架かっています。


 現在の赤川付近の状況を写真で見てみましょう。1枚目と2枚目は赤川鉄橋。城東貨物線の時代は鉄道は単線で、片側は自転車や人が通行できました。3枚目は城北公園通。旭区からの要望を受けて、この通り名が新駅の名前になりました。計画段階では仮称「都島駅」でしたが、地下鉄の都島駅と2km以上離れていることから、旭区側から要望が出ました。もし地下鉄風に駅名をつけていたら「赤川大東駅」になっていたかもしれません。4枚目は赤川廃寺の碑、背景は日吉神社です。5枚目は菅原城北大橋、手前はワンドです。

赤川鉄橋を走るおおさか東線
赤川鉄橋
城北公園通
赤川廃寺の碑と日吉神社
菅原城北大橋とワンド

 今回は、「淀川両岸一覧」の「赤川」をご紹介しました。


〇大阪くらしの今昔館は6月3日(水)から開館しています

 再開にあたっては、十分な予防対策に努めてまいります。これに伴い、ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などの入館並びに観覧時にご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・町家ツアー(ボランティア等による展示解説)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ
・ギャラリートーク、講演会



〇企画展「大阪くらしの今昔館所蔵品展『歳時記と祝い事』」は、7月23日から開催しています

 令和2年7月23日(木・祝)~9月6日(日)

 大阪くらしの今昔館ではこれまで、住宅や建築に関する歴史資料、祭礼や年中行事に関する絵画資料など、大阪の伝統的な建築文化および歴史文化を伝える資料の収集に努めてきました。本展ではこれまでに収集した館蔵品の中から「歳時記」と「祝い事」に関連する絵画資料、染織資料、工芸品、節句飾りなどを展示します。

 季節にあわせて飾られた掛軸や屏風、節句飾りや年中行事に用いられた漆器、贈答用の袱紗、通過儀礼の際に身に纏った宮参りや婚礼の衣装など「ハレの日」を彩った100点余りを選びました。 五節句や年中行事、人の一生の節目にあたる儀礼など、大阪の人々が大切に守ってきた生活文化に触れていただきます。

住吉をどり 菅楯彦
浪花行事十二月 七夕月
二代長谷川貞信
花嫁衣裳 扇面四季花鳥模様振袖
花嫁衣裳 揚羽蝶円紋金襴菱木打掛
雛飾り台所道具


〇江戸時代の疫病退散-天神祭の宵宮飾り

 本来ならば、7月24日は天神祭の宵宮、25日は本宮でした。
 今年の天神祭は、新型コロナウィルス対策のため、神職による神事のみの開催になり、陸渡御・船渡御・奉納花火はありませんでした。
 天神祭は元々は疫病退散を願う年中行事でしたから、コロナの禍中の今こそ大切な行事です。
 大阪くらしの今昔館の近世常設展示室(江戸時代のフロア)では200年前の天神祭の宵宮飾りと疫病退散にまつわる展示を行っています。

御迎人形「酒田公時(金太郎)」(大阪天満宮蔵)
疫病神(疱瘡神)は赤色を 嫌うと信じられていました
流行り病に打ち勝つ! 鍾馗さんや神農さんの掛軸を飾る
呉服屋での展示の様子
コレラ退治の虎
張子の虎が、店の表で 皆さんをお出迎え


〇【動画】江戸時代の疫病退散 -今昔館の天神祭
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=eOBkOPeM5MU&feature=youtu.be



〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be


 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4


〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
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