2021年7月21日水曜日

今週の今昔館(276) 源八渡口 20210721

〇淀川両岸一覧にみる江戸時代の大坂(55)

 「淀川両岸一覧」は、江戸時代の大坂から京都までの淀川沿いの名所旧跡を挿絵を添えて紹介しています。このシリーズでは、淀川両岸一覧(下り船之巻)に沿って、京都から大坂までの淀川右岸(川の流れから見て右側)沿いの風景を訪ねていきます。
 今回は「源八渡口」をご紹介します。源八の渡しは天満源八町と対岸の中野村を結ぶ渡し舟です。現在はその地に源八橋が架かっています。JR大阪環状線の桜ノ宮駅の近くです。


■源八渡口
 源八を わたりて梅の あるじかな  蕪村

 享保元年(1716)、摂津国東成郡毛馬村に生まれた与謝蕪村。淀川西岸西成郡天満源八町への渡しの風景に詞興を覚えて、彼はこの句を残しています。絵はその源八の渡し場を描いています。

 本文の解説にもあるように、樋之口の下手の西成郡天満源八町から、対岸の東生郡中野村へ渡す舟渡しを源八渡しと言いました。また、対岸の名をとって中野渡しとも呼ばれました。おそらく、西岸から東へ行く場合には「中野の渡し」、東岸から西へ行く場合には「源八の渡し」と呼び分けていたのでしょう。その長さ84間といいますから、約150mの距離がありました。

 源八渡しの界隈、江戸時代、右岸側には大坂城代配下の役人たちが住み、対岸はのどかな農村風景が広がっていました。大川の両岸は桜の名所として名高く、今と変わらぬ花見客でにぎわいを見せていました。渡しの東には「中野の梅林」があり、人々はこぞって観梅にでかけました。

淀川両岸一覧下船之巻「源八渡口」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 挿絵には見えませんが、源八町から渡船に乗ると、対岸が近づくにつれ、中野の梅林が間近に見わたすことができました。この梅が満開で、源八渡しの風情の中心となる時節にこの渡しを渡ると、なんだかその梅林の持ち主になったように思えてくるというわけです。挿絵とあいまって、当時ののんびりとした情緒豊かな風景が目に映ります。

 毛馬出身の蕪村は。二十歳の頃に毛馬を離れてから、一度も故郷に帰らなかったといわれています。ただし、幾度かは帰坂しており、先述の句はその際につくられました。「源八をわたりて」の表現には、対岸には毛馬があるという思いが込められていると推測されます。

 絵の手前側、源八町からやってきた舟が、客をおろすようすがみえます。まずは小者を連れた侍から、傘をさした女性たちは後回し。身分社会の一端が垣間見えます。これとは逆に、絵の中央には源八へと向かう舟。岸には人影が見え、この渡しが多くの人々に利用されていたことがわかります。

 渡し舟とは別に、左手には京と大坂を往復する三十石船、右手には遊客たちを乗せている屋形船が浮かんでいます。上り船の部の本文の「中野」の項目には次のように記されています。

≪右わたし場の一村なり。すなはち桜の宮は当村の内にして生土神なり。当村の農家に酒肴を販(ひさ)ぐあり、その塩梅鄙に似ずとて、遊客しばしば賞翫す。なかんづく泥鰌(どじょう)汁をもって名物とせり。もっとも花の頃を始めとして卯月中旬を限りとす。≫

 中野は桜宮の氏子町であったことがわかります。ここを訪れる遊客が多かったようで、百姓たちが茶屋を営んでいたのだという。先ほどの屋形船にもここの茶屋の遊客たちが乗っているのでしょうか。

 ところで、「京は着て果て、大坂は喰うて果てる」という江戸時代のことわざがあります。「着倒れ」の京都にも京野菜があるわけですから、当然「喰い倒れ」の大阪にも地物の伝統野菜があったはずです。
 大坂は江戸時代に「天下の台所」と呼ばれ、全国から特産物や米が集まり天下の富が集積していました。食文化についても大阪独自のものが育まれました。
 豊かな水をたたえる淀川沿いには、毛馬胡瓜に守口大根、鳥飼茄子などがあり、源八の渡しの付近では芽紫蘇(めじそ)が栽培されていました。そのため、芽紫蘇等の芽物を総称して「源八もの」と呼ばれるようになりました。青芽と赤芽があり、独特の香気と色合いをもちます。おそらくは、中野村の茶屋でも、この「源八もの」が料理に彩りを添えていたことでしょう。現在、「芽紫蘇」は「なにわの伝統野菜」のひとつに含まれています。
「なにわの伝統野菜」の基準は、
 1.概ね100年前から大阪府内で栽培されてきた野菜
 2.苗、種子等の来歴が明らかで、大阪独自の品目、品種であり、栽培に供する苗、種子等の確保が可能な野菜
 3.府内で生産されている野菜
の3つで、現在18品目が認証されています。

 賛の漢詩は後藤梅園の作。

碧波蕩々として堤を拍(たた)き流れ/風冷かにして桜林揺れて落つるの秋/秋景は如かず春景の閙(さわ)がしきに/来り呼ぶ源八渡頭の舟  後藤梅園

 本文は次のとおり。
■源八渡口
 樋之口の下にあり。西成郡天満源八町より東生郡中野村へ淀川をわたす舟わたしなり。中野の渡しともいふ。水上八十四間と云ふ。


 次に、大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の源八渡し付近を見てみましょう。絵の左手が上流、右手が下流になります。絵の手前側が淀川の右岸で、上流側から「なかつ川」「なから」「かハさき」の地名が並んでいます。
 対岸の淀川左岸には、上流側から「御堂」「桜の宮」のラベルが見え、桜の花が咲く桜宮神社が詳細に描かれています。さらに右手には「あミ島」の文字が見えます。桜の宮、網島付近の川には屋形船が見えます。
 「源八渡口」は、長柄と川崎の間に位置しますが、この絵では特に記載されていません。川崎の付近には、綱で曳き上げられる三十石船が二艘描かれています。

「よと川の図」の源八渡口付近(大阪くらしの今昔館蔵)


 浪花百景にも、「源八渡し口」があります。

■源八渡し口(国員画)
 源八渡は天満源八町と対岸の中野村を結ぶ渡しです。
 大川右岸の源八町は大坂町奉行所の与力同心の官舎が建ち並び、樋之口から源八橋付近一帯は木村堤と称されて下流から桜並木が続き桜の名所として著名でした。左岸の中野村は農村で、梅林の名所として知られていました。渡し口からは名高い中野村の梅林を眺めることができ、毛馬出身の与謝蕪村は「源八をわたりて梅のあるじかな」という一句を遺しています。
 両岸を結ぶ渡しは、早春から梅、桜、菜の花と花に誘われる行楽の船としても広く利用されました。
 錦絵は中野村側から源八町方面を眺めたもので、堤上には多くの桜樹が見られます。この辺りは天満橋詰から始まる曳き舟の最初の区間で、堤の上を水主(かこ)たちが一里ほどにわたって三十石船を引き続けます。
 昭和11年に源八橋が架橋されるとともに源八渡は廃止となりました。

浪花百景「源八渡し口(国員画)」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」を見ると、「天神バシ」の北詰から「天満宮」「御宮」「川崎御蔵」を経て「源八ワタシ」で淀川を渡り、「櫻ノ宮」「大長寺」「野田村」を経て、「野田橋」と「京バシ」を渡って大坂城に至るルートが観光モデルコースとなっています。源八ワタシも観光ルートに組み込まれていました。この地図は、東が上に書かれており、北を上にしましたので文字は右を向いています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見ると、川崎には「伊勢津(藩)」の蔵屋敷があり、付近には天満寺町や与力・同心の屋敷がありました。淀川沿いには「木村ツツミト云」の文字も見えます。木村堤を北へ進むと、「源八渡」の文字が見えます。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図には、城東線の鉄橋が描かれ、淀川東岸に「櫻ノ宮駅」があります。城東線の南側に「げんぱちの渡」の文字と舟の絵が見えます。淀川の西側、寺町の北側には工場の煙突が目に付きます。一方東側を見ると、駅の南側には市街地が広がり、北側の一角には木造の市営住宅が描かれています。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、北同心町と中野町の間に「源八橋」が架けられ、「源八渡」は廃止されています。かつて水源地があったところは「淀川貨物駅」となり、入堀も描かれています。水運と陸運の結節点でした。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 地形図でも確認してみましょう。まずは、明治18年の陸地測量部地図です。川崎村と中野村を結ぶ渡し船の記号が描かれていますが、名前はありません。中野村側は渡し舟の船着き場近く以外はほとんどが田畑です。川崎村側は寺町の北側に与力・同心の屋敷が並んでいます。淀川と堀川を細い水路がつないでいます。

明治18年陸地測量部地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップを利用して明治41年陸地測量部地図(左)、最新の地理院地図に色別標高図を重ねたもの(右)を見比べてみます。
 1枚目は、長柄から川崎にかけての広域です。2枚目は、源八渡口付近を拡大したものです。図を見ると、地図の中央付近で淀川から天満堀川が分岐して南西へと流れています。明治40年に国営化された城東線の「さくらのみや」駅と「てんま」駅が見えます。
 右側の地理院地図をみると、黄色の道路は府道、緑色は高速道路を示しています。阪神高速十二号守口線が、埋め立てられた天満堀川の上を通っています。対岸の堤防上の道路は大阪府道となっています。


今昔マップより長柄から川崎にかけて広域
今昔マップより源八渡口付近

 今昔マップ3の4画面を利用して、明治41年以降の源八渡し周辺地域の変遷を見てみます。
 左上の明治41年では、城東線の南側に渡し船の記号が見えます。「さくらのみや」駅の北側は水源地となっています。
 右上の昭和4年では、淀川の堤防内が整備されワンドができています。渡し船はワンドの入り口までとなり、水路が短くなりました。水源地の跡が貨物駅になっています。

明治41年から最近の地形図
(今昔マップ3より)

 左下の昭和22年を見ると、名前の表示はありませんが、源八橋が架けられています。まだ渡し船も残っています。
 右下は最近の国土地理院地図です。源八橋の名前が表記されています。天満堀川が埋め立てられて阪神高速道路(地図の緑色の表示)が通っています。


 現在ここへ行くと、川の東寄りに中州があり、中州を跨ぐように、源八橋が架かっています。この地に初めて橋が架けられたのは昭和11年で、それまでは「渡し」が唯一の交通手段でした。渡しの歴史は古く、江戸時代の元禄末(1700年頃)には、「源八渡し」として知られていました。この名の由来は、川の中ほどに「源発」という名の砂洲があったことに基づくと言われ、「中野の渡し」とも呼ばれました。
 京街道にも近く、梅や桜の名勝であったので渡しも大変賑っていました。今でもこの辺りは桜の名勝で、桜並木が美しいところです。毛馬から天満まで、毛馬の渡し・源八渡し・川崎渡しの三つの渡しがありましたが、中でも源八渡しは有名でした。
 橋の下流右岸に大阪アメニティーパーク(OAP)があります。源八橋から望むOAPは美しい。OAPの川沿いに大川を観光するアクアライナーの船着場があり、ここから大阪城や淀屋橋まで船で行くことができます。

 現在の源八橋付近を写真で見てみましょう。最初の写真は源八橋の東詰から橋と対岸を見たものです。かつては、中央の中州から向こう岸までの間を源八渡しが結んでいました。対岸(西詰)の河川敷に源八渡しの跡の碑があります。


中野側から見る源八橋と対岸の眺め
中野側から見る源八橋(南面)
源八渡し跡の碑

 源八渡し跡の碑の南隣には、「日羅公之碑」があります。
 大阪市のホームページによると、「伝日羅(にちら)墳跡」として、≪『日本書紀』敏達(びだつ)天皇12年の条によると、日羅は肥後の人、長らく百済(くだら)に滞在してその地に精通していた。当時わが国は、朝鮮半島の新羅に帰属していた任那(みまな)の復興をはかっており、日羅を帰国させ献策させた。それが百済に不利なものと思った随行の百済人が、彼を暗殺した。この付近は日羅初葬の地と伝えられるところで、碑はここより西約200mの民家前にあった。≫とあります。


隣には日羅公之碑

 この辺りは江戸時代から「木村堤」として桜の名所でした。それは現在にもつながっています。以前に源八橋の上から撮った写真をご紹介します。

源八橋から見た大川右岸の桜
大川右岸の桜(源八橋より)


 今回は、「淀川両岸一覧下り船の巻」の「源八渡口」をご紹介しました。


〇住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」とは?

 住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月26日に開館しました。今年で開館20周年を迎えました。
 前館長の谷直樹先生と新館長の増井正哉先生がこれまでの道のりを振り返り、これからの課題について語り合う動画が公開されています。
 こちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=kFW0qbelLNo

 ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。
 住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。
 8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。
 さらに企画展示室では特別展や企画展を開催しています。


〇大阪くらしの今昔館を紹介する動画作成プロジェクトが「2021年度都市住宅学会賞・業績賞」を受賞しました

 受賞対象は「歴史博物館から発信する大阪の町家と住文化の魅力-子ども・若者・外国人に町家と住文化を理解してもらうための動画制作プロジェクト-」です。
 この動画制作プロジェクトは、2018年度に申請者らからなる博物館住まい学習研究会が「建築技術教育普及センター」の助成を受け、大阪くらしの今昔館の9階常設展示「商家の賑わい」で撮影・編集し、2019年3月に完成しました。ドイツ人留学生のザビ-ネさんがナビゲートし、今昔館ボランティア「町家衆」の皆さんが江戸時代の住民に扮して出演しています。その後、2019年7月からYouTubeで配信しました。

 授賞理由・受賞者・動画の詳細は、以下のとおりです。

・審査委員会の講評(授賞理由)
 本事業は、「大阪くらしの今昔館」の江戸時代の町並み展示を活用して、大阪の町家の建築と生活文化を伝える教育動画を制作し、YouTubeで配信するものである。変化した現在の町家でなく、江戸時代当時の建築と生活が学べる点で他の動画にはない独創性を備えている。また、制作された動画は教育効果の高い内容に加えて、外国人留学生がナビゲートする演出など様々な工夫がされており高く評価できる。本動画は、海外旅行者や社会科見学等の団体見学者に対する事前学習の活用が意図されているが、今後のITCを活用した授業の優れた教材の提供、コロナ禍における博物館の情報発信の面でも先駆的な試みであり、日本の伝統的な生活文化を世界に発信するツールとして今後の展開が期待できる。以上より、本事業は、当学会の業績賞に相応しいと認められる。

・受賞者
 大阪くらしの今昔館 前館長 谷直樹氏
 大阪教育大学教授  碓田智子氏
 大阪くらしの今昔館 特別研究員 岩間香氏
 大阪市住宅供給公社 渡邊望氏

 大阪くらしの今昔館を紹介する学習ビデオは、「なにわの町並み」、「町家の商い」、「町家のくらしとおもてなし」、「裏長屋のくらし」の4編(それぞれ日本語字幕版と英語字幕版)で構成されています。

 日本語字幕版と英語字幕版の動画はこちらをご覧ください↓↓↓
大阪くらしの今昔館 「商家の賑わい」学習ビデオ【日本語・English】



〇大阪くらしの今昔館は、6月21日から再開しています。

【イベント、ワークショップ、およびボランティアによる展示解説(町家衆による町家ツアー)中止のお知らせ】
イベント・ワークショップ等は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の為、当面の間 開催を中止いたします。

開催を楽しみにしてくださった皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解をいただきますようお願いいたします。

※スタッフによる展示解説(町家ツアー)は1日3回実施しています。お気軽にご参加ください。

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。

スタッフによるまちの解説(町家ツアー)スケジュール
①11:00~(約30分)
②13:00~(約30分)
③14:00~(約30分)



〇企画展「掌(てのひら)の建築展 ― 橋爪紳也+遠藤秀平 建築ミニチュアコレクション ―」開催中です。
 令和3年7月10日(土)~8月29日(日)

 誰しもがどこかで手に取り、1つや2つは部屋に飾っている建築ミニチュア。私たちが住まう都市を形作る建築への愛着の結晶が建築ミニチュアではないでしょうか。「掌(てのひら)の建築展」では、世界中の建築ミニチュアを一堂に会して展示し、建築ミニチュアを通して都市や建築・住まいが持つ魅力に触れていただきます。
 建築ミニチュアを展示する企画は、2015年に開催された「ENDO SHUHEIワールド・ミニチュア・ワールド」展を始めとし、「みんなの建築ミニチュア展」としてこれまでに東京、大阪、京都、滋賀、岡山など日本各地で開催されてきました。
 今回の展覧会では、世界中の建築ミニチュアを展示し、観覧される皆様に世界旅行の気分を楽しんでいただける内容となっています。
また、写真家川村憲太氏と橋爪紳也氏のコラボレーションによる写真展「ミニチュア・ワンダーランド」を併催し、掌サイズの建築ミニチュアと巨大な都市空間や自然の景色とを組合せた作品をお楽しみいただきます。
※本展は生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2021の連携プログラムです。

開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日 :火曜日(ただし祝日を除く)
会 場 :大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館) 企画展示室
      〒530-0041 大阪市北区天神橋6丁目4-20 住まい情報センタービル8階
入館料 :企画展のみ300円
     常設展+企画展 一般800円(団体700円)
           高・大生500円(団体400円)(要学生証原本提示)
*団体は20名以上。
*周遊パス・年間パスポートでも入場可。
*中学生以下、障がい者手帳等持参者(介護者1名含む)、大阪市内在住の65歳以上の方は無料(要証明書原本提示)。
交 通 :地下鉄堺筋線・谷町線、阪急電鉄「天神橋筋六丁目」駅3番出口から直結
     JR大阪環状線「天満」駅から北へ650m
主 催 :大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)
協 賛 :鹿島建設株式会社、淀鋼商事株式会社
協 力 :鹿島出版会、一般社団法人日本建築設計学会、神戸大学光嶋研究室、
     生きた建築ミュージアム大阪フェスティバル実行委員会、海洋堂、
     大阪府立大学観光産業戦略研究所、
     株式会社橋爪総合研究所、遠藤秀平建築研究所
監 修 :橋爪紳也 遠藤秀平

<トークイベント>
「掌の建築たち イッツ・ア・スモール・ワールド」橋爪紳也×遠藤秀平
(「掌の建築展」関連イベント)

 世界の建築は面白い、そして「建築ミニチュア」の世界も奥深い。その歴史、素材の多様性、収集時のエピソードなど、それぞれの「建築ミニチュア道」について楽しくトークを展開します。あわせて、パリで進めている「アジール・フロッタン復活プロジェクト」についても紹介します。

●日 時: 2021年7月25日(日) 14:00~15:30(受付13:30開始)
●登壇者: 橋爪紳也氏 遠藤秀平氏
●会 場: 大阪市立住まい情報センター 3階ホール
●定 員: 120名(応募者多数の場合抽選)

申込受付期間は終了しました。(2021年6月2日(水)12:00 ~ 7月10日(土))
※新型コロナウイルス感染症拡大の状況によっては開催を中止とする場合もあります。

フィレンツェ大聖堂
サンマルコ広場
タワーシリーズ1
タワーシリーズ2
ミラノのドゥオーモ
(写真 川村憲太)


〇落語家 桂米團治と歩く江戸時代の大坂
 大阪くらしの今昔館の9階常設展示室にある江戸時代(天保年間)の大坂の町並みをご紹介する新しい動画ができました。案内人は上方の落語家、桂米團治師匠です。
〈①表通り編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=n1moBJy5uB4
〈②町家の暮らし編〉
 こちらからどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=dDb2VBmyKnw



〇「今昔館のオンライン まなびプログラム」が公開されています
 大阪のまちと住まいや くらしのことを おうちで学んでみませんか?
 こちらからどうぞ。
 ⇒konjyakukan.com/link_pdf/今昔館のオンラインまなびプログラム.pdf




〇大阪くらしの今昔館の紹介動画
 今昔館の江戸時代のフロアをご紹介する動画は4編あります。全4編の目次はこちらからどうぞ。
 こちらから、見たい部分だけを見ることができます。英語の字幕入りの動画を見ることもできます。
http://konjyakukan.com/link_pdf/what's%20this%20.pdf



 このほかに「天神祭となにわの町」をご紹介する動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3or8fq4U8zE&feature=youtu.be



 また、今昔館の近代のフロアをご紹介する動画が2編あります。
https://www.youtube.com/watch?v=SbqzmybwKss&feature=youtu.be


https://www.youtube.com/watch?v=EohP-xqrOi4




〇【動画】重文茶室「蓑庵」ー構造模型で見る茶室建築の世界
 重要文化財 大徳寺玉林院茶室「蓑庵(さあん)」の実物大構造模型(竹中大工道具館所蔵)を京都工芸繊維大学名誉教授 日向進先生が分かりやすく解説してくださいます。
 こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=tqJEnPZckbc&feature=youtu.be



 大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからご覧ください。
http://konjyakukan.com/index.html


 「今週の今昔館」の第1回から第52回までは、「古地図で愉しむ大阪まち物語」に掲載しています。
 「今週の今昔館」の第1回はこちらからご覧ください。
http://osakakochizu.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


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