2018年6月26日火曜日

今週の今昔館(117) 下安治川随見山 20180626

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(25)

 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の25回目は、下安治川瑞賢山をご紹介します。波除山とも呼ばれていました。

■下安治川随見山(芳雪画)
 古来大坂は淀川や旧大和川の増水で幾度となく水害に見舞われていました。
 幕府は河村瑞賢に淀川改修を命じ、治水工事の一環として貞享元年(1684)に安治川の開削が行われ、川口は船の玄関口となりました。その際、浚渫した土砂を南岸に積み上げてできた小山を、河村瑞賢の名を取って瑞賢山(随見山)、あるいは防波の役割を果たしたことから波除山(なみよけやま)とも呼ばれました。
 山崩れを防ぐために植林した松がうっそうと繁る様子は安治川を往来する船からも眺められ、その風情が画題として多く取り上げられました。現在この地は突き崩されて見る影もなく碑を残すのみとなっていますが、近くの波除公園には小山が再現されています。

浪花百景「下安治川随見山」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 江戸時代初期までの淀川河口部は洪水がたびたび起こり、上流からの土砂が堆積して舟運にも不便をきたすことが多くありました。このため、貞享元(1684)年に幕府の命により、河村瑞賢が九条島を分断して淀川の流れを直線化し、安治川を開削しました。そのときの土砂が積み上げられて、随見(瑞賢)山(異称、波除山)ができました。また、天保2(1831)年に行われた安治川の浚渫工事「御救大浚」の際にできたのが「天保山」です。
 天保末期に刊行されたと推定される古地図「大阪安治川口細見」には、安治川河口付近に「ズイケン山」「天保山」が見られます。また、天保山より沖に向かって、現在の大阪市章と同じ形をした「澪標(みおつくし)」が描かれています。


大阪安治川口細見
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 菱垣廻船(ひがきかいせん)とは、江戸・大坂間の海運の主力となり、木綿・油・酒など、江戸の必要とする日用品を輸送した菱垣廻船問屋専属の廻船のことです。新綿番船は、その菱垣廻船の年中行事で、安治川口を出帆、浦賀到着の順番を競いました。江戸時代より、日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地であった、大坂のにぎわいを伝える錦絵です。

菱垣新綿番船川口出帆之図
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 大阪市港区弁天五丁目12の弁天東公園(地下鉄中央線・JR「弁天町」下車 北西約750m)には、波除山跡の碑があります。昔から大阪は、淀川や旧大和川の洪水で大きな被害をうけていました。江戸時代前期には、根本的対策として種々の工事が行われました。貞享(じょうきょう)元年(1684)市内では淀川の治水対策として河村瑞賢(かわむらずいけん)が幕命をうけ九条島を開削し、新川(元禄11年(1698)、安治川と命名)を通しました。そのときの土砂を南岸に積み上げてできたのがこの山で、一名瑞賢山ともいわれ幕府の管理するところでした。現在は平坦化されてしまいましたが、山の崩壊を防ぐため植林した松が茂り、遠望できて有名でした。

波除山跡の碑

 大阪市港区波除五丁目12の波除公園(地下鉄中央線・JR「弁天町」下車 北東約500m)には、市岡新田会所跡の碑があります。大阪湾口の新田開発は、江戸時代から行なわれていましたが、とくに元禄ごろから盛んになりました。市岡新田は、元禄11年(1698)市岡与左衛門らによって干拓され、湾内では最大規模のものでした。

市岡新田会所跡の碑

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」の安治川河口付近を見ると、「波除山 ズイケン山トモ云」があり、「市岡新田」の文字も見えます。さらに河口部には「目印山 天保山トモ云」とあり、山の絵が描かれています。この地図は、東が上になっています。
浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見てみましょう。安治川が開削される前の川筋が、古川、掘割として逆S字型に残っています。安治川をはさんで南北に九条島田地があり、かつて九条島として地続きだったことが分かります。地図の左端に「波除山」の文字と山の絵があります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 文化3年発行の増修改正摂州大阪地図には、波除山付近の新田開発の様子が池山新田、木屋新田、湊屋新田など詳しく描かれています。新田会所の文字も見えます。 

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、安治川河口部には市電「波除橋」停留所があります。境川が安治川と合流するところに「玉船橋」がかかり、停留所もあります。その西側には「さかひかわばし」が架かっています。地図にアーチが描かれていますが、これは心斎橋に使われていたアーチを再利用したものです。安治川には橋はなく、いくつもの渡船が川の両岸を結んでいます。大きな船が上ってきていた様子も描かれています。市電と水運が当時の主要交通手段であったことがよくわかります。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、安治川には多くの渡船が描かれていますが、橋はひとつもありません。当時の技術と予算では大型船舶の通行の多い安治川には橋を架けることはできなかったようです。「工場地帯」の文字が丸囲いで表示され、「煙の都」を誇っていた時代、このあたりは工場の多い地域として注目されていたことが分かります。
 波除橋停留所はありますが、波除山はありません。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、安治川沿いは一部市街地化していますが、新田開発された田畑が多く残っています。川口鉄工所の文字が見えます。
 右上の昭和7年では、市街地化が進み安治川と境川に沿って市電が走っています。市岡高女校の文字も見えます。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、このあたりは大きな被害があったことがわかります。
 右下の平成8年を見ると、市電はすべて廃止され、地下鉄中央線が中央大通りを走り弁天町に駅があります。国鉄西九条駅から分岐して環状線が建設され、弁天町で地下鉄とクロスしています。阪神高速道路も通り、安治川を跨いでいます。波除二丁目、波除四丁目の文字があり、波除は新住居表示によって町名として残っています。

明治42年~平成8年の地形図(今昔マップ3より)


 今回は、「浪花百景」の下安治川瑞賢山をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。今昔館8階展示室床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「商都慕情 -今昔館の宝箱-」開催中です。

会期:2018年6月16日(土)~7月8日(日)
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:毎週火曜日

 「天下の台所」と称された大阪には諸国の物産が集積し、商人は富み栄え、豊かな暮らしを背景に芸術・文化が開花しました。また、「水の都」とも称された大阪は市中に堀川が発達し、多くの橋がかけられました。三大橋と呼ばれた「天満橋」「天神橋」「難波橋」、町人が維持管理した町橋など多種多様な橋があり、魅力ある都市景観を作り出していました。

 大阪くらしの今昔館が所蔵する美術品の中には、大阪の景観や、年中行事など、人々の暮らしぶりを描いた絵画が残されています。例えば、「浪花下村店繁栄之図」(佐藤保大筆)は幕末期の松屋(現在の大丸)の店構えと賑わいが、「浪花天神橋図」(菅楯彦筆)には天神橋の上で武家の子ども連れと、天神旗を持った行商人の家族などが行き交う様子などが描かれています。さらに花見や月見など季節の行楽、寺社への参拝、年中行事や祭礼など、古きよき大阪の魅力あふれる街の様子や暮らしぶりを掛軸・絵巻・屏風などの絵画作品を通してご覧ください。
詳しくはこちらからどうぞ。
浪花下村店繁栄之図 佐藤 保大
浪花天神橋図 菅 楯彦
「葉月 四ツ橋夕涼」浪花風景十二月より 二代貞信


〇次回の企画展示は、大阪市中央公会堂開館100周年記念  特別展
「大大阪モダニズム ― 片岡安の仕事と都市の文化―」です。


会期:平成30年7月21日(土)~9月2日(日)
開館時間:10:00-17:00(入館は16:30まで)
会期中の休館日:毎週火曜日【7月24日(火・祝)は開館】

 大正14年(1925)、大阪市は第二次市域拡張によって面積・人口ともに東京市を抜き日本第一の都市となり、当時世界第6位の大都市「大大阪」が誕生しました。御堂筋の建設や公営地下鉄の開通、築港整備などが進み、また大阪市中央公会堂、大阪商科大学(現大阪市立大学)、大阪城天守閣、大阪市立美術館などの教育文化施設が誕生しました。次々と都市計画が実現する中、機能性を重視した「モダニズム建築」が現れ、大衆文化にもアールデコ風の新しいデザインが取り入れられます。

 今年は、大阪市中央公会堂が開館して100年の節目の年になります。そこで、大大阪時代の幕明けを告げるこの名建築の実施設計を手掛け、大阪の都市計画を指導した建築家・都市計画家の片岡 安の仕事を通して、大大阪時代の建築群と都市景観を展望します。また大大阪時代の都市美を描いた絵画を紹介し、大大阪モダニズムとも呼べるこの時代の美術・文化を再評価します。

 本展覧会は、片岡安が初代校長を務めた常翔学園(その前身である関西工學専修學校)の常翔歴史館と、大阪の建築文化の専門博物館でもある大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)の主催により開催します。

「大阪市公会堂新築設計図 透視図」
(岡田信一郎案)大阪市蔵
小出楢重《市街風景(街景)》個人蔵
川瀬巴水《大阪道頓堀の朝》
大阪市新美術館準備室蔵
「大阪の三越」個人蔵

〇今週のイベント・ワークショップ

6月27日(水)~30日(土)、7月2日(月)、4日(水)~7日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

7月1日(日)、8日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

7月1日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00

7月8日(日)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町家で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸、月亭遊真
14時~15時

町家衆イベント おじゃみ(有料)
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00-16:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
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