2018年7月10日火曜日

今週の今昔館(119) しりなし漆づつみ甚兵衛の小屋 20180710

 このたびの西日本豪雨災害において、亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被害に遭われた方々に対し、心よりお見舞いを申し上げます。

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(27)


 「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の27回目は、「しりなし漆づつみ甚兵衛の小屋」をご紹介します。

■しりなし漆づつみ甚兵衛の小屋(芳雪画)
 元禄年間(1688~1703)以降、幕府は新田開発を奨励、木津川から分岐する尻無川流域も三軒村、恩加島など大阪湾に向かって土地が拓かれ、堤防も整えられました。尻無川河口付近南側の泉尾新田は元禄15年(1702)に開墾され、開発者の出身地和泉踞尾(つくお)村にちなんで泉尾と名付けられました。
 この新田水害から守るために築かれたのが漆堤(うるしづつみ)で、堤防上に植えられた数千本の櫨(はぜ)の木(漆科・蝋を取る)が植えられ、並木の紅葉は尻無川のしじみ採りとともに有名になり、付近は町人たちの行楽地となりました。河口近くには渡し守りの甚兵衛の小屋があり、蜆汁などを商っていました。
 現在は工場化と護岸工事によってすっかり姿を変えてしまいましたが、今も尻無川下流の渡川手段として甚兵衛渡船が活躍しています。

 大阪市建設局のホームページによると、
≪昔、尻無川の堤は紅葉の名所でした。「摂津名所図会大成」に『大河の支流にして江之子じまの北より西南に流れて、寺島の西を入る後世この河の両堤に黄櫨の木を数千株うえ列ねて実をとりて蝋に製するの益とす されば紅葉の時節にいたりては河の両岸一圓の紅にして川の面に映じて風景斜ならず 騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑ひなり 河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋にして世に名高し』とあり、甚兵衛によって設けられた渡しにある茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかったといわれます。
 現在も甚兵衛渡船場は健在で、大正区泉尾七丁目と港区福崎一丁目を結び(岸壁間94メートル)、朝のラッシュ時は2隻の船が運航しています。平成29年度現在1日平均約1,189人が利用しています。≫とあります。


浪花百景「しりなし漆づつみ甚兵衛の小屋」
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)


 この地図は3回目の登場となりますが、今回は見るところが違います。尻無川の川口をご覧ください。「唐人澪ト云」の文字があります。「尻無川」の文字の左下には「ワタシ」の表示があります。甚兵衛の渡です。その右側の黄色の表示は御舟蔵です。

大阪安治川口細見
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 大阪あそ歩のコースのひとつに「朝鮮通信使も通った唐人澪」があります。
 まち歩きマップによると、
≪江戸時代、尻無川は商都・大坂の玄関口として発展しました。春は潮干狩り、秋は櫨(はぜ)の紅葉などで賑わい、「浪花百景」や「摂津名所図会」にも記されるほど大坂庶民の遊興の地として有名でした。また秀吉の朝鮮出兵で国交が断絶していた朝鮮との交流が幕府の努力によって再開されると、尻無川は「唐人澪(とうじんみお)」と呼ばれ、華やかな国際交流の舞台となり、平和への玄関口ともなりました。≫ とあります。マップの左上には朝鮮通信使の御座船の絵も描かれています。

大阪あそ歩「朝鮮通信使も通った唐人澪」の
まち歩きマップ

 江戸時代天保年間発行の「浪華名所獨案内」の尻無川河口付近を見ると、左手(北側)に「目印山天保山トモ云」と書かれた山の姿があり、右手(南側)には、「勘介嶋」「泉尾新田」「三軒家」「御番所」があります。この地図は、東が上になっています。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵)

 次に、天保8年(1837)発行の天保新改攝州大坂全圖を見てみましょう。尻無川をさかのぼると、入江状の水面を挟んで、「御舟蔵」と「岩崎新田」の文字があります。

天保新改攝州大坂全圖(国際日本文化研究センター蔵)

 文化3年(1806)発行の増修改正摂州大阪地図では、もう少し詳しい情報があります。尻無川の北側には「市岡新田」があり、川の傍には「安永六年丁酉市岡新開」の文字があります。その横に「長右衛門ワタシ」があります。甚兵衛渡の別名でしょうか?北岸には「龍王神」があります。入江を挟んで「御舟蔵」と「岩崎新田」があるのは、天保の地図と同様です。

増修改正摂州大阪地図(ラムゼイコレクションより)

 大正13年発行の大阪市パノラマ地図では、尻無川の両岸には多くの工場が描かれています。水面にはたくさんの船があり、川が水運の役割を果たしていました。雲のかかっているあたりに渡し舟の絵があります。「なかの渡」の文字があります。上流の尻無川と岩崎運河が分岐するところには、「はぜの渡」が描かれています。岩崎町にはガスタンクが、境川には発電所が描かれています。市電が網の目のように走り、「臨港鐡道線」と書かれた貨物線も描かれています。
市電と水運が当時の主要交通手段であったことがよくわかります。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)

 昭和12年発行の大大阪観光地図を見ると、尻無川には下流側から順に「福崎渡」「甚平渡」「中の渡」があり、北恩加島の入江の入口に「恩加島橋」が架かっています。港区側、大正区側の両方に市電が通り、尻無川の北岸にはバスも走っています。貨物線には「大阪水陸連絡線」の文字があり、浪速貨物駅が描かれています。大正区の小林、千島あたりには多くの水面が描かれており、木場となっていました。現在の地形とは大きく違っています。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 明治18年陸地測量部地図です。尻無川の両岸に干拓によって新田が開発された様子がよくわかります。

明治18年陸地測量部地図
(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)
 今昔マップ3を利用して、地形図の変遷を見てみます。
 左上の明治42年では、尻無川の両岸は、ほとんどが新田開発された田畑となっています。
 右上の昭和7年では、工場用地として土地の造成が進み多くの運河が掘られています。当時の輸送は水運でした。港通と大正通に市電が通り、貨物線も通っています。
 左下の昭和22年では、白い部分が戦災で焼失した地域で、このあたりは大きな被害があったことがわかります。
 右下の昭和42年を見ると、市街地の復興が進み、川沿いは工場地帯に、内陸部は住宅市街地になっています。大正内港(千歳湾)が掘られ、鶴町と北恩加島の間に大きな湾口ができています。

明治42年~昭和42年の地形図(今昔マップ3より)

 今回は、「浪花百景」の「しりなし漆づつみ甚兵衛の小屋」をご紹介し、周辺地域の変遷を見てきました。今昔館8階展示室床面には大きく拡大した「大阪市パノラマ地図」がありますので、昔の地図、現代の地図と見比べながらお楽しみください。
 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。


〇企画展「商都慕情 -今昔館の宝箱-」は終了しました。


〇次回の企画展示は、大阪市中央公会堂開館100周年記念
 特別展「大大阪モダニズム ― 片岡安の仕事と都市の文化―」です。


会期:平成30年7月21日(土)~9月2日(日)
開館時間:10:00-17:00(入館は16:30まで)

会期中の休館日:毎週火曜日【7月24日(火・祝)は開館】

 大正14年(1925)、大阪市は市域拡張によって面積・人口ともに東京市を抜き日本第一の都市となり、当時世界第6位の大都市「大大阪」が誕生しました。御堂筋の建設や公営地下鉄の開通、築港整備などが進み、また大阪市中央公会堂、大阪商科大学(現大阪市立大学)、大阪城天守閣、大阪市立美術館などの教育文化施設が誕生しました。次々と都市計画が実現する中、機能性を重視した「モダニズム建築」が現れ、大衆文化にもアールデコ風の新しいデザインが取り入れられます。

 今年は、大阪市中央公会堂が開館して100年の節目の年になります。そこで、大大阪時代の幕明けを告げるこの名建築の実施設計を手掛け、大阪の都市計画を指導した建築家・都市計画家の片岡 安の仕事を通して、大大阪時代の建築群と都市景観を展望します。また大大阪時代の都市美を描いた絵画を紹介し、大大阪モダニズムとも呼べるこの時代の美術・文化を再評価します。

 本展覧会は、片岡安が初代校長を務めた常翔学園(その前身である関西工學専修學校)の常翔歴史館と、大阪の建築文化の専門博物館でもある大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)の主催により開催します。

「大阪市公会堂新築設計図 透視図」
(岡田信一郎案)大阪市蔵
小出楢重《市街風景(街景)》個人蔵
川瀬巴水《大阪道頓堀の朝》
大阪市新美術館準備室蔵
「大阪の三越」個人蔵


〇大正イマジュリィ学会公開シンポジウム 第43回研究会 大阪イマジュリィをもとめてⅢ「ヴィジュアルから切る”大大阪”-アート・博覧会・マスメディアー」

日 時:平成30年7月29日(日)13:00~16:00(受付は12:30から)
会 場:住まい情報センター 3階ホール
参加費:無料

“イマジュリィ”はフランス語でイメージ図像を指し、挿絵・ポスター・絵はがき・広告・漫画・写真など大衆的な図像の総称です。本学会は“イマジュリィ”を対象に、日本の視覚文化上、重要な大正時代を中心とする二十世紀初頭をクロース・アップします。

特別展「大大阪モダニズム ― 片岡安の仕事と都市の文化―」関連イベントで、朝日新聞に「大大阪君の顔」を連載した漫画家・岡本一平や、天王寺公園で開催された大大阪記念博覧会、池田遥邨《雨の大阪》など絵画、そしてメディアはいかに「大大阪」を発信するかをとりあげ、街も人もダイナミックな、この時代の大阪についてディスカッションします。

詳しくはこちらからどうぞ。
https://www.sumai-machi-net.com/event/portal/event/33208




〇今週のイベント・ワークショップ

 ※本日(火曜日)は休館日です。


7月11日(水)~14日(土)、18日(水)~21日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。
当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:①11:30~、②14:30~
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)

7月15日(日)、16日(月・祝)、22日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

7月14日(土)
町家衆イベント ワークショップ『ミニすだれを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費200円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

7月15日(日)
イベント 町家でお茶会

町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日12時より8階受付でお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時

町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30-15:00

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00-16:00

町家衆イベント 連鶴
折鶴がいくつもつながった連鶴。
一枚の紙から折るところに特色があります。
開催日:奇数月の第3日曜
時 間:13:30~初心者向け
    14:30~中級者以上向け

7月21日(土)
町家衆イベント ワークショップ 『風鈴を作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着10名、参加費300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

7月22日(日)
町家衆イベント 絵本で楽しい時間

むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30~15:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「今週の今昔館」は第1回から第52回までは、大阪市立住まい情報センターの住まい・まちづくり・ネット「スタッフのつぶやき」に掲載されています。
「今週の今昔館」第1回はこちらからご覧ください。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。

「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。
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初めての方はこちらからどうぞ。
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