2020年10月28日水曜日

今週の今昔館(238) 淀大橋 20201028

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(18)

 琵琶湖から大阪湾へと流れる淀川は、人の流れ、物の流れを担う交通の大動脈として機能してきただけでなく、人々の暮らしと大きく関わり、政治・経済・文化にも大きな影響を与えてきました。

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(上り船之部)に沿って、大坂から京都までの淀川左岸(川の流れから見て左側)沿いの風景を訪ねていきます。今回から「上り船之部」の下巻に入り、「淀大橋」をご紹介します。現在の「淀大橋」と違って、木津川に架かっていた大橋です。

■淀大橋
 淀大橋は木津川が淀川に落ち合う河口に架かる橋で、約150mの長さがありました。上り船がこの辺りを棹差して上りますが、木津川の合流地点まで遡ると、右手に大きく望める位置に橋が架かっていました。

 「淀大橋」と題する絵は、大橋を北西から眺めたもの。絵の中央、橋の手前に「木ツ川落合」、絵の左下に「淀川」の文字が見えます。絵の左手が淀川の上流になります。
 京街道筋にあたるこの橋は、西国大名の参勤に利用されました。ちょうど橋上を大名行列が通行している所です。参勤交代の諸大名は、ここから伏見へと向かい、藤森から山科を抜け、大津へと進みます。左手前に見える三十石船の船客は苫を持ち上げて、その隙間から思いがけない光景を興味深げに眺めていたことでしょう。
 大名行列が通行する日は、少々物入りでも船を利用する方がよかったようです。三十石船もおそらくは定員いっぱいの客を乗せているはず。船をこぐ船頭たちも、平常よりも力が入ります。

 ここから川筋は、木津川、宇治川、桂川の3本に分かれます。三十石船は、中央の宇治川を北東へと遡っていきます。
 ひとつ注意が必要なことは、当時の宇治川は、この合流点で現在の川筋よりも北側を流れ、淀城よりも上流で桂川と合流していました。これから見えてくる淀城は宇治川を遡る上り船の右手に見えてきます。三十石船は、淀城を過ぎると、淀小橋をくぐって、宇治川を伏見へと向かうことになります。

淀川両岸一覧上船之巻「淀大橋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 木津川に架かる淀大橋は、淀城下の南の玄関口です。近世に架橋されるまでは、ながらく渡し舟が人々の足の役割を果たしていました。本文の解説は次のとおりです。

≪いにしへは木津川御牧の西より北に流れ、宇治川に合わせし大河なり。これを舟わたしにせしゆゑ、大渡りといへり。しかるを、豊太閤の御時、木津川を南へ通じ、大橋、間小橋等を架けさせ給ふとぞ。清少納言の「枕草紙」に、卯月の晦日に長谷寺にまうづとて淀のわたりといふものをせしとあり。≫

 平安時代、京から長谷寺へと行くためには、木津川を渡り、八幡から東高野街道を南へと向かうルートを利用しました。近世になると、豊臣秀吉による河川改修(文禄堤)や街道整備が行われ、橋が架けられることになりました。清少納言にとって難所であった「大渡り」も、江戸時代には「今は昔」のことでした。

 絵の賛は、次のとおりです。

 五月雨何を茶にくむ淀の人 鞭石

 船よばふ声かあらぬか稀々に聞こえてふくる淀の川かぜ 欷城


 淀川両岸一覧の本文は次のとおりです。
 今回から「上り船之部」の「下巻」に入りました。
■美豆(みづ)
 淀の大橋の南爪の里なり。すなはち京街道の順路にして、いにしへは美豆の御牧とて厩のありし所とぞ。小金川よりこの所まで水上およそ三十六丁と云ふ。入江・野・森等和歌に詠ず。
 「後拾」
 五月雨にみづの御牧のまこも草 刈りほす隙もあらじとぞ思ふ さがみ
 「続千」
 朝な朝なみづの上野に刈る草の きのふの跡はかつしげりつつ 順徳院
■木津川
 水源は伊賀より出でて山城和束より出づる水と合流し、末は淀川に落つる。一名泉川といふ。また泉川は和束よりの流れをいふとも。両義決せず。
■淀大橋
 右木津川にわたす。百三十六間。
■間小橋(まこばし)
 大橋の北にあり。大橋と小橋の間にありて小さきゆゑかくは名づくるなるべし。
■淀大渡
 いにしへは木津川御牧の西より北に流れ、宇治川に合せし大河なり。これを舟わたしにせしゆゑ、大渡りといへり。しかるを豊太閤の御時、木津川を南へ通じ、大橋・間小橋等を架けさせたまふとぞ。清少納言の「枕草紙」に、卯月の晦日に長谷寺にまうづとて淀のわたりといふものをせしとあり。


 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の淀大橋付近を見てみましょう。
 図の右端に「やはた」「八幡御幸道」の文字が見えます。後ろには、男山と八幡宮も描かれています。「大はし」の手前に「みつさと」が見えます。「美豆の里」のことです。
 橋を渡らずに木津川に沿って進むと「やまと道」、奈良へ向かう道です。「大はし」を渡ると「孫橋川」が見えます。「間小橋」が架かっている川です。
 対岸には、右手から「離宮八幡」「山さき」「たから寺」「天王山」の地名があり、「こいづみ川」と「神崎川」が淀川に注いでいます。小泉川は現在も大山崎ICの南を流れています。神埼川は現在の小畑川にあたるのでしょうか。地図の左端に「納所(のうそ)」の地名も見えます。この絵は、淀川の北側の上空から見た風景を描いていますので、絵の左手に向かう淀川(宇治川)は、淀城の北側を流れていたことがわかります。


「よと川の図」の淀大橋付近(大阪くらしの今昔館蔵)


 淀大橋付近の地域の変遷を地形図で見てみましょう。

 この地域は3つの川が合流する洪水の多発地帯で、川の付け替えなどによって地形が大きく変わっています。今回も少し丁寧に見ていきましょう。

 1枚目と2枚目は「京街道~東海道五十七次から五十四次を歩く」という本から、八幡付近と淀附近の地図です。太い線が京街道です。1枚目の右上「西岸寺」の文字のある所がかつての木津川の流れで、ここに「淀大橋」が架かっていました。京街道は、2枚目の「淀新城」の南の城下町を通過して、「淀小橋」を渡り、伏見へと向かいます。

八幡付近の京街道(「京街道」より)
淀付近の京街道(「京街道」より)

 3枚目は、明治22年陸地測量部地図(仮製地図とも呼ばれる)です。測量技術の水準が現在と異なるため、正確な比較は難しいですが、当時の大まかな地形を見ることができます。宇治川は付け替え前の流れが描かれています。現在よりも北側、淀城よりも北を流れていました。
 地図の左下に「美津村」という文字があります。本文の「美豆」にあたります。ここが付け替え前の木津川の河道です。「美津村」の北西で宇治川・桂川と合流しています。地図の左下から北東に向かう道が京街道で、「淀大橋」を渡ると、細い川を渡ります。ここが「間小橋」です。城下を折れ曲がりながら通り抜け「淀小橋」を渡ると「淀納所(のうそ)町」に至ります。京街道は橋の北詰から宇治川に沿って右手に進み、伏見に向かいます。

明治22年陸地測量部地図(仮製地図)
国際日本文化研究センター蔵


 4枚目の地図は、国土地理院地図の治水地形分類図というものです。
 現在の地図に河川の堤防の状況や旧河道などを示したものです。この地図で、木津川のかつての河道と、孫橋川、宇治川のかつての河道が確認できます。水色に塗られた部分です。
 淀の町の南側に付け替えられた宇治川は直線状に流れていて、いかにも人工の川筋となっています。

地理院地図の治水地形分類図


 次の地図は、明治42年陸地測量部地図に「明治期の低湿地」を重ねたもので、水色は明治20年ごろの水面、黄色は水田、緑色は荒地を表しています。地図の右上から左下にかけて宇治川が流れていますが、水色が塗られていません。「新宇治川」の名前が見え、その下流側に「淀大橋」が見えます。これは、宇治川の付け替え後に新設された橋です。この橋の左上「美豆」の文字の見えるところに、淀川両岸一覧に描かれている「淀大橋」が木津川に架かっていました。
 明治20年ころの宇治川は地図の右上から中央に向かって水色の所(京阪電車に沿う形)を流れていました。「舊宇治川」の文字が見えます。江戸時代の三十石船は、地図の左下から桂川を遡り、納所村の南で「小橋」をくぐり、地図の右上に向かって舊宇治川を東に進み、伏見へと向かいました。

明治41年陸地測量部地図+明治期の低湿地

 2枚目は、明治42年陸地測量部地図に現在の「色別標高図」を重ねたものです。現在の宇治川と桂川の堤防の位置がわかりやすくなりました。

明治41年陸地測量部地図+色別標高図

 3枚目は、最新の地理院地図に「明治期の低湿地」を重ねたものです。濃い水色が明治20年ごろの淀川の流れを示しています。宇治川は現在の京都競馬場の北側を流れ、納所町の西で桂川と合流していました。緑色は荒地、うす紫色は湿地を示しています。当時東側には巨椋池があり、宇治川が幾筋にも分かれて流れていた様子がわかります。競馬場の池のあたりにも、荒地や湿地が拡がっていたことがわかります。

国土地理院地図+明治期の低湿地

 4枚目は、最新の地理院地図に「色別標高図」を重ねたものです。宇治川と桂川の流れがよくわかります。黄色の道路は府道で、図の左下から右上にかけて直線状の道路は旧国道1号線(府道13号線)、淀の城下町を抜ける京街道も府道(126号線)となっています。
 旧国道1号線と京街道が交差する五差路の変形交差点である納所から、左手に延びる府道(204号線)は西国街道(現在の国道171号線)に通じる道で、桂川に架かる橋は宮前橋です。納所は、今も昔も交通の要所であることがわかります。 

国土地理院地図+色別標高図

 最後は、地理院の空中写真です。写真で見ると桂川と宇治川、京都競馬場が目に付きます。図の中央の濃い緑のところが淀城跡です。この写真から、付け替え前の宇治川の川筋をたどることは難しいと思われます。

国土地理院空中写真



 今回は、「淀川両岸一覧」の「淀大橋」をご紹介しました。淀周辺は木津川・宇治川の付け替え工事などによって地形が大きく変わっていますので、挿絵を見るときには、当時の地形を想像する必要があります。挿絵の解説に際しては、「続おおさか漫歩」および、今回からは「京都 鴨川探訪-絵図でよみとく文化と景観」を参考にさせていただいています。



〇次回の企画展示は「景聴園×今昔館 描きひらく上方文化」です

 令和2年11月4日(水)~11月23日(月・祝)

 「景聴園(けいちょうえん)」は京都で日本画を学んだグループです。80〜90年代生まれの関西出身の作家5名と企画を担当する2名が所属し、2012年に結成されました。同世代でありながらも異なる制作スタイルを持つ作家たちを中心に、日本画を通して文化と歴史を再考することで絵画のあり方を見つめ、日夜議論を重ねながら制作と発表を続けてきました。第6回目を迎える今回の展示は、大阪での初開催となります。
 大阪くらしの今昔館は、大阪における住まいの歴史を紹介する一環として、江戸時代を中心に近代までの美術・歴史資料を所蔵しています。それらは床の間や座敷で掛軸や屏風として、生活の中を彩るものとして、生活に取り入れられてきました。時代の流れとともに住まいは郊外にうつり、座敷を持たない家も増え、生活の中で日本画に親しむ機会も少なくなってしまいました。しかし現在も、連綿と続いてきた日本画の歴史を継承して学び、絵を描くことについて問いかけながら制作活動をつづける人たちがいます。
 景聴園の作家たちは当館で展示をするにあたり、所蔵品の熟覧を重ねることで大阪の歴史と文化から着想を得て、それぞれのテーマを設けました。本展では、5者5様のアプローチによって描き出された景聴園の新作を中心に今昔館の所蔵品も交えながら、上方で発展してきた都市文化が持つ奥深い世界を展開します。

上坂秀明「ナゾトキヤマ」2017年
合田徹郎「霊猫/狼/インターフェース」2019年
服部しほり「仙」2019年
松平莉奈「菌菌先生」2016年
三橋卓「つなぎとめる方法」2019年


〇大阪くらしの今昔館企画展 関連講演会「景聴園×今昔館」

 関西若手の日本画グループ「景聴園」の展覧会「景聴園×今昔館 描きひらく上方文化」の開催にあたり、これまでの活動と今回の企画展の展示内容について出展者が解説します。
◇日時 : 11月8日(日)13:30~15:00(開場は13時より開始)
◇講師 : 景聴園(出展者)
◇会場 : 大阪市立住まい情報センター5階研修室(当館ビル内)
◇交通 : Osaka Metro堺筋線・谷町線、阪急電鉄「天神橋筋六丁目」駅3号出口すぐ。JR「天満」駅北へ約650m)
◇定員 : 25名(申込先着順)
◇参加方法: 下記リンクからお申し込みください。(定員に達し次第、受付を締め切ります。)
https://www.osaka-angenet.jp/event/60/entry
 


〇大阪くらしの今昔館は6月3日(水)から再開しています

 再開にあたっては、十分な予防対策に努めてまいります。これに伴い、ご来館のみなさまにも、体温検査やマスクの着用などの入館並びに観覧時にご協力いただくことがございます。たいへんご不便をおかけしますが、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。なお、詳しくは、こちらをご確認ください。

 今昔館では、当面の間、以下の催し物の開催を中止しています。
・町家ツアー(ボランティア等による展示解説)
・着物体験
・上方芸能・文化体験(町家寄席、お茶会など)
・町家衆による各種ワークショップ
・ギャラリートーク、講演会


〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf


 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be


 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4



〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
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