2018年5月15日火曜日

今週の今昔館(111) 永代濱 20180515

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(20)

 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の20回目、今回は永代濱と解舟町をご紹介します。

■永代濱(芳瀧画)
 かつての西船場には東西に横切るいくつもの堀があり、その内の一つ海部堀川が一筋南の阿波堀川につながる形で直角に曲がるところを永代濱といいました。塩魚や干物、鰹節などを扱う靱の海産物商人が寛永元年(1624)に開削、陸揚げ場として浜を設けました。もとは生魚と同様に天満で商っていましたが、水利に悪く当地に移ってきました。

 幕府より「永代諸魚干鰯市場揚場」として許可されたことに因んだ地名で、塩干魚や干鰯取引の中心地でした。江戸中期以降大坂周辺農村が干鰯を肥料として利用するようになると、当地の取引はますます盛んとなり、主に北国から輸送された干鰯のほとんどがここで荷揚げされました。

浪花百景「永代濱」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

■解舟町(国員画)
 阿波大名蜂須賀氏の大坂屋敷を中心に阿波商人が集まった阿波座。 現在の西本町を東西に貫いて流れていた阿波堀川の南岸にあった奈良屋町は、その東部に古船を解体する業者が集まり、解舟町とも呼ばれました。あわせて古材を売買したり、それを風呂桶など木製品に加工する店もできて、船運にて興隆した大坂らしい再生業が生まれました。

 すぐ南の立売堀には材木市も立ちました。堀端に古板を立て連ねた様子は切り立った山岳を連想させ、雪の積もった朝などはあたかも山水画のようで風趣を誘ったといわれます。 
 阿波堀川は昭和31年に埋め立てられ、今は往時を偲ぶよすがもありません。

浪花百景「解舟町」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 天保年間発行の浪華名所獨案内を見ると、西横堀から西に分かれる「アハザボリ(阿波座堀)」の南岸に「トキ舟丁」があり、「解舟ヤ多シ」と書かれています。また、「アハザボリ」から北に分かれる「海部堀」が描かれ、「ホシカヤ多シ」の文字があります。海部堀が直角に曲がるあたりが永代濱です。この地図は、上が東になっています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 文化3年(1806)発行の増修改正摂州大阪地図を見ると、堀川の形や橋の位置・名前が正確に描かれています。西横堀から西に分岐する京町堀と阿波座堀が描かれ、その2つの堀をつなぐ形で海部堀があります。海部堀が直角に曲がるところに永代橋が架かり、東岸に「永代濱」の文字があります。阿波座堀が西横堀から分かれるところの南岸に「奈良屋町」の文字があります。このあたりが解舟屋が集まり解舟町とも呼ばれていました。図中の●は大坂三郷の北組の印です。阿波座堀よりも北側は北組に属していたことが分かります。

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)

 天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を拡大して見てみましょう。海部堀川が直角に曲がるあたりに「永代濱」の文字があり、堀の北側には「▲海部堀丁」の文字があります。こちらの地図では町名の上に印が書かれ、北組は▲で表示されています。
 西横堀から阿波座堀が分かれるところの南岸に「▲奈良ヤ丁」とあります。2筋南の通りに「△神田丁」「△伊達丁」「▲箱屋丁」「▲豊島丁」とあり、この通りが北組と南組の境目になっていたことがわかります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、本町通と四ツ橋筋に市電が通り、交差点に「信濃橋」停留所があります。本町通が西横堀を跨ぐところに架かる橋が信濃橋です。阿波座堀の南の通りには「アワボリドーリ一丁メ」の文字があり、奈良屋町の地名は消えています。
 一方、「太郎助橋」停留所の北には「永代濱」の文字があり、堀からの荷揚げがしやすいように「雁木」があった様子も描かれています。ここでも、東西に走る市電の停留所は橋の名前になっています。電車の絵が描かれている所にプラットホームがありました。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、永代濱の文字は残っています。解舟町のあたりは「阿波通一丁目」となっています。「社町」「戸ヤ町」など赤い文字で通称が掲載されている町もありますが、「解舟町」の字はありません。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、南北の四ツ橋筋に市電が通っています。阿波堀川の南の通りには「阿波堀通」の文字があります。すでに地名が変わっていたようです。京町堀川と阿波堀川に挟まれた地域は「靭(うつぼ)」と呼ばれていました。
 右上の昭和7年では、南北のあみだ池筋と東西の本町通にも市電が通っており、「しなのばし」停留所の文字があります。
 左下の昭和30年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、あたり一帯が戦災を受けたことが分かります。この時点では多くの堀と、市電東西線、南北線ともに残っています。京町堀川の南に「飛行場」の文字があります。昭和27年までGHQによって利用されていました。
 右下の昭和42年を見ると、すべての堀が埋め立てられ、市電は、あみだ池筋と土佐堀通に残っています。新たに都市計画道路として、なにわ筋と中央大通(四ツ橋筋より西側)が整備されています。飛行場のあったところが靭公園になっています。

明治42年~昭和42年の地形図(今昔マップ3より)

 今回は、「浪花百景」の永代濱と解舟町をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。戦災によって地域一帯が焼失したことと、昭和30年代に阿波座堀などの堀川が埋め立てられたことによって、地域の景観はすっかり変わっています。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇大阪くらしの今昔館は「重文民家をつなぐ!-それは文化とともに建物を次世代に伝えること-」を共催します

 民家を愛する方、民家をもっと知りたい方 必見です!
重文民家は建物の魅力だけではありません。とても大切な伝統文化をつないでいるのです。

 特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」設立40周年記念パネルディスカッション

 国指定重要文化財民家(重文民家)の半数以上は、代々個人の住宅です。住み続けることで重文民家の貴重な文化を守っています。このパネルディスカッションでは、重文民家が大切な伝統文化をつないでいることを所有者自らが語ります。重文民家を伝統文化とともに次世代につなぐにはどうすればよいかを、英国の事例に学びながら考えます。

◆日時 2018年5月27日(日)
    13:30~16:30(受け付けは13:10から)

◆会場 大阪市立住まい情報センタ- 3階 ホ-ル

◆参加費無料(定員150名 先着順)

◆プログラム
1 所有者が語る重文民家をつなぐ意味
・天皇即位の儀式と三木家住宅ー大嘗祭の麻布(麁服(あらたえ))ー 三木 信夫(徳島県 三木家住宅)
・世界文化遺産の地・宮島で厳島文化と上卿屋敷(林家住宅)を伝える 出先 洋一(広島県 林家住宅)
・高林家住宅に伝わる百舌鳥精進と年中行事―家族で受け継ぐ400年-  高林 永統・高林 宗弘(大阪府 高林家住宅)

2 歴史住宅を次世代につなぐための支援~英国の事例から~  (通訳あり)
・次世代につなぐ-英国では歴史住宅をどのように次世代に継承しているのか
  Ben Cowell (イギリス Hisitoric Houses 代表)

3 ディスカッション -重文民家を次世代につなぐために (通訳あり)

◆主催:特定非営利活動法人「全国重文民家の集い」
    大阪教育大学居住環境学研究室
    大阪くらしの今昔館
    大阪市立住まい情報センタ-




〇企画展「~生活文化の粋 三井別家中川コレクション~くらしの美を探る 四季のしつらいともてなしの道具」開催中です。5月27日(日)までです。

 本展で初公開となる「三井別家中川コレクション」は、江戸時代の豪商三井家の別家中川九兵衛(なかがわくへえ)家に伝来する書画、茶道具、食器類などのコレクションです。
 三井家は、江戸、京都、大坂の三都に呉服店を構え、両替商も営んでいました。幕末の大坂の名所を描いた『浪花百景』には、高麗橋2丁目にあった大坂本店の繫栄ぶりが描かれています。

 ところで、京都と大坂では風土や文化が異なるという指摘が古くからあります。一方で、京・大坂を一体にした上方文化という歴史用語もあります。2つの都市は、淀川という大動脈によって密接に結ばれていて、共通する生活文化が醸成されたことも事実です。例えば、船場言葉は京言葉と似ていますし、町家や町並み、年中行事など、両都市に共通する生活文化は数多く見いだすことができます。また、大坂の豪商・加島屋が京都出水の三井家から花嫁を迎えたように、京都と大阪は人や文化の交流を深めながら共に発展してきました

 中川家は、享保期頃(1716~1736)より代々京都西陣に近い千両が辻で本家と同じ呉服業を営んでいました。明治初頭に廃業しますが、現在の当主で10代目を数える旧家です。
 歴代の当主たちは家業に勤しむかたわら、歌人や茶人、絵師や陶工と親しく交流しました。また、家業だけでなく年中行事や通過儀礼といった生活面においても、本家や他の別家との交際も重要だったと推察されます。
 このような、富裕な商家ならではのくらしを営むなかで、来客をもてなす膳碗や酒器、食器類、四季折々に床の間を飾る掛軸や花器、そのほか調度品や装飾品などが蓄積されました。また、8代目当主(明治14年~大正10年/1881~1921)は茶の湯の愛好者で、茶道具類の収集にも熱心だったといいます。


 本展は“四季のしつらい”と“もてなし”をテーマに、「三井別家中川コレクション」から、端午の節句飾り、季節を演出する掛軸や花器、また、茶道具をはじめ陶器、漆器、ガラス器などの道具類、100点余りを展示します。上方の富裕な商家に育まれたくらしの美を感じていただければ幸いです。

会期 平成30年4月21日(土)~平成30年5月27日(日)
開催期間中の休館日 毎週火曜日
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)


唐獅子牡丹図大鉢

中川家に伝来の甲冑



〇今週のイベント・ワークショップ

5月16日(水)~19日(土)、21日(月)、23日(水)~26日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

5月20日(日)、27日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

5月20日(日)
町家衆イベント 連鶴(有料)

折鶴がいくつもつながった連鶴。
一枚の紙から折るところに特色があります。
作り方を詳しくお教えします。
開催日:奇数月の第3日曜
時 間:14:00-15:30

町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30-15:00

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00

イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日12時より受付にてお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時

5月26日(土)
ワークショップ 『張り子のお面を作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

5月27日(日)
町家衆イベント 絵本で楽しい時間

むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30-15:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。
http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

0 件のコメント:

コメントを投稿